2006年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第20号

MEMS技術を用いた低侵襲組織診断のためのMRS用マイクロプローブの開発

研究責任者

南 和幸

所属:山口大学 工学部 機械工学科 助教授

共同研究者

堀田 昌志

所属:山口大学 工学部  助教授

概要

1. はじめに
現在、高齢者人口が増加するにつれて脳梗塞、パーキンソン病、脳腫瘍などの症例数は年々増加している。早期から予防と治療を行うために、脳の検査には低侵襲のCT、MRIなどの検査が必要である。特にMRIは放射線による被爆の心配がなく、X線画像よりも組織コントラストが高いため、病変部を検出しやすい。従って、MRIを用いた検査と治療の高度化が望まれている。またMRIでは断層像を得られる他に、本来の撮像原理に基づく物質分析・同定、すなわちMRS(MRスペクトロスコピー)により組織診断を行うことができるという大きな特徴を持っている。たとえば脳腫瘍の摘出手術の場合では、正常細胞とガン細胞の区別を肉眼で行うことは難しい。そのため、術中に何度も細胞を取って組織検査を行う必要があり、手術時間が非常に長くなる問題がある。また、肺ガンなどの脳以外の部位の腫瘍でも、患部に針を刺して細胞の一部を切り取って調べる生検が行われており、患者には苦痛が伴うと共に結果が出るまでにも時間がかかり、迅速な治療ができなかった。したがって、生体組織を切り取らずにその場でMRSによる組織診断ができると、低侵襲な検査と迅速・的確な治療が実現できるものと期待される。しかし、現状のMRI装置は検出コイルが遠くにありノイズを拾いやすいため、空間分解能と解析精度には限界がある。そこで本研究では、病院の外来や手術室などにおいて、生検によらずにMRSによるその場低侵襲生体組織診断が行えるようにするため、局所的なMRSを安定して行うためのMRS用マイクロプローブの開発を試みる。MRS用マイクロプローブは、細いチューブ状の構造体(直径2mm程度)に、MR信号検出用コイル、高周波整合回路・伝送路を備えたセンサである。本研究では、MEMS(マイクロエレクトロメカニカルシステム)技術を用いてMRS用マイクロプローブを実現するために必要な構造設計、製作プロセスなどについて検討を行い、MR信号検出プローブの試作、評価を行ったので報告する。

2. MR信号検出用プローブの概念設計
十分小さな空間分解能を得るためには、MR信号検出用プローブのMR信号検出部(コイル)の大きさは0.2?1mm 程度で、さらに病変部、特に脳深部に挿入するような場合には、直径2mm 程度のチューブ表面に貼り付けたり、あるいはチューブ内部を通すことにより病変部に挿入できることが望ましい。これを実現するためには、MEMS技術を用いてフィルム状の屈曲できるようなMR信号検出部を実現する必要がある。そこでまずはじめに、MEMS技術を用いて製作可能なMR信号検出用プローブ構造の検討を行った。図1にファラデーシールド付表面プローブの構造について示す1)。エンドレクタルプローブなどにも用いられている構造である。プローブ部分の基本的な構造は、同軸線でループを形成し、心線の一端は出力、他端は小型のチップコンデンサを介してシールド(グランド)に接続されている。また、プローブ先端部分はシールドを切断して、心線を2mm 程度露出させている。この構造は、磁界プローブとしてよく用いられるShielded Loop と原理的に同じである。ShieldedLoop は、測定器や信号線とのImpedance Matchingを図る必要がなく、非常に簡単な構造で磁界変化を測定できるものとして知られている。しかし、この構造をそのままMEMS技術で製作することは困難である。そこで、同じ働きをする構造を実現するために積層型の平面構造を考案し、図2に示すような検証用プローブを設計した。図2において、プレート1 とプレート2の基板はパイレックスガラス(20mm×20mm t=0.5mm)である。構造の妥当性を検証するのが目的であるため、高周波特性の良いガラス基板を用いた。プレート2 には裏面にグランドパターンを形成して、表面にコイルのパターンを形成する。また、その上から裏面にグランドパターンを形成したプレート1 を密着させる。つまり、コイルを両面から平面状のグランドプレートで挟み込むことによりシールドを実現する構造である。全体構造を上部から見ると、コイルの一部がグランドパターンからはみ出している。この部分がShielded Loop 構造のシールド切断部分に当たる。コイルの線幅は以下の条件で高周波伝送路としてシミュレーションすることにより決定した。
・パイレックスガラスの比誘電率:4.6
・受信信号の周波数:64MHz
・線路のインピーダンス:50Ω
その結果、コイルの線幅は0.174mm が最適であることが分かった。図3にコイルのデザインを示す。パイレックスガラスは誘電体であるため、コイルの右端部は裏面のグランドパターンとの間にコンデンサを形成する。5.9pF の容量を得るために、端部の寸法は2mm×3.5mm、また性能確認のためには信号強度は大きい方がよいので、コイルの直径(内径)は9mm とした。

3.ガラス製MR信号検出用プローブの試作と評価
3.1 試作
製作プロセスチャートを図4に示す。以下に、(1)?(6)の各加工ステップについて説明する。
(1) コネクタの心線を挿入する空間を設けるため、プレート1 とプレート2 で対称的な凹部をガラスエッチングで形成する。
(2) プレート1 とプレート2 の裏面に銅をスパッタし、フォトリソグラフィによって、グランドパターンを形成する。
(3) プレート2の表面に銅をスパッタし、フォトリソグラフィによってコイルを形成する。
(4) ハンダ付けによって、コネクタの心線とプレート2 のコイルの端部を接続する。
(5) プレート1 とプレート2 を合わせて、端部をエポキシ系接着剤で固定する。
(6) ハンダ付けにより、プレート1、プレート2のグランドパターンとコネクタのグランドを接続する。
図5に製作したガラス製MR信号検出用プローブの写真を示す。コイルの線幅は実測で0.181mm であった(設計値0.174mm)。

3.2 評価
試作したプローブでMR信号が検出できることを確認するために、パソコン内部の66MHzのクロック周波数の検出を試みたところ、今回試作したプローブよりも大きな市販のエンドレクタルプローブよりは強度が低いものの、十分な強度で検出できることをスペクトラムアナライザーにより確認した。そこで山口大学医学部附属病院のMRI装置を用いて、MR信号の受信実験を行った。使用したMRI装置は東芝製MRT200F3である。パルスシーケンスには高速スピンエコー(SE)を用いた。実験では、MRI装置内の寒天試料の上に検出プローブを置き、同軸ケーブルで撮像室外のオシロスコープに接続して、撮像中に検出される信号を観察した。実験結果を図6に示す。図のように試作したプローブでMR信号の受信を確認できた。

4.フィルム積層型MR信号検出用プローブの試作と評価
4.1 試作
フレキシブルなMR信号検出プローブを実現するため、フィルム積層型のプローブ構造の設計と試作を行った。構造を図7に示す。フィルム1とフィルム2はポリイミドフィルム(26mm×20mm t=0.025mm) である。フィルム2 には一面にグランドパターンを形成して、片面にコイルのパターンを形成する。また、ホットメルト型接着フィルム(ポリエチレン系)を用いてグランドパターンを形成したフィルム1 と接着させる。全体構造を上部から見ると、コイルの一部がグランドパターンの開口部で露出しているのはガラス製と同じである。同様にコイルの線幅は以下の条件で高周波伝送路としてシミュレーションすることにより決定した。
・ポリイミドの比誘電率:3.4
・受信信号の周波数:64MHz
・線路のインピーダンス:50Ω
その結果、コイルの線幅は0.108mm が最適であることが分かった。コイルの下端部には裏面のグランドパターンとの間にコンデンサを形成して、コイルと共に共振回路を形成させる。プローブの等価回路を図8に示す。ここでR:コイル自体の抵抗、L:コイルのインダクタ、C1、 C2:コイルの下端部と裏面のグランドパターンとの間のコンデンサである。本研究では円形スパイラル状コイルのインダクタの計算式2)を用いてコイルのインダクタを計算した。コイルの直径(内径)は9mmとしたので、21.67nH となる。共振周波数を64MHzの場合のコンデンサ容量は286pF となったので、コイルの下端部の四角形部分の寸法を13.3mm×8mm とした。ガラス製と類似の製作プロセスを開発して試作を行った。図9に製作したフィルム積層型プローブの写真を示す。コイルの線幅は0.109mm であった(設計値0.108mm)。プローブの共振周波数を測定したところ70.13MHzであった。

4.2 評価
試作したプローブでMR信号が検出できることを確認するために、パソコン内部の66MHzのクロック周波数の検出を試みた。図10に示すようにクロック信号の検出は可能であったが、信号強度はガラス製のものと比べて2桁ほど小さい20.8dBμV であった。この損失は単に共振周波数がずれているだけでなく、コンデンサ用の矩形電極と信号線が形成するインピーダンスが50Ωから外れている、あるいは接着用フィルム材料の誘電損失などが考えられる。

5. まとめ
フォトリソグラフィ技術で製作できるMR信号検出プローブ構造を考案し、ガラス製のMR信号検出用プローブの試作・評価により構造の妥当性を証明できた。次に実使用に適したプローブを実現するため、フィルム積層型のフレキシブルなプローブ構造を考案、設計し、製作プロセスを開発することにより試作を行った。パソコンのクロック信号の検出により、マイクロプローブの実用化への可能性を示すことができたが、構造および材料などが原因と考えられる信号強度の低下が観察された。今後は、プローブ内部の配線のインピーダンスを整合させるためのシミュレーションなどの設計技術・設計論の確立とプロセス材料の検討、およびマイクロ化による信号強度の低下に対応するためコイルターン数の増加や多層構造の検討などを行い、実用化を目指す予定である。