1990年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第04号

SQUID磁束計を用いた脳磁波計測システムの臨床検査法への応用

研究責任者

中里 信和

所属:東北大学医学部附属病院 脳神経外科 助手

概要

Ⅰ.まえがき
人間の脳ではその電気活動に伴って微弱であるが磁界が発生している。これらを測定することによって生体内の電気活動を推定しようという試みが,SQUID(超伝導量子干渉素子)の開発によって最近急速に進歩してきた。頭皮表面で計測される電気信号(脳波)は頭蓋骨という絶縁物を介して測定しているが9脳磁波は頭蓋骨の影響を受けない。この磁界をモーメントとして捉えることにより,脳内活動電流の発生源を逆推定できる。しかも非接触的に推定可能で,生体に対してまったく侵襲を加えないという利点もある。
本研究の目的は,現在実験段階にある脳磁波測定技術を一歩前進させて,実際の臨床の場において使用可能な脳磁波計測システムを構築し9臨床応用のための諸条件を抽出することにある。
II.研究内容と成果
(1)磁気シールド室を用いない脳磁界計'測システム
臨床施設での脳磁界計測システムの構築に関しては,将来は高性能磁気シールド室の利用が望ましいと考えられるが,現在のところわが国でこれを有する臨床施設はない。もう一つの方法としては9複数の検出コイルを組み合せて(グラディオメーター)外部磁界の影響を取り除く方法がある。誘発脳磁界に関しては平均加算というノイズ処理を併用できるため,磁気シールドなしの環境下でも測定されている。しかし平均加算が難しい自発脳磁界の測定においては,極めて高価な高性能磁気シールド室を使用するか,磁気雑音の多い市街地を遠く離れた場所で測定を行う方法しかないとされ,一般の臨床施設では利用不可能と考えられていた。それゆえ,脳磁界計測の臨床応用が遅れていたとも言える。
脳磁界計測の実施に当り,今回考慮したのはおもに以下の5点である。
i)周辺磁気環境の評価とその原因除去:我々はまず,SQUID(米国BTi社製dc-SQUID,二次微分型)を用いて環境磁界のノイズスペクトルを測定した。その結果,特定の周波数にピークを持つノイズが多数検出され,それぞれのピークの出現時刻や磁界の方向性などを詳細に検討した。結局,建物の空調換気施設のモーターの回転による磁気ノイズが大きく影響していることが判明し,以後の測定では,多くのホンプが停止する深夜に,さらに残りのポンプも一時停止して貰うなどすれば,測定に差し支えない程度の磁気環境を得ることが可能であった。
ii)関心周波数に合わせたフィルターの設定:我々は,データ取り込みの際と,データ処理の際にそれぞれ瑚波数可変型の帯域フィルターを複数用い,関心周波数を絞りながら,その他のノイズを除去した。
iii)周辺機器からのノイズの除去:データ処理に用いるための周辺機器それ自体も強力な磁気ノイズ源と成り得る。したがってデータ取り込みの際には,必要最低限の機器のみを働かせ,しかもSQUIDからの距離をおくなど,その配置場所も考慮する必要がある。
iv)システム全体の固有振動の低減:周辺磁気環境の測定の際,装置を固定する架台の向きなどにより,5Hz以下の低い周波数におけるノイズの値が変動することが判明した。これは装置の固有振動数によるものであり,ヘリウム容器(dewar)の傾きを変化させるなどにより,実際一上差し支えない程度に低減できた。
v)簡易電磁シールド室の利用:通常医療施設などに設置されている脳波測定用の電磁シールド室は,磁気ノイズに対してはほとんど効力を持たないが,SQUIDの作動に影響する電気的な高周波ノイズを減らす効果を有している。これを併用することは有用である。
以上,高性能磁気シールド室がない条件下でも測定条件を工夫することにより臨床施設での脳磁界計測が可能であると判断されたが,測定時刻が深夜でなければ難しいなど制約が多く,将来の本格的な利用にはやはり高性能の磁気シールド室の設置が望まれるところである。
(2)睡眠時脳活動の脳磁界計測による研究
脳波と脳磁界の同時測定システムを構築し,健康な人での睡眠活動をモニターした。そして従来は脳磁界では測定できないとされていた入眠時睡眠紡錘波を再現性よく検出することに成功した。
睡眠紡錘波とは睡眠時脳波に出現する特徴的なハターンであり,周波数は12.5-16Hzで頭頂部に主として出現する。神経生理学的には不明の点も多くその発生源に関しても議論が多い。従来の頭皮上脳波のみならず,最近では深部電極を用いた測定などにより,発生メカニズムに関する研究がなされている。一方脳磁界による研究では"脳磁界では睡眠紡錘波はほとんど検出できない(Hughesら,1976)"との報告以降,手が付けられていなかった。
我々はまず,電子技術総合研究所の磁気シールド室内で測定を行い,頭頂部の頭皮に垂直な磁界測定において紡錘波を高頻度で観測することにはじめて成功した。先に述べたHughesらの実験では,脳磁界の測定点が極めて限られたものであったために睡眠紡錘波を見落としていたものと推測される。さらに,我々の実験では,脳波と脳磁波のどちらか一方でのみ出現する紡錘波の存在が強く示唆され,その機序について興味が持たれた。
そこで次の実験として,脳波と脳磁波の測定点・測定時間を増やして睡眠紡錘波の出現の空間分布を検討した。この際は,先に開発したシステムを用いて,磁気シールド室を用いない通常の環境下で測定した。被験者は3人の健康な男性である。コントロール条件下での環境雑音は6Hz以上の白色雑音域において25fT/Hz以下である。被験者は非磁性のテーブルに横になり頭部を軽く固定され,閉眼し動かさないようにと指導された。磁界の検出コイルは1チャンネルであるが,セッションごとに場所を変え,頭皮上の広い範囲で測定した。すなわち3被験者それぞれにおいて,11,8,4点である。それぞれのセッションにおいて覚醒時と睡眠時を含めて30分ないし60分の測定を行った。睡眠紡錘波の数を視察的に数えた。
睡眠紡錘波は以下の3条件で出現した。
a)脳磁波と脳波で同時に観測された場合。ME--spindle(Fig.1)
b)脳磁波にのみ出現した場合。M-spindle(Fig.2a)
c)脳波にのみ出現した場合。E-spindle(Fig.2b)
Fig.3に脳磁波における睡眠紡錘波の空間分布を示す。ME-spindleとM‐spindleは頭頂部付近で高頻度で観測された。頭頂部から離れた測定点では,少数のME-spindleとM-spindleが観測された。良く知られているように,脳波における睡眠紡錘波は頭頂部に集中しており,脳波の紡錘波も脳磁界の紡錘波も空間分布に関しては互いに似通っていると言える。しかし,脳波と脳磁波とで紡錘波の出現のタイミングにずれが生じることもあることに関しては新しい考えが必要である。
一般に,脳波と脳磁界とは互いに脳内の電気的な活動を源としているという点で共通しているが,厳密にその源を考えた場合かなり異なったものを反映していると考えられている。すなわち,脳波は神経活動によって発生した細胞内電流を観察しているのではなく,細胞外に発生し広く頭蓋内外に分布する容積電流(volume current)によって生じた頭皮上の電位差を測定している,この容積電流は頭部の組織間の導電率の違いに強い影響を受け,たとえば脳内の狭い範囲で起こった僅かな電気活動は頭皮上脳波に出現しない場合もある。逆に脳の深部で電極から離れている部位での電気活動でも,生じたvolume currentが充分な電位差を頭皮上に作れば,脳波としては測定可能である。一方,脳磁界の源は脳波とはまったく反対であり,細胞内電流の関与が大きくvolume currentの関与は小さいとされている。さらに脳磁界と脳波とを比較した場合,脳磁界の方が大脳皮質のより小さな範囲での電気活動を拾えるとの推計もなされている。
以上述べた脳波と脳磁界の発生源の違いを考慮し,我々の測定結果すなわち脳波と脳磁界における睡眠紡錘波の出現のタイミングの食い違いを説明するための仮説を提唱した(Fig.4).
①睡眠紡錘波の源が頭頂部付近の大脳皮質の狭い範囲にあり,これが頭皮上脳波で検出できないほど小さいものであっても,脳磁界で観測できる可能性がある。
②脳の比較的深い場所(例えば視床)に紡錘波の源があり、これがvolume currentによって頭皮上の広い範囲の電極で紡錘波がとらえられたとしても,脳磁界に対するvolume currentの関与が小さければ脳磁波では信号をとらえられない。
③脳深部の紡錘波により皮質が広く活性化される(例えば視床皮質路の関与)と,脳波と脳磁界の両者で同時に紡錘波が観測される。
この仮説は,従来の紡錘波の発生機序として考えられている視床のペースメーカー説とも大きな矛盾がない.また,実際に脳内に深部電極を挿入して睡眠紡錘波を測定したという過去の報告において,頭皮上の脳波に睡眠紡錘波が出現しなくとも大脳皮質内の深部電極で観測可能な睡眠紡錘波が存在することも認められている。
以上,我々が成功した睡眠紡錘波の脳波・脳磁界同時測定は,脳波と脳磁波の本質を理解する上で貴重な情報を提供するものと考える。
(3)脳磁波によるバターンリバーサル視覚誘発磁界の測定
従来のパターンリバーサル視覚誘発電位では,視覚刺激からおよそ100ms後に,後頭部を中心として陽性波のピーク(P100)が出現することが知られていた。P100の発生部位は第一次視覚野と推測されてはいるものの正確には証明されておらず,脳磁界による測定が解決の糸口になると期待されている。今回我々は,磁界ノイズが少ない発光ダイオードを用いた脳磁界用のパターンリバーサル視覚刺激装置を開発し,これによる視覚誘発磁界測定を行った。その結果,脳波のP100に一致して脳磁界上でも明らかなピーク(F100)を認め,さらに興味深いことに測定部位によって,F100の極性が反転することがわかった(Fig.5)。これはP100の発生部位を推定する上で,非常に興味深い所見である。
(4)おわりに
以上述べてきたように,我々は超伝導量子一干渉素子(SQUID)を用いた脳磁界計測システムを,磁気シールドを用いない通常の臨床施設内で稼働させることに成功した。この手法を用いて,まず自発脳磁界計測分野においては,従来とらえることができないとされていた脳磁波一上の睡眠紡錘波の観測に成功した。さらに,発行ダイオードを用いたパターンリバーサル視覚刺激装置による視覚誘発磁界の測定にも成功した。
これらの手法は臨床脳波学的検査のすべてに応用可能であるばかりでなく,脳波の発生メカニズムの本質にせまる知見が得られる可能性を有している。
IV.まとめ
今回の研究により,我々はSQUIDのエンドユーザーとしての立場から,今後の脳磁界計測システムの開発にあたって必要な多くのパラメータを抽出できた。現在,医学生理学の研究部門のみならず,理工学系の研究部門との情報交換を行っており,将来の本格的な脳磁波計(neuromagnetic imaging by SQUID‐CT)の開発に寄与するものと考える。