2016年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第30号

X線による細胞内でのタンパク質 1 分子内部高精度高速動態計測の実現

研究責任者

佐々木 裕次

所属:東京大学大学院 新領域創成科学研究科 基礎科学研究系物質系専攻 教授

概要

1.はじめに
X 線 1 分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking :DXT)は、超短波長である X 線領域において、世界で唯一の 1 分子内部動態計測法として 1998 年 に佐々木が考案・実証しました 1)-3)。原理的には 単純で、現状で直径 20-50nm 金ナノ結晶を分子内部動態計測するタンパク質分子の特定部位に 化学標識し、すべての回転運動(軸は θ とχ、2 軸だが極座標と考えれるので 3 次元運動情報の取得可能)をピコメートル精度という究極的精度で、マイクロ秒レベルの高速測定できる1分子計測 手法として確立しています。今まで、PRE、PRL, BBRC, Cell, PLoS One, Scientific Reports 等の雑誌で発表しており、ポタシウムチャネル KcsA、バクテリオロドプシン、アセチルコリン受容体膜

図1 X線1分子追跡法の原理図

タンパク質1分子内動態計測に成功しています4)-20)。従って、本開発基盤技術を細胞膜上の検出も可能になれば、細胞をまるごと取り扱う in vivo 計測が可能な DXT 法の登場となり、適応範囲は極めて広域化されます。これはもちろん世界初の試みです。
本技術開発の目的は、 (あ)標識ナノ結晶微小化技術(い)標識金ナノ結晶からのX 線回折点高感度検出(う)細胞内タンパク質分子への標識技術開発の 3 つの技術を確立させることです。1 分子計測において分子内部動態を測定できる可能性があるのは FRET 法(蛍光共鳴エネルギー移動Fluorescence Resonance Energy Transfer)ですが、可視光を用いた共鳴現象であるための精度的な問題と標識部位を 2 か所設定しなければならない点が問題となり、安定に再現性良く高精度(Å以下)計測された例はありません。また、速度的にもDXT 法は現在最高速度 100 ナノ秒での測定が可能で、計算科学の結果とデータ比較が簡単にできる時間スケールまでの高速化に成功しています(1 分子界で最高レベルの時分割性)。このズバ抜けた高速性と高精度性をより多くの測定系に活用し、また他の 1 分子計測法と融合させた方法に発展させるためには、DXT の標識サイズを GFP や量子ドットのサイズである直径 5nm に近づけることが極めて重要です。それが実現すれば、細胞内の大きな分子間並進運動から、非常に小さな

図2 本装置開発の3つの目標

分子内部動態までを可視光からX線領域までを同時計測できることになります。細胞環境下で現状よりも小さな直径 5-10nm の標識金ナノ結晶を高速高精度に検出可能になると色々な可能性が広がります。理学的な波及効果から臨床的な効果までを 5 点説明します。(1)ナノ結晶が小さくなれ
ば、より小さい分子の 1 分子内部動態計測が可能となります。小さい分子を対象にできるようになることで、合成分子を対象にでき 1 原子レベルの差異がどのように「分子内部動態」に影響を及ぼすかを厳密定量化できます。(2)高感度化することで Au よりも低感度な CdSe や CdTe のような量子ドットからの回折点が検出できるようになったり、磁性ビーズ(FeO 系)を標識して磁場でその運動を制御しながら、その磁性体自身の運動も高精度に検出できるようになります。(3)小さな分子の分子内部運動計測が可能になり、より計算科学との連携が拡張します。この連携は、最終的に巨大タンパク質分子の構造決定に結びつくでしょう。現状では計算科学を用いて予想できる分子量は 40-50 アミノ酸程度です。一番難しいのは分子内部ドメイン間の相互作用の計算であり、現状の計算科学の技術で何種類かのドレイン配置を予測して、実際の目的「分子内部動態」の DXT 計測結果と比較することでその数種類のモデルを1つに選別できるでしょう。(4)標識ナノ結晶のサイズを制御できれば、サイズにより「分子内部動態」がどれだけ負荷がかかるのかを定量的に測定することが可能となり、標識サイズを変化させることだけでタンパク質分子の機能制御の道を開く可能性がある。(5)多くの系において「分子内部動態」が計測できれば、この物理情報をバイオマーカーとして利用することも検討しています。例えば、タンパク質分子の分子内部動態の変化の結果として、通常は凝集しない分子がアミロイド化する現象が係わる疾病は、アルツハイマー病のタウタンパク質分子以外にも意外と非常に多く、例えば α シヌクレイン( パーキンソン病) 、TDP43(FTD, ALS) 等があり、分子の凝集プロセスが 1 分子レベルで評価できることは極めて有意義で、今後、広範囲の疾患に関する発症プロセスの研究等に直接影響を及ぼすことが予想されます。また、タウタンパク質分子の分子内部運動を新しいバイオマーカーにできるかの実証をすること以外にも、アルツハイマー病の治療薬の効果評価にも利用できると考えています。

2.開発する3つの技術
DXT 計測は 1 分子において高速高精度で分子内部動態計測を実現しました。しかし、今までのDXT 成果では、機能性タンパク質分子を基板に直接固定したり、界面活性剤に埋め込んだベシクル状膜内に存在する機能性タンパク質 1 分子の観察がほとんどでした。いわゆる in vitro 計測でした。しかし、生物の基本現象と 1 分子内部の動態情報を正確にリンクして議論するためには、in vivo 計測のできる DXT 測定が必要であり、そのためには、すでに in vivo 計測を可能にしている GFP や量子ドットを着目タンパク質分子に標識して計測に成功している可視光を用いた 1 分子計測法

と同等レベルの標識サイズまで DXT 法で用いるナノ結晶のダウンサイズ化することは、極めて重要な技術開発となります。また、そのレベルの標識で DXT が可能になれば、量子ドットを用いて可視蛍光とX線を用いた非常にダイナミックレンジの広い 2 波長域同時 1 分子計測法が可能になります。現状で DXT 法において、タンパク質分子に標識している金ナノ結晶の直径は 20-50nm 程度であり、現状よりも小さいサイズの作製・検出を行う必要があります。金ナノ結晶の良質の結晶化は NaCl(100)及び KCl(100)単結晶表面での島状薄膜成長させた金粒子をある一定の温度下でアニーリングしてエピタキシャル成長をさせることにより実現しています。市販されている金コロイドや金ナノロッド等より極めて結晶性の良い結晶作製に成功しています。しかし、上記NaCl(100)及び KCl(100)単結晶の表面は、大気中で劈開した表面を用いてエピタキシャル成長さ せているので、大気中のコンタミが NaCl(100)及び KCl(100)単結晶表面に吸着して、エピタキシャル成長を妨害したり、エピタキシャル成長温度を上昇させています。これを改善することが緊急課題です。加えて、そのナノ結晶からの回折斑点の信号は高いバックグランド上で検出しているのが現状です。このバックグランドを低減させる方法を同時に実現して、より微小な回折斑点を検出可能とし、検出ナノ結晶のサイズを検出感度側からも小さくすることを実現します。
上記問題点(本技術開発要因)を以下の3つに
まとめることができます。(あ)標識金ナノ結晶微小化技術(い)標識金ナノ結晶からの回折点の高感度検出(う)細胞内タンパク質分子への標識技術開発です。以下にその具体的開発内容を説明します。
(あ) 標識金ナノ結晶微小化技術:単結晶 (100)面上の金エピタキシャル成長を利用して島状成長でストップさせ良質なナノ結晶(直径 20-50nm)を自作してきました。しかし、より結晶性を向上させるために、より清浄化させた単結晶表面において、かつ低温で長時間エピタキシャル成長させることで、島状形体を維持してその結晶性を向上させることが唯一の解です。そこで、真空装置内で単結晶を劈開する小型装置を現在使用している装置に設置し、低温エピタキシャル成長を実現します。また、清浄表面に塩素ガスを表面吸着させてより低い温度でエピタキシャル成長条件を実現します。
(い) 標識金ナノ結晶からの X 線回折点高感度検出:タングステン製マイクロメートルサイズピンホールをサンプル位置直前に設定することで X 線回折点の S/N が 3-4 倍に改善することをすでに確認しています。しかし、このピンホールが高輝度の放射光に耐えられないのが現状です(酸化してピンホールの形状が保てない)。そこで真空雰囲気下もしくはヘリウム置換下で X 線照射できるピンホール自身を保護するデバイスを設計し、常時設置できるようにします。使用する放射光ビームラインは SPring-8 に 2 本、KEK に 1 本あります。
(う) 細胞内タンパク質分子への標識技術開発:本開発の最初の目標は細胞外側への金ナノ結晶の標識ですが、対比実験として細胞膜内側からの運動計測も必要と考えられます。この技術もよりナノ結晶が小さい方が技術的に高効率に標識が可能となります。サンプルはセロトニン受容体を多く含む発現細胞を用います。

3.標識ナノ結晶微小化技術
この微小化は本開発である細胞膜上の機能性タンパク質 1 分子観察において必須な技術開発となります。何故なら、生体膜上はぎっしりと詰まった多くのタンパク質が存在するので、同時に1 つの分子と相互作用してしまわないサイズのナノ結晶を標識することが必要となり、他の量子ドット等の標識実験と同じサイズまで微小化したDXT 法の細胞実験と比較する上でも是非確立させたい技術開発となります。
単結晶(100)面上の金エピタキシャル成長を利用して島状成長でストップさせて良質なナノ結晶(直径 20-50nm)を自作してきました。しかし、より結晶性を向上させるために、より清浄化させた単結晶表面において、かつ低温で長時間エピタキシャル成長させることで島状形体を維持してその結晶性を向上させることが必須となります。下図は私が考案したNaCl(100)単結晶上での金島状成長機構を応用した非常に結晶の高い金ナノ結晶作製プロセスです。しかし、現状、小さい良

図3 改善されたナノ結晶の AFM 像

質ナノ結晶には成功していません。そこで、真空装置内で単結晶を劈開する小型装置を現在使用している装置に設置し、低温エピタキシャル成長を実現します。表面の清浄性とエピタキシャル成長温度とその結晶良質性は完全にリンクしていることは今までの成膜データから確認されています。また、清浄表面に塩素ガスを表面吸着させてより一層低い温度でのエピタキシャル成長条件を実現できる可能性も多くの研究者がデータを出しています(NaCl 基板内の塩素だけが脱離して表面結晶性が劣化すると言われている)が、真空装置自身の腐食等も考えられるので使用には注意を要する。真空中に入れる前に 100 度程度の温度下で塩素ガス雰囲気下でも効果があるという。これらの全ての実験条件を、NaCl(100)単結晶表面の清浄化とエピタキシャル成長温度の低温化(低温であればあるほど基板表面の横の拡散が減り金の島成長している各島の融合が無くなり、島の形状を小さな大きさに保った状態でアニーリングを長時間行うことができる。図 2 の AFM 像は本開発によって作製されたナ ノ結晶のサイズです(直径 20-30nm)。作製蒸 着装置の真空度を上げ、基板温度コントロール を厳密に制御することで、ナノ結晶の形状もコ ントロールすることに成功しました。形状のコントロールは今後のより厳密な化学標識には 必須の技術です。どの形状でどの面とタンパク 質分子が反応しているかは、より厳密な分子内 部運動計測には必要となってくるからです。蒸 着速度を 2-3 桁減少させることで実現しました。

4.X 線回折点高感度検出
本研究課題では、より小さい微結晶からのシグナルを効率よく検出するために入射する X 線の最適なマイクロビーム化も検討します。高フラックスビームライン(SPring-8/BL40XU)では、縦
40μm、横 250μm に 1015 のフォトンフラックスが得られ、光路上に 2 つのピンホール(ビーム径を決めるものとピンホールからの散乱を除去する もの)を用いることで高密度なマイクロビーム X 線を得ることができます。マイクロビーム化あり、なしにおける S/N 比較 DXT 測定を行いその効果 を評価しました。上流側にビーム径を決めるピン ホールとして 50μm 直径もしくは 15μm 直径(と もにタンタル 50μ 厚、レーザー穿孔)のもの、下流側に散乱除去用のピンホール( テーパー穴700μm-1200μm、タングステン 2mm 厚)を用いて 入 射 X 線 (ID gap 31.0mm, FE Slit 2mm x
2mm)のビーム径を微細化し、DXT のプローブとなる標識金ナノ結晶からの回折斑点を測定しました。金ナノ結晶は粒径が 20nm~50nm と広く分布し一様ではないため、各スポットに対してS/N 比をとり、その頻度分布をX線強度から評価することも可能となりました。回折斑点の S/N 比分布はピンホールを導入することで明確に向上 しました。ピンホールを導入しない条件と比較し、
50μm ピンホール使用時で 1.3 倍、15μm ピンホール使用時で 2.5 倍、向上した。ビーム径の微細化によるノイズの低減化が S/N 比向上に寄与していることが明確化された(図4)。S/N 比向上によって、輝点追跡する解析が容易になると期待できます。15μm ピンホール程度であれば、従来の
DXT 法の配置を大きく崩すことなくアライメントすることが可能であるため、恒常的なピンホール導入を実現することにしました。そのためには放射光照射によりピンホールの酸化を防ぐピンホール周りの環境設定(真空及びヘリウム置換) が必要となります。(本件は予算的に困難なため、大気中での設置としました)。
最適ピンホールを設置した実際のDXT 測定は、X 線イメージングインテンシファイア(V5445P, 浜松ホトニクス)と CCD カメラ(C4880-82, 浜松ホトニクス)を用いて、カメラ長 100mm 程度で行いました。N 末に His タグを導入したタウタンパク質をサンプルとし、Ni-NTA 処理した基板に固定後、C 末の天然変性領域に存在する Cys を介して金ナノ結晶をラベルし、その内部運動をリン酸化酵素(GSK-3β)処理の有無で比較しました。入射X 線(ID gap 31.0mm, FE Slit 2mm x 2mm)・ビーム径は、スキャッタレススリット(Xenocs 社製) 用いて調節し、金ナノ結晶からの回折斑点 SN 比を評価した。なお、スキャッタレススリットから下流 40mm の位置に寄生散乱除去用のピンホール(テーパー穴 700μm-1200μm、タングステン2mm 厚)を配置し、その直下にサンプルを設置しました。実験結果は、タウタンパク質分子の運動特性を金ナノ結晶の 2θ 方向成分の角度変化量分布で評価したところ、リン酸化することで 26%程度運動が小さくなる(硬化)ことが分かりました。さらに、リン酸化を受ける Thr, Ser 部位をそれぞれAla に変換した変異体を一つ一つ同様の解析を行ったところ、天然変性領域近傍の Thr, Ser がリン酸化によるタウタンパク質分子の硬化に大きく寄与していることも分かりました。
ビーム径最適化については、DXT で実際に使用する金ナノ結晶(粒径 40nm~80nm)からの回折

図 4 使用したピンホールの評価結果

斑点 Signal 強度と Noise 強度をとり(図4)、そのS/N 比について頻度分布を調べました(図4)。回折斑点の S/N 比分布はビーム径を絞ることで明確に向上することが分かりました。ビーム径を絞りすぎると回折斑点の観察頻度が下がることになるため、現状では 50μm 径程度が適当であると判断しました。

5.細胞内タンパク質分子への標識技術の開発
ナノ結晶のサイズを微小化することが可能 になれば、目的のタンパク質分子のみに標識す る効率が格段に向上しますし(生体膜上は色々 な分子で満席状態であることが分かっている)、細部内部側への標識もできるだけ小さい方が 細胞内への挿入が簡単になります。また、すで に細胞内 1 分子計測に成功している GFP や量子ドットを用いた実験結果をより高精度測定 することで、ダイナミックレンジの広い情報が 同等の標識サイズで可能になるので、その意義 は非常に大きいと考えられます。
今回行った細胞測定は、2つの技術的進展を必要としました。1つはサンプルホルダーの中にどのように細胞を導入するかでした。もう1 つは、細胞膜には多くのタンパク質分子が共存しているのですが、どうやって目的のタンパク質分子だけに金ナノ結晶を標識するかという点でした。
第一の点ですが、DXT のサンプルはX線照射に対して耐久性があって、かつ散乱能の極めて低い基板を用いることが理想です。現在は、ポリイミドフィルム(カプトン紙、厚さ 50 ミクロン)を利用しています。今回の培養細胞は、セロトニン受容体を発現させた 5-HTR 細胞をカプトン紙上で培養することを試みました。理想的に培養されたかどうかは、その培養された細胞の数とその密着性で確認しました。結果的には、通常に用いるカプトン紙をなにも処理しないで細胞培養しても密着性のある細胞は培養されませんでした。しかし、エタノール等の有機溶媒でカプトン上の洗浄を一日程度行った後では、非常に密着性の良い培養細胞が飽和状態にまで培養させることに成功しました。この成功は DXT 計測にとって非常に重要なものとなります。
今回のセロトニン受容体には特異的なリガンド(セロトニン)がありますので、その特異性を利用することで第二の点を克服しました。セロトニンにアビジンービオリン系を特異性に付加して、金ナノ結晶の表面にストレプトアビジンを修飾して、最表面がセロトニンで覆われた金ナノ結晶を作製することに成功したのです。これで培養された細胞表面のセロトニン受容体のみに金ナノ結晶を標識することを見事に実践することが可能となりました。
実際の実験系では、セロトニン受容体(GPCR)は GDP の結合によって活性化されることが知られているので、その前後での DXT 測定を行った。予想としてはセロトニン受容体の細胞内ドメインが解離することが期待されていたので、セロトニン受容体の分子内部運動は活性化されより大きく運動することが予想されていました。しかし、結果はその逆で運動自身が明確に鈍化しました。これは今まで解離すると言われていた細胞膜内ドメインは、解離ではなくて、分子配向を変えて(多分は開くような分子配置)、それが分子全体の運動を劣化させるように変化させたのではないかと解釈することができました。この結果はある意味全く真逆な実験結果なので、他の確認実験を色々行ってから論文にまとめる方向で検討に入りました。初の DXT- in vivo 細胞計測で非常にインパクトのある計測結果を得ることができた訳です。

9.まとめ
本開発で以下の 3 つの技術開発を目標としました。その結果、(あ)標識ナノ結晶微小化技術(い) 標識金ナノ結晶からの X 線回折点高感度検出(う) 細胞内タンパク質分子への標識技術開発のすべてを実現することができました。今後は色々な種類の細胞計測を実現する予定です。