2017年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報30号補刷

隠れ糖尿病診断のための皮下微小還流を用いた局所糖負荷試験装置の開発

研究責任者

芳賀 洋一

所属:東北大学大学院 医工学研究科 生体機械システム医工学専攻 教授

概要

1.はじめに
近年、日本における糖尿病や糖尿病予備軍の人 数は 2000 万人に及んでおり、国民の 5 人に 1 人が該当する程に患者数の多い疾患である。しかし、この該当数は健康診断等で糖尿病が疑われると 診断された人数であり、この他に、健康診断では 見つけられない隠れ糖尿病の人が数多くいる。こ の背景には、健康診断では空腹時血糖値から糖尿 病の疑いを判断するため、空腹時は正常な血糖値でも食後に高血糖となる場合は見逃してしまう 可能性が挙げられる。より正確に診断するために 糖負荷試験等を行うが、最低3回の採血が必要で あり、被検者への負担が大きいことから一般の健 康診断では行われていない。そのため、隠れ糖尿 病患者を発見するための、より侵襲性の低い計測 装置が求められている。

2.局所糖負荷試験の提案
糖尿病は、血糖値の調整を行うインスリンが分泌されなくなるインスリン分泌障害、もしくはインスリンは分泌されるが効かなくなるインスリン抵抗性亢進などの、インスリン作用不足により細胞に糖が正常に取り込めなくなり、慢性の高血糖となる疾患である。特に複数の遺伝因子に過食・運動不足・ストレスなどの環境因子(生活習慣の不良)や加齢が加わり発症するⅡ型糖尿病で は、インスリン分泌障害とインスリン抵抗性の増 大が様々な程度で生じ、慢性の高血糖状態となる。本研究では、低侵襲で隠れ糖尿病を発見する診断 方法として極細径の針 1 本のみで行う局所糖負荷試験を行うデバイスを開発した。本デバイスは、局所に少量のグルコースを注入し代謝の様子を 計測することで、極低侵襲でインスリン抵抗性を 計測することができると期待される。
局所糖負荷試験のシステムを図 1 に示す。細径(外径 200 µm 程度)の針表面にグルコース注入用及びグルコース計測用の流路を作製した針を 用いる。皮下にこの針を留置し、少量のグルコー スを注入し、その後の針周辺のグルコース濃度を 計測する。局所的に糖負荷試験を行うことで、食 後の血糖値を局所的に再現でき、経口で服用するグルコースよりも少量の投与での計測が可能と なると予想されるため、被検者への負担が小さく、高血糖の患者のグルコース抵抗性の診断にも使 用できる。また、針表面に形成した流路を用いて 微小還流を行うことで、非観血的に体内グルコー ス濃度をモニタリングする。微小還流とは、穴付 き膜で覆われた流路に還流液を流すと、皮下で濃度拡散によって還流液内に皮下の物質が拡散す る。この還流液を体外まで流し、体外に設置した

(注:図/PDFに記載)

物質濃度センサで計測することにより皮下の物質濃度を計測する手法である(図 1)。皮下組織におけるグルコース等の低分子量の物質濃度は血中濃度とほぼ同じであることが知られており、採血の代わりに用いられることが期待できる。これにより、これまでの糖負荷試験で行ってきた採血が必要なくなり、被検者への負担を軽減することができる。
本デバイスで用いる針のデザインを図 2 に示す。針の片面には皮下に留置される部分に1個の穴 があるグルコース注入用流路を、もう片面には皮 下を流れて体外まで流路が続いており、皮下に留置される部分に複数の微小穴があるグルコース 計測用流路を作製する。市販の鍼灸針上にポリイ ミドを積層する形で流路を作製することで、鍼灸針の皮膚への刺入性が良好で痛みなく刺入でき る特徴を生かしつつ、注入・還流機能を付加する。

3.従来の皮下微小還流を用いたマウス皮下からのグルコース計測
これまで本研究室では開発してきた微小還流針 1)を用いたマウス皮下からのグルコース回収実験を行ってきた。用いた針は図 3 のように鍼灸針先端部を 2 往復する流路デザインの針を用いている。マウス背部の皮膚に微小還流針を刺入・留置した状態で経口糖負荷試験を行い、血中グルコース濃度と微小還流により回収したグルコース濃度との関係を計測した。血中グルコース濃度は尾静脈採血により計測し、還流液中グルコース濃度は蛍光染色を行って溶液中のグルコース濃度を計測した。2 匹のマウスに対して本実験を行ったところ、血中グルコース濃度と還流液中グルコース濃度は有意に(P<0.01)相関を示し、相関係数は R=0.74 であった(図 4)2)。本実験により、微小還流により皮下からのグルコース回収が可能であることが示された。

(注:図/PDFに記載)

4.皮下刺入針の改良
局所糖負荷試験用デバイスに適した針を作成するため、皮下微小還流針のセミ量産プロセスの開発と、ヒトへの応用を視野に入れた生体適合性材料を用いた針の作製プロセスを開発した。
(ア)セミ量産プロセス
従来の針上流路作製プロセスでは、鍼灸針上に製膜したポリイミドを Nd-YAG レーザーと自動ステージを組み合わせた非平面アブレーションシステム 3)を用いて加工していた。しかし、本システムは針を 1 本ずつ位置合わせして加工する必要があり量産は難しい。
そこで本研究では、量産が難しかったレーザーアブレーションを、図 5 のように並べた針に直上から行い、その他のプロセスについても同時に行う作製プロセスを提案する。本研究で開発する局所糖負荷試験用デバイスは表面と裏面で機能が違う 2 種類の流路を作成する(図 2)。そのため、このように針を並べて固定し上面から加工し、その後裏返して同じように加工することで、量産化が可能となる。従来の 1 本ずつ作製していたプロセスでは、レーザーアブレーション前に時間がかかる軸合わせを 1 本ずつ、全ての針に行う必要があった。しかし、本研究で提案するセミ量産プロセスでは、並べた針は固定されており位置関係が変化することは無いので、1 回の位置合わせのみで並べてあるすべての針に対してアブレーションを行うことができ、工程数及び作製時間を低減することができる。

(注:図/PDFに記載)

本デバイスの作製プロセスを図 6 に示す。まず200 µm の鍼灸針(株式会社カナケン)の表面に電着ポリイミドを 30 µm 成膜した。次にガラスを切削加工して作った冶具に、ポリイミドを成膜した鍼灸針をシリコーン系接着剤(東レ・ダウコーティング株式会社, Sylgard)で固定した。そしてNd-YAG レーザーを用いてレーザーアブレーションを行うことで流路をパターニングし、流路パターン部分の鍼灸針をむき出しにした。むき出しになった部分に犠牲層となる銅を硫酸銅めっき液(日本エレクトロプレイティング・エンジニヤース株式会社、ミクロファブ Cu520)で膜厚 20 µm 電解めっきした。その電解めっきした銅の上にポリイミドを膜厚 10 µm 程度電着した。そのポリイミド上にレーザーアブレーションを行うことで微小穴部もしくは薬液吐出口とチューブ接続部分を作製した。次に犠牲層である銅を約 40 % の硝酸でエッチングすることで流路を作製した。
最後にサンプルを冶具から取り外し、流路とチューブをシリコーン冶具で接続した。
本プロセスで作製した針上流路を図 7 に示す。流路を一括で加工するため、治具と針との位置ずれが加工精度に大きく影響するが、治具形状とアライメント手法の工夫により、3 本一括で加工を行ってもずれることなく流路を作製することができた。

(注:図/PDFに記載)

(イ) 生体適合性ポリイミドを用いた流路形成従来の針表面に形成した流路は、ポリイミドを電 着することにより極細径の針でも均一なポリイミド厚膜を成膜できた。しかし、本デバイスを健 康診断等で用いることを想定した場合、流路を形 成しているポリイミドも皮膚に留置されるため、生体適合性材料を用いることが求められる。そこで本研究では従来の電着ポリイミドではなく、生体適合性が担保されたポリイミド材料(VTEC 851-PI、R. Blaine Industries, Inc.) を用いた流路作製プロセスを開発した。
作製方法は図 6 で示したものとほぼ同じであるが、用いるポリイミドが電着できないため、ポリイミドの製膜はディップコートで行う。細径針上に均一な厚膜を形成するため、1 回のディップコートで 1~2 µm ずつ複数回製膜することで、均一な薄膜を重ね塗りし、所望の膜厚(20 µm 以上)を得た。

(注:図/PDFに記載)

5.グルコース溶液注入部分の検討
皮下へのグルコース注入の際の注入液量は皮内注射の量を参考に 20µL 程度と考えられる。この量を 1 分以内で注入することが望ましいため、本流路を通した溶液の注入は 20µL/min 以上の流量で流せることが望ましい。そこで、この流量での薬液注入が可能かの確認を行った。
用いた針はグルコース注入用流路のみを作製したもので、流路にポリエチレンチューブを、シリコーン製治具を用いて接続した(図 9)。このチューブをシリンジポンプに設置した純水を満たしたシリンジに接続し、一定流量で液を流した際に破損がないかどうかを調べた。はじめに 5µL/min の流量で流路付き針に純水を流し、30 秒ごとに流す流量を5 µL/min ずつ増やしていった。この方法を用い、目標である 65 µL/min の流量で流すことができるか、また、サンプルが破損してしまう場合は何 µL/min で破損してしまうかを評価する。本試験では計 3 本のサンプルを用いて評価した。

(注:図/PDFに記載)

実験の結果、2 本は 40µL/min で流し始めた時点で、1 本は 50µL/min で流し始めた時点で、シリコーン製治具とチューブとの接続部から水漏れが起こった。目標である 20µL/min では問題なく注入が可能であったため、作製したグルコース注入用流路を用いた糖負荷が可能であることが確認できた。ただし、実際の使用の場合は針先が組織に留置された状態となるため、今回の実験よりも注入圧を高くする必要がある。この場合はチューブと治具との接続部の強度をより高くする必要があると考えられる。

6.グルコース回収部の評価
セミ量産プロセスで作製したグルコース回収用流路を用いた経口糖負荷試験を行った。従来の微小還流針に比べ、本研究で用いるグルコース回収用流路は長さが半分になるため、回収率が低下することが予想される。その場合でも、血中濃度と相関したグルコース濃度を皮下から得られるかどうかをマウスを用いて動物実験により確認した。

(ア)実験方法
本実験では、作製した針上の流路にポリエチレンチューブを、シリコーン製治具を用いて接続した針を用いた(図 11)。実験手順を図 12 に示す。本試験は、6~10 時間程度の絶食後に行った。小型動物用吸引麻酔装置を用いたイソフルラン吸引麻酔下で行った。はじめに、マウス背部にグルコース回収用流路を作製した針の刺入・固定を行った。この状態で 10 分間還流を行い、還流終了時に尾静脈から採血を行った。血糖値は簡易血糖計測センサ(ニプロ株式会社、Free style Freedom Lite)を用いて計測した。その後、40 mg(2 g/kg) のグルコースを経口投与した。投与直後から還流 を開始し、10 分ごとにグルコース投与後 120 分まで、回収液側シリンジの交換及び回収を行った。
還流速度は 5 µL/min とした。血中グルコース濃度についてはグルコース投与後 20 分までは 5 分ごと、その後は 10 分ごとに計測した。その後、回収液中グルコース濃度は市販のグルコースアッセイキット(BioVision、Inc.、Glucose Assay Kit)を用いて蛍光染色してグルコース濃度を計測した。

(注:図/PDFに記載)

(イ)実験結果
今回は 1 匹のマウスに本試験を行った。実験中にチューブと針の接続部より還流液が漏れてしまったが、還流液の回収自体は行えていたため、実験は続行した。血中と回収液中グルコース濃度の時間変化を図 13 に示す。また、血中と回収液中グルコース濃度の関係を図 14 に示す。血中グルコース濃度は、還流開始時と終了時の 2 点の平均値を用いた。回収液中にグルコースが含まれていたことから、作製したグルコース回収用流路を用いることで、マウスの皮下からグルコースを回収することができることは確認できた。しかしながら、図 13 より、回収液中のグルコース濃度には大きなばらつきがあった。また、図 14 から、血中と回収液中グルコース濃度の間に有意な相関を得ることはできなかった。回収率に関しては、従来の針先を 2 往復する微小還流用流路では0.6 %程度であったのに対して、今回の実験結果では式(1)を用いて計算すると、100 %を超える異常に高い数値を示す場合があった。

(注:数式/PDFに記載)

(注:図/PDFに記載)

(ウ)考察
本章では、セミ量産プロセスで作製した微小還流用流路を搭載した微小還流針の評価を行った。マウスの皮下からグルコースを回収することが可能であることは確認できたが、回収率が 100 % を超える異常に高い値を示すことや、回収したグルコース濃度に大きなばらつきが出てしまった。微小還流では、皮下の生体成分濃度と還流液中濃度との差を利用し濃度拡散で流路内に生体成分を拡散させ物質を回収していることから、100 % 以上の回収率を示すことは起こることは通常では起こりえない。
原因を考えると、皮膚表面の付着物の影響や、還流速度にばらつきがあったこと、還流液が漏れていたことが考えられる。まず、皮膚表面の付着物が回収液中に混入してしまった可能性について考える。マウスの皮膚表面に付着しているものとして汗が考えられる。汗中のグルコース濃度は血中グルコース濃度と相関することが知られており、もし付着していた汗が揮発してグルコースが皮膚上に残っていた場合は異常に高い回収率を示した理由になり得る。また、本実験ではマウスに針を固定する前に除毛剤を塗布し、固定する部位付近の除毛を行っており、皮膚表面に除毛剤が残存している可能性がある。今回使用した除毛剤には粘度調整剤が含まれており、粘度調整剤の中にはグルコースを含む種類も存在する。実験中に還流液が漏れてしまっていたことから、漏れだした液中に除毛剤の成分が溶け出し、その液を計測したために回収率が異常に高かった可能性がある。
次に還流速度のばらつきについて考える。本実験では、シリンジポンプを用いて一定の流量(5µL/min)で還流させている。今回のプロトコルでは 10 分ごとにシリンジにたまった還流液を回収しているので、1 回で 50 µL 程度の還流液を回収することができる計算になる。しかし、今回は還流液の漏れなどの影響で還流速度を一定にすることはできず、回収液の量も時間によって違う結果になってしまった。微小還流の原理から、還流速度の違いは物質の回収率に影響するので、この還流速度のばらつきが回収液中グルコース濃度の大きなばらつきに影響した可能性がある。
以上より、本実験では除毛剤の影響や水漏れによる還流速度のばらつきが問題となった可能性がある。除毛剤をきちんと洗い流すことや、数日前に除毛しておき除毛剤の残留を低減すること、還流液の水漏れ対策を行うことが必要と考えられる。

7.まとめ
隠れ糖尿病の早期診断のための極低侵襲診断方法として、局所糖負荷試験を提案した。本研究では、この実現のためにグルコース注入用流路とグルコース回収用流路とを持つ針の作製と評価を行った。針の作製では、これまでの 1 本ずつ作製していたプロセスから複数本同時にプロセスを進められるセミ量産プロセスの開発と、皮下に留置されるポリイミド材料を生体適合性ポリイミドに変えたプロセスの開発を行った。
グルコース注入用流路では、目標である 20µL/min での注入が可能であることを確認したが、今後、組織へ針を留置した状態で注入する際には注入圧をもっと高くする必要があると予想されるため、チューブと針との接続部の強度を高める必要があると考えられる。
グルコース回収用流路では、従来の微小還流針に比べ流路長さが半分になることから、グルコースの回収に十分な長さであるか、血中濃度との相関がとれるかどうかの確認を行った。マウスを用いた経口糖負荷試験を行った結果、作製した針を用いた微小還流によりグルコースが回収可能であることを確認できたが、途中で流路接続部の破損が見られたため、血中グルコース濃度との相関は得られなかった。今後は、接続部の強度を強くすることが必要である。
以上より、隠れ糖尿病診断のための局所糖負荷試験デバイスの開発を行った。本試験に用いる注入・還流の 2 つの機能を持つ針の作製方法を確立し評価を行った。今後は、本デバイスの診断の有効性を確認していくことが必要である。