2004年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第18号

THz時間領域分光法を用いた高機能皮膚診断法の開発~角質層の水分量と厚さの同時測定~

研究責任者

安井 武史

所属:大阪大学大学院 基礎工学研究科 システム人間系専攻 助手

共同研究者

荒木 勉

所属:大阪大学大学院 基礎工学研究科 機能創成専攻 教授

共同研究者

東野 義之

所属:奈良県立医科大学 医学部 第1解剖学教室 教授

概要

1.はじめに
皮膚は人体が外界と接する部位であり、皮膚呼吸・発汗などにより生体内の環境や体温を調節するだけでなく、外部からの刺激(異物、細菌、微生物、太陽光線、機械的刺激他)から生体内部組織を保護する役割も担っている。皮膚のこれらの機能が低下すると皮膚疾患となり、炎症や痒みを生じることになる。このような皮膚の機能は、皮膚の最外殻組織である角質層の水分含有量と関係があると考えられている。一方、アトピー性皮膚炎によるドライスキン、皮膚ガンや火傷の検査、化粧品・医薬品の評価、美容など、実用的視点からも皮膚の水分モニタリングは多くのニーズがある。このように、皮膚水分量は人間が生活していく上で重要な生理的パラメーターであり、皮膚科学的観点から重要な関心事となっている。
従来より水の電気的特性(電導率、静電容量、誘電率他)を利用した皮膚水分測定法が提案・実用化されているが、マクロな領域(~cm)の接触測定である上に、水分以外の電解質(汗他)の影響を受けやすく高精度化が困難であった。また、この手法では、皮膚表面下30-40μmの角質層の水分量のみを測定しており、角質層全体に存在する含有水分量を測定しているわけではない。一方、非接触リモート測定が可能な光学的手法として可視光反射分光法による水分測定法も提案されているが、皮膚組織中の散乱やメラニン色素の吸収のため、十分な成果は挙げられていない。
我々は、皮膚水分量測定の非接触・高感度・高精度・高空間分解能化はもちろんのこと、さらに角質層の厚さ測定を同時に実現できれば、角質層厚さに依存することなく一義的に皮膚水分量の評価を行うことが可能になると考えた。すなわち、皮膚角質層における『ミクロ領域』の『単位厚さ当たり水分量』を厳密に定量できれば、皮膚科学関連分野に新たな局面を展開できると考えられる。本研究では、皮膚角質層の水分量と厚さの同時測定を実現するため、テラヘルツ電磁波パルス(THzパルス)が有する、自由空間伝搬・低侵襲・優れた物質透過特性・水の吸収が極めて大きい・コヒーレントなサブピコ秒パルス・生体組織内での光散乱が小さい・イメージング測定が可能、といった特徴に注目し、非破壊・非接触・低侵襲で、(1)皮膚角質層の含有水分量と(2)角質層厚さの(3)2次元分布状態の同時測定が可能な高機能皮膚診断法の開発を行う。最終的に、皮膚水分量を角質層単位厚さ当たりの水分量として決定し、これらの2次元分布状態を可視化することを目的とする(図1)。
2.テラヘルツ電磁波パルスとは
テラヘルツ領域(周波数=0.1~10THz;波長二30~3000μm)は、ちょうど光波と電波の境界に位置し、これまで光源と検出器の制限から、ほとんど研究が行われていない未開拓研究領域であった。しかし、最近の安定な超短パルスレーザーの出現と超高速デバイス技術の発達により、テラヘルツ領域の超短パルス(THzパルス、パルス幅=サブピコ秒~ピコ秒)の発生及び検出が可能になった1)。THzパルスは、光波と電波の境界に位置するということから、その両者の性質を有するユニークな電磁波である。具体的には、自由空間伝搬、良好な物質透過特性、極性分子の吸収が大きい、低エネルギー・低侵襲、コヒーレントなサブピコ秒パルス、広帯域スペクトル、生体組織内での散乱の影響が小さい、イメージング測定や分光測定が可能、といった特徴を有する。また、この波長領域における物質との相互作用として、分子の回転遷移、生体高分子の共鳴吸収、原子の禁制遷移、コヒーレント・フォノン等がある。
このようなユニークな特徴により、物性評価2)、生体計測3),4)、非破壊検査4),5)などの分野における新しい計測手段として注目されている。このようなTHzパルスを皮膚診断に用いることにより、(a)非破壊・非接触・低侵襲、(b)深浸透性による角質層全体の測定、(c)水の極めて大きなTHz吸収による高感度水分量測定、(d)サブピコ秒時間分解測定による高精度厚さ測定、(e)THzイメージングによる2次元分布測定、(D角質層単位厚さ当たりの水分量測定、といった特徴を有する高機能皮膚診断法が実現できる。
3.測定原理
皮膚組織は、外側から、角質層、表皮、真皮、皮下組織という順序で層構造を成している(図2(a))。各層の成分は各々異なることからその光学的特性である群屈折率も異なり、その結果、各層の境界には群屈折率不連続界面が存在する。このようなサンプルに対して、THzパルスを入射すると、屈折率不連続面である各組織境界面から時間的に分離されたエコーパルスが戻ってくる(図2(b))。したがって、角質層前後の境界面(1)および(2)からのTHzエコーパルスの時間遅れを、サブピコ秒時間分解測定で厳密に決定することにより、高精度厚さ測定を実現する。
一方、含有水分量測定には、THzエコーパルスの強度情報を用いる。角質層前後(境界(1)と(2))からのエコーパルス強度は、角質層における水の吸収に依存するため、これらを用いて含有水分量の定量を行う。
4.実験装置及びサンプル
図3に、実験装置図を示す。THzパルスの発生及び検出にはフェムト秒チタン・サファイアレーザー(AVESTATiF-Kit-100、パルス幅=60fs、パワー=200mW、繰り返し周波数二87MHz、中心波長=810nm)を用いる。レーザー光はビーム・スプリッター(BS)によって、発生用ポンプ光と検出用プローブ光に分岐さる。ポンプ光はレンズによって、光伝導アンテナ(PCアンテナ)に集光される。
微小アンテナ・ギャップ間には、あらかじめバイアス電圧をかけておく。フェムト秒パルス光が入射した瞬間に発生した光励起キャリアが、バイアス電圧で加速されることによってPCアンテナ間を微小電流が瞬時に流れ、双極子放射が起こる。その結果、THzパルスが超半球型シリコンレンズ(Siレンズ)側に放射される。THzパルスは軸外し放物面鏡(OAP-M)によって平行光線にされ、平面ミラーで反射された後、別の軸外し放物面鏡によってサンプルに集光される。サンプルから反射されたTHzパルスは軸外し放物面鏡によって再び平行光線にされた後、3番目の軸外し放物面鏡によって電気光学結晶(EO結晶)に集光される。プローブパルス光は時間遅延を経て偏光子(P)で直線偏光にされた後、ビームスプリッターによってTHzパルスと空間的に重ね合わされてEO結晶に入射される。ここで、THzパルスはEO結晶の印加電界として機能する。すなわち、THzパルスとプローブ光がEO結晶内で時間的に重なった時のみ、THzパルスによる電気光学効果(複屈折)をプローブ光が受け、直線偏光のプローブ光が楕円偏光化される。複屈折量はTHzパルスの電場強度に比例する。その複屈折量を1/4波長板(刀4)、ローション・プリズム(RP)、バランス検出型フォトダイオード(PD)を用いてロックイン検出する。プローブ光はTHzパルスに比べてパルス幅が短いので、プローブ光の時間遅延を連続的に変化させながら複屈折変化量をサンプリング測定することにより、THzパルスの電場時間波形を再現する。またイメージング測定では、サンプルを2次元的に走査する。
本研究では、サンプルとしてヒト掌の皮膚を用いた。皮膚サンプルは、ホルマリン固定された解剖検体から取り出され、皮下組織を外科用メスで除去した。このようにして作成した角質層・表皮・真皮からなる皮膚サンプルは、蒸留水で洗浄後、室温で乾燥させ、実験に用いた。
5.実験結果
5.1基本特性
本システムによって得られたTHzパルスの電場時間波形を図4に示す。このようにテラヘルツ領域では、もはや搬送波成分の包絡波が超短パルスを形成するのではなく、完全なモノサイクル・パルスとなり、パルス幅は0.4psである。この時の測定SN比は最大1000であった。
イメージング特性の評価は、ナイフエッジ法を用いて行った。すなわち、図4のTHz電場時間波形の最大値に遅延時間を固定し、サンプル位置でビームを横切る方向にナイフを0.1mm刻みで移動させた時の電場強度の変化を測定した(図5(a))。測定値に対して、ガウシアン・フィッティングを行った結果、スポット径は1.7mmであった。またTHzイメージングの応用例として、カッターナイフ刃の根元部分の時間分解イメージング測定を透過配置で行った。図5(b)に示すように、カッターナイフ刃の幅は9mmで、直径3mmの穴があいている。サンプルは自動ステージによって20mm×20mmの測定範囲を025mm刻みで2次元的に走査し、測定を行った。その結果、得られた時間分解イメージが図5(c)である。ナイフ刃は金属製であるためTHzパルス光は透過できず、結果としてその部分が影となって表れていることが分かる。また、空間分解能が不十分なためイメージが少しぼやけているが、ナイフエッジ及び穴の部分が確認できる。
5,2微量水分測定
THzパルスと物質との相互作用の1つに、分子の回転遷移がある。特に、極性分子である水の吸収はTHz領域において極めて大きい。このような特徴は非常に微量の水を高感度測定する場合に有効であり、本研究ではこの特徴を角質層水分量測定に応用している。そこで、まず本課題の重要な計測スキルである微量水分量測定に関する基礎実験を行った。
図6は、水の厚みを100μm刻みで変化させていったときの水分量(水厚さ)とTHz吸収をプロットしたものである。両者は高い線形相関を示しており、定量分析が可能であることが分かる。また、厚さ100μmまでの微量水分までは少なくとも測定できることも分かる。水のTHz吸収が極めて大きいというこのような特徴は、生体組織のようなwaterrichなサンプルでは問題となりこれまでその応用が制限されてきたが、一方で微量水分量ならば高感度測定が可能であるとも言える。
本研究でターゲットにしている皮膚角質層は厚さ100μm前後であり、THzパルスは十分に透過可能である。
皮膚水分量測定を模した予備実験として、ウエットティッシュの水分量測定を透過配置で行った。ウェットティッシュを8枚重ねて、サンプル位置に配置した。可視光や近赤外光では吸収と散乱のためサンプルをほとんど透過することが出来ないが、THzパルスはその良好な透過特性と低散乱性によりこのようなサンプルでさえ透過可能である。ウェットティッシュを大気中に4時間放置した時のTHz吸収の時間変化(●プロット)を図7(a)に示す。また、同時に電子天秤で重量変化を測定した時のデータ(ロプロット)も併せて示している。ウェットティッシュ中の水分が時間の経過と共に蒸発し、THz吸収が減少していっているのが分かる。2時間後にはほぼ蒸発が完了し、波形変化が微小となっている。図7(b)はTHz吸収変化と重量変化の相関を示しており、高い相関性(=0.998)が得られていることが分かる。このことより、THz吸収によって水分量変化が精度よく測定できていることが分かる。
5.3皮膚厚さ測定
図8に、掌皮膚サンプルから得られたTHzエコーパルスの電場時間波形を示す。ここで時間波形はデコンボリューション解析によるインパルス応答として示されており、エコーパルスの正負及び大小は境界前後の群屈折率の大小関係によって決まる。図8において、(1)は空気・角質層の境界、(2)は表皮・真皮の境界、(3)は真皮・サンプルホルダー境界からのTHzエコーパルスであると考えられ、これはサンプルの幾何学的サイズのオーダーと一致している。一般に掌は身体中で特に角質層が厚い部位として知られているが、角質層・表皮境界のエコーは観測されていない。これは角質層厚さに対してTHzパルスの時間幅が十分に短くはないため、角質層・表皮境界からのエコーが時間的に分離されず、エコーパルス(1)に重畳し隠れた状態であるためと思われる。テラヘルツ領域における生体組織の群屈折率を2とすると、角質表面から表皮一真皮境界までの厚さは409μmで、真皮の厚さは1257μmであり、実際のサンプルとオーダー的に一致している。
5.4含有水分量測定
最後に皮膚含有水分量に関する実験を行った。ここでは、蒸留水中に12時間浸した掌皮膚をサンプルとして用いた。図8の結果より、今回のシステムでは角質層・表皮境界からのエコーパルスを時間分離することが出来なかった。そこでここでは、エコーパルス(1)の強度を用いて、含有水分量の推定を行った。図9は、エコーパルス(1)の強度をパラメーターとして用いた場合の時間変化を示している。皮膚サンプルを空気中に放置すると、時間の経過と共にエコーパルス(1)の強度が減少した。これは以下のように考えられる。テラヘルツ領域における水の群屈折率は2より大きいため6)、水を含んだ皮膚の群屈折率は乾燥皮膚(群屈折率=2)より大きくなる。
すなわち、皮膚の乾燥と共に群屈折率が低下していくことになる。この群屈折率の低下により、空気(群屈折率=1)一角質層境界における群屈折率差も低下するため、THzエコーパルス信号の強度が減少する。図9の結果はこのような過程を反映していると思われ、角質層表面の水分量変化をプローブしていると考えられる。
6.まとめ
テラヘルツ電磁波パルスを用いた高機能皮膚診断法の開発として、角質層の水分量と厚さの同時測定に関する基礎研究を行った。
厚さ測定に関しては、空気一角質層、表皮一真皮、真皮一サンプルホルダーの各境界からのTHzエコーパルスを確認した。一方、角質層7表皮境界からのエコーパルスは厚さ分解能の不足により、空気門角質層境界のエコーパルスと分離することができなかった。今後は、さらなる厚さ分解能(時間分解能)の向上が望まれる。そのための手段として、信号解析手法の改善(逆問題解析など)と10フェムト秒以下の極短パルスレーザーによるTHzパルスの時間幅短縮を検討している。
一方、含有水分量測定に関しては、提案手法を用いることにより皮膚表面水分量の相対的な変化をモニタリングできた。一方で、皮膚含有水分の絶対量を決定するためには本手法では不十分であり、今後は微量水分量の高感度定量法の検討が必要である。
上記問題の解決及び測定迅速化による2次元イメージング測定が実現できれば、本手法に基づいた次世代の高機能皮膚診断法が期待できると考えられる。