1995年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第09号

遺伝子検出における電子計測技術の開発

研究責任者

竹中 繁織

所属:九州工業大学 情報工学部 生物化学システム工学科 助教授

共同研究者

近藤 寛樹

所属:九州工業大学 情報工学部 生物化学システム工学科 教授

共同研究者

数田 恭章

所属:九州工業大学 情報工学部 生物化学システム工学科 助手

概要

1.はじめに
医療分野で遺伝子検査や遺伝子治療が行なわれつつある。これに伴い,種個体間の微小な遺伝子の違いや,疾患に関係する遺伝子の特徴を的確かつ簡便に検出する手法が強く望まれるようになった。DNAプローブ法は,特定配列を持った標識DNA探索子(プローブ)としてそれと相補的なDNAを特異的に検出する手法であり,上記目的を十分満足する手法として発展してきている。
現在までのDNAプローブによる目的DNAの検出は,次のような方法によって行われている。すなわち,試料DNAの二重らせんを変性し一本鎖として,ニトロセルロースなどの固相担体に固定化する。これに標識したDNAプローブを加え固定化された試料DNAとの結合反応(ハイブリダイゼション)を行う。DNAプローブと相補的なDNA配列が試料DNAに存在すれば,二重らせんが形成されるので,標識のシグナルに基づいてそれを検出できる。
標識シグナルとして放射i生同位元素(RI)が一般に用いられ,最近ではRIの使用上の制約から可視光,ケイ光,化学発光による検出が行われているが,そのままでは感度が低いため酵素系と組み合せた増幅反応により感度の向上を試みている。しかし,これまでのDNAプローブは,克服すべき二つの問題点がある。
(1)固一液反応によって試料DNAプローブと結合していないDNAプローブとを分離しているが,このため手間のかかる操作が必要となる。
(2)得られる情報はDNAプローブが結合したかどうかだけである。DNAプローブがどのような結合状態にあるかはわからない。
本研究者は,以上の問題点を克服すべく高感度化が期待される電気化学活性基を有するDNAプローブを開発し,DNAの高感度検出に有効なことを証明した(日化64秋季年会発表)。即ち,電気化学活性DNAプローブをフローインジェクションと電気化学検出器(ECD)を組み合せたモデル系に適用し,液一液反応により1fmolの目的DNAの検出を達成することができた。また,電気化学活性部位が目的DNAと二重らせんを形成した時の電気化学的応答が結合していないものと異なることが明らかとなった。
これらの知見をもとに上記二つの問題点を克服できる遺伝子計測における電子計測技術の開発を行った。このために1)DNAフローブの開発,2)HPLC充愼剤の改良,3)ECDの改良の三つの方向からの研究を考えた(図1)。当該年度では,1)および2)を中心に検討を加えた。
2.結果及び考察
2-1、プローブの合成
本研究において電気化学活性プローブとして期待される性能は,次のようである。
a)可逆的な酸化還元反応を行うこと。b)正電位での検出ができること。c)ターゲットDNAと結合することによって酸化される電位が大きく変化すること。
a),b)は,高感度検出に必要である。特に負電位側での測定は,水溶液を使用する場合溶存酸素の影響があるため避けなければならない。c)は,DNAセンサーを開発する上で特に重要である。例えば,フリーのプローブが,El以上の電位で酸化電流が検出されるが,プローブがターゲットDNAに結合することによって酸化電位がE2にシフトすると仮定する(図2a)。ここで,E2〈E1とする。この場合E2とE1の間の電位に固定し酸化電流を計測すると,得られるのはターゲットDNAに結合したプローブに由来する電流だけである。言い換えれば,電位の設定によってターゲットDNAに結合したプローブとブリープローブとを分離することなくターゲットDNAに結合したプローブ量を定量化できることになる。逆に,プローブがターゲットDNAに結合することによって酸化電位がE3にシフトすると仮定する(図2b)。ここで,E1〈E3とする。この場合でもE1以下の電位では,フリーのプローブのみが検出されるので,はじめに既知量のプローブを加えておくと,その差から結合量が計算できる、しかし,一般に測定条件ではプローブが大過剰に存在することからこの場合はあまり高感度検出は期待できないであろう。
上記の性能を加味して電気化学活性基の検索を行った、,オリゴヌクレオチドは,DNA合成装置によって簡便に合成できるようになってきている。また,オリゴヌクレオチドの5L末端にアミノ基を導入するアミノリンクアミダイト試薬が開発されており,アミノリンクオリゴヌクレオチドは,容易に合成できる。従ってアミノリンクオリゴヌクレオチドに電気化学活性基を導入可能な試薬の開発を行った。ここでは,フェナジン誘導体1,フェロセン誘導体2,鉄ビピリジン錯体誘導体3について合成を行った。これらの化合物の基本骨格から酸化電位は正極側に存在することが期待されるが,オリゴヌクレオチドに導入することによって,またターゲットDNAとの複合体を形成することによって化合物の酸化電位が負にシフトするかどうかが興味深いところである。
化合物1~3は,アミノリンクオリゴヌクレオチドに導入可能なように活性エステル化した。これは,対応するカルボン酸誘導体を合成し,これにN-tドロキシスクシンイミドをDCC縮合によって導入したものである。
2-2.プローブの電気化学挙動の観察
ここでは,化合物2をアミノリンクオリゴヌクレオチドに連結させたオリゴヌクレオチド4における電気化学的挙動を対流ボルタンメトリーにより評価した。
化合物2に導入したフェロセン骨格部は,+0.3V(vsAg/AgCl)付近に酸化電位を持ち可逆的に酸化還元が可能である。本節では,HPLCを備えた電気化学検出器(ECD,ELCOM,ECD-100)を用いてプローブ4についての例を示す。
10fmolの4の対流ボルタモグラムを図3に示した。これらのデータは,フローインジェクションモードにて種々の電位で10mlの試料をインジェクションした時に得られるピークの高さをプロットしたものである。プローブ4の酸化は,+0.2Vで始まって+0.5Vで一定に達する。4の最大酸化電流は,+13.OnAであった。poly(A)との複合体の形成によって立ち上がりと一定に達する電位は,+0.4Vと+0.8Vのシフトした。また,ECD応答も非結合時に比べ三分の一に減少した。
ECD応答の減少は,poly(A)との複合体形成によりみかけの分子量が増大し,電極への拡散速度が減少したためと考えることができるが,酸化電位の正へのシフトはこれによっては説明できない。この結果を以前我々が行った熱力学的平衡解析に適用すると酸化前の方がより大きな結合定数を持つことがわかる。一般にフェロセンは,酸化されることにより正電荷を帯びる。従って,負に帯電したDNAのリン酸バックボーンとの正電的相互作用が有利となると期待されるが,この結果は逆である。この理由は,次のように考えることができる。
複合体のコンポメーションの変化に比べるとフェロセンの酸化は非常に速く,瞬時のうちに起こるため複合体は酸化と同時に最安定なコンホーメションへと変化することができない。つまり,酸化前にフェロセンの存在していたミクロ環境は,酸化され正電荷を帯びたフェロセンにとってけして好ましくないので,計算上は酸化後の結合定数の方が小さくなると考えられる。従って,例えば修飾法を変えて溝への疎水結合が不可能な,またはリン酸バックボーンとの相互作用を余儀なくされるような連結部を用いれば酸化後の結合定数の方が大きくなり酸化電位のシフトは全く逆のつまり負の側にシフトするプローブが実現できると期待される。
DNAの電気化学的ラベル化剤としての利用を考えると,図2で議論したように複合体形成に伴って酸化電位は負の方向にシフトしてくれる方が望ましい。何故ならば,ターゲットとの結合種だけをECDで検知することができるようになるからである。残念ながらプローブ4の場合は,正の方向に働いているが,ここで得られた結果は今後の酸化還元活性基修飾オリゴヌクレオチドの分子設計には非常に有用である。
2-3.HPLCの検討
フェロセン修飾オリゴヌクレオチドをHPLC-ECDに応用するため種々のモードのカラムを用いて検討を行なった。しかし,いずれのカラムを用いてもフェロセン修飾オリゴヌクレオチドは,1pmol以下はカラムに吸着されて溶出できなかった。これに対してpoly(A)(プローブ4により複合体を形成することができる)との複合体は,溶出可能であった。この場合のECDピークは,フローインジェクションのそれとほぼ一致していることから複合体がカラムに吸着することなしに溶出可能なことが示された(図3参照)。
これまでの検討から,TSK-GELHA-1000(Tosoh)のカラムと0.5Mリン酸緩衝液(pH6.8),0.1MNaClの溶離液を用いることにより再現性よく複合体のみを検出できることが明らかとなった。
2-4.フェロセン修飾オリゴヌクレオチドを用いたターゲット遺伝子の検出
理想的な検出法の概略を図4に示した。
まず分析対象となる異なる複数のフラグメントを含むDNA試料に検出したいシークエンスと相補的な結合部位を有するプローブを添加する。これによりプローブはこのターゲットシークエンスを有するフラグメントのみと複合体を形成する。その後試料をHPLCに注入しカラムのモードに従ってこれらフラグメントを分離する。ここで検出器としてECDを用いると目的フラグメントのみを選択的に検出できるはずである。フリーのプローブはその保持時間や酸化還元電位から容易に区別が可能である。前節での検討からフリーのプローブはカラムに吸着される。本節ではこの目的フラグメントの選択的検出の基礎的検討として,まず複合体検出はどの程度の量まで可能なのか,その検出下限を知るためにHPLC-ECDを用いて複合体の検出実験を行った。
プローブ4に対して100倍(リン酸基準の濃度で)のpoly(A)を添加して複合体を形成させたものを試料として検出感度の検討を行った。それぞれのプローブ添加量に対応するクロマトグラムとそのピークの最大の電流値による検量線を図5に示した。検量線の直線陛は極めて良好で,fmolオーダーまで充分に検出できることがわかった。最も注入量の少ない20fmolでもS/N比はまだ非常に高く,少なくともfmolレベルの検出は充分達成されるものと考えられる。この検出感度はHPLCとを組み合わせて分離・分析を同時に行う系では他に類をみない驚異的な感度であり,この手法の持つ潜在的可能性を物語るものである.
さらに活性型ガン遺伝子(v-myc)の固有塩基配列を有するv-mycFcを用いたv-myc遺伝子1.25Kbpの検出を行った。その結果1fmolまでの検出が可能となった。これらの結果よりこの手法が未知のターゲットシークエンスを高感度で検索する手法として利用できることを示すものである。
真核生物のmRNAは,ポリアデニル酸を末端に有している。従って,プローブ5を用いれば全RNAの内mRNAのみを検出・定量化できると期待される。まず,ラットの脳細胞から全RNAを取りだしオリゴTカラムによってmRNAを単離した。これにプローブ5を適用しpgのmRNAが定量が可能となった。そこで酵母D452-5株から全RNAを単離し,そのなかに含まれるmRNA量をプローブ5によって推定したところこれまで知られている値と一致した。細胞内でのmRNAの簡便な定量法が望まれており,本手法がそれにも応用可能であった。
3.おわりに
本研究では,電気化学的に不活性なDNAを電気化学活性基でラベルし,高感度な電気化学をDNAの分析に導入しようという目的で酸化還元活性リガンドを発展させた。具体的には,塩基配列認識部位としてオリゴヌクレオチドを用いることによって特異的結合が可能になり,さらにフェロセンなどの電気化学活性基の導入によって正電位領域での高感度計測が可能となった。実際にHPLC-ECDシステムにフェロセン修飾オリゴヌクレオチドをプローブとして応用することにより,RIにも匹敵する検出感度をもつ画期的な結果が得られた。これらの結果は,DNAの微量分析という実用的な観点から眺めてみても非常に有望である。今後,遺伝病などの診断試薬として,また遺伝子解析の新しい手法として実用化が可能である。