2014年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第28号

非接触型中耳可動性測定装置の開発と実用化

研究責任者

小池 卓二

所属:電気通信大学大学院 情報理工学研究科 知能機械工学専攻 教授

概要

1. はじめに
ヒトの耳は外耳、中耳、内耳に大きく分けられる(図1)。外界から外耳道に到達した音が鼓膜を振動させ、その振動を中耳の耳小骨が感覚細胞を有する内耳蝸牛に伝えることでヒトは音を聞くことができる。中耳は3 つの耳小骨と鼓膜、鼓室からなり、耳小骨はツチ骨(Malleus)、キヌタ骨(Incus)、アブミ骨(Stapes)で構成されている。耳小骨は図2 に示すように靱帯や筋腱により鼓室内に振動しやすいよう保持されているため、振動を蝸牛へ効率よく伝達することができる。しかし、耳硬化症や鼓室硬化症等の発症および加齢により、これら靱帯や筋腱の硬化、および耳小骨や鼓膜の固着が生じてしまうことがある。すると、耳小骨連鎖の振動が妨げられ、空気の振動(音)を内耳へと効率よく伝えることができなくなり、伝音難聴が生じる。伝音難聴から聴力を回復させるためには、外科的な手術によって固着を直接取り除き、耳小骨の動きやすさ(可動性)を正常な状態に復元する必要がある。しかし、術式決定に重要な固着部位の特定および固着の程度の判断には明確な基準はなく、医師が術中に針状の器具を用いて直接耳小骨を押し動かすことで可動性を判断している。そのため、経験の少ない医師では固着の状態を正確に判断できず、術後の聴力改善があまり優れない場合は再手術になるケースもある。
現在、レーザー振動計などを用いてナノメートルレベルで耳小骨可動性の計測が可能1)~3)ではあるが、必要な装置を手術室に設置するには、サイズが大きくまたコストがかかることから、術中または日常的に使用することは困難であり、固着した耳の適切な治療法提示に使用するには難しい状況にある。手術の際に、耳小骨可動性を定量的に評価することができれば、どの様な治療を必要とするのか、という術式選定の判断基準となるとともに、術後に使用することによって聴力改善の評価も可能となり、術後成績の向上や再手術の可能性を低減させることが可能となると考えられる。
我々は現在までに術中使用を目的とした接触型の耳小骨可動性計測装置が開発し、耳小骨に直接変位を与え、その反力を計測することでその可動性を計測してきた4)~6)。しかし接触型での計測は、装置を直接耳小骨に接触させる必要がある。耳小骨は小さく壊れやすいため、装置が接触することにより耳小骨や蝸牛を破壊してしまう恐れがある。
そこで本研究では、直接耳小骨に接することなく耳小骨を変位させ、その変位を計測することでその可動性を求める非接触型耳小骨可動性計測装置の開発を行った。
2. 非接触型耳小骨可動性計測装置
非接触型耳小骨可動性計測装置は、耳小骨の変位を計測する非接触変位計測機構と耳小骨に変位を加える耳小骨加振機構からなる。図3 に示すように、耳小骨加振機構により耳小骨を一定の力で変位させ、その変位を非接触変位計測機構にて計測する。
2.1 非接触変位計測機構
非接触変位計測には差動型光ファイバ方式変位計(NANOTEX、ATP-B20)を用いた(図4)。 測定プローブ先端は耳小骨を計測しやすいように、直径1.2 mm、長さ20 mm のものを用いた。測定プローブ内部は、中心に配置された投光ファイバと、それを同心円上に取り囲む2 つの受光ファイバからなる(図5)。投光ファイバのスポット径は、直径0.4 mm である。変位計の光源から投光ファイバに入射した光は、ファイバ内を全反射を繰り返しながら測定端に達し計測対象物に向けて照射される。対象物で反射した光の光環の径は、測定プローブ先端と対象物との距離に比例して変化するため、2 つの受光ファイバに入射する反射光の光量の比も、測定プローブ先端と対象物との距離に応じて変化する。この比を電位として出力することで変位計測を行う。
2.2 耳小骨加振機構
図6 に作製した耳小骨加振機構を示す。本機構はプッシュソレノイドとシリンジ、その先端部に取り付けたチューブとノズルからなり、プッシュソレノイドでシリンジを押すことでノズル先端から空気が噴射され、耳小骨加振を行うものである。プッシュソレノイド(TAKAHA KIKO、CB15670033)とは、電流を流すことでソレノイド内の可動鉄心がスライドするアクチュエータの一種である。プッシュソレノイドのプッシュバー先端に直径50mm、厚さ5 mm の木製の円板を取り付け、木製の土台に固定した。同様に、先端に内径4 mm、外径4.5 mm、 長さ1 m のフッ素樹脂製のチューブと注射針を加工してパイプ状にしたノズルを取り付けた、容量50 ml のシリンジ(Eppendolf、マルチペットプラス4981)も土台に固定した。直流電源(TAKASAGO、KX-210L)を用いて電流をソレノイドに流すことで可動鉄心の位置がスライドし、 プッシュバー先端に取り付けた円板がシリンジを押し、ノズル先端から空気が噴射される。
3. 異なるノズル径における加振力の評価
図7 に示す4 つのノズルを耳小骨加振機構に取り付け校正器の加振を行い、術中使用に適したノズルを検討した。
3.1 計測方法
計測の概略図を図8 に示す。耳小骨加振機構に直径0.65 mm のノズルを取り付けた。評価に用いた校正器を図9 に示す。校正器は厚さ0.3 mm、幅10 mm のアルミ板を、長さ110 mm となるように両端固定したもので、図に示す校正点のコンプライアンスが正常ヒトアブミ骨の値1.4 mm/N、固着ヒトアブミ骨の値0.18 mm/N となっている。この値は、接触型耳小骨可動性計測装置での、実際のヒトアブミ骨可動性計測により得られた値7)を参考にした。光ファイバ変位計(NANOTEX、ATP-B20)の測定プローブをマニピュレータに取り付け、先端を校正器の校正点から垂直方向に0.2 mm 離し固定した。加振機構のノズル先端部も同様にマニピュレータに取り付け、校正点を加振できるように10°傾け、垂直方向に0.2 mm(これをノズル距離と定義する)離し固定した。この状態でソレノイドに24.0 V、7.2 A の電流を流し、空気を噴射させ校正器を加振し、その際の校正器の変位を変位計で計測した。さらに計測により得られた校正器の変位と校正点の既知のコンプライアンスの値から以下の式を用いて校正器に与えた荷重を算出し、加振力とした。
同様に、マニピュレータの微動ねじを用いてノズル先端と校正点とのノズル距離を0.5、1、2、3mm と変化させ、コンプライアンスが異なる2 つの校正点(1.4、0.18 mm/N)で計測を行った。また、加振機構のノズル先端部を直径0.80 mm、直径1.2mm のものと取り換え、さらにノズルを取り付けないチューブのみの状態(直径4.5 mm)でも計測を行った。計測はそれぞれ3 回ずつとした。
3.2 計測結果及び考察
図10 に、ノズル距離0.2 mm における計測結果から算出した加振力を、先端部径ごとに示す。青色の丸は正常時に相当するコンプライアンス値をもつ校正点、赤色の四角は固着時に相当するコンプライアンス値をもつ校正点の各計測における加振力を示し、各線は3 回の計測の平均値を示す。先端部の径が太くなるにつれて加振力は大きくなった。しかし直径1.20 mm、直径4.5 mm では、コンプライアンスが異なる校正点を加振した際に加振力が大きく異なった。本装置は、既知の力を加えた際の耳小骨の変位を計測し、その可動性を計測する。そのため異なるコンプライアンスや計測回数によらず常に一定の力を加えることが可能な装置が必要である。このことから、今回の計測に用いた先端部の中で、耳小骨可動性計測に適するものは直径0.65 mm、直径0.80 mm のノズルである。
この2 つのノズルについて、ノズル距離ごとの加振力の変化を図11 に示す。直径0.65 mm のノズルは、ノズル距離を変化させても加振力のばらつきは0.5 mN 以下となった。ノズル距離を変化させても加振力が変わらないのであれば、実際の耳小骨可動性計測の際に耳小骨から離れたところからの加振が可能となるので、狭い視野の中でも計測が行いやすくなる。そこで、直径0.65 mmのノズルを用いることとした。
4. 変位計測機構と加振機構のプローブ化
臨床応用に向け、変位計測と加振の2 つの機構を1 つのプローブにする際、より視野を確保できるよう加振機構のノズルの固定位置を検討した。図12 に示すように、
(a)変位計測プローブ先端と加振機構ノズル先端を揃えた状態
(b)変位計測プローブ先端からノズル先端を5 mm ひいた状態
(c)変位計測プローブ先端からノズル先端を10 mm ひいた状態
この3 通りで2 つの機構を束ねることでプローブとし、加振力の評価を行った。変位計測プローブ先端と加振機構ノズル先端は図12 に示すようにゴム板で作製したプレートを用いて束ねた。
計測方法は3.1 と同様で、加振力の評価には耳小骨のコンプライアンスと同様の値を持つ校正器を用いた。今回は実際の耳小骨計測により近づくように、校正器の板ばね部分にアブミ骨を模した六角ナット(M2)を取り付け、そのナットを加振した。校正点のコンプライアンスの値は正常ヒトアブミ骨の値2.2、1.3 mm/N、固着ヒトアブミ骨の値0.27 mm/N とした。(a)~(c)のプローブで、コンプライアンスが異なる3 つの校正点について、それぞれ5 回ずつ計測を行った。
図13 に算出した加振力を各校正点ごとに示す。黒色の丸はプローブ(a)、赤色の四角はプローブ(b)、青色のひし形はプローブ(c)の各計測における加振力を、各線は5 回の計測の平均値を示す。3 つのプローブの加振力に大きな差はなかった。計測回数や異なる硬さでのばらつきは1 mN 程度であり、可動性計測に支障のない程度である。このことから、加振力はノズルの固定位置によらないので、より視野を確保できる10 mm ひいて固定したプローブ(c)を用いることとした。
5. ヒト耳小骨の可動性計測
5.1 計測方法
既往歴がなく耳小骨可動性が正常とみられる遺体(86 歳、男性)1 体のキヌタ骨について計測を行った。計測方法を図14 に示す。図15 に示すように、(A) キヌタ骨長脚に沿うように、(B) キヌタ骨長脚を垂直、 (C) キヌタ骨-アブミ骨間の関節(I-S joint)付近を垂直、(D) 計測点(B)と(C)の間を垂直に加振し、可動性を計測した。各計測部位に対して3 回程度計測を行った。なお本計測は、慶應義塾大学医学部内倫理委員会の認可および遺族の承諾のもと行った。
5.2 計測結果及び考察
計測点(A)、(D)で得られた変位計出力波形を図16 に示す。計測点(B)、(C)に関しては信頼のおけるデータが得られなかった。横軸は計測時間、縦軸は変位計から出力される電位を示す。電位が正方向へ移動すると変位計測定プローブ先端から耳小骨が離れていることを示す。図16 から、気流により耳小骨が変位していることがわかる。計測結果より算出したコンプライアンスの分布を図17 に示す。青色の丸は計測より得られた各計測点のコンプライアンスの値を示し、黒線は各計測点でのコンプライアンスの平均値を示す。緑線で囲んだ範囲は、接触型耳小骨可動性計測装置によるアブミ骨固着患者7 名のキヌタ骨コンプライアンス計測結果の範囲を示す7)。なお、接触型耳小骨可動性計測装置によるキヌタ骨コンプライアンス計測は、アブミ骨固着患者を対象としたものであるが、一般にキヌタ骨-アブミ骨間の関節(I-S joint)は可動性がよく、アブミ骨が固着していてもキヌタ骨の可動性に関しては正常耳と近いものと考えられる。本計測と接触型の計測で得られたコンプライアンスを比較してみると、計測点(A)は接触型の範囲内、計測点(D)は接触型での計測よりもコンプライアンスが大きかった。本計測のI-S ジョイントは細くなっており、正常時よりもさらに動きやすい状態にあった。そのため、計測点(D)は接触型の計測結果よりも値が大きくなったと考えられる。計測点(A)は計測点(D)と比べ、ノズルが斜めになった状態で加振したため耳小骨に与えた力が小さく、コンプライアンスが小さくなったと考えられる。これらのことから、本装置を用いてヒト耳小骨可動性を評価可能であるが、耳小骨の計測部位や関節の状態によってコンプライアンスの値は変化することが考えられる。
6. まとめ
術中使用を目的とした非接触型耳小骨可動性計測装置の開発において、耳小骨に既知の力を加え変位させる耳小骨加振機構を作製し、術中において適用可能となるよう改良を行った。また、開発した装置を用いて遺体の耳小骨可動性を計測することで、臨床応用への適用可能性を確認し、以下の結果を得た。
1. 加振機構先端部に直径0.65 mm のノズルを用いることで、計測対象のコンプライアンスやノズルからの距離の違いによらず一定の力を出すことが可能で、その再現性も良かった。
2. 上記の結果より、視野を妨げないプローブを作製可能であった。
3. 非接触型耳小骨可動性計測装置により、接触型における可動性計測のコンプライアンスと同程度の値が得られた。
4. 耳小骨の計測部位や関節の状態によってコンプライアンスの値は変化した。