1997年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第11号

電子線干渉計測と生物構造解析への応用

研究責任者

來 関明

所属:静岡大学 工学部 電気電子工学科 助教授

概要

はじめに
電子顕微鏡はミクロな世界を見ることのできる道具として,物質や生物の構造などの研究に古くから用いられている。生物試料は軽い原子から構成されており,従来の電子顕微鏡法では,試料を重い原子で染色して観察している。そのため,染色している間,試料が破壊されてしまうこと,生物組織そのものでなく,組織の隙間に入る重い原子を見ているという間接的な観察法であることなどが電子顕微鏡における生物計測の課題となっている。これらの課題は電子顕微鏡をDNAなどに代表されるような細かな構造を調べることに応用する場合,避けて通ることはできない。
一方,電子顕微鏡における電子ビームの干渉性は,電界放射による新しい電子銃の開発によって格段と高くなった。そして,電子ビームを重ね合わせるための電子プリズムと組み合わせて,電子顕微鏡における電子の干渉(電子線ホログラフィ)が可能になった。これによって,ミクロの世界を1000倍から100万倍まで拡大して,その位相計測が実現できるようになった。光に比べて計測できるもののスケールが格段と小さくなり,波長が5桁以上も小さくなるので,新しい可能性が生まれている。近年,干渉法の一つである電子線ホログラフィに先駆的な研究が行なわれ,これまで磁束の観察,電子レンズの収差補正などに応用し,その威力が示されている。干渉によるこの技術は位相物体をも計測できることに特長があるので,弱い位相物体である生物試料に応用することが期待されてきた。
電子顕微鏡において,試料を透過する電子は試料との相互作用によって散乱される。生物のような主に軽い原子から構成されている物質試料に対しては,電子は微小な位相の変調をうける。このような位相試料を観察するとき,電子顕微鏡の従来の方法では結像レンズのフォーカスを外して,コントラストを作る。一方,電子の干渉でこの位相情報を測るには,ピントを合わせて試料を観察することができ,普通の電子顕微鏡の方法よりは,高い分解能で,そして定量的に試料の情報を得る可能性がある。レーザ光学では位相シフト干渉法によって,位相計測の高精度化が実現されてきたが,電子の場合,電子光学素子が不足しているため,これまで実現が難しいとされてきた。それは,レーザ光学にあるような精密な位相変調素子などが電子光学では存在しないからである。最近,われわれがレーザ光学のために,一般化位相シフト干渉法を開発した。初期位相を任意に与えることができる計算アルゴリズムであり,電子線の干渉計測にも応用することができる。
また,電子線ホログラフィは二段階結像法であるため,実時間での観察は困難である。まず第一段階は,物体波と参照波を重ね合わせて干渉させ,フィルムにホログラムとして記録する。次に第二段階として,このホログラムから光学再生法あるいはデジタルフーリエ変換法を用い,記録された電子波の位相と振幅を再生する。この手法はフィルムの現像などのプロセスを含んでいるため,位相情報を得るまでに時間がかかる。最近,電子波の干渉縞つまり電子線ホログラムを直接テレビカメラで検出し,テレビ信号をデジタル化した後,コンピュータでフーリエ変換法などを用いて位相を抽出することができるようになった。処理時間はフィルムの場合より格段に早くなったが,高性能な画像処理を使っても数秒のオーダーの処理時間が必要である。しかも画素数が増える程時間がかかることになる。このような処理を全て光情報処理システムにより実時間で行うのが今回の提案である。
そこで,この研究では,生物試料にこの電子の位相情報を応用する基礎を確立するため,以下について研究を行った。
1)電子顕微鏡における位相シフト干渉法
2)光情報処理システムによる実時間観察法
3)生物試料の観察と構造解析
電子顕微鏡における位相シフト計測法
電子顕微鏡内における位相シフト干渉法を実現するため,レーザ干渉計で開発した一般化位相シフト干渉法を適用した。電子ビームではビームティルトにより初期位相を変化させることは可能であるが,正確にコントロールするのは困難である。そこで,実験では,初期位相を電子バイブリズムによる直線干渉縞を用いて高速フーリエ変換により計測した。ここでの初期位相は,干渉縞の多周期にわたって計算されるため,高精度での計測ができる。初期位相を測定しながら,試料によって位相変調された電子の干渉縞をコンピュータに入力していく。そして数十枚の干渉縞とそれらと対応する初期位相を使って,電子波の位相分布を計算する。
図1に,電子顕微鏡における位相シフト干渉システムを示す。電子銃からでた電子ビームをコンデンサーレンズよりコリメートし,試料を照射する。バイブリズムにより,試料を通った物体波と別の参照波を重ね合わせる。ビームティルトは,1ボルトまで変化できる直流電圧を電子顕微鏡の内部ビームティルトコイルに付加することにより,任意に変化できる。そして,ビームティルト電圧を変えながら,干渉縞の強度分布を1/30秒のレートでコンピュータのフレームメモリに画像として取り込む。
図2に初期位相の計算結果を示す。一つのドットが一つの画像と対応している。実数と虚数で描く奇跡が円に近いほど,初期位相の計測精度が高いことになっており,位相シフトの過程で高精度に初期位相を得ていることが分かる。
電子の位相をホログラムを介して計測するには,高い空間キャリア周波数を持つ干渉縞が必要である。とくに電子線ホログラフィを高分解能に応用しようとするとき細かい干渉縞が要求される。これは電子線の干渉性と検出器の画素に厳しい条件が付くことになる。一方,位相シフト干渉法による位相計測では,キャリア周波数は基本的に不要であるので,電子の位相計測における有利性は明らかである。
光情報システムによる実時間観察法
システムの構成は図3に示す。
電子線による干渉縞をTVカメラで検出し,それをテレビ信号として液晶空間光変調器に印加する。この液晶空間光変調器にレーザを照射し,電子の波面を光の波面に置き換える。そしてレーザによる干渉計で位相を増幅し,干渉顕微鏡像を作る。この干渉顕微鏡像を再びCCDカメラで検出する。このような手法により,波面の再生と画像処理はすべて光℃つまり""光コンピュータ""で行える。実験では1/30秒のビデオレートで電子による干渉顕微鏡像が得られた。これをさらに高速カメラでの取り込みが行えば,高速な観察も可能である。図4に,実時間による酸化マグネシューム微粒子の観察結果を示す。直線キャリアをもつ干渉縞をテレビ液晶による空間光変調器に入力し,先に述べたシステムによりテレビモニター上では直接干渉顕微鏡像が表示できる。ここで,空間光変調器が高精細な製品を用いることによって再生画像も高精細なものになる。この研究では,実時間での位相計測を実現するため,光情報処理の技術を取り入れる方法を提案し,確かめることができた。
生物試料の観察と構造解析
生物試料の位相分布は従来のディフォーカスによる位相のコントラスト(電子顕微鏡写真)に比べて,その試料の物質分布をより正確に表わすことができる。この位相分布が高精度かつ高い空間解像度で計測できれば,従来よりも生物試料の細かな情報・構造を観ることができる。生物試料の位相計測を実現することにより,位相分布を試料の構造と対応させるまでの画像処理法を確立した。位相の傾斜や連続化の問題は,得られた二次元位相分布から周囲のバックグランドを参照することで解決できた。
図5に,今回開発した位相シフト干渉法を用いて大腸菌のしっぽであるフラジェラの計測結果を示す。まず,従来の電子顕微鏡写真(a)では試料を数ミリ程度焦点をはずしてその像を得る。そのため,位相分布ではなくそれの回析結果を観察していることになる。電子線位相計測による方法では試料にピントを合わせ,位相変化を観察する。位相が小さいため,干渉縞の強度分布(b)から位相分布を直接読みとることは難しいが,前述の高精度位相計測法によりその位相分布を得ることができ,さらに位相にティルト及び連続化を行い,(c)のように試料の物質分布と対応させる位相分布を得ることができた。
さらに,位相分布と物質分布とが投影関係にあることを利用して,生物試料の三次元構造をいろいろな方向からみた位相分布から,CTの技術を駆使して再構成することも検討した。これまで,電子顕微鏡の写真を使ってこの三次元構造を再構成することは試みられているが,染色して観察する場合がほとんどであって,もともとの強度写真が真の構造を表わしていないため,正しい三次元画像を得ることはできない。今回提案した位相情報の計測により,試料をそのまま観察することができ,インフォーカスでの位相情報が得られることから,三次元解析に新しい可能性を示唆している。しかし,電子線照射による試料の破損と時間変化が三次元再構成を実現するための課題となっている。