1993年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第07号

電子スピン共鳴装置を用いた血管内皮細胞膜流動性の測定およびスピンラベルのシグナル減衰に関して

研究責任者

尾辻 省悟

所属:鹿児島大学 医学部 臨床検査医学講座 教授

共同研究者

鎌田 哲郎

所属:鹿児島大学 医学部 臨床検査医学  助手

慈愛会今村病院分院

共同研究者

浜田 義三

所属:鹿児島大学 歯学部 第二保存科 大学院生

概要

はじめに
血管内皮細胞は,単に血液と血管壁の間の機械的なバリヤーであるのみでなく,さまざまなアクティブな働きをしており,血管代謝にとって重要な働きを行っていることが明らかにされつつある。病態の面からも,血管内皮細胞の障害が炎症や動脈硬化の初期変化として重要な意味を持つ可能性が明らかになるにつれ,」血管内皮細胞の果たしている機能さらに血管内皮細胞障害のメカニズムに対する関心が高まりつつある。ところで,細胞機能にとって細胞形質膜の果している役割はきわめて重要である。形質膜は,細胞内外のバリヤーとして様々な物質の出入りの調整を行うのみでなく,多くのホルモンやリガンドがもたらす情報の伝達の場として形質膜の果す役割は重要である。ところで,形質膜をはじめ生体膜は極めて流動性に富む構造を持っており,これらの膜機能は,この流動的な構造(膜物性)の変化により大きな影響を受けることが知られている。病態においても膜障害時における膜流動性の変化およびその膜機能への影響について興味が持たれている。本研究で我々は,血管内皮細胞形質膜の流動性を測定し,その正常時および細胞障害時における変化について検討した。血L管内皮細胞膜流動性については,これまで蛍光偏光解消法を用いた報告がある(1)。蛍光偏光解消法は感度良く流動性を測定できる方法であるが,用いられるプロープ(DPH : diphenylhexatriene)は生体膜成分としては異質なものであり,またインタクトな細胞を用いた場合,細胞内オルガネラの膜にもプロープが取り込まれるため,多くの実験では細胞を破壊し形質膜のみを取り出して測定する必要がある。したがって形質膜の持つ本来の状態とかなり異なった状態で流動性を測定している可能性がある。そこで我々はより生理状態に近い条件としてインタクトの血管内皮細胞で細胞形質膜流動性の変化を知る必要があると考え,新たにスピンラベル法を用いることにより膜流動性を測定し検討した。
血管内皮細胞のスピンラベル
1)血管内皮細胞:ヒト膀帯静脈よりJaffeらの方法(2)を用いて血管内皮細胞を得た。これをgelatinコーティングしたディッシュにて10% fetus bovine serum(FBS)と10% Nu serumを含むRPMI-1640培地(Flow Laboratories)を用い,37℃でCO2インキュベーターにて培養した。実験には,3~4継代目の細胞をコンフルエントになった状態で使用した。
2)スピンラベル法による膜流動性の測定:ラベル剤としては5-, 16-stearic acid spin label(SAL : stearic acid nitroxide)および4-(N, N-dimethyl-N-hexadecyl) ammonium-2, 2, 6, 6 tetramethylpiperidine ? 1 - oxyliodine (CAT-16)を用いた(図1)。5一および16-SALは, stearic acidのCOOH基から数えて,それぞれ5,16番目にnitroxide radicalの結合したstearic acidのアナログであり,細胞形質膜脂質二重層にリン脂質と同様に垂直に取り込まれる。したがって,それぞれnitroxide radicalの位置する場所により異なる深さでのnitroxide radicalの働き,ひいては,膜流動性を測定することが出来る。一方,CAT-16はそのmethylene鎖によって脂質二重層中に垂直に取り込まれ,nitroxide radicalは細胞表面に位置する。したがって膜表面上の情報を得ることが出来る(図1,2)。
ラベルの方法:径10cmディッシュに培養した血管内皮細胞のmonolayerを,FBSを含まないRPMI培地にて2回洗浄し,これにSAL又はCAT-16のsuspension 10ml [0.5μg/ml in RPMI mediun:5μ1のstock solution (5mg/ml in 100%ethanol)をあらかじめ37℃に暖めたRPMI培地10mlに加えvortexして作る。ラベルする直前に調製]を加え,37℃,CO2インキュベーターにて15分間インキュベートしラベル剤を血管内皮細胞膜へ取り込ませた。血管内皮細胞の形態はラベル剤とのインキュベーション5分後,わずかに細胞の収縮がみられるが,15分後には元の形態にもどった。またトリパンブルーにより調べた細胞のviabilityは,ラベルしない細胞と差がなかった(95%以上)。インキュベーションの後,血管内皮細胞monolayerをRPMI培地にて2回洗浄し,膜に取り込まれなかったSALを除く。細胞をラバーポリスマンにて回収し,1,000rpm, 5分間の遠心にてゆるくパックし,これを50μ1用キャピラリー(Corning)へ吸い取り,3,000rpm, 1分間遠心し細胞をパックした後,液層部分をカット除去し,細胞部分のみを試料管に入れX-band電子スピン共鳴(ESR)装置(JEOL JE-1FX, 日本電子)にてESRを測定した。測定温度は温度変換装置(JES-VT-3A2, 日本電子)にてコントロールし,一定温度にて測定を行った。ESRの測定条件は,power: 10 MW, modulation: 2.O gauss,中心磁場: 3,325 gauss, sweep幅: ±50 gaussにておこなった。図2に3つのラベル剤より得られたESRシグナルを示す。培地にsuspendしただけのSAL又はCATは,等方的な運動を行っているが(isotropic motion),細胞から得られた3つのシグナルはいずれも異方性運動(anisotropic motion)を示しており,SALが膜二重層内に取り込まれ,nitroxide radicalの動きが制限されていることを示している。さらに,形質膜のみが選択的にラベルされているかどうかを調べるために,5-SALでラベルした血管内皮細胞を,2 mM ascorbic acidで処理した後,ESRを測定した。5-SALからのシグナルはascorbic acid処理により完全に消失した。Ascorbic acidは水溶性であり,その還元力は細胞膜表面付近のみに留まることから,測定により得られるESRシグナルは形質膜に存在するSAL由来のものであることがわかる。
ラベルの際のSAL suspension濃度を上げると,得られるESRシグナルの強度は増加するが,血管内皮細胞のviabilityの低下がみられ,また膜内に取り込まれたSALどうしによるspin-spin interactionの影響を受けたESRシグナルが観察された。したがって,ラベル剤suspensionの濃度は,0.5μg/ml,細胞数として107個を用いた。また,当初の計画ではゴアテックス膜上に細胞を培養し,それを直接にスピンラベルし測定に供するつもりであったが,得られる細胞の絶対数が充分でなく解析可能なESRシグナルがとれなかったため,前述の方法を以後の実験では用いた。
得られたESRシグナルより,outer hyperfine splitting(2Til:gauss)およびinner hyperfine splitting(2Tl:gauss)を測定し, Gaffenyの式(1)を用いてorder parameter(S)を算出し膜流動性の指標とした(3)。また2TIIそのものも流動性の指標として用いた。16-SALでは,2TIIが正確に実測できないため,測定されるT⊥よりTII=3a-T⊥(3a=44.5G)としてorder parameterを算出した。
数式入る
Order parameter,2TIIIはいずれも,値が大きいほどnitroxide radicalの動きが束縛されており,膜流動性が小さいことを示す。
活性酸素による血管内皮細胞膜流動性の変化
血管内皮細胞の障害は,動脈硬化のごく初期における一連の血管壁での変化や急性炎症における血管壁での変化の最初のステップとして重要であると考えられている。しかしその障害のメカニズムは不明な点が多い。ところでMonocyteや多核白血球(PMN)が生体防御の上から産生放出する活性酸素が,同時に血管内皮細胞に障害を起こさせ得る可能性が考えられている。そこで,我々は活性酸素の中でも最も細胞障害性の強いと考えられているOHラジカルが,血管内皮細胞の膜流動性に対してどのような影響を実際に及ぼすのかについて調べた。OHラジカルは,過酸化水素を培地に加えることによって発生させた。
方法:10cm径ディッシュにコンフルエントになった血管内皮細胞を,無血清のRPMI培地にて3回洗浄したのち,RPMI培地に溶解した過酸化水素(10-5~10-2M)を加え37℃で30min間CO2インキュベーターにてインキューベートした。その後RPMI培地にて2回洗浄した後,細胞monolayerを前述の方法にてスピンラベルし,膜流動性を測定した。コントロールとしては,過酸化水素を加えない培地で同様の処理をした細胞を用いた。また,過酸化水素(10-4M)に30min間暴露した後これを除き,再び元のRPMI培地(20%FBS含む)で培養を継続し12時間後に膜流動性を測定し,膜流動性変化の可逆性を調べた。
過酸化水素(10-4M)を30min間作用させると,細胞形態にはほとんど変化が見られないにもかかわらず,37℃での5-SALにおけるorder parameter(S)はコントロールに比べ有意に増加し(0.620±0.06vs.0.596±0.04, mean±SEM, p<0.02),膜流動性の減少がみられた。一方,16-SALにおけるorder parameterでは,過酸化水素処理膜は正常膜と有意差は無く,流動性の大きな変化は見られなかった。このことは,細胞の外側から作用させたOHラジカルは二重層の浅い部分の流動性に影響するが,深層での変化は少ないことを示している。
図3に5-SALでの温度変換に伴う流動性の変化を示す。温度上昇に伴い膜流動性は増加するが,正常の膜では20℃付近と30℃付近に屈曲点が存在する。過酸化水素を作用させた膜では正常の細胞で見られた屈曲点が消失し,30℃付近のみで屈曲点がみられた。単一脂質によるモデル膜では,このような屈曲点は脂質の相転移により出現するが,ヘテロな膜である生体膜における屈曲点の出現のメカニズムはかなり複雑であると考えられ,種々の脂質の相転移の他に脂質と蛋白の相互作用等も大きく影響して生ずると考えられている。ところで,DPHを用いた蛍光偏光解消法における測定ではこのような屈曲点は観察されていない(1)。これは,DPHとSAL両プローブの膜平面での局在の違いによるものと考えられる。生体膜は,種々の脂質,蛋白を含むヘテロな膜であり,相分離の状態(同じ膜内に,ゲル相とゾル相が同時に存在する)にあると考えられているが,DPHは完全な疎水性であるため,相分離がおこっているいる場合でも常にゾル相へ偏在するために,温度変換に伴う流動性の変化には屈曲点が出現しないと考えられる。一方5-SALではDPHに比べ膜平面内によりat randomに分布しているため,屈曲点が現れると考えられる。即ち5-SALではDPHに比べ脂質相転移や脂質と蛋白の相互作用の変化をより反映し易いのではないかと考えられる。また,本研究における過酸化水素処理膜での結果は,OHラジカルが,膜全体の平均値として血管内皮細胞膜流動性を低下させるだけでなく,膜平面内での相分離の状態や脂質と蛋白との相互作用にも影響を及ぼしている可能性を示唆しているものと考えられる。過酸化水素を作用させた後に,元の培地(20%FBSを含むRPMI培地)にて12時間培養すると,低下していた膜流動性は可逆的に元のレベルにまで戻った。OHラジカルが生体膜に対しどのような変化を実際におこすかについては未だ不明な点が多い。しかし,合成膜を使ったin vitroの実験から,OHラジカルは,(1)脂質二重層のなかの多価不飽和脂肪酸の二重結合部位と反応し二重結合を消失させ過酸化脂質を生成する,(2)膜蛋白を変性させる,(3)膜蛋白と脂質とのクロスリンクをおこすなどの変化をおこさせることが明らかにされている。これらの膜障害は通常非可逆的な変化であると考えられることから,血管内皮細胞は別の何らかの機序によって低下した膜流動性を元に戻す機構を持っている可能性が考えられる。近年,OHラジカルが内皮細胞膜イノシトールリン脂質代謝に影響を与える事が報告されており(4》,膜流動性の可逆的な変化との関連において興味が持たれる。流動性障害のメカニズムのみならず,その今後追究していかなければならないと考えられた。膜流動性の変化は単に膜構造の変化を示すのみでなく,種々の膜機能(膜透過性あるいは膜酵素活性や膜キャリヤー蛋白,膜レセプターといった膜蛋白の機能)に大きな影響を及ぼすことが知られている。(5)。したがって,その機序がどのようなものであるにせよ,本実験で得られたOHラジカルによる膜流動性の低下は,これらの血管内皮細胞膜機能に影響を及ぼし,細胞機能に影響を与える可能性があると考えられる。
血管内皮細胞自身が産生する活性酸素の発生部位について
血管内皮細胞はいくつかの刺激により自ら活性酸素を放出することが知られている。これは,血管内皮細胞とともにインキュベートすると,リポタンパクの過酸化が起こることや,パラコートを作用させたときスピントラップ法により0.がトラップされることから明らかである(6)。また最近,内皮細胞がNOラジカルを常に放出しており,これが血管平滑筋を弛緩させる重要な因子と考えられてきたendothelial derived relaxing factorと同一物質であることが明かとなっている。しかし,これらのラジカル種がどのようなメカニズムで一血管内皮細胞から放出されるのかについてはほとんど明らかにされていない。我々は,血管内皮細胞をラベルしたとき測定の温度を37℃にすると,ESRシグナルの減衰が起こるを見いだした。これはSALのnitroxide radicalが還元されて,不対電子を失っていくためであると考えられる。興味深いことに,このSALにおけるシグナル減衰の様子は膜二重層でのnitroxide radicalの位置によって異なっており,膜表層では減衰は遅く,二重層の深部になると比較的速やかに減衰が起こることがわかった。FujiiとKakinumaらは,5-,7-,12-,16-SALで多核白血球(PMN)をラベルし,fMet-Leu-Phe(f-MLP)で刺激すると,5-SALにおいて明らかなESRシグナルの減衰が起こるのに対し,他のラベル剤ではほとんど減衰がみられないことを明らかにしている。このことから彼らは,PMNによる活性酸素の放出部位が形質膜脂質二重層内にありしかも表面近くの浅い部分にあると結論しているの。我々は血管内皮細胞膜におけるスピンラベル剤のシグナル減衰について詳しく調べた。スピンラベル剤としては,5-SAL, 16-SALおよびCAT-16の3つのラベル剤を用いた。これらは形質膜に取り込まれた場合それぞれ,脂質二重層内の膜表面近く,深層,および膜表面にnitroxide radica1が位置することになる。3つのラベル剤にて血管内皮細胞をラベルし,温度設定装置により37℃に保ちながら経時的にESRシグナルを測定し,peak heightよりシグナルの減衰を調べた。図4にそれぞれのラベル剤でのESRシグナルの減衰の様子を示した。ラベルしただけの状態では,5-,16-SALラベルでは減衰の状態に差はなく減衰も少ない。血管内皮細胞に活性酸素放出をおこさせる物質として知られるバラコートを作用させると,著明なシグナルの減衰が16-SALにおいてみられた。5-SALでの減衰はこれに比べ少なかった。これはf-MLPによりPMNに活性酸素を放出させた場合と逆になっている(図4右)。
即ちPMNでは16-SALでの減衰は少なく,5-SALでの減衰が著明である。一方,CAT-16ではラベルしただけの状態でも明らかな減衰がみられ,パラコートの刺激による減衰1[.はみられなかった。これらの結果から考えられることはまず,血管内皮細胞をパラコートで刺激したときに生ずるラジカル(スピントラップ法により,0;と同定されている(6))は,二重層の深い部分において発生するということである。このことは血管内皮細胞の障害と活性酸素との関わりを考えるとききわめて興味深い。フリーラジカルは発生すると,速やかにすぐ近くの脂質(二重結合部),蛋白,核酸分子と反応を起こし消失する。そのため,遠くの物質には影響を及ぼさない。PMNの場合,ラジカル発生部が膜表面近くにあることは,その殺菌作用においてラジカルが細菌に有効に働きかつ自らの形質膜にはあまり害を及ぼさないという点から合目的的であるといえる。しかし,血管内皮細胞の場合,形質膜深部にラジカルの発生源を持っているということは,血管内皮細胞に活性酸素が発生する事態が生じた場合,その影響はまず自らの形質膜に最も大きいということになる。このことが,血管内皮細胞の代謝にとって,ひいては血管壁の代謝にとってどのような生理的な意義を持つことなのかは全く不明であり,今後研究すべき興味ある問題であると考えられる。一方,CAT-16における結果は,内皮細胞膜表面で常に何らかのラジカルが放出されていることを示唆していると考えられる。このラジカルは脂質二重層へは影響せず,またパラコート刺激には反応しないなど,脂質二重層内で発生するラジカルとは別のメカニズムにより放出されている可能性が考えられる。このことは,内皮細胞が常に放出しているとされるNOラジカルとの関連において興味深い。しかし,本方法で検出される結果は,あくまでもスピンラベル剤の安定ラジカルが還元され,シグナルが減少するという現象であり,それがどのようなラジカル種であるのかは不明である。今後,発生しているラジカル種の同定をスピントラップ法を用いて行い,本結果との比較検討を行うことができれば,さらに興味深い結果が得られるのではないかと考えられる。
成果およびまとめ
本研究では,血管内皮細胞形質膜の流動性をステアリン酸のラベル剤を用いたスピンラベル法により測定し,細胞をインタクトの状態で,感度良く膜流動性を測定できることが明らかとなった。また,温度変換に伴う流動性の測定における屈曲点の存在など,DPHによる測定では得られない情報が得られることが明かとなった。また本研究では,OHラジカルによる血管内皮細胞の流動性への影響について調べた。その結果,OHラジカルを作用させると生体温度(37℃)では膜流動1生の低下が起こることが明かとなった。この流動性低下は,脂質二重層の浅い部分において明らかであるが,深い部分ではみられない。また,OHラジカルを除いて培養を続けるとこの変化は可逆的に元に戻ることも明かとなった。一方,ラジカルの結合部位の異なるラベル剤を用いることにより,血管内皮細胞のラジカル発生部位について検討した。その結果,血管内皮細胞におけるラジカル発生部位は脂質二重層の深層に存在するものと,膜表面に存在するものの少なくとも2つが存在することが示唆された。