2016年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第30号

T 細胞受容体遺伝子領域を用いた iPS 細胞由来移植細胞の識別技術の開発

研究責任者

関 倫久

所属:慶應義塾大学 医学部 循環器内科学教室 助教

概要

1.はじめに

近年、iPS 細胞は再生医療の新たな細胞ソースとして大きな注目を集めている [1]。iPS 細胞はES 細胞と同様に三胚葉由来の様々な細胞へと分化可能であることが知られており、現在、網膜色素変性症を皮切りに、様々な難治性疾患に対して

iPS 細胞を用いた新たな細胞移植療法が開始されようとしている。今後 iPS 細胞由来の再生細胞の移植が進むことが期待されるが、iPS 細胞由来細胞移植治療の効果や副作用の評価、さらには治療法の更なる発展のためには、移植細胞の生着性、移植後の挙動の評価や腫瘍発生の際の由来細胞の判別を病理学的に評価する方法の確立が求められる(図1)。

当初iPS 細胞はレトロウイルスベクターを用いて作製された[1]が、遺伝子の挿入による近傍遺伝子の破壊の危険性や、導入遺伝子の再活性化による腫瘍形成が危惧された[2]。その後、それらの問題を解決するためにエピソーマルベクター[3]やセンダイウイルス[4]など、一過性の遺伝子発現により iPS 細胞を作製し、作製後にゲノムに外来遺伝子の挿入を残さない方法が開発され、現在臨床応用に向けたiPS 細胞作製においては既に主流となりつつある。これら外来遺伝子挿入のない iPS 細胞は遺伝子導入による遺伝子破壊や導入遺伝子発現の再活性化の危険を回避できる反面、細胞移植に用いた際にiPS 細胞由来の移植細胞を認識する方法がないという問題点がある。動物実験における移植細胞識別の手法としては GFP やルシ

 

(注:図1/PDFに記載)

フェラーゼなどの蛍光蛋白遺伝子の導入が挙げられるが、再度ゲノムに遺伝子導入を行うことになり、同様に既存の遺伝子の破壊や蛍光蛋白の持続的発現の影響を考慮するとヒトへの応用は現実的ではない。また、移植後の細胞識別のために

Y 染色体を DNA-FISH 法で検出する方法も用いられている[5]が、応用範囲は限定されることになり、また、この方法は自家移植のケースでは用いることができない。現段階ではヒト iPS 細胞由来の移植細胞を識別する方法は確立されておらず、遺伝子の導入なしに移植細胞を識別することは困難と考えられていた。

(注:図2/PDFに記載)

 

そこで我々はT 細胞由来のiPS 細胞に着目した。

T 細胞は分化の過程でT 細胞受容体領域に遺伝子再構成が起きる(図2)ため、これを用いて T 細胞から作製したiPS 細胞由来の移植細胞をレシピエントの細胞から区別することが可能である。このT 細胞受容体領域の遺伝子再構成の検出することで、細胞識別に用いることができれば、たとえ自家移植であってもiPS 細胞に新たな外的な遺伝子導入を行うことなくレシピエント細胞とドナー細胞を識別することが可能となる。よって当研究では、T 細胞から樹立されたヒト iPS 細胞を用いて、T 細胞受容体領域の遺伝子再構成の細胞識別における適用性、有用性を検討した。

2.方法

T 細胞受容体領域の遺伝子再構成配列の細胞識別への適用性の確認に際し、ヒト ES 細胞および健常ドナーより樹立したヒト iPS 細胞を用いた。我々は過去にセンダイウイルスがヒト活性化末梢血 T 細胞に高効率で感染することに注目し、過去にセンダイウイルスを用いて 4 つの転写因子(Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc)を導入し、末梢血 T 細胞から高効率かつ短期間でiPS 細胞を樹立する方法を確立した[6, 7]。また、同報告において既に我々は作成したT 細胞由来iPS 細胞を免疫不全マウスに細胞を移植し、作製した奇形種において、

PCR を用いてゲノム上の T 細胞レセプター領域遺伝子再構成を検出可能であること確認している[7]。当方法を用いて、健常ドナーから iPS 細胞の樹立を行い、未分化マーカーの発現、三胚葉分化能を確認した細胞株を当研究に用いた。

樹立した iPS 細胞の TCRB 遺伝子の再構成をBIOMED2 protocol[8]の確立したプライマー群を用いて PCR で検出しシークエンスして得た配列情報から、再構成によって除去された配列の同定を行った。プローブ作成に際しては、同定した配列に含まれる大腸菌人工染色体( Bacterial Artificial Chromosome, BAC)を用いた。同定した配列に含まれ、遺伝子再構成の起きていない配列のみを特異的に検出可能な FISH プローブを作成した。

作成した FISH プローブを用い、分化前のヒト

ES 細胞および T 細胞由来ヒト iPS 細胞の染色体を DNA-FISH 法で染色を行った。また、分化後の検体としては、それぞれから分化誘導した心筋細胞、免疫不全マウスに移植し作成した奇形腫を用いて、これに対する DNA-FISH 法を行った。また、T 細胞由来 iPS 細胞の分化能の評価においては、ヒト ES 細胞および iPS 細胞からの心筋細胞誘導法として確立された浮遊培養の系を用いた。T 細胞由来 iPS 細胞の分化細胞の機能的に際しては、分化誘導によって得られた拍動胚葉体を微小電極アレイ (Microelectrode Array; MEA)上

 

に接着させ、各種抗不整脈に対する反応を確認した[9]。

 

3.結果

活性化ヒトT 細胞にセンダイウイルスを用いてOCT4、SOX2、KLF4、C-MYC の 4 遺伝子を導入して樹立した iPS 細胞株の中から、TCRB 遺伝子の再構成を BIOMED2 protocol の確立したプライマー群を用いて PCR で検出しシークエンスを行った。通常、TCRB 遺伝子座における遺伝子再構成は、片方の対立遺伝子の再構成によってもう片方の対立遺伝子の再構成が停止するが、両者の遺伝子再構成が完了したT 細胞も存在することが知られている。対立遺伝子両方の遺伝子再構成が完了したゲノムでは、再構成によって切り出される配列が相対的に大きいと考えられ、また、もとのどちらの対立遺伝子配列にも存在しなくな

 

(注:図3/PDFに記載)

 

る配列ができる。この部分をターゲットとしてDNA-FISH 法で検出する方法を確立すれば、細胞識別に用いることが可能となる。よって遺伝子再構成が起こっていないゲノムと細胞識別に用いる際に、ヘテロでの再構成の検出よりもホモで検出可能である細胞の方が診断的に利便性が高いため、それらの中からホモで再構成が起きている細胞株を同定した。我々は我々の樹立した iPS 細胞株の中から TCRB 遺伝子でホモで再構成が起きている細胞株の同定に成功した(図3)。

TCRB の両対立遺伝子で再構成が起こっている iPS 細胞株を用い、この細胞株の中でゲノム配列から消失した TCRB 遺伝子領域の配列をターゲットとして、DNA-FISH 法による染色を試みた。対立遺伝子の両配列における遺伝子再構成の最終産物である VDJ 領域のシークエンス結果から、そこに用いられている V 領域、D 領域、J 領域を同定し、既知の TCRB 遺伝子の配列情報と重ね合わせて、遺伝子再構成によって消失した配列を同定した(図4)。同配列に含まれる BAC を用いて、蛍光プローブを作成した。

 

得られた TCRB 領域における VDJ 領域の配列

Homsap TRBV7‐9*01 Homsap TRBJ2‐6*01 Homsap TRBD2*01 Homsap TRBV7‐9*01 Homsap TRBJ2‐5*01 Homsap TRBD1*01

(注:図4/PDFに記載)

TCRB 遺 伝子の再構成領域に特異的なDNA-FISH プローブの作製後、TCRB 遺伝子領域にホモで再構成が起きたヒトT 細胞由来iPS 細胞株と再構成のない ES 細胞を用いて TCRB 再構成領域の特異的検出を試みた。同検出によってレシピエント細胞を特異的に識別することが可能となるため、移植後の腫瘍発生時には腫瘍が移植細胞由来かレシピエント側に自然発生したものなのかの確定診断の根拠となり得る(図5)。

TCRB 遺伝子が存在する 7 番染色体の線トロメアプローブを用いた同時染色において、T 細胞由来のiPS 細胞においては再構成領域特異的なプローブのシグナルは検出できなかったのに対し、遺伝子再構成が起きていない ES 細胞においては同部のシグナルが検出された(図6)。

 

(注:図5/PDFに記載)

(注:図6/PDFに記載)

(注:図7/PDFに記載)

(注:図8/PDFに記載)

 

T 細胞由来 iPS 細胞と遺伝子再構成を含まないiPS 細胞の分化細胞の機能性の評価に際し、ヒトES 細胞および T 細胞由来 iPS 細胞から誘導した心筋細胞を用いた。その結果、ヒト T 細胞由来iPS 細胞はヒト ES 細胞と同様に分化の過程で未分化マーカーの発現の減少、分化初期における中胚葉マーカーの一時的な発現、分化後期における心筋特異的マーカーの上昇が認められた[10](図7)。

また、T 細胞由来 iPS 細胞から誘導された心筋細胞は各種抗不整脈薬に対して正常心筋と同様の反応を呈すことが確認され[10](図8)、T 細胞由来iPS 細胞から得られた心筋細胞はT 細胞受容体領域に遺伝子再構成のないiPS 細胞から作成された心筋細胞と同様に、疾患解析や移植治療への応用が可能であることが示唆された。

これらの結果は、T 細胞由来 iPS 細胞が、移植細胞ソースとしての有用性を保ちつつ、たとえ自家移植であってもレシピエント側の細胞との識別性を有していることを示している。このことは再生医療におけるiPS 細胞を介した移植療法において、腫瘍発生時などの生検組織における診断に際して有用となる可能性があるといえる。

 

4.考察

我々は、移植に用いる際にレシピエント細胞と移植細胞の区別を可能とするために、T 細胞に着目した。T 細胞は分化の過程で T 細胞受容体領域に遺伝子再構成が起き、これを用いて T 細胞から作製したiPS 細胞由来の移植細胞をレシピエントの細胞から区別することが可能であると考えられた。我々の検証では、遺伝子再構成領域に特異的な DNA-FISH プローブを用いることで、遺伝子再構成の有無を 1 細胞レベルで病理学的に評価することが可能であり、当技術を応用することで生検組織などの臨床検体での細胞の由来を識別することが可能となると考えられた。

ただし細胞から核そのものを取り出して FISH 染色を行う場合と異なり、病理切片などの組織の切断によって得られる検体の評価においては、核そのものが切断されて TCR 領域が核内に存在しない可能性があり、TCR 領域に遺伝子再構成が起きていなくても TCR 遺伝子再構成領域特異的なFISH 染色は陰性となる可能性を持つことに留意する必要がある。一方、核の切断を伴う可能性がある病理切片上においても、TCR 遺伝子再構成領域特異的な FISH 染色が陽性として検出された場合には、理論上は遺伝子再構成が起きていないことを証明できる根拠となると考えられる。

当検出方法の大きな利点として、既に存在する遺伝子再構成を利用するために新たな遺伝子導入を必要としないことが挙げられ、臨床応用における実現性が非常に高い方法であるといえる。動物実験における移植細胞識別の手法としてはGFP   やルシフェラーゼなどの蛍光蛋白遺伝子の導入が挙げられるが、再度ゲノムに遺伝子導入を 行うことになり、既存の遺伝子の破壊や蛍光蛋白の持続的発現の影響を考慮するとヒトへの応用 は現実的ではない。また、性染色体である Y 染色体の有無を検出する方法も用いられてきた[5]が、応用できるケースは限られてしまうため、すべての移植ケースに対応できる方法とはなり得ない。当方法のように、新たな遺伝子導入なしに iPS 細 胞由来の移植細胞を、たとえ自家移植であっても 識別可能な方法は、現在までに報告されていない。

iPS 細胞の加齢黄斑変性症に対する世界で初めての移植治療は、2014 年に理化学研究所において自家 iPS 細胞を用いて行われた[11]。自家 iPS 細胞は免疫拒絶を起こさないため、他家 iPS 細胞を用いる場合のように免疫抑制剤の投与を必要としない利点がある。しかし、自家 iPS 細胞においては樹立に要する時間及び費用の点が問題となっており、他家 iPS 細胞を移植用に選別してストックする iPS 細胞バンクの構築が進んでいる[12]。iPS 細胞を用いた再生医療の拡大には大きく寄与することが期待されているが、一方でバンク化された細胞株ですべての人口をカバーすることは困難といわれており[13]、治験レベルおよび広く一般化した治療のレベルにおいても、自家iPS 細胞を用いた治療は一つの選択肢として残ることが考えられる。そのようなケースにおける細胞識別の方法として、当方法は有用となる可能性を持っているといえる。

さらに、当方法は T 細胞による免疫系の再構築を要するような特殊な移植療法を除いて、ほとんどすべてのiPS 細胞を用いた移植療法に応用可能であることも大きな利点である。iPS 細胞を用いた再生医療は、他の分野においても今後爆発的に広まっていくことが予想される。そのような状況において、当研究は治療の有効性や副作用の評価に対するフィードバックをかける際に有効な手段となる可能性があり、かつ臨床の現場で治療を行う際に必要な技術になり得るといえる。

 

5.まとめ

T 細胞由来iPS 細胞の持つTCRB 遺伝子再構成領域に対して特異的な DNA-FISH プローブを作成し、TCR 遺伝子再構成前の配列を有する細胞において TCR 遺伝子再構成によって消失する配列を特異的に検出することに成功した。この結果によって、T 細胞由来の iPS 細胞が移植細胞ソースとしての有用性を保ちつつ、免疫拒絶を回避可能な自家細胞移植へ用いられた場合であっても、レシピエント側の細胞との識別性を有していることを示している。この結果から、T 細胞由来の iPS 細胞は再生医療におけるiPS 細胞を介した移植療法において、腫瘍発生時などの生検組織における診断に際して有用となる可能性があるといえる。移植細胞とレシピエント細胞が識別可能であることは、治療の有効性や副作用の評価を行う際に重要な情報となるため、当方法は治療法そのものにフィードバックをかけるために有効な手段となる可能性があり、再生医療の発展に役立つ技術となると考えられる。