1994年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第08号

電気化学発光法を用いた生体内物質の連続計測技術の開発

研究責任者

酒井 清孝

所属:早稲田大学 理工学部 応用化学科 教授

共同研究者

金森 敏幸

所属:早稲田大学 理工学総合研究センター 特別研究員

共同研究者

吉見 靖男

所属:早稲田大学 理工学部 応用化学科 助手

概要

1.まえがき
生体内の生化学物質量の変化を監視することは,患者の様態の変化を把握し,最適な治療を施すために重要である。生化学物質量監視のためには血液や組織液などの体液の生化学物質濃度の連続測定が不可欠である。監視の目的は体内の生化学物質量の相対的な変動の検知である。したがって,監視用の連続測定技術には,検査用分析装置ほどの精度は要求されないが,同一濃度の試料に対する経時的なデータの再現性,すなわち測定の高い安定性が要求される。また監視法には患者からの連続的な,あるいは頻繁な体液採取が不可欠である。したがって長時間にわたって監視を行うためには体液の消費量を極力抑えるべく,微量の体液試料の生化学物質濃度を正確に定量する能力が連続測定法に求められる。
生化学物質を特定の酵素で過酸化水素に変換し,3一アミノフタルヒドラジド(ルミノール)と反応させ,生ずる光の強度を計測する方法,すなわち化学発光法は,高感度な生化学物質定量法としてよく知られている。この方法を用いれば,微量な体液試料を希釈して分析することにより,その生化学物質濃度が測定できる。この化学発光法はすでに微量な試料の検査法として実用化されているが1),過酸化水素溶液とルミノール溶液の混合の状態の影響を大きく受けるため,安定性の高いデータを得ることが非常に困難であり,いまだに生体内生化学物質量監視への応用例は皆無である。我々はルミノールと過酸化水素の電気化学反応によって生ずる発光(電気化学発光)の強度から過酸化水素を定量するVan Dykeの方法2)を改良し,過酸化水素溶液とルミノール溶液を完全に混合した後で,発光反応を開始させることが可能な化学発光法(電気化学発光法)を開発した。電気化学発光は,現象としては古くから知られていたが3・4),過酸化水素の定量法として用いられた例はVan Dykeの研究のみである。溶液を完全混合して透明電極を用いて過酸化水素を定量する方法の感度,および安定性について検討した結果を報告する。
2.内容および成果
2.1実験方法
作成した電気化学発光フローセルをFigure1に示す。透明電極(旭硝子,東京)を作用電極(陽極)および窓板として用いた。用いた透明電極は表面をスズとインジウムの酸化物で修飾することによって導電性を与えられたガラス板であり,金と比較すると酸化による劣化を起こしにくく,陽極としての安定性に優れている。したがってこのフローセルは作用電極に金の網を用いたVan Dykeのフローセルよりも安定性が優れている。また透明電極の透過性は金属よりも遙かに高いため,反応で生じた光を効率よく検出できる。対極としてはステンレスチューブ(内径0.8mm,長さ10cm)を用いた。反応室の,長さは24mm,幅は2mm,厚みは2mm,容積は48μ1とした。有効な作用電極の面積は48mm2であった。この電気化学発光フローセルをFigure2のように二重の暗箱の中に設置して,電気化学発光検出器を作成した。フローセルから発せられた光の強度は,-990Vの電圧を印加された光電子増倍管(R269,浜松ホトニクス)によって光電流の強度に変換された。光電流の大きさはデジタルピコアンメーター(AM-27A,東亜電波)で測定した。作用極の電位はポテンシオスタット(HA-501,北斗電工)によって参照電極としての飽和カロメル電極に対して0.40Vに保った。飽和カロメル電極は電気化学発光検出器から排出された試験液の中に浸漬された。ポテンシオスタットの暴走を防ぐために,作用極と対極に接続された電極も同様に排出された試験液の中に浸漬した。配管には内径1mmの塩化ビニールチューブを用いた。すべての実験の操作温度は298±1Kで,気圧は1atmに設定した。
ルミノール(和光純薬)0.69と炭酸ナトリウム21.29は約200mlの純水で溶かし,全容積が2000mlになるまで定容した。この溶液はルミノール濃度が1.7mMで,pHは298Kにおいて10.8になった。ルミノール溶液は,3日間冷蔵し,化学的に安定化してから実験に使用した。
市販の過酸化水素溶液(三菱瓦斯化学工業)は,予め過マンガン酸カリウムの滴定によって正確な濃度を測定した。この市販の過酸化水素溶液を希釈することによって,1~100μMの範囲の任意濃度の過酸化水素標準液を調製した。
過酸化水素標準溶液と1.7mMのルミノール溶液はFigure3に示す様に連続的に混合しながら電気化学発光フローセルの中に流入した。ルミノールと過酸化水素の溶液は合流した後,コイル状に巻かれた長さ100cm,内径1mmの塩化ビニールチューブの中を通過し,完全に混合された。試験液の供給にはペリスタリティクポンプ(SJ-1220,ATTO)を用い,供給速度は過酸化水素側を1.2ml/min,ルミノール側を1.3ml/minとした。作用極電位を飽和カロメル電極に対して0.40Vに設定して,本法による過酸化水素濃度測定可能範囲を評価した。
2.2過酸化水素濃度と電気化学発光強度
過酸化水素濃度と電気化学発光強度に相当する光電流強度の関係をFigure4に結果を示す。0~10μMの範囲の過酸化水素濃度と電気化学発光強度において,良好な直線関係が確認された(相関係数0.998)。過酸化水素定量可能範囲は1.0~10μMと判断した。この結果は,もし試験液中のグルコースを100%過酸化水素に変換する反応器をこの装置に接続すれば,電気化学発光強度の測定によって20~200μg/dlのグルコースが定量できる。このグルコース濃度範囲は血糖値過剰状態および正常状態における糖尿病患者の血漿の濃度範囲(50~500mg/dl)の2,500分の1に相当する。したがって,採取される血漿を2,500倍に希釈して,血漿中のグルコースを完全に過酸化水素に変換し,過酸化水素を本装置で定量することにより,糖尿病患者の血糖値管理を少ない血液採取量で連続して行うことができる。この様に,本装置はわずかな体液採取量で体内の生化学物質量を監視できる連続測定装置として期待できる。また電気化学発光強度の測定を1minごとに20回サンプリングした結果,測定値の変動係数はすべて1.4%以下であった。この測定値の変動は,ほとんど電流に対する電気ノイズによるものであり,電気化学発光の強度は非常に安定している。
しかし,過酸化水素濃度が0μMの場合でも,無視できない強度の電気化学発光(バックグラウンド発光)が検出された。したがって,低濃度範囲の過酸化水素濃度を決定するためには,測定された発光強度から,バックグラウンド発光の強度を差し引いて補正しなければならない。その際,バックグラウンド発光が大きいと,その測定値の変動が過酸化水素濃度測定値に影響を与える。そこで以降,バックグラウンド発光の変動が過酸化水素濃度に与える影響を小さくする,あるいはバックグラウンド発光の強度を抑えるための操作条件を検討した。
2.3バックグラウンド発光強度と試験液中溶存酸素濃度の相関
1.7mMのルミノール溶液の溶存酸素濃度を溶存酵素メーター(DO-25A,東亜電波,東京)で測定しながら電気化学発光検出器へ流入させ,バックグラウンド発光強度と溶存酸素濃度の相関を調べた結果をFigure5に示す。溶存酸素濃度が増大するにつれてバックグラウンド発光が増大する。この結果よりバックグラウンド発光は,ルミノールと溶存酸素の電極反応によって生じた発光5)であることが判明した。本実験の操作条件である気圧1atmで温度298Kにおいては試験液中の溶存酸素濃度は通常約3mMであり,バックグラウンド発光の強度はほとんど飽和に達しているため,溶存酸素濃度の影響は大きくない。そして過酸化水素の濃度に影響を与えずにバックグラウンド発光の強度が無視できる程度になるまで溶存酸素を試験液から除去することは技術的に困難である。また溶存酸素は生化学物質を過酸化水素へ変換するのに必要なため,生化学物質の定量を目的とした場合,溶存酸素を試験液から除去することはできない。したがって,電気化学発光によって,信頼性のある過酸化水素濃度の測定値を得るためには,バックグラウンド発光の強度を頻繁に計測し,補正して過酸化水素濃度を決定する方法が望ましい。
2.4作用極の至適電位の決定
安定した過酸化水素定量を高感度で行うためには,過酸化水素に由来する発光(シグナル発光)の強度およびバックグラウンド発光の強度が,安定して測定できるだけの充分な大きさをもち,かつシグナル発光の強度が,バックグラウンド発光の強度に比べて充分大きくなければならない。この二つの条件を満たす作用極電位を求めた。0μMあるいは100,uMの濃度の過酸化水素溶液と同体積の1,7mMルミノール溶液をビーカーの中で完全に混合したあと,任意の作用極電位に設定した電気化学発光検出器へ2.5ml/minの流量で流し,それぞれバックグラウンド発光強度およびシグナル発光の強度を測定した。
バックグラウンド発光およびシグナル発光の作用極電位依存性をFigure6に示す。バックグラウンド発光,シグナル発光とも飽和カロメル電極に対して0.40Vで検出に充分な発光強度を示した。バックグラウンド発光強度に対するシグナル発光強度の比率の作用極電位依存件夕Figure7に示す。シグナル発光/バックグラウンド発光の比率は,飽和カロメル電極に対して0.25Vで極大値を持ち,その電位以上では,比率は電位の増加にともなって減少することが分かった。以上の結果から我々は至適電極電位を飽和電極に対して0.40Vと決定した。この電位はFigure4に示した過酸化水素濃度と電気化学発光強度の相関を確認した実験の操作条件である。
3.結論
高感度でしかも安定性に優れた過酸化水素の連続定量はルミノールと過酸化水素の十分な混合の後で,透明の導電性ガラスを作用電極に用いて電気化学発光を生じさせ,導電性ガラスを通して,その強度を測定することで可能である。この方法によって,患者からの微量な体液採取で信頼性の高いデータが得られる理想的な体内生化学物質濃度の連続および常時の測定技術の実現が期待でき,監視にも応用が可能である。