2005年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第19号

関節軟骨の新しい非侵襲的粘弾性計測システムの開発

研究責任者

石原 美弥

所属:防衛医科大学 校医用電子工学講座 助手

共同研究者

菊地 眞

所属:防衛医科大学校防衛医学研究センター センター長/医用電子工学講座 教授

共同研究者

佐藤 俊一

所属:防衛医学研究センター 情報システム部門 助教授

共同研究者

佐藤 正人

所属:東海大学 医学部 外科学系整形外科  講師

概要

1.まえがき
高齢社会を迎えて骨軟骨の機能維持は高齢者のADL(Activity of daily life)を高く維持するためにも必須である。特に65歳以上の日本人の20%以上が発病すると言われている変形性関節症は、関節の老化現象で軟骨が変性し、軟骨の主要な機能である荷重伝達性や低摩擦性などの力学機能が低下する。変形性関節症の診断法として現状はレントゲンによる関節裂隙(骨と骨の隙間)の観察から軟骨の変性を間接的に診断しており、軟骨の力学機能の直接的な診断が待望されている。また、変形性関節症の治療法として、現在は人工関節手術等の手術的治療、または保存的治療(薬の服用や注射等)が行なわれているが、近年盛んに研究されている軟骨再生医療(再生軟骨組織移植)が新規で有効な治療法と考えられ,臨床応用に向けての研究が盛んに行なわれている。しかし、現実の医療として具現化するためには、組織のバリデーションのための非侵襲的評価・計測技術開発が必要不可欠である。現状においては、主に組織形態学的評価、生化学的並びに分子生物学的分析などが行なわれていて、非侵襲的に計測できない、直接本来の機能を評価できないなどの問題点を抱えている。組織のバリデーションとは、同一の試料を経時的に繰返し評価できる非侵襲的な計測技術により再生組織の機能をin vivoで評価・品質管理することである。すなわち再生された組織の機能が生来のものと比較してどの程度のものであるかを評価できる有用な計測技術が必要とされている1)。
構造を司る組織である軟骨組織は、主に力学特性、生化学的組成で特徴づけられる。特に、体重の数倍以上の荷重が負荷する硝子軟骨(膝関節軟骨)の主要な機能は荷重負荷機能であり,応力などによる変形から瞬時に回復する弾性体ではなく、時間とともに回復する粘弾性体として特徴づけられる。よって、関節軟骨の力学機能を評価するためには、粘弾性特性を測定,特に,加えたひずみの大きさに依存しない特徴をもつ圧縮変形からの緩和関数が軟骨組織の力学機能評価に適した指標である。現在までに生体組織の力学特性をin vivoで測定する方法として、インデンター、超音波を用いた報告2,3)が多数ある。しかし、粘弾性評価に関しては原理的に超音波のような音波の伝搬特性を利用した手法の可能性は示されているものの、実際に再生医療のバリデーションを目指して非侵襲的に測定する方法は確立されていない。そこで本研究では、非侵襲的・選択的・経ファイバー的な診断を可能にすることから医療の分野に革新的に利用されている光を用いた計測法による軟骨再生医療のバリデーションを目指した。
光による生体計測最大の問題である散乱による信号減衰の影響を直接には受けなく,光計測と超音波計測の特長をあわせもつ光音響法は,計測技術自体の歴史は古いが生体を対象とした実用的研究が盛んになってきたのは比較的最近で,固体レーザー技術の進歩により,小型かつ安価なパルス光源が利用できるようになったことと,生体に近い音響インピーダンスを有する高分子圧電素子の実用化が進んだことの寄与が大きい(4)。現在は形態情報だけでなく機能情報の取得が可能で,医学・医療の分野にニーズの大きい有力な診断・計測法として着目されている。光音響法は既に眼科領域の黄斑変性症治療時のモニタリング,グルコースモニタリング,膵癌の早期診断(5-6)などの他,血液に選択的な吸収特性を示す波長のパルス光を照射して,血液由来の光音響信号計測による血流分布イメージングが着手されている。具体的には,熱傷深度診断として健常組織の血液に由来する光音響信号の伝播時間から熱傷深度を診断する方法(7),移植皮膚生着度診断として移植片が生着して始めて新生する血管からの光音響信号を検出することでその生着度を評価する方法(8)が研究開発されている.
2.研究内容
2.1提案した粘弾性計測法
本研究では,応力波(光音響波)が生体の粘弾性の影響を受けながら生体内を伝搬する現象に着目し,ナノ秒パルスレーザー光を照射して発生させた光音響波の挙動から生体の粘弾性特性を評価する方法を新規に提案した。これは線形粘弾性体(スプリングとダッシュポットから構成)である生体に応力が作用すると,その緩和時間が粘性と弾性の比に相当することを利用した計測法である。まず原理実証実験として光音響法を用いて計測された粘弾性特性(Rlaxation time=粘性/弾性)と,レオメーター(既存の侵襲的粘弾性分析装置)から得られる物質固有の粘弾性特性が一致することを力学特性を変化させた生体モデル物質を用いて示した。システムの全体図を図1に,原理実証実験結果を図2に示す(9-10)。
光音響波の励起光源には、OPO(光パラメトリック発振器)を用いた。パルス幅は5~7ns、繰返し周波数は30Hzで動作した。本実験では光の吸収体にコラーゲンを選び、250~355nmをOPOの発振波長とした。吸収が大きい波長を光音響波の励起源とすると、発生する光音響波のピーク値が大きい、光音響波の発生深さが浅い(0.1mm以下)などの特徴をもつ。出力光を石英レンズ(焦点距離,70mm)で集光し、石英光ファイバー(コア径,1000μm、長さ,lm)で導光した。光ファイバーの出射エネルギーは、生体損傷閾値よりも十分に小さい約50μJ/pulseに調整した。
光音響波検出プローブには、径4mmの圧電性高分子フイルムのポリフッ化ビニリデン共重合体(PVDF (TrFE) film)を用いた。今回の実験では、摘出した試料を対象にin vitroで計測を行なうので、励起光を導光する光ファイバーと光音響波検出プローブを対向して配置する透過型検出器を用いた。光音響波検出器の出力信号をFET増幅器(バンド幅,1kHz-100MHz;ゲイン,46dB)で増幅して、マルチチャンネルデジタルオシロスコープ(バンド幅,IGHz)で観測した。バイプラナー光電管を用いて集光用レンズでの励起光の散乱光を検出し、測定信号のトリガーとした。
図2には,ゼラチンに散乱体としてイントラリポスを適量添加したゼラチンファントムを測定対象とし,光音響法による求められたRelaxation timeとレオメーターで測定した試料固有の粘弾性特性を比較して示した。生体組織のコラーゲン濃度は約15~25%であるので、ゼラチン濃度を5~25%(重量濃度)の範囲で変化させることで粘弾性特性を変化させた。両者の相関は0。95以上で,この実験結果より,光音響法により粘弾性特性が計測できることを実証した。
2.2組織工学的手法を用いて作製した再生用組織の評価
組織工学(ティッシュエンジニアリング)的に作製した再生用軟骨組織の構築過程において繰り返し光音響計測し,計測結果が組織の構築過程を反映しているか確認し,その結果から,光音響法による再生用組織の品質管理の可能性を検討した。
組織工学的手法を用いた再生用軟骨組織の作製は以下の手順に従った。日本白色家兎(体重1kg)から膝関節軟骨を摘出し、酵素処理により軟骨細胞を単離した。単離した家兎膝関節軟骨細胞を膜付アテロコラーゲンハニカムスポンジ(ACHMS-scaffold)に高密度(1x106細胞1担体)で播種し、3次元培養を行なった。F12/DMEMに10%FBS(fetal bovine serum)を添加した培地内で、37℃、5%CO2気相の条件で~12週間培養した。実験結果を図3に示す(11-13)。
光音響法で測定したRelaxation timeは培養期間が長くなるにつれて単調減少している。図3とゼラチンファントムの図2の結果を参照すると、培養期間が長いほど緩和時間が減少する傾向は、ゼラチン濃度が増加することに対応する。また、コラーゲン量も培養とともに単調増加し、その増加傾向は緩和時間の変化と強い相関を示す。単離した軟骨細胞が培養過程においてコラーゲン等を主要な成分とする細胞外マトリックスを構築し、その結果、軟骨組織の粘弾性を獲得していることをわかる。以上のことから、光音響法は組織工学的手法を用いて作製した軟骨組織を対象にしても適用可能であること、また、軟骨の粘弾性機能を直接担う細胞外マトリックスの構築状態を反映していることが実証された。
2.3内視鏡視下に適用可能な計測法の確立
上記の研究成果は、励起光源であるレーザー光を導光するファイバー(導光系)と光音響波検出器(センサー)を、測定を容易に実現するため測定試料に対して対向して配置した透過型検出法(Transmitted mode)を採用している。内視鏡視下での計測を可能にするには、導光系と光音響波検出器を同軸に配置する反射型検出法(Reflectance mode)に変更する必要がある。同軸配置においても計測原理は同じであるが、測定信号の減衰が予想される。そこで、より高感度の実用的プローブを新たに設計したところ,図4のように導光用のファイバーを中央に配置し,発生した光音響波をファイバーと同軸上に配置したリング形状のポリフッ化ビニリデン共重合体(PVDF (TrFE) film)により検知する方式にした。
2.4変形性関節症の診断の可能性
再生医療における組織のバリデーションは非侵襲的な計測技術により再生組織の機能をin vivoで評価・品質管理することと前述したが,再生医療を真の医療技術として確立するには,診断、治療計画、移植用再生組織の品質管理、経過観察の一連の評価を同一測定法できる必要があると考えられる。そこで,本研究では,光音響法による変形性関節症の診断の可能性に関して検討した。
試料には、ブタ膝関節軟骨をパンチアウトして直径6mmの骨軟骨プラグを作製し、トリプシン(1mg/m1)で処理したものを用いた。トリプシン処理時間を0~24時間と変化させ、軟骨変性の程度を変化させた。計測したサンプルを一部は組織学的、残りを生化学的分析に用いた。結果を図5に示す。
求められた力学特性はトリプシン処理時間によって異なり、処理時間が長いほど力学特性が減少した。トリプシン処理時間をパラメータとしてプロテオグリカンを生化学的に分析した結果と光音響法による力学特性の変化は正の相関を示し、組織学的変化にも対応した。すなわち、酵素処理により軟骨の主要な機能を担う細胞外基質が変性し、それに伴う力学特性変化を光音響法で評価可能であった。
3.まとめ
本研究では,光音響法による生体試料の粘弾性計測のシステムを構築し,in vitroの計測系では再生軟骨組織の品質管理の可能性が示された。また,本光音響法により、関節鏡等内視鏡視下で軟骨変性診断の可能性が示された。
今後はさらに,本光音響法を移植後の導入組織の粘弾性や周囲組織との生着の評価に適用し、その有効性を示すことができれば、非侵襲的で、かつin situでの計測が可能な光音響法は、治療前診断、組織培養の品質管理、経過観察と医療評価の条件を全て満たす再生医療の基盤技術として有用な方法と考えられる。