1998年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第12号

音響学的方法による冠動脈狭窄検出装置の開発に関する研究

研究責任者

松本 博志

所属:東京大学大学院 工学系研究科 精密機械工学専攻 教授

共同研究者

土肥 健純

所属:東京大学大学院 工学系研究科 精密機械工学専攻 教授

共同研究者

鈴木 真

所属:東京大学大学院 工学系研究科医学系研究科 精密機械工学専攻 講師

共同研究者

小林 健二

所属:拓殖大学 工学部 電子工学科 教授

共同研究者

長谷川 淳

所属:拓殖大学 工学部 電子工学科 助手

概要

1はじめに
冠動脈狭窄の進行をスクリーニング検査により早期に確定診断するために簡便な無侵襲,高精度な診断装置の開発が求められている。我々は虚血性心疾患の直接原因である冠動脈の狭窄による乱流振動に着目した音響学的冠動脈狭窄診断装置の開発に関する研究をおこなってきた。適切な高感度振動センサ,フィルタ処理,信号処理をおこなえば体表で検出可能であるとの結論に達している(1-4)。本研究ではPVDF(ポリフッ化ビニリデン)高感度振動センサの試作,評価,試作センサの臨床評価を中心に検出システムについての研究成果を報告する。
2冠動脈狭窄雑音検出用センサ
生体に用いるため機械振動検出用センサとは異なる特別な注意が必要となる。
2-1要求設計仕様
2-1-1.安全性
コンデサーマイクロフォンのようなバイアス電圧の必要な形式のものはさけ,圧電素子を用いた。圧電素子は歪みに比例した電荷を生じる。電荷はpCと極めて微弱で,生体に対する影響はないものと考えた。
2-1-2.形状
振動は音響インピーダンスの異なる物質問を伝達するときに反射を生じる。冠動脈から胸壁までの系において音響インピーダンスが大きく変化するのは肋骨と肺であるので,効率よい振動検出のために肋間からの検出を考えた。胸壁の曲率もあわせて考慮し,3cm×1cmの長方形に収まる形状とした。
2-1-3.感度,適用周波数帯域
冠動脈狭窄雑音の周波数帯域は概ね300Hz~800Hz程度であり,音圧感度一100dB以上(OdB:1V/μbar)のセンサを用いれば狭窄雑音の検出は可能であることも報告されている(5)。そこで要求仕様を1)生体上での共振周波数800Hz以上。2)生体上での感度一100dB(OdB:1V/μbar)とし,本研究では3)3cm×1cmの長方形に収まること。4)圧電素子を用いることとした。
2-2圧電素子の検討
センサとして圧電素子の感度指標に9定数がある。9定数は発生電荷/応力で定義される。もっとも大きな9定数をもつPVDF(呉羽化学)を選んだ。PZTなどのセラミック系素子を用いた場合センサは加速度計となるが,PVDFをセンサ素子として用いた場合は変位計となる。PVDFの特徴として1)軽量かつ柔軟なため衝撃や屈曲に強い。2)音響インピーダンスが小さいため水や生体とのマッチングが取れる。3)誘電率が無機圧電体に比べて小さいため,高い圧電感度(9定数)を示す。
2-3形状・構造
肋間は曲率をもった長方形に近い形状である。感圧面もこれに同じく長方形とした。また感圧面である振動板に生じた変位をフィルム軸方向へ伝達するためにカプラを用いた。試作センサの構造を図1に示す。ハウジングを十分固くすることにより振動板両端を固定端と考えることができる。
2-4感度計算
センサ部分の機械的動作,機械一電気変換,電気出力を統一的にとらえるために電気等価回路を用いて計算した。
2-4-1生体の考慮
冠動脈からの振動は生体中を伝搬し体表面にまで伝達する。この振動を体表面で検出するには生体とセンサとの機械的結合について解析する必要がある。鳳一テブナンの原理によればセンサの胸壁上での挙動を解析するには胸壁の機械インピーダンスが明らかであれば,これを自由音場でのセンサ部の電気等価回路に直列に接続すればよい。胸壁の機械インピーダンスは直列共振回路でよく近似できることが知られている。
2-4-2自由音場でのセンサの電気等価回路
電気等価回路を組み立てるために各部の機械素子としての挙動を明らかにする。
1)質量要素としてのカプラが胸壁面と一体の振動をする,2)振動板,PVDFフィルムは等速度で変位する。3)PVDFフィルムが受ける力と振動板が受ける力の合力がハウジングにかかる力とつりあう。4)センサの出力はPVDFフィルムが受けた力に比例する。以上から等価回路は図2のようになる。ここでF,はセンサが受ける力で生じる起電力で回路の電圧源,Eはセンサの出力で9コンデンサに生じる電位差,Mcはカプラ重量,Mはハウジング重量,C4は振動板コンプライアンス,Crはフィルムコンプライアンスである。自由音場におけるセンサの電気等価回路でハウジング重量Mを十分大きくとればMは無視できるのでFからみたこの回路の電気インピーダンスIfは
ただし
で表わせる。
またセンサ出力はフィルム静電容量Cfに生じる電圧に比例するから
ただし電気変換係数をAとした。
2-4-3生体を考慮したセンサの電気等価回路
前述のように生体を考慮することは直列共振回路を直列に接続することになるから電気等価回路は図3のようになる。この回路の電源から見た電気インピーダンス
であらわされる。
2-4-4各素子の計算
設計に用いる文字は図4上段のように統一する
1)PVDFフィルムコンプライアンスCfの導出,図4中段に示すように鉛直上向きを正とすると(以下同じ)フィルムコンプライアンスは(PVDFフィルムの正方向の伸び)/(フィルム正方向に受けた力)で求められる。引張り応力を受け縦方向歪みを生じることによりフィルムに発生する引張り応力σは
よってフィルム方向ののびλは
フィルムコンプライアンスはフィルムの伸びを正方向に直しFで割ればよいから
2)振動板のコンプライアンス振動板は固定ばりに対し集中荷重が作用すると仮定する。振動板に作用する力は平面作用であるため等分布荷重とする。しかしコンプライアンスの計算に線応力は用いることができない。便宜的に集中荷重を用い最後に補正をおこなった。
振動板のコンプライアンス
3)変換係数Aの導出
図4下段に示すようにPVDFフィルムは生じた応力6に比例した電荷を発生する。力Fが生じたときフィルム断面に生じる応力Bfは
σfに圧電定数を乗じたものが単位面積当たりに発生する電荷Qである。
さらにPVDFフィルムの静電容量は
よって電気変換係数

となる。
2-4-5音圧感度の計算センサ感度は音圧感度で表される。音圧感度は受音面に加えた音圧出力と電圧端子間に現れる開路電圧の比で表される。音圧がP[μbar],回路電圧の実効値がE[V]ならば,音圧感度は
である。ここにOdBは1[V/μbar]のときである。回路の電気インピーダンスを1,振動板の感圧面積をSと仮におくと自由音場での音圧感度は
これにより音圧感度を求める式は導かれた。
2-4-6センサ感度シミュレーション生体を考慮して振動版長手方向(1),振動版短手方向(b),振動板厚み(h),各素子値を動かし周波数応答の変化を見た結果をそれぞれ図5上段,中段,下段に示す。感度と周波数の間にトレードオフの関係が見られた。
3試作センサの評価実験
試作センサの概要を図6に示す。試作したセンサの自由音場での特性評価(紙数の都合で省略)ののち,模擬胸壁としてのシリコンオイルゼリー上での特性について評価した。
3-2シリコンオイルゼリー上での特性
模擬的に生体軟部組織と性状の似たシリコンオイルゼリーを加振し,その振動を検出することで評価した。
3-1-1方法
シリコンオイルゼリーを用いてセンサの周波数特性を求めた。粘土とシリコンオイルゼリーでスピーカをコーティングし振動の拡散を防止した。さらに防振材を用いて周囲と音響学的に遮断した。これによりシリコンオイルゲル上で検出される振動はスピーカからドライブされゲル中を直進してきたもののみであると考えることができる(図7)。
スピーカにはTSスピーカを用いた。スピーカ入力にFFT Analyzerより正弦波掃引信号を入力した。あらかじめ平坦特性の保証された加速度計センサ(PCB336M)を用いてこれらの系の5KHzまでの周波数特性を得た。次に試作センサの周波数特性を自由音場での評価と同じ条件で測定した。
ただ48dB/Oct.アナログフィルタにより出力信号をカットオフ周波数90Hzで低周波域をカットした。
3-1-2シリコンオイルゼリー上での評価結果
図8は試作センサのシリコンオイルゼリー上での周波数特性結果を示す。いずれのセンサの周波数応答も450Hz付近で急激な感度の落ち込みが見られた。またそれ以下の帯域では150Hz近辺に弱い共振が見られた。試作センサは自由音場と比較し約1375Hzの共振周波数の低下が見られた。
3-1-3考察
シリコンオイルゼリーにより共振周波数の低下がみられた。生体上で生じると考えられる共振周波数の低下には及ばなかったものの大きな変化が生じている。これは生体で共振周波数が大きく低下することを裏付けると考える。450Hzの応答の低下は加速度計のような他のタイプのセンサでもみられることから評価測定系の持つ特性ではないと考えられる。感度は自由音場で得られた値と異なる。これは振動媒体であるシリコンオイルゼリーの振動吸収によるものと考えられる。
4臨床応用
4-1装置
臨床応用では図9に示すように試作センサからの信号を差動アンプにより増幅したのちフィルタ処理する。さらに差動アンプモジュールにより増幅しDATに記録した。測定中は常にヘッドホンによりモニタした。記録信号をMEMにより周波数解析した。慈恵会医科大学病院心エコー室にて冠動脈造影にて診断の確定した狭窄患者2名に対し,東京大学工学系研究科14号館松本研究室にて健常者5名に対し,それぞれ心音採取をおこなった。
4-2方法
4-2-1心音検出
測定は第四肋間で行った。これまでの成果によれば冠動脈狭窄雑音は600Hz付近にピークを持つスペクトルを示す。また冠血流が最大となる心拡張期に発生する。SN比よくとるためにはフィルタリングにより正常音をカットする。これにより測定系のダイナミックレンジを有効に使用できる。今回400Hz,48dB/Octのハイパスフィルタを使用した。これにより正常心音は完全に除去できた。測定は一度に15秒程度行い一人の被験者に対しこれを2度ずつ行う。
測定中呼吸は止めてもらう。合計30秒間の心音が記録される。測定ゲインは被験者により最適に測定できる値を用いた。狭窄雑音切り出し時間設定の同期信号として心電図を記録した。
4-2-2信号処理
狭窄雑音振動は不確定な非線形非定常信号であるのでAR,ARMAを捨て,MEMを信号処理に採用した。採取したデータを2.5KHzでサンプリングした。耳によるモニタで雑音(擦過音,腸音,胃音など)の含まれるデータは除去する。二音終了後40msec.の長さ(データ点数100点)のデータをMEMにより解析した。ラグはデータ数の半分の50とした。スペクトル解析結果は最大ピーク強度により規格化した。これは被験者により記録時のアンプゲインが異なるためスペクトル強度を絶対値で比較することができないことに依る。
4-2-3信号処理結果
結果1.同一心拍内の心拡張期スペクトルの時間変化。4msec.ずつずらした連続5データ。健常者のスペクトルは安定していた。患者のデータは大きくゆらいでいた。またゆらぎ成分の中に800Hz付近に徐々に大きくなり収束する成分が見られる。結果2.健常者三心拍分の連続データ。健常者も心拍が異なればゆらぎが見られる。図10,11に冠動脈狭窄患者,健常者の心音パワースペクトルをそれぞれ示す。
4-3考察
周波数,強度に揺らぎが存在するため患者と健常者を一枚のスペクトルから判断するのは困難である。またすでに述べたように使用したMEM(MemCalc)は非線形予測法対応であるため加算平均が意味を為さない。患者数が少ない。測定ゲインを被験者により変えたため絶対値による比較ができなかった。また,現在経験的におこなわれるラグ値設定については検討が必要である。この問題を可決するには非定常周期信号の非線形予測に対する新しい手法の開発が望まれる。
5結語
接触型センサを開発し評価した。接触型センサの長所としては感度がよいと云われることが多い。センサ感度の評価法として音圧感度を用いた。しかしながら狭窄雑音のような超微弱振動信号の検出には分解能が重要であるといえる。また,生体に接触することにより生体側の振動特性に変化をもたらしている,センサの接触加重による信号変化の問題の解決策の一つとして非接触型センサの開発が考えられる。今後の研究課題である。(本論文の要旨は第36回日本ME学会大会にて発表した。)