2009年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第23号

real-time PCR 法を用いた迅速な敗血症起因菌同定システムの構築に関する研究

研究責任者

仁井見 英樹

所属:富山大学附属病院 検査部 助手

共同研究者

北島 勲

所属:富山大学附属病院 検査部  部長

概要

1.はじめに
敗血症は重篤な全身感染症で、確定診断には血液中の起因微生物の検出が必須である。近年、がん治療や臓器移植など医療の高度化に伴い、敗血症発症のリスクの高い重症患者が増えている1)。また、院内感染の観点からメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)をはじめとする多剤耐性菌が敗血症の起因菌となることも多く、適切な抗菌薬を選択し患者を救命するためには、血液中の起因菌を可能な限り迅速に検出・同定することが臨床上重要である。しかし現在の細菌学的検出法では、血液培養ボトルの提出から細菌の同定までに少なくとも18時間はかかるため、結果が判明するまでの間は経験に基づく治療(empiric therapy)を施行せざるを得なく、盲目的に抗菌薬の選択を余儀なくされていることが臨床的現状である。
本研究は敗血症の早期治療実現のため、起因菌を2時間以内に同定するシステム構築を目的とする。具体的には敗血症が疑われる入院患者において血液一般検体(静脈採血)を用い、微生物のDNAを抽出し、これを鋳型として細菌(MRSA含む)・真菌に特異的なprimerを組み合わせてreal-time PCR を行う。その結果、起因菌に特異的な melting temperature(Tm)値の組み合わせを解析することにより、迅速に菌の検出・同定を行うことを目指す。
今回、起因菌の検出に使用するreal-time PCRには今までの検出機器に無い幾つかの優れた特徴がある。その中でも最も特徴的な点は、融解曲線分析によりPCR 増幅産物のTm 値を計算出来ることである2)。本研究のシステムは、このTm 値を主に利用するものである。本システム開発に至った背景を以下に示す。①細菌の16S ribosomal RNAは、ほぼ全ての細菌に共通の塩基配列領域(20~40 base 程)を10ヶ所程もつ3)。そこで我々はそのうちの7ヶ所にforward とreverse のprimerをそれぞれ設定することにより、7つのPCR 増幅領域を作成することが出来ると想定した。②PCR増幅領域は、約150~200 base であり、primer を設定した共通保存領域以外は、それぞれの細菌に固有の塩基配列を持つ。従って、Tm 値も塩基配列の違いを反映して固有の値を示すため、細菌毎に7種類の特徴的なTm 値を持つことが推定できる。そこでその結果、細菌の種類に応じた7つのTm値を調べて、データベース化することにより未知の細菌の同定が期待できる。③更に、真菌に固有のprimer、 MRSA 同定の為のspa、mecA のprimerを併用すると、未知の起因菌に対し、細菌感染とその種類(MRSA 含む)、或いは真菌感染を同定出来ることを計画し、これらの診断は10種類のprimer 対を並べることで可能となることが期待される。④非特異的なPCR 産物が生じ、目的のTm値に近い値を示す場合、false positive のリスクが生じる。そのような場合、real-time PCR 後の増幅産物をアガロース・ゲルに流してバンドの大きさを確認することで、結果を二重にチェックすることが出来る。つまり従来のPCR による検出法で二重チェックするシステムを採用することで検査精度の向上を目指すことが出来る。⑤real-time PCR のもう一つの利点として、定量性が挙げられる。つまり、菌量を治療前後で相対定量することが出来るため、治療効果のモニタリングに役立てることが出来ると考えられる。
以上、本研究の目的は、今までに全く報告の無い、独自の起因菌同定システムを構築することにより、臨床現場で役立つ迅速な敗血症治療に貢献することである。
2.実験材料と方法
2.1 実験材料とDNA 抽出
使用菌株は2004 年4 月1 日から2005 年3 月31日までの1 年間に、富山大学附属病院検査部細菌検査室に提出された1323 検体中陽性となった160株(保存菌株)を使用した。
通常の分離培養法は、全自動血液培養検査装置Bact/Alert(日本ビオメリュ-)を用いて培養した。使用ボトルは専用のSA 培養ボトル(好気性菌用)、SN 培養ボトル(嫌気性菌用)、PF 培養ボトル(重篤な小児疾患病原菌検出用)を組み合わせた。分離同定は定法に従った。
DNA の抽出は保存菌株をMueller-Hinton 寒天培地(日本BD)、羊血液寒天培地(日水製薬)およびサブロ-寒天培地(日本BD)で分離培養後、その1colony を滅菌生食水1ml の入ったマイクロチュ-ブに浮遊させ、12,000 rpm で2 分間遠心し上清を捨て菌のpellet を残す。次に、InstaGeneMatrix を200μl 加え、56℃で15~30分間加温する。その後、マイクロチュ-ブを激しくボルテックスして、100℃のヒ-トブロックで8分間ボイルする。最後に、12,000 rpm で2 分間遠心しその上清をDNA 抽出液とした。
2.2 primer の設計
本研究ではprimer の設計領域として、bacteriaの16S ribosomal RNA, および真菌の18Sribosomal RNA を対象とした。16S ribosomal RNAは、生命の最も原始的な機能であるリボゾーム上の蛋白のtranslation 機能に関わっており、全ての生物が欠かすことなく保持している分子である4)。Carl R. Woese5) による16S ribosomal RNAのシークエンスを比較・分類した系統発生樹(図1)では、細菌は種により幾つかに枝分かれしてはいるが、一つの大きな系統に括られる。しかし真菌は別の大きな系統に位置し、より動物に近い特徴がある。この系統樹から考えると、真菌に独自のprimer を設定すると細菌には反応せず、逆に細菌に共通のprimer は真菌を除外できると考えられる。つまり、細菌と真菌はそれぞれ別のprimer 設計が必要となる。
真菌共通の保存領域は、多数の真菌でBLAST search を繰り返した結果、150 base 程の極めて保存された領域があることが判明したため、今回設計したprimer はこの領域内に設定した。
細菌のprimer は、ほぼ全ての細菌に保存された共通の塩基配列領域があることに注目した。この領域は今迄、細菌の16S ribosomal RNA のシークエンス目的でPCR 増幅するprimer 領域として使用され、既知種の細菌の塩基配列は既にほぼ決定された。我々はこれらの既知領域とその周辺を含む領域について多種の細菌でBLAST search を繰り返し、ほぼ全ての細菌に高度に保存された塩基配列領域7ヶ所に絞ってprimer を設計した。
(表1)は、設計したそれぞれのprimer である。bacteria のprimer 4 や真菌のprimer 領域はほぼ完全に保存されているが、その他のprimer は菌によって1 塩基程度の不一致を生じることがあるため、敢えてTm 値を60℃より高めに設定し、1~2 塩基の不一致でprimer のTm 値が下がっても問題なくPCR が施行出来るようにした(PCR のannealing temperature は55℃に設定している)。
(表2)は、これらのprimer で増幅されるPCR 産物の増幅長である。 False positive のリスクに対し、アガロース・ゲルに流し二重チェックする時に必要な値となる。real-time PCR では、迅速性やSYBR greenⅠの消費量を考慮して、一般に増幅長を300 base 以内に留めるようにprimer を設計する。真菌、spa 遺伝子、mecA 遺伝子の増幅領域はそれぞれほぼ完全に保存されているため、長さに多様性は生じないが、細菌の4つの増幅領域の長さはそれぞれ数塩基程度の多様性がある。この多様性に対して、我々は、アガロース・ゲルに流して判定する目的においては無視できる範囲の差であると判断した。
2.3 real-time PCR 法
real-time PCR 法とは、サーマルサイクラーと分光蛍光光度計を一体化した装置を用いて、PCRでの増幅産物の生成過程をリアルタイムでモニタリングし、解析する方法である6)。本法は、電気泳動が不要、かつ、増幅が指数関数的に起こる領域で産物量を正確に定量出来る利点がある。我々はreal-time PCR 機器としてLightCycler 1.5(Roche Diagnostics) を使用している。本機は約40 分で40 cycle を施行できるreal-time PCR 機器の中では最速である為、迅速性が要求される本研究システムに最適であると考える。
real-time PCR 用試薬はFastStart DNA MasterPLUS SYBR Green I (Roche Diagnostics) を用いる。 PCR のcomponent は、genomic DNA template 量5μl、PCR primers 10×conc. 2μl(最終濃度は1μΜ)、Master Mix 5×conc. 4μl、Water PCR grade 9μlで、total 20μlの系で行った。real-time PCRのプログラム設定を以下に示す。尚、extension 時間は、300 base長までの増幅を可能にする最短時間である12sec.に設定した。
2.4 融解曲線分析によるTm値データ解析法
real-time PCRを施行後の、Tm値の具体的解析法は、先ず、Quantification curveをチェックし、それぞれのprimerが量的に立ち上がっているかどうかを確認する。他のprimerの立ち上がりcycle数に比較し、極端にcycle数の低い立ち上がりはprimerが掛かっていないと判断する。
次に、melting curveの形状をチェックする。急激にPCR産物が一本鎖に解離し始める“崖”の形状(急激な低下所見)が確認できなければ、そのTm値は信用出来ない。
上記2項目を確認した後、Tm値をmelting curveの“山”から計算する。ManualでTm値を合わせる場合、線引きは山の裾野からの距離がそれぞれ同じになる場所に引かなければならない。山のpeakに線引きを合わせると、しばしば不正確な結果を招くので注意が必要である。
3.結果
3.1 起因菌Tm値データベースの作成
未知の敗血症起因菌を同定するシステムを構築する為には、先ずデータベースの作成が必要である。データベースに登録する起因菌を決定するため、富山大学医学部附属病院検査部にて2004年4月1日から2005年3月31日までの1年間、血液培養検査で陽性となった有効株160株についての検出菌頻度を調べた。結果を(表3)に示した。データベース作成にあたり、(表3)のそれぞれの検出菌株からDNAを抽出し、設計した10種類のprimerでreal-time PCRを行い、菌毎に10のTm値を測定した。
まず、Tm値を決定するにあたり、各primerの検出感度を事前に測定した。検出感度を評価するため、菌株から取り出したgenomic DNAを順次希釈し、real-time PCRにて検出の有無を確認した。それぞれのprimerの検出感度には差が生じたが、システムとして評価するには検出感度の最も低いbacteria primer 1 と mecA primerを基準に決め、システムとしての感度をgenomic DNA 1ng/μlと設定した。
本研究において、(表3)の中の嫌気性菌と幾つかの菌については菌株の入手が困難であった為、計35種の起因菌についてデータベースを作成した(表4)。表はグラム陽性・陰性、球菌・桿菌に分けて分類し、検出頻度の高い順に並べたものである。この表では、菌からTm値を探すツールとして利用できる。
3.2 起因菌同定早見表の作成
未知の敗血症起因菌を解析した場合、得られるデータは10のTm値の組合せである。(表5)は菌による分類を重視したものである為、Tm値から検索するには不向きと判断した。よってTm値から起因菌を容易に同定するために、起因菌同定早見表を作成した(表5)。
横の並びは先ず、Fungi primerが陽性となる真菌を見極めの最優先事項として最上段に並べた。次にspaが陽性となる菌が少ないことを考慮して、2番目の優先次項においた。3番目にはmecAをおいたが、この理由は単純にMRSAとMSSAとの見極めのためである。Staphylococcus epidermidisや他のStaphylococcus種の一部はmecAを持つ可能性がある(早見表の()で囲んだ部分)が、陰性であった場合の判断が困難となるため、敢えて次のルールに合わせることにした。上記の優先次項を除いた残りの菌について、bacteria primer 1から7までTm値の高い方から順に並べることにした。このように並べることで、容易な検索が可能となった。
更に、早見表のbacteriaのTm値に差異のパターンが分かるよう、差異の数値を加えた。左隣のTm値に対する変動幅の大小間系を±の数値で表し、大きな変動は赤色、小さな変動は青色を加え視覚的にも判り易くした。これにより、多少Tm値全体がばらついても、bacteria の7つのTm値の差異パターンにより判別することが可能となる。
3.3 Blind Test によるシステムの検証
Blind Testで本システム検査精度を検証するために、起因菌をブラインドにして7つのprimerでreal-time PCRを行い、Tm値解析の結果を利用した、菌の同定を試みた。(表6)に結果を示した。計12回施行した結果、12回の全てに正解を得ることが出来た。
3.4 データベース型起因菌同定IT システムの開発
今後のTm 値データベースの拡大を見込み、起因菌同定検索の自動化とインターネット上でのオンライン化を目的として、データベース型起因菌同定IT システムを開発した。ソフトウェアの同定アルゴリズムとしては、7つのTm 値の平均値と、それぞれのTm 値との距離を取り、その距離の差がデータベースの値と最も近いものを、起因菌として同定する。これにより、機器の測定誤差を打ち消すことが可能となる。
以下に実際の起因菌同定IT システムのネット上画面を示す。
起因菌同定IT システムにはID,PASSWORD,更に日本語、英語の選択後にアクセスすることが出来、未知の起因菌のTm 値の組合せを入力すると、距離の差の最も近いものから順に表示する。つまり、距離の最も近いものが起因菌として同定される。更にインフォメーションボタンをクリックすると、起因菌の基本情報と選択すべき抗菌薬の種類の情報を同時に得ることが出来る。(以下に菌基本情報画面を示す)インフォメーションボタンのクリック時に表れる菌の基本情報画面。クレブシエラ・ニューモニエを例に示す。
クレブシエラ・ニューモニエに関する基本情報全てを知り得ることが出来る。スクロールダウンすると抗菌薬選択情報を参照できる為、適切な抗菌薬の選択を行うことができる。
抗菌薬情報を同時に得ることが出来るため、同定結果を直ぐに臨床に生かすことが可能となる。
具体的なソフトウェアの機能としては、
1)データベースは書き込みして順次拡大することができる
2)Tm 値の組合せを用途に応じて細菌で1~7つ、真菌で1~6つに変更出来、更に多剤耐性遺伝子用のTm 値を適宜追加できる
3)Tm 値からだけでなく、菌名からも逆引きできる
4)菌名と共に、選択すべき抗菌薬や菌の詳細情報、コメントなどを同時に表示できる
5)各病院の抗菌薬一覧を事前に入力しておけば、最適な抗菌薬を自動的に提示することができる
6)オンライン化により、外部からアクセスしてTm 値を打ち込むことで、起因菌の同定検索ができる以上をソフトウェア開発の条件とし、期間内に1)、2)、3)、4)、6)の事項を達成した。
4.考察
4.1 本研究の独創性
本研究で構築した起因菌同定システムとは、real-time PCR法が融解曲線分析によりPCR増幅産物のTm値を計算できる特性と、全ての菌がprimerを設定できるだけの共通保存領域を持ちながら、その他の領域は菌特異的な塩基配列を持つことの事実を融合し、Tm値の組合せを菌の“fingerprint”として利用する全く新しい細菌同定法である(PCT/JP2007/053078)。
4.2 本研究におけるTm値の概念と組合せの多様性
本研究で言うTm値とは、PCR産物の50%がその相補鎖と解離する時の温度である9)。一般的にTm値とは、primerのオリゴがその相補鎖と2本鎖を形成する理論的な限界温度として使用されている10)為、本研究でいうPCR産物のTm値と、一般的なprimerのTm値とは、別の概念である。
次に、Tm値は以下の条件で変化する。①高塩濃度では上がる。②高オリゴ濃度では下がる。③GC richな配列では上がる。④変性剤存在下では下がる。以上まとめると、バッファー組成などが異なる実験条件下ではTm値も変化する。この対策として、MgCl2濃度の固定されたSYBR Greenを反応バッファーとして使用することで、実験誤差を生じないように工夫した。また、同定ソフトウェア中のアルゴリズムはこれらの変動を打ち消すことが出来る。
Tm値の計算法には、GC%法、Wallace法、nearest neighbor法などがあるが、一般的にはnearest neighbor法が最も信頼性が高いとされている11)。nearest neighbor法のモデルとは次の考え方に基づいている。すなわち、核酸の塩基対形成に最も影響を与えるのは、既に形成されている隣接した塩基対であるという考え方を基本とし、2本鎖の安定性は逐次塩基対形成の総和として20種類足らずのパラメータのみによって求めることができるというものである。この計算方法は極めて煩雑であるが、要はTm値とは塩基配列の長さとGC%のみで決まる訳ではなく、塩基配列の並びそのものが影響すると考えられている12)。従って、本研究で設定したbacteria primerで増幅した7つの領域は、それぞれ独自の塩基配列を持つ故に、独自のTm値の組合せを持つ。逆に言えば、同じ種で塩基配列の相同性が近い程、Tm値も近い値の組合せとなる。
4.3 本研究システムの利点
本研究の起因菌同定システムを使うことにより、以下の3つの利点が考えられる。①データベースからの検索により、10種類のprimerのみで、抗菌薬選択に必要な起因菌の同定が出来る。もし1回のreal-time PCRの施行により本研究のシステムを使用せずに細菌の同定を施行した場合、ほぼ無限に菌特異的primerを用意する必要があり、実用的には不可能に近い。また、本研究のシステムは、敗血症の起因菌同定に限らず、一般の血液培養からの菌株の同定にも十分役立つと考えられる。②迅速診断が可能となる。我々は菌からのDNAの抽出に自動核酸抽出装置(MagNA Pure LC)を使用しているが、核酸抽出装置か市販の抽出キットかに関わらず、1時間以内にDNAの抽出が可能である。real-time PCRの施行は40 cycleで40分程であるので、準備時間を含めても約2時間で同定が可能となる。③相対定量が可能である。PCR施行前にDNAを抽出する全血検体の量を一定に定めれば、菌量の相対定量が可能となる。従って、抗菌薬投与後の治療効果のモニタリングが可能である。その他、現行法との比較による本システムの利点を(表7)に示す。
5.まとめ
今回、我々は迅速な敗血症起因菌同定システムを構築した。また、web 上で誰でも使える同定ソフトウェアを開発し、迅速・簡便・安価な起因菌同定IT システムの実用化を目指している(図2)。今後、患者検体を用いたシステム評価と更なる改良に努める計画である。