1998年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第12号

電子計測技術を用いた血液中甲状腺悪性腫瘍特異抗原定量系の開発

研究責任者

須川 秀夫

所属:京都大学大学院 医学研究科 臨床生体統御医学講座 講師

共同研究者

赤水 尚史

所属:京都大学大学院 医学研究科 臨床病態医科学 助手

共同研究者

小森 優

所属:京都大学医学部付属病院 医療情報部 講師

共同研究者

上田 路子

所属:京都大学大学院 医学研究科 臨床生体統御医学 研究生

概要

1.まえがき
甲状腺腫瘍は,内分泌臓器に発生する腫瘍の中でも多くの比率を占め,種々の画像診断9細胞診等に基づいて総合的に診断され,その診断精度も向上してきている。しかし,濾胞癌,腺腫,腺腫様甲状腺腫などの鑑別においては,術前診断の決め手に欠け,良悪性の判定できないことが少なからず見受けられる。病態研究からの成績も,血中サイログロブリン(Tg)濃度での悪性良性鑑別については,不可能であるという見解であり,Tg分子構造の違いについても,実際の臨床応用は困難な状態である。モノクローナル抗体を用いた鑑別診断の試み1?もあるが,これらはいずれもTgに対する抗体であって未分化癌に対する反応性はない。とくに,濾胞癌は,血行遠隔転移性の高い悪性腫瘍であり,転移前の原発巣での診断が病気の予後を改善する上でもきわめて重要である。TCM-9は我々の樹立した独自のモノクローナル抗体であり,その認識する抗原は甲状腺濾胞癌,乳頭癌,未分化癌,一部の異型法の強い腺腫の組織内及び担癌患者血中にも検出されることが明らかとなっている2)。しかし,この抗体によって認識される腫瘍特異的抗原は,流血中では極めて希薄であることや,種々の干渉物質を排除する前処理が必要とれされること,更には特異抗体がTCM-9の1種類しかない事などから,従来の技術を用いたラジオイムノアッセイ法で行う事は不可能であった。本研究では,この甲状腺癌に特異性の高いモノクローナル抗体TCM-9を用いたマススクリーニング法を光学的手法を用いて開発する事を試みた。
2.成果
1)標準抗原を用いた定量系の作成
モノクローナル抗体TCM-9を用いて甲状腺癌組織を免疫組織染色すると,ガン細胞の細胞質内に抗原の局在を認める(図1)。この抗体に交差反応するものとしては,還元剤処理したヒトTg3)や甲状腺癌細胞抽出細胞質蛋白を利用できる。後者の希釈系列を作成し,50ulずつの溶液をニトロセルロース紙に捕獲しTCM-9と反応の後,二次抗体を用いた発色量を定量した(図2)。2000倍希釈液から50万倍希釈液の範囲において,発色量と希釈液濃度に良好な用量反応性を認めた。よって,安定した標準抗原を作成できれば,定常的な測定が可能となることが確認された。
甲状腺低分化癌細胞株SW579(poorly differentiated thyroid adenocarcinoma,徳島大学吉本勝彦博士より供与)を用いて,その細胞質分画をDE52-Celluloseカラム(Whatman),SephadexG100カラム(Pharmacia)で分画し,TCM-9の結合分画を精製した。培養皿10枚由来SW579細胞(湿重量300mg)の細胞質内可溶性総蛋白量は4900μgであり,DE52カラムの回収分画時で1740μgの蛋白分画となり,G100カラムによるゲル濾過回収分画中にまで9抗原は精製できた。この時点での最終回収量は,456μgであり,TCM-9認識抗原は細胞質内に比較的豊富に含有されていると考えられた。分子量は約68Kで,還元剤の添加の有無による分子量の変化はなく,単門蛋白質と考えられた。バセドウ病甲状腺組織から精製したTgとは,分子量(320K),還元剤による分子量の変化等の点からも異なる蛋白質であると思われるが,両者の関連性については,引き続き生化学的解析が必要と思われた。ただ,この精製タンパク質を緩衝液中で4℃保存した場合,抗体反応性が24時間で60%以下に低下し,抗原性の変性,減弱が極めて早く進行すると推定された。標準抗原として応用していく上では,まだ多くの問題点を解決することが必要とされる4)。
2)血液中抗原の定量
被検血清を測定していく上で,日差再現性に問題点が残っているため(上述),保存血清をまとめて同日に測定,比較した。得られた発色量は疾患別に集計した(表1)。濾胞癌,乳頭癌を有する患者の血清の多数にTCM-9反応性が得られている。しかし,腺腫様甲状腺腫をはじめとする多くの良性疾患患者由来の血清でも,高いTCM-9反応性が認められた。特に良性腫瘍患者のうちで血液中Tg濃度の高いものにおいてTCM-9結合活性が高く,変性Tgによる干渉3)は従来からの予想以上に大きく,血液診断におけるTCM-9の特異性が低下する大きな原因になると考えられた(図3)。Tg分子が,非常に変性しやすく,容易にfragmentationを生じる事は多くの論文で発表されているが,その上に存在する糖鎖は比較的安定に保存されていると考えられる。よって,報告されている糖鎖構造に基づいて5), Concanavalin A, Wheat germ agglutinin, Soybean agglutinin,RCA120等のレクチンカラムを用いて,変性Tgと本来のTCM-9認識抗原を分画する事を試みた。一番良好な成績と思われたのは,RCA120カラムによる分画である(図4)。腺腫様甲状腺腫と乳頭癌患者で血中Tgが高値な症例の血清をRCA120カラムにて分画したところ,0-30mMlactoseで溶出されてくる分画と60mM以上のlactoseで溶出される分画に主たるタンパク質を回収した。
前者はTg抗体と反応性が高く,後者は反応性が低いことから,Tgの主分画は30mMのlactose溶出分画に回収さるさと判断された。TCM-9の結合活性はこの2つの分画のいずれとも反応したことから,前者は変性Thyroglobulin由来のTCM-9干渉分画と推定された。よって,後者分画が甲状腺癌特異抗原分画に相当すると期待された。
3)甲状腺患者血清中TCM-9結合活性の光学的測定
患者血清をレクチンカラムで前処理し,それに対するTCM-9反応性を調べた。対象検体は前述のものとは別個の症例で且つ病理診断の確定している症例から選び,甲状腺に腫瘍(腺腫,腺腫様甲状腺,乳頭癌,濾胞癌,リンパ腫)を有する患者及び術後患者,自己免疫性甲状腺疾患,炎症性疾患患者を含む計88名の凍結保存血清とした。ヒマ種子レクチン(RCA120)-Agarose(生化学工業)を0.8mlずつカラムに充填し,洗浄後患者血清を加え4℃で30分反応させた。続いて,0,30,60,100mM lactoseの入ったバッファー4mlを順次加えて,溶出各分画を回収した。
各分画はスロットプロット法によりニトロセルロース紙に濃縮固定し,1000倍希釈TCM-9腹水と4℃で一晩反応の後,アルカリフォスファターゼ標識二次抗体を用いて発色させ,スキャナーでその結合量を定量した。この際,甲状腺癌細胞株由来粗精製抗原を対照として抗原濃度を数量化した。まず,未処理血清検体中のTg濃度を調べた(図5a)。各甲状腺疾患,特に甲状腺癌,腺腫様甲状腺腫において高い数値を認め,従来の報告と一致した結果であった。TCM-9認識抗原の濃度についての成績では,RCA120カラムの処理によって,疾患による各溶出分画での抗原量に違いが伺われた。すなわち,lactose 0及び30mM溶出分画(図5b,c)では,乳頭癌,濾胞癌と共に腺腫様甲状腺腫,腺腫に高い濃度を認め,甲状腺悪性疾患特異性に乏しい結果であった。100mM lactose溶出分画(図5d)を用いた場合は,乳頭癌,濾胞癌患者の60%以上が100D.1.以上であったが,良性の腺腫様甲状腺患者では全例100D.1.以下であった。また,担悪性腫瘍患者のうちで手術を終えているすべての症例(P(op)とF(op))は,80D.1.以下であった。ただ,無痛性甲状腺炎の1例は,いずれの分画においても高い数値を示した。一方,乳頭癌症例でみた場合,lactose O及び30mM溶出分画においても,TCM-9に結合する抗原が多く認められ且つこれらのTg濃度がすべて高いわけでは無かったこと(データ未提示)は,TCM-9抗原上の糖鎖は必ずしも一定でないことを示唆するものと思われる。未処理血清とRCA120前処理後血清中のTCM-9反応抗原量を対比した場合(図6),甲状腺悪性腫瘍の特異的検出率向上は明らかである。
3.考案
甲状腺低分化癌由来の培養細胞から抗原が精製可能となったが,抗原の保存性についての問題点が残されている。Tgを全く産生していない甲状腺未分化癌細胞株からも同様に,抗原を得ることが可能と考えられ,この場合は,Tgの混入を排除して生成できることから,一層,抗原の性状解析が進められるものと期待される。
患者流血中抗原に干渉する主体は,Tgである事がほぼ間違いないと思われる。また,その主分画は,RCA-120カラムで処理する際に30mM lactoseで溶出され,100mM lactose溶出分画を測定することで悪性診断特異性が向上することが示された。しかし,0-30mM lactose溶出分画にも目的抗原が混入してくる可能性も同時に示され,現在の前処理法は微量定量を行っていく上で効率を低下させているおそれがある。変性Tgを選択的に効率よく排除する処理方法の改良が一層高感度の測定系の供給をもたらすものと考えられる。糖鎖の解析としては,TCM-9認識抗原が必ずしも一定の糖鎖構造を持っていないことを示唆しているが, Concanavalin A, Wheat germ agglutinin, Soybean agglutininに反応性が低く9RCA120に反応性が比較的高いことから, Tgのうちでgalactose - GlcNAc糖鎖に乏しい分画が,特に測定系に干渉していると考えられるが,現時点での分画の意味付けの詳細は不明である。
4.まとめ
血清をレクチンアフィニティーカラム処理を行う事,及び,希薄抗原を含む検体をニトロセルロース紙上に濃縮固定することにより9一定数の検体を同時に処理することが可能となった。このような特殊な前処理を必要とする検体においては,今回検討したように光学的な反応量の計測無くしては,大量検体の測定は不可能であり,今後の抗原性状解析を加えていく上でも活用される測定系が開発できたと考える。検体前処理法の改善,標準抗原の安定供給の二点について,一層の改良を加えることを今後の課題と考える。