1994年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第08号

部分空間法による顕微分光画像解析

研究責任者

豊岡 了

所属:埼玉大学 工学部 応用物理学講座 教授

共同研究者

門野 博史

所属:埼玉大学 工学部 機械工学科 助教授

共同研究者

T.Jaaskelainen

所属:ヨエンスー大学 物理学科 助教授

概要

1.はじめに
私達の視覚は,網膜に形成される像の形状と色で外界を認識している。色に関しては分光感度の異なる3つの錐体細胞を経由して最終的に脳で認識される。色は物質の状態や成分を判断するうえで重要な情報を提供してくれる。物理的には分光スペクトルの違いを色として認識するのであるが,両者は1対1の対応にはなっていない。画像内の物質の同定や分類を正確に行おうとすると,広い波長域にわたる分光学的な観点に立った画像理解が必要になってくる。このうよな技術は特に生物学や医学における染色細胞の顕微鏡観察,臨床医学における内視鏡による病巣部の識別等において重要な手段となる。観測波長を近赤外域まで拡張すれば人体の皮膚の活性状態の診断等で,さらに遠赤外まで拡張すれば地球規模の環境探査をはじめとするグローバルな観測において重要な情報を提供する。分光画像では2次元画像の各点のスペクトルを解析しなければならないので,取り扱う情報量は膨大なものとなり,これらを効率良く計測するためには何らかの情報圧縮と並列処理が強く望まれる。本研究では,統計的パターン認識法の一つであるベクトル部分空間法を顕微鏡分光画像の認識と分類に適用する方法とその光学的並列処理システムを提案する。
2.ベクトル部分空間法によるパターン認識と分類
対象とする試料を透過または反射した色光の分光スペクトルを一定波長間隔でサンプルしたnケのデータ列は,n次元ユークリッド空間塩におけるパターンベクトルとして次式のように表現することができる。
ここではTはベクトルの転置を表している。ベクトルτ(λ)はn次元の正規直交系で展開することができる。いま対象とする多数のサンプルのスペクトル分布の間に強い相関があると,それらのサンプルはユークリッド空間上で比較的小数の主成分方向に集中するであろう。色光スペクトルのもつこのような統計的性質を利用すると,対象とするパターンベクトルをもとの空間よりもはるかに低次元の部分空間へ展開することにより近似することができる。このようにして,情報の損失を最小限にして効率的にデータを圧縮することが可能になる。P個の直交基底ベクトルが張る部分空間LIPが決定されたとすると,この空間における展開は次式のように表すことができる。
部分空間の直交基底{Vi}とその次元Pは多変量解析における主成分分析(PCA)によって決定することができる。すなわちベトトルτの相関行列P=E(ττT)の固有値があるしきい値以上になる固有ベクトルを選べばよい。パターンの分類においては,例えば2分類の場合,第二のq次元部分空間L、qへの投影を次式のように定義する。
いま任意の入力ベクトルがあったとき,それは次式で定義される残差が小さい方に属するという分類規則は合理的である。
以上の過程は,はじめにあらかじめどちらに属するかが既知のサンプル多数についてデータを採取し,PCAによってそれぞれの部分空間を決定する学習過程と,未知サンプルをそれらの部分空間に投影する分類過程に分けることができる。
はじめに,私達の視覚が捕える世界を分光学的に表現するための部分空間を作ることを考えてみよう。この方法は統計的手法であるから,学習過程においては可視域で私達が目にする全ての色光の分光スペクトルを公平にサンプルする必要がある。この条件はマンセル色票の分光反射スペクトルを全て採取することによって満たされることが共同研究者らの以前の研究によって確かめられている。JIS色票1569色全ての分光スペクトルを測定し,PCAによって作成した7次元の直交基底ベクトルを図1に示す。この場合,次元の決定は,n個の固有値の総和に対するP個の固有値の総和を忠実度と定義し,これにある値を設定することによってなされる。図1の例では忠実度99.8%である。このことから,すべての色光のスペクトルは図1の7次元空間に展開することによって表現できることが分かる。
3.光学的内積演算システム
筆者らは(2)式及び③式におけるベクトルの内積(τTvi),(τTwi)を透過型液晶TVパネルを用いた光学的並列処理システムによって実行する方法を考案した。図2において,キセノンランプが発する白色光は反射回析格子1に平行入射する。円筒レンズCL1の焦点面には液晶パネルが置かれる。液晶パネルの分散軸方向の透過率は部分空間の直交基底ベクトルに対応するように,マイクロコンピュータでコントロールされる。回析格子2で反射して混合された光波は直交基底ベクトルに対応するスペクトル分布を持つ光になっている。この光はライトガイドを経由して顕微鏡の照明系に導かれる。直交基底ベクトルに応じて液晶パネルの透過率を順次変え,それぞれの画像を,モノクロのCCDカメラで撮像し,ピクセルごとに(2)式(3)式の積和及び(4)式の残差を計算する。本システムにおいては直交基底ベクトルに相当する液晶空間フィルタをいかに精度よく作るかが重要なポイントである。ところで上のようにして求めた直交基底ベクトルは負の値もとるが,液晶パネルの透過率(フィルター関数)は非負でなければならない。そこでフィルター関蜘はViの各要素に一定の係数をかけ,バイアスを加えることにより,つねに正値を取るようにし,最後に部分空間への投影を計算するときにv、に戻すことにする。実験に用いた液晶パネルは市販の投影型カラーTVに用いられているTFTアクティブマトリックス型のもので,パネルサイズ62mm×45mm,ピクセル数382×234で,8ビットのビデオ信号で透過率をコントロールできるものである。図3に帯域10nmごとに測定した透過率特性を示す。図から明らかなように,入力に対する透過率は非線形で波長によってかなり異なり,さらにピクセル間のクロストークもあり,この図から直ちに適正なフィルターを作ることは難しい。そこで図3の曲線の代わりに,一定勾配の直線を仮定し,直線上で目標とする透過率tを入力し,そのときに得られた透過率が目標値と異なる場合は動作点を移動していき,最終的に目標値に収束させる方法(反復フィードバック法)を採用した。この方法により,誤差率3%以内で適正な空間フィルターを作ることができた。
4.実験結果
図4は既知の2種類の色素で染色したねずみの精巣細胞の顕微鏡写真である。この試料は細胞の核及び酸性の部分にトラップされるヘマトキシリン(HX,青)と,それ以外の組織を染めるエオシンイエロー(EY,赤)と呼ばれる色素で染色されている。はじめにこれらの試薬をpH濃度が若干異なる4種類の紙にしみこませ,その分光反射率分布をモノクロメータで測定し,学習用データとした。各色素について450nmから650nmの範囲の21個のデータについてPCAによって部分空間を作成した。忠実度を99.9%に設定したときの部分空間の直交基底ベクトルを図5に示す。HX(左)については2次元,EY(右)については1次元でもとのデータを忠実に再現できることがわかる。図4の顕微鏡画像に対する解析結果を図6に示す。左図は原画像をEYの部分空間に投影した結果,右図はHXに投影した結果で,それぞれEY及びHXがトラップされている部分が明瞭に示されている。
次に示す例は,ヒトの血球の顕微鏡画像(図7)で,染色色素は未知であるとして2種類の血球を識別する実験を行った。はじめに図2の光学系に試料を挿入し,図1の直交基底ベクトルに相当する7つのフィルター関数を順次液晶パネルに入力し,その透過率を変化させた。次に画像中の2種類の組織について7次元空間で展開したデータをもとにしてそれぞれの3次元部分空間を作成した。画像全体をこのようにして得られた部分空間に展開し,分類規則にしたがって分類した結果を図8に示す。図中,白は赤血球,グレーは白血球である。この分類結果から直ちに画像中に占める赤血球と白血球の割合が42.6%,10.8%であることが求められる。
5.むすび
人間の視覚は3刺激値によって色の識別を行っていることからコンピュータカラー画像解析においても3刺激値法が広く用いられている。しかし,分光スペクトル分布に着目した観点に立つとき,一般的な3刺激値法が常に最適であるという保証はない。特に対象とする画像に含まれる成分が限られている場合は,その成分に固有な空間を作り,その空間に線形に投影することにより,効率的かつ高精度に分光画像の認識及び分類を行うことができる。分光画像においては分散系が必須である点が一般の画像処理と異なる点であろう。その点は本論分で述べた分散系を含む光学的並列処理システムは有効であろう。観測対象を可視波長域における顕微鏡画像に限って議論したが,同じ議論をより広い波長帯域を含む他の分光画像システムに適用すればさらに応用範囲が広がるものと考えられる。