2001年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第15号

電気的細胞接着度測定法(ECIS)を用いた癌細胞浸潤度に関する定量的検討

研究責任者

野入 英世

所属:東京大学医学部附属病院 腎臓・内分泌内科 助手

概要

はじめに
癌細胞が隣接臓器への浸潤や遠隔臓器への転移を起こし、これが生命予後を決定することが少なくない。癌細胞の悪性度は科学技術の進歩にも関わらず、依然として形態学に依存しており、症例ごとの癌細胞の進展度や転移度の強弱を定量的に検討する方法は確立されていない現状である。一方、臨床の現場では、できるだけ速く、正確に、癌細胞の悪性度を定量的に評価できる方法が要求されている。病理学的診断の迅速性に対する臨床家の不満は根強く、癌細胞組織を提出してから数週間してから詳細なレポートがやっと返却され、その頃には再度癌病巣の進展度評価を要することもしばしば経験される。また、形態的診断の限界は、実際の症例ごとの進展速度を非常に予測しにくいという点である。このような問題点を克服するために、癌組織標本の動的な評価法確立をめざすことが本研究の主な目的である。
Electrical cell-substrate impedance sensing system(ECIS)法はD、細胞動態の微細な変化を電気的に検出しうる大変鋭敏な方法として、近年共同研究者のキース(C. Keese)らによって開発及び確立され、現在我々の研究室で稼働中である。症例ごとの癌細胞組織の浸潤能を解析するには、最大公約数的ないわゆるゲノムプロジェクトによるアプローチのみでは不十分で、より高次元な整合性のとれたホメオダイナミクスからのアプローチ、即ちフィジオーム(physio=life or nature ,omc=as a whole entity)の側面からのアプローチが重要である。このような観点からECISの臨床応用への試みが期待されている。まず、ECISの原理を概説し、現在検討中の細胞浸潤に関するデータ及び、ECISの応用として最近我々のグループが発表した肺微小血管内皮細胞に関するデータを紹介する。
ECISの原理
一定の塩濃度とアミノ酸組成の培養液中では、金電極により一様な交流電流が陽極・陰極間に形成される。ここに細胞が接着すると、細胞は絶縁体となるためこの電流を遮りインピーダンスの変化が生じる。一定条件下では、細胞もしくはcell monolayerが作り出すインピーダンスは一定であるのに対し、これに対する温度・pH・生理活性物質の僅かな変化が、細胞の微小な形態変化を生じるためインピーダンス値の変動として表現されうる。この変動をとらえやすくするために本システムでは微小金電極上に細胞培養する手法をとっている(図1)。
ここで、二つの電極間の大きさを著しく異なるよう設定することで、インピーダンスは電極面積に反比例するため対電極のインピーダンスは完全に無視することが可能で、更に微小電極上の溶液のインピーダンスは電極面積の平方根に反比例するため殆ど無視しうると考えられ、微小電極がRC回路のインピーダンスとなると理論的にみなされる。更に、1megaΩの大きな抵抗を置くことによって、通常lV、4000Hzで細胞に約1μAの微弱な安定した電流が流れる仕組みになっている。
細胞のインピーダンスを特定するために細胞は厚みのない円形体で、細胞下面では電流は放射状に広がり、Z軸方向の電流密度は変わらないものと仮定すると、細胞があることによって電流がどの程度減衰するかを、細胞がない状態での電極固有のインピーダンスとcellmonolayerがある状態でのインピーダンスをオームの法則に基づいて微分方程式に表すことができる(GiaeverandKeeseのPNAS88:7896,1991参照)。この複雑な方程式の解は、実はこれに関わる二つのパラメータによって規定され、それは細胞間隙のresistanceを規定するRbと、細胞の電極面と電極間のresistanceを規定するα(=r(ρ/h)1/2:細胞と電極間の幅(h)、培養液の抵抗値(ρ)、細胞の半径(r))の二つのパラメータである。
実際に電極を予め適切なマトリックスでコートし、細胞のsuspensionを電極のウェル内に入れると、図2のように細胞が電極と接着し更に時間とともに接地面が広がるためインピーダンスが上昇することがわかる。一方、キャパシタンスは細胞の電極面と電極までの高さに相当し、これは細胞と基質の接着がすすむに従って狭くなるため値は減少する。cell suspensionとして電極上にのった状態からまず僅かな数のfocal adhesionが形成される。その段階では細胞接着が生じ始め、インピーダンスとしては値が増加するが、細胞の電極面と電極の隙間ははじめはかなり空いているためキャパシタンスとしては時間と共にむしろ低下を示すことになる。我々が普段顕微鏡下で観察しているのと同様に、時間とともにfocal adhesionの数が増し、安定に電極面へ細胞が接着し、定常状態へ至る状態を反映している。
癌細胞浸潤モデルへの応用
癌細胞が疑われるヒト組織での解析の前実験として、大腸癌由来の不死化培養細胞であるDLD-1、Colo320を用いた実験、ラット腸管上皮細胞での実験を行なってきた。本システムでは、特に臓器を選ばないが手始めに消化器系細胞で行ってみることにした。ちなみに血液系浮遊細胞でも測定可能である。
DLD-1とColo320は、いずれもヒト大腸癌由来の細胞株であるが、その形状はかなり異なっており、DLD-1は約8割は接着型の形態をとるのに対して、Colo320は5割以上が浮遊状態で増殖する。血管内皮細胞を電極上へ予め培養しておき、そこへDLD-1もしくはColo320を入れ、co-cultureとして血管内皮細胞へ接着する時間的な早さ、接着のパターンを割り出すことができないかを検討した。当初実験計画した時点では、Boydonchamberによるmigrationassay法を基本にして行う方法を提案したが、この方法では培養細胞系で取り扱うには煩雑な割に安定した情報量が少なかった。そこで単純に重層する方法でのco-culture法で検討を継続した。図3Aに示したようにいずれの細胞もきわめて早い速度で血管内皮細胞に接着し、インピーダンスは増加することが分かる。
しかし、初期の浮遊細胞が血管内皮細胞へ接着していく時相が終わってからが両細胞の特徴を示していると考えられる。Colo320は血管内皮細胞に重層しているだけで、特に血管内皮細胞への影響がないためインピーダンス値は、いったん上昇した値をそのまま保つパターンになる。一方、DLD-1ではインピーダンスは一旦上昇したあと下降し、ほぼもとの血管内皮細胞層だけの場合のレベルまで戻る。これはDLD-1が血管内皮細胞が形成するcell monolayerの細胞間隙へ分け入っていく過程を示していると考えられ、血管内皮細胞層を越えて血管外へ出ていく能力としてはDLD-1のほうがはるかに高いことが分かる。実際、顕微鏡下で確認してみると、図3Bに示したようにColo320細胞は血管内皮細胞上に乗っているだけの状態であるのに対して、DLD-1細胞は血管内皮細胞間隙へ入り込んでいるのがわかると思う。更に、DLD-1をanti-HCAM(homing cell adhesion molecule)Abによって刺激すると、癌細胞の細胞浸潤能をup-regulateしうるCD44の細胞表面への発現がn進するが(CD44陽性DLD-1細胞)、ECISでCD44陽性細胞と対照群(DLD-1細胞)を比較すると、図4のようにCD44陽性DLD-1細胞のほうが迅速な細胞接着能を獲得していることが分かると思う。
実際の組織の転移能や悪性度を検討する場合、少量の組織から情報を得る必要があるため、少量の胎児ラットの腸管上皮細胞を採取しこれをECIS上で計測を試みた。ECISの細胞接着を経時的に測定するattachmentモードで安定した検討を行うには、細胞の大きさにもよるがある程度の細胞数を要する(lx105程度)。生検で得られる細胞数はなかなかこの数字を達成することができず、本システムでの計測は無理と考えられた。しかし、電極のサイズの差を損なわずに微量な細胞数を計測しうる方法として、1-2%程度のagaroseにより微小電極周囲を囲ってやればよいことが最近分かった。この方法では、attachmentモードでの通常の計測は可能であるが、cell monolayerを作っておいてこれに対する接着をみる場合には、まだ若干の問題点があり検討中である。
肺微小血管細胞への応用2)
肺微小血管内皮細胞は、肺胞腔内と肺動脈血のガス交換能に寄与しながら問質への溶質や体液の漏出を防ぐという、いわゆる離れ業を成し遂げている細胞であり、この細胞の機能障害に伴う血管透過性の充進が、成人呼吸促迫症候群(ARDS)などの重篤な病態と関連していると考えられる。近年血管内皮細胞の形状やgap junctionが血管内皮細胞のバリアー機能を形成しており、細胞同士が作り出すダイナミックな求心性及び遠心性な力がこれに寄与しているという考え方が提案されている(Lum H & Malik AB: Am J Phyiol 267: L223, 1994; Moy AB, et al: JCI 97: 1020,1996)。更に、細胞内Caやprotein kinase、炎症のメディエーターであるブラジキニン・ヒスタミン・血小板活性化因子(PAF)がこれに寄与していることが示唆されている。特に細胞内Ca濃度は血管内皮型一酸化窒素合成酵素(eNOS)の活性を上げる重要な因子であり、血管内皮細胞のバリアー機能が修飾された際産生されると考えられるNOが肺微小血管内皮細胞の接着にどのように影響するかをECISを用いて検討した。
図5に肺微小血管内皮細胞のcell suspensionが接着していくモードでのNOの関与を検討した結果を示す。細胞へ作用するNO量を外的(Sper-NO,SNAP)、内的(L-Arg)に増加させてやると安定した接着状態に到達する時間が延長することが分かった。また、肺微小血管内皮細胞cell monolayerを電極上に形成してから同様の実験を行うと、一時的に細胞接着へ干渉作用を示し、インピーダンスが一過性に低下することが分かった。同様の観察はthrombinでも認められ、これをeNOSの開始コドンと5'-untranslatedregionに対するアンチセンスオリゴデオキシヌクレオチドを用いてブロックすると、図のように細胞接着の一時的な低下が減弱することが分かった。このようなNOの作用を特定することはできてないが、可能性としてまずインテグリンβサブユニットのいわゆるfour cystein-rich repeat構造がターゲットとなりうるため、この部分のsulfhydryl基やS-S結合がnytrosylationを受けるのではないかと推察される。また、このような細胞外ドメインに対してインテグリンの細胞内ドメインでのチロシン燐酸化に関わる経路にもNOは関与している。これは、種々のgrowth facotor受容体とNOがfocal adhesion部位に会合し、その部分だけにチロシン燐酸化の効果を発揮するのに好都合な設計となっているのではないかと考えられている。実際、NO donorとヒト膀帯静脈血管内皮細胞を用いた報告では、focal adhesionでのチロシン燐酸化の減弱とそれに伴うpaxillinのclusteringの低下が示されている。更に、軟骨細胞でも、NOによりfocal adhesionのみならずactin stress fiberの形成も障害されることが報告されている。
ECISで検出し得た肺微小血管内皮細胞でのこのようなNOの細胞への関与は、近年我々が提唱したphodokinesis3)という垂直方向への細胞運動の一環であり、局所での生理的な微調整に関わっているものと考えられる。
おわりに
我々が日常医療で医療機器を使って診断を下していく過程を考えてみると、CT・MR+シンチグラフィーなど人体をグローバルにスクリーニングしていく過程と内視鏡・カテーテル検査・組織生検など臓器へ絞り込んで検査を進めていく過程に大別される。一方、細胞機能に対する生理学的実験系の確立は1980年代に精力的に行われ、パッチ・クランプ法やマイクロ・パーフユージョン法など非常に精巧な手法が確立されている。このような手法と比較するともう少しマクロなレベルで、日常医療では前者に相当するような細胞全体の機能が割り出せ、熟練を要さずグローバルにスクリーニングできる機器の出現が望まれていた。ECISはこのような分野を埋める測定機器として注目を集めており、重要な役割を担いつつある。