2013年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第27号

電気化学イメージング技術を応用した超高感度細胞呼吸機能診断装置の開発

研究責任者

阿部 宏之

所属:山形大学大学院 理工学研究科 バイオ化学工学専攻 教授

共同研究者

珠玖 仁

所属:東北大学大学院 環境科学研究科 環境科学専攻 准教授

共同研究者

青柳 重夫

所属:北斗電工株式会社 研究開発部 担当部長

共同研究者

宇津宮 隆史

所属:セント・ルカ産婦人科 セント・ルカ生殖医療研究所 理事長

概要

1.はじめに
1978年に体外受精一胚移植によって初めて妊娠・分娩に成功して以来、体外受精技術は不妊治療の最も有効な治療法となっている。これまでに世界中で約440万人が体外受精により誕生しており、この科学的・社会的貢献によりヒト体外受精技術の開発者であるロバート・G・エドワーズ博士に2010年ノーベル医学・生理学賞が授与されている。現在、国内では体外受精などを用いた不妊治療によって年間2万人以上が誕生しているが、治療成功率の低迷(約18%)が大きな課題となっている。この原因の一つとして、不妊治療に供する胚の選択法に問題があると考えられている。胚の品質は妊娠率に大きく影響することから、不妊治療において質的に良好な胚を効率的に選択できれば、胚移植による妊娠率の向上や単一胚移植による多胎妊娠の減少等の効果が期待できる。
現在、胚の品質は割球の数や形態を基準に評価されているが、このような形態的特徴は定量性に欠けるため判定基準が観察者の主観に左右される可能性が指摘されている。これまでに我々らは、胚のクオリティー(発生能や耐凍能)とミトコンドリア呼吸機能が密接に関係していることを発見し、ミトコンドリア呼吸は受精卵の品質評価の有効な指標になることを明らかにしている1~3)。これらの研究成果を基に我々は、精度の高い細胞呼吸計測技術は細胞の機能解析やクオリティー評価、ミトコンドリア呼吸機能障害に起因する疾患の診断などの有効な方法になることを世界に先駆けて提唱している4)。この発想を具体化するために、高感度・非侵襲的に生体反応をモニタできる電気化学計測技術を基盤とする細胞呼吸計測技術の研究開発に取り組んできた。
電気化学計測(イメージング)法はプローブ電極による酸化還元反応を利用し、局所領域における生物反応を電気化学的に検出する技術である5・6)。最近、電気化学計測の有効な装置としてマイクロ電極を探針とする走査型電気化学顕微鏡(scanning electrochemical microscopy SECM)が注目されている。SECMの空間分解能は探針であるマイクロ電極径に依存するため原子や分子レベルの解析は困難であるが、局所空間での化学反応の評価やイメージング、生体材料を用いたリアルタイム解析や化学反応誘起が可能であることから、局所領域の電気化学センシングなど種々の系で用いられている9~12)。例えば、酸素の還元電位を検出できるマイクロ電極を用いることで細胞の酸素消費量(呼吸)を高感度・非侵襲的にリアルタイムで測定することができる(図1)。これまでに我々は、SECMを用いた細胞呼吸活性測定技術の開発に成功している13・14)。
本研究では、SECMをベースに、医療にも応用できる「超高感度細胞呼吸測定システム」の開発を目的とした。本稿では、開発した測定システムの概要と、この測定システムを応用した新しい受精卵品質評価技術に関する研究成果を紹介する。
2.細胞呼吸測定システムの開発
従来、SECMは微量な酸素消費を検出できることから、金属錆の検出装置として用いられてきた。本研究では、従来型SECMを生物試料、特に受精卵の呼吸計測に応用するために、呼吸測定に関連した要素技術の開発を行った。具体的な研究として、(1)超高感度マイクロ電極、(2)非侵襲測定液、(3)多検体測定プレート、(4)呼吸解析ソフトウェアなどの要素技術を開発し、SECMをベースにこれら要素技術をシステム化した「細胞呼吸測定システム」を製作した。この測定システムの有用性を評価するために、受精卵に対する侵襲性の有無を調べ、細胞呼吸機能診断システムとしての安全性を検証するとともに、不妊治療における臨床応用の可能性を調べるための探索的臨床研究を行った。
2.1高感度マイクロ電極の開発
本研究では、単一受精卵の呼吸計測を実現するために、酸素還元条件下(-0.6V荷電下)において還元電流一1.1以下の感度を有するマイクロ電極の作製を試みた。従来から用いているマイクロ電極の感度を向上させるために、白金電極の電解エッチング、白金電極をガラスキャピラリーに封入するための熱封止、及び封止後の電極研磨のそれぞれの工程を改良した結果、-1.OnA以下の感度を有するマイクロ電極を安定的に作製できるシステムを構築することができた(図1)。電極サイズが酸素消費量計測に及ぼす影響について検討した結果、単一の細胞及び受精卵の呼吸量計測に適した電極サイズは、白金先端径が2~5?mであることが明らかとなった(図2)。
2.2非侵襲的呼吸測定液の開発
高精度の電気化学計測は、呼吸測定に用いる溶液中の電解質組成やタンパク質によって計測感度が影響を受ける可能性がある。本研究では、2.1で作製したマイクロ電極を用いて、成分組成が異なる数種類の培養液中での計測感度の解析を行った。その結果、TCM199、DMEM、RPMI1940など一般に細胞培養に用いられている培養液を測定に用いた場合、測定開始直後に還元電流が急速に低下し、測定開始約30分後には測定が不可能になった。一方、受精卵の培養に用いられ、比較的単純な組成であるHTF(human tubal fluid)培地を測定液として用いた場合、長時間にわたって安定した還元電流を計測することができた。そこで、本研究ではHTF培地を基本とする呼吸測定液を製作した。
2.3多検体呼吸測定プレートの開発
従来の測定では、ホールディングピペットを用いて測定試料(受精卵)を保持していた。しかし、この方法は計測操作が煩雑で走査型電気化学顕微鏡の実用化の大きな障害となっていた。測定システムの医療応用を可能にするためには、迅速な測定が不可欠である。そこで本研究では、短時間で複数試料の呼吸計測を可能にするために、底面に6個のマイクロウェルを施したポリスチレン製多検体プレート(図4)を製作した。ウシ受精卵の呼吸測定により操作性と機能性を評価した結果、マイクロウェル内への受精卵の導入・設置から測定までの一連操作を受精卵1個あたり呼吸測定に要する時間は概ね2分以内であった(従来は10分程度)。
2.4細胞呼吸測定システムの製作
2.1と2.3で製作したマイクロ電極および多検体プレートを設置するためのステージとマイクロ電極を1ミクロン単位で走査するためのマイクロ電極自動駆動装置を製作し、倒立型顕微鏡のステージ上に設置した(図5A)。
呼吸計測操作の簡易化と解析データの安定化を目的に、専用の呼吸解析ソフトを開発した。従来のソフトではマイクロ電極の走査は全てマニュアル方式であったが、マイクロ電極の移動を半自動化したソフトを開発した。これにより、マイクロ電極の試料近傍への移動の簡便化や移動操作中におけるマイクロ電極の破損防止効果が向上した。また、試料を入れていないウェルで測定されたバックグランド測定値をデータ補正に活用できる新しい機能を追加した呼吸解析ソフトを作成した。これにより、測定データの信頼性が飛躍的に向上した。
SECMをべ一スに、本研究で開発した(a)高感度マイクロ電極、(b)非侵襲呼吸測定液、(c)多検体測定プレート及び(d)呼吸解析ソフトの要素技術をシステム化した「細胞呼吸測定システム」を製作した(図5B)。
3.受精卵品質評価システムの開発
3.1呼吸測定によるウシ胚の品質評価
2.3で製作した呼吸測定液を用いてウシ受精卵の呼吸量を測定し、受精卵に対する侵襲性の有無を調べた。呼吸測定後の受精卵を追加培養し発生率の変化を調べた結果、対照区(呼吸測定を行わなかった受精卵)と比べて胚の発生率の低下は起こらず、電子顕微鏡観察によっても細胞膜や細胞小器官などに損傷は認められなかった。これらの結果から、HTF培地をべ一スに製作した測定液は胚に対して非侵襲的であり、高感度の電気化学呼吸測定に有効であることが示された。
2.4で製作した「細胞呼吸測定システム」の性能を評価するために、ウシ胚の呼吸量を測定した。体外成熟・体外受精により作出したウシ胚の発生過程における呼吸量を測定した結果、桑実胚から有意に呼吸量が上昇し、卵孚化胚盤胞において最大になった(表1)。さらに、呼吸活性の変化とミトコンドリアの関係を調べるために透過型電子顕微鏡により胚発生過程におけるミトコンドリアの微細構造変化を解析した。その結果、呼吸量が増加する桑実胚期から胚盤胞期にかけてミトコンドリアの顕著な発達が観察され、呼吸量の増加とミトコンドリアの発達が一致することが明らかになった(図6)。この結果から、「細胞呼吸測定システム」はミトコンドリアの呼吸機能を高精度で検出できる有用な装置であることが示された。
呼吸活性を指標とする受精卵品質評価システムの有効性を検証するために、「受精卵呼吸測定装置」により呼吸測定したウシ胚の胚発生能を調べた。受精6日目の桑実胚の呼吸量を測定した後、IVD101培地を用いて5%CO215%02190%N2、38.5℃の条件で3日間個別に追加培養を行い、胚盤胞数及び卵孚化胚盤胞数を調べた。その結果、呼吸量が1.0×1014/mol・S-1以上の胚では胚盤胞発生率(89.3%)及び卵孚化胚盤胞率(62.5%)が最も高く、呼吸量が低下するに従い胚盤胞発生率及び卵孚化胚盤胞率が低下することが明らかになった(表2)。
次に、北海道立畜産試験場の協力を得て、胚の呼吸活性と妊娠率の関係を調べた。人工授精した牛の子宮から胚を回収し、それらの胚から一部の割球を採取しLamp法により性判別した。その後、1日間回復培養を行った後、形態観察により生存が確認された胚の呼吸量を測定し、借腹牛の子宮に移植し、超音波検査により受胎の有無を調べた。その結果、移植時の発生ステージが桑実胚、初期胚盤胞及び胚盤胞の胚において、移植前の呼吸量が基準値以上(胚盤胞で1.0×1014/mol・sec-1、初期胚盤胞で0.8×1014/mo1・sec-1、桑実胚で0.5×1014/mol・sec'1)の胚を移植した場合、58.3~64.0%の非常に高い妊娠率が得られた。一方、基準値に満たない胚のほとんどは受胎しなかった。これらの結果から、受精卵の品質(発生能、受胎能)と呼吸活性との関係が明らかとなり、呼吸活性を指標とする受精卵品質評価の有用性を確認することができた。また、呼吸測定した胚の移植により得られた児において奇形などの異常はほとんど確認されていないことから、「細胞呼吸測定システム」は安全性の高い測定装置であることが示された。
3.2細胞呼吸機能診断システムの医療応用
「細胞呼吸測定システム」の医療応用を目指し、ヒト胚の呼吸量計測とミトコンドリア呼吸機能評価への応用を試みた。我が国では、ヒト余剰胚及び卵子を研究試料として用いる場合、研究実施に際しては当該研究機関における倫理委員会の承認を受ける必要がある。本研究の実施にあたっては、山形大学及びセント・ルカ産婦人科において、学術研究への使用に関して患者の承諾が得られた余剰胚に限って研究に用いた。また、日本産婦人科学会が定める「ヒト精子・卵子・受精卵を取り扱う研究に関する見解と、これに対する考え方:日産婦誌54巻2号付録pp.2-3」において、(1)精子・卵子は、提供者の承諾を得たうえ、また、提供者のプライバシーを守って研究に使用することができる、(2)受精卵は2週間以内に限って、これを研究に用いることができる、という条項に従うことで、本研究では倫理的な問題は一切生じていない。
患者から学術研究への使用の承認が得られたヒト余剰胚の呼吸量を測定した結果、「細胞呼吸測定システム」によって単一のヒト胚の呼吸量を高感度で検出することができた(表3)。ヒト胚では、ウシ胚と同様に発生の進行に伴い呼吸量が大きくなること、また、ミトコンドリアの発達と呼吸量の増加が一致することが示された(図7)。さらに、体外受精3日目(Day3)の胚の呼吸量を測定し、個々の胚の追加培養を行った結果、呼吸量が基準値内の胚は胚盤胞への発生率が高い傾向にあることが示された(表4)。これらの結果から、細胞の呼吸活性を指標にヒト胚の品質評価が可能であることが示唆された。
4.まとめ
本研究では、走査型電気化学顕微鏡をベースに医療現場において使用できる「細胞呼吸機能診断システム」の開発と呼吸活性を指標とする受精卵品質評価技術の確立を試みた。その結果、電気化学計測技術を基盤とする要素技術として、(a)超高感度マイクロ電極、(b)非侵襲呼吸測定液、(c)多検体測定フ゜レート、(d)呼吸解析ソフトを確立した。これら要素技術と走査型電気化学顕微鏡をシステム化した「細胞呼吸測定システム」を製作することに成功した。ウシ胚及びヒト胚の呼吸量測定とミトコンドリア呼吸機能の生物学的解析による測定システムの性能評価と細胞呼吸機能診断における有効性を検証した結果、本研究で開発した細胞呼吸測定システムはミトコンドリアによる細胞呼吸を高精度・無侵襲的に解析でき、呼吸活性を指標とするヒト胚の品質評価にも応用できることが示唆された。