1996年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第10号

骨格筋の粘性・弾性係数計測システムの開発と収縮特性評価への応用

研究責任者

赤澤 堅造

所属:神戸大学 工学部 情報知能工学科 教授

共同研究者

内山 孝憲

所属:神戸大学 工学部 情報知能工学科 助手

概要

1 まえがき
ヒトは,優れた筋骨格系,中枢神経系を中心とした高度な情報処理系を持つことにより,高度で精密な運動を容易に行うことができる。脳からの運動指令は中枢神経を経由し,手,足などに存在する多数の関節に付随する筋(伸筋,屈筋からなる拮抗筋系)に伝えられる。静的な関節の位置制御機構に関して,関節角度は,屈筋,伸筋の2つのバネがつりあうことにより制御され,関節の柔らかさは,バネ係数を変えることで調整されていると考えられている。このことは位置制御の平衡点理論として提唱されている1)。
しかし,筋の持つバネ特性は,実験的にサルの上腕三頭筋(伸筋)で確認されているのみであり2),屈筋については確認されていない。また,ヒトについては伸筋,屈筋ともに未確認である。
ところで,生体の筋運動制御機構に関する研究は,その多くは上肢を対象としたもので,下肢を対象としたものはほとんど見られない。下肢は,姿勢維持や歩行といった上肢にみられない機能を有することから,下肢の位置制御機構を調べることの意義は大きいと考えられる。そこで,本研究では,膝関節筋を対象とし,関節筋の弾性を推定することを目的とする。
まず,膝関節における等尺性の収縮実験を行い,膝関節回りの静的なモデルを構築する。次に実験により得られたデータを用いてモデルを構築する。しかし,数式によるモデル化は困難である。これは,計測対象の筋には,二関節筋が含まれること,屈曲,伸展運動に関与する全ての筋の筋電図を測定することは困難であること,そして,関節トルクと筋電図・関節角度の関係は非線形であることによる。そこで,モデルにはニューラルネットワークを用いる。ネットワークは関節角度,筋電図を入力とし,関節トルクを出力する。構築したネットワークを用いて,膝関節角度によらず筋活動度が一定であるときの関節角度一トルク関係,すなわち,静的な弾性を推定する。さらに,弾性の筋活動度および角度に対する依存性について検討する。
2 研究内容
2.1 計測方法
膝関節における等尺性収縮の実験を,1)伸筋群が主働筋となる場合,2)屈筋群が主働筋となる場合の2とおりについて行った。実験装置の模式図を図1に示す。
被験者(健常男性2名,A:25才,B:23才)は,測定台上で仰臥位となる。被験者の腰部,大腿上部をベルトで固定する。下腿を筋力評価装置(リハメイト,川崎重工業)のアームにベルトで固定する。関節角度,関節トルクをリハメイトを用いて測定した。関節角度θを図1のように定め,測定角度θiを10,25,…,100度とする。表面筋電図(EMG)を大腿四頭筋の内側広筋,大腿直筋,外側広筋,半腱様筋,大腿二頭筋の長頭の5つ筋(筋番号Z,Z=1,2,…,5)より採取し,全波整流,平滑化して積分筋電図(IEMG)とする2)。本研究では,IEMGを筋活動度の指標として用いる。
測定の際には,CRT上にトルクが表示されており,被験者にこれをモニタして力を一定の値に維持するよう指示した。また,EMGもCRT上に表示されている。被験者にはEMGもモニタして屈筋・伸筋の同時収縮を起こさないよう指示した。
関節トルクが一定の値に維持されている時,関節トルクおよびIEMGを2秒間AD変換(サンプリング周波数1KHz)し,計算機へ入力した。次に,各々について2秒間の平均値を算出した。
なお,本研究では,筋電図の再現性が高い,最大随意収縮の50%までの等尺性収縮を対象とし,筋活動度が高い場合,中程度の場合,低い場合の3とおりについて実験を行った。そのときのトルクを次のように定めた。伸筋群が主働筋となる場合には,被験者Aではそれぞれ約58,44,21[Nm],被験者Bでは約26,22,18[Nm]である。屈筋群が主働筋となる場合には,被験者Aではそれぞれ約31,18,10[Nm],被験者Bでは約18,14,10[Nm]である。
2.2 関節トルクとIEMGの平均化
2秒間の平均値においても,データにはばらつきが見られる。そこで,計測値を以下のように区分化し,その集合平均値を用いる。各角度について,関節トルクの小さいものからデータh個を含むブロックを作成する。このブロックをm個ずつずらしながら次々にブロックを作成し,各ブロック内におけるIEMG,関節トルクの平均値(IE,,…,IES,T)を求める。関節角度θiの場合について,筋Zに対して行う処理の一例を図2に示す。
関節トルクは各筋について共通のパラメータであるので,この処理は5つの筋に共通して行われることになる。したがって,k番目のブロックから計算される平均値は(IE1k,…,IE5k,Tk)となる。この処理をすべての測定角度θ1について行った。
2.3 推定方法
膝関節筋の弾性を推定するために,関節回りの静的なモデルを構築する。各被験者に対して,伸筋群が主働筋となる場合と屈筋群が主働筋となる場合について,それぞれモデルを構築する。このモデルには,ニューラルネットワークを用いる。次に構築したモデルを用いて,種々の筋活動度における関節角度一等尺性トルク関係,すなわち静的な弾性を推定する。
構築したニューラルネットワークを図3に示す。入力は関節角度と5つの筋のIEMGで,出力は関節トルクである。ニューラルネットワークの構造は,入力層のユニット数6個,中間層のユニットM個(M=10~16),出力層のユニット数1個の3層の階層型である。各層の出力関数を線形関数,シグモイド関数,線形関数である。教師信号には,膝関節角度θiと,先に述べたブロック毎の平均値(IElk,…,凪ん,Tk;k=1,2,…,N)を用いた。
学習則にバックプロパゲーションを用い,収束判定条件を式(4)のように定めた。
中間層のユニット数を7とおり,結合荷重初期値を6とおり変えてニューラルネットワークを構築した。そして,それらの中から,教師信号とは異なるブロックで算出した集合平均値(θ1,IEIk,…,IE5k,Tk)に対して,誤差率が最も小さかったニューラルネットワークを選んだ。
学習を終了したニューラルネットワークに,筋電図,関節角度を入力し,関節トルクを推定した。ここで,入力のIEMGを関節角度Blでの教師データ,すなわち(IE,k,…,IE5kで一定値とし,関節角度θのみをBt±5°の範囲で変化させて入力する。これにより,各測定角度Bl近傍における関節角度一トルク関係(弾性)を推定することができるのである。
3 研究成果
図4に,伸筋群が主働筋となる場合の関節角度一トルク関係を示す。
伸筋群が主働筋となる場合,関節角度θが大きくなることは,伸筋の筋長が増大することに対応する。被験者A,被験者Bとも類似した推定結果が得られている。10°<θ<45°の領域では,筋長の増大と共にトルクも増加している。すなわち,バネの特性を示している。
そして,このバネの特性を示す角度一トルク曲線の傾きは,筋の活動度が高くなるほど,大きくなっている。このことは,ネコのヒラメ筋を用いて調べられた筋節長一張力関係と一致する4)。50°<θ〈60°の領域では,角度に対してトルクは一定の値となり,θ>65°の領域では筋長の増大と共にトルクは減少している。ただし,被験者Bについては,θ=10Qおよび25°の近傍で筋活動度が高い場合について,推定することが出来なかった。これは,これらの角度では最大随意収縮の50%の収縮では,筋活動度が高い場合のトルク値に達しなかったためである。
図5に屈筋群が主働筋となる場合の関節角度一トルク関係を示す。
屈筋群が主働筋となる場合,関節角度が小さくなるほど,屈筋の筋長は増大する。被験者Aでは10°<θ〈35°の領域で,被験者Bでは10°<θ〈60°の領域で,筋長の増大と共にトルクが増加し,バネの特性を示す。また,伸筋群と同様に筋活動度が高くなるほど,バネ係数は大きくなっている。
4考察
被験者Aについて,屈筋群が主働筋となる場合,θ>35Qの領域では,角度に対しトルクは概ね一定の値となっている。これは,本研究で対象とした筋以外の張力によるトルクが顕在化したためであろうと考えられる。
また,被験者Bについて,屈筋群が主働筋となる場合,θ>65°の領域では,トルクが増加する傾向にある。これは,半腱様筋の角度一IEMG関係において,筋活動度が中程度および高い場合のIEMGが10°〈θ〈85°の領域では,0.08mV~0.3mVであるのに対し,θ=100°ではそれぞれ0.42mV,0.6mVと著しく大きいため,このことがニューラルネットワークの構築に影響したアーティファクトであると考えられる。大腿二頭筋長頭のIEMGを入力とするユニットと中間層のユニットの間の結合荷重が,半腱様筋のIEMGを入力とするユニットと中間層のユニットの間の結合荷重に比べて大きいことを確認している。このため,100°近傍における推定値について言及することはできないと考える。
摘出筋について,筋節長と張力の関係に関しては次のような報告がある5)・6)。筋節長が短いとき,筋節長の増大と共に発生張力は大きくなる(上行脚)。さらに筋節長が増大すると,筋節長に対し発生張力は一定となり,さらに増大すると張力は減少する。推定結果と筋節長一張力関係との対応を考えると,伸筋の動作領域は筋節長一張力関係のほぼ全領域に,屈筋では上行脚に対応していると考えられる。両筋の動作領域の違いは,筋線維の走行方向,腱の付着位置などの筋の構造の違いηによるものであると推測される。関節が伸展した状態,すなわち直立に近い姿勢を維持している時,関節の位置制御機構は,屈筋,伸筋の2つのバネによる位置制御であると考えられる。
さて,筋の粘弾性を推定するため,別途,収縮中の下肢筋(膝関節回りの伸筋)をランプ状に伸展させ,発生張力と関節角度の関係を解析することを行った。下肢筋では伸張反射による張力増大が大きく,筋の粘弾性のみの張力を抽出することが困難であった。
そこで,動的モデルを構築し,伸張反射の影響がない状態での応答を推定することを試みている。しかし,非線形特性があるため,モデル化は難しく,現在も継続して研究を行っている。2-3年後には報告できると考えている。
5 まとめ
本研究では,等尺性収縮実験を行い,膝関節筋における弾性を推定した8)。等尺性収縮時における大腿四頭筋,大腿二頭筋,半腱様筋の筋電図(EMG),関節角度および等尺性トルクを測定した。関節角度EMGを入力とし,関節トルクを出力するニューラルネットワークを構築した。構築したネットワークを用い,筋活動度一定時におけるトルクを推定した。その結果は次のようであった。伸筋の場合,関節角度が10°-45°の領域で筋長の増大とともにトルクも増大した。すなわち,バネの特性を示した。屈筋の場合,関節が伸展している状態でバネの特性を示した。筋活動度が高くなるほど,弾性係数(角度一トルク曲線の傾き)は大きくなった。しかし,関節が屈曲している状態では,屈筋はバネの特性を示さなかった。これは,従来の位置制御の平衡点理論では考慮されていない新しい知見である。