1997年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第11号

DNAの電極への効率的固定化と化学センサへの応用

研究責任者

前田 瑞夫

所属:九州大学 工学部 応用物質化学科 助教授

共同研究者

中野 幸二

所属:九州大学 工学部 化学環境工学教室 助教授

概要

はじめに
生体成分を活用した計測法として,バイオセンサはいまや実用の域に達している。そこで用いられている生体素子は,酵素や抗体を初めとするタンパク質である。これらがホストとしてセンサの選択性と応答性を支配している。
一方,分子認識に関与する生体成分に,タンパク質とならび重要な物質として核酸がある。DNA二重らせんに見られる相補的な塩基対形成は特異性の極致である。また,ある種の薬剤は核酸との特異的相互作用を介して,その生理活性を発現する。多環芳香族化合物のもつ変異原性,発ガン性は,核酸への結合が引金になると考えられている。
このように,核酸の関与する生体反応は枚挙に暇がない。しかるに,核酸を認識素子とするバイオセンサはほとんど前例がなかった。これには,核酸の一般的固定化法が確立していないこと,核酸は触媒機能をもたないので情報変換が難しいこと,分子生物学に関する最新の知識と技術が必要なこと,などの理由が考えられる。
一方,分子生物学の著しい発展に伴い,核酸の科学が社会生活の中にも随所で見られるようになった。例えば,遺伝情報を直接読取り,遺伝性疾患の診断が試みられている。細菌検査やガンの診断にも遺伝子診断が使われる。親子鑑定や犯罪捜査に遺伝子を用いることも始まっている。遺伝子操作による品種改良,新規薬品の開発などの成果が実生活に寄与するのも間もなくであろう。科学は,タンパク質の時代から核酸の時代へと大きく変化しつつある。
こうした背景のもと,ごく最近になってDNAを用いたバイオセンシングに関する研究が,いくつか報告されている。本報告ではDNAを分子認識素子として用いた,いわゆるDNAバイオセンサに関し,筆者らの研究成果を紹介する。
DNAバイオセンサ
DNAバイオセンサの期待される役割は,大きく分けて二つに分類される。一つは言うまでもなく,遺伝子の電気的計測である。すなわち一本鎖DNAを電極上に固定化し,これに相補的な配列を持つDNAを,試料中から分離・定量しようとするものである。臨床検査の現場で用いられているDNAプローブ法は繁雑な操作を必要とするため,遺伝子センサに対する期待は極めて大きい。
一方,DNAの関与する分子認識は相補的な二重らせん形成だけではない。DNA二重らせんそのものが,特異的なホストとなり得る。制限酵素などある種のタンパク質は,DNAの特定の塩基配列を認識し,その場所で酵素作用を示す。金属イオンもある程度の選択性をもってDNAに結合する。ある種の抗生物質は,DNA二重らせんに結合することで,その生理作用を発揮する。また,Hoogsteen型塩基対による三重らせん形成を挙げることもできよう。すなわちDNAバイオセンサの第二の役割として,これらDNA結合性化学物質を計測することに興味が持たれる。
遺伝子センサが国内外でいくつかのグループにより精力的に研究されているのに対し,上に述べた後者のような取り組みは極めて少ない。そこで筆者らは本研究において,DNA二重らせんを電極上に固定化することにより,DNA結合性物質を計測するセンサの開発を試みた。
DNAの電極固定化
DNA二重らせんの電極への固定化法は,過去に報告がなかった。筆者らはDNA末端にホスポジエステル結合を介して2一ヒドロキシエチルジスルフィドを導入し,金一硫黄配位結合を利用してDNAの電極固定を行った(図1)。図2に,DNAを修飾した金表面のIRスペクトルを示す。IR-RAスペクトルでは1121cm-1,1216cm-'にリン酸の対称伸縮逆対称伸縮に基づくピークが観測された。
1551cm-i,1662cm-1の吸収は,それぞれ,プリン環の骨格振動,核酸塩基のC=0伸縮振動に帰属できる。DNAキャスト膜の透過スペクトルにおいても同様の波数領域に吸収を示すことから,金表面にDNAが固定化されていることがわかる。なお,コントロールとして,末端修飾していないDNA断片を作用させた金表面では,このようなスペクトルは観測されなかった。
固体の表面修飾という観点からは,DNAの固定化量が重要なパラメータである。この点について,水晶発振子重みセンサ測定により検討した。測定には,電極として金を蒸着した発振子を用い,この電極表面への吸着量を,発振子の共振周波数変化から算出した。固定化量は用いるDNAフラグメントの塩基対数によって変わる。実験では30‐300bpの分布を持つDNAフラグメント(超音波照射で切断した牛胸腺DNA)を用いたが,1cm・あたり10μg(0.3×1016-1×1016bp)のDNAを固定化できていることがわかった。なお,電極の実効表面積,およびDNA二重らせんの幾何学的断面積から見積もった表面の被覆率は,約60%となった。
電極表面に固定化したDNA層自身は,電気化学的には不活性である。このため,酸化還元活性種(マーカーイオン,K3[Fe(CN)6]/K4[Fe(CN)6])を共存させ,そのボルタモグラムをもとに表面の特性を評価した。図3に示すようにポリアニオンであるDNAは,アニオン性マーカーイオンの電極反応を阻害することがわかる。なお,2一ヒドロキシエチルジスルフィド修飾電極(コントロール)では電極反応の阻害は見られず,未修飾電極に類似のボルタモグラムを示した。
DNA結合性物質センサ
この系に,""DNA結合性物質""を添加すると,ボルタモグラムは著しく変化した。一例としてキナクリン(抗マラリア剤)を添加した場合では,10-'Mレベルの極低濃度からピーク電流値が増加していくことがわかった(図4)。観測された電極応答はDNA二重らせんとキナクリンの特異的相互作用,より具体的にはインターカレーションによるものであると考えられる。以上の現象は図5のように説明することが出来る。
DNAにキナクリンが結合すると,電極近傍のアニオンサイトが減少し,アニオン性マーカーの電極への接近が容易になる。そのため,電極上での酸化還元反応に基づく電流値が増加する。
ところで図4から,キナクリン濃度が6.2×10-7の時点で電流値が飽和していることがわかる。この値は何を意味するのであろうか? キナクリンは典型的なDNAインターカレータであって,DNAとの相互作用は水溶液中で詳しく調べられている。それによれば,キナクリンのDNAへの結合は2塩基対に一つの割合で飽和する。DNA塩基対についてみれば,結合飽和時には結合サイトとフリーサイトの濃度が同じになるわけである。したがって結合定数Kは,飽和時におけるフリーなキナクリン濃度の逆数で表すことが出来る。ここで図4の電流値の飽和がキナクリンのDNAへの結合飽和と対応していると仮定すると,仮想的な結合定数が得られる。その値(1.6×106M-1)は均一系での報告値(1.5×lOsM-1)とほぼ一致した。この結果はDNA修飾電極が,薬物とDNAの相互作用を定量的に解析する手段となり得ることを示している。
DNA固定化法の検討
筆者らはまた,DNAを製膜性に優れたビニルポリマーと複合化し,通常のキャスト製膜により電極を修飾することを試みた。図6に示す方法により,DNAにビニルポリマーをグラフト重合させることに成功している。これを直ちにセンサ目的に利用するには,コモノマーの選択などまだ検討すべき問題が残されている。しかし,DNAは環境中の分解酵素や金属イオンの作用で比較的容易に加水分解を受けるため,合成高分子による安定な固定化手法への期待は今後高まると思われる。
今後の課題
以上述べてきたように,本研究で開発されたDNA二重らせんを固定化した電極は,遺伝子センサとは全く別の概念である。その可能性と問題点についてまとめておく。
1)核酸の関与する反応について,その系統的な評価,研究を行う手段となる。DNAと生理活性物質の相互作用を調べるには通常,スペクトル的手法や平衡透析という手法が使われるが,大変な手間と時間がかかる。数多くの薬剤やその類縁体を系統的に研究する目的に,二重らせん固定化電極は有用である。
2)未だ核酸との相互作用が明らかにされていない物質群について,その潜在的毒性,変異原性,発ガン性,あるいはまた薬理活性を知る手がかりを与える可能性がある。PL法やエンドクリン問題に関連して,新たなスクリーニング法への期待は大きい。
3)相互作用様式の異なる化合物群の間では,電極応答を単純にDNA結合能と結び付けて比較することは出来ない。
4)DNAと相互作用しうる物質は本質的に,その結合性に応じ電流応答を示す。いいかえれば,同程度の結合定数を持つ物質の間では選択性がない。したがって,通常の意味でのセンサとしての用い方は検体によっては困難である。
おわりに
核酸の科学は,生命の本質により近い領域を取り扱う。従って,核酸の関与するバイオアフィニティー反応は,あらゆる社会生活に密接に関係する。大気粉塵に含まれる多環芳香族炭化水素は,その発ガン性,変異原性が社会問題となっているが,その作用の本質はこれら物質の核酸との結合性にあると考えられている。また逆に,抗生物質の多くは,核酸に結合することによりその薬効を発揮する。従って本小論で紹介したDNA修飾電極は,遺伝子はもちろんのこと,核酸の関与するあらゆる反応,現象,物質の研究,計測への適用が可能である。
また一方,最近の「進化工学」の著しい発展は,特定のタンパク質を認識するDNAないしRNAの設計・合成が可能であることを示唆しており,DNAを単なる遺伝子もしくは生体内リガンドとして捉えるだけでなく,極めて広範な物質を認識しうる半人工的な「第二の抗体」と見なすこともできるのではないかと考えられる。DNAセンサの応用範囲は極めて広いことを強調してこの稿を閉じる。