2016年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

進化学習に生かすトンボ類の視覚と生態の進化に関わる教材

実施担当者

土屋 泉

所属:上越市立板倉中学校 教諭

概要

1 はじめに
 中学生から大人まで一般的に進化に対して持つイメージはいわゆる大進化(古代の生物が変遷して現代の生物になった)である。教科書でも同様な内容しか扱っていない。それ以外にもっと身近でも進化は起きていることがまだ理解されていない。
 しかし身近な生物にも進化の跡が残されており,その気になれば進化の結果を目の当たりにすることができること,あるいは進化の最中であることを実際の体験から知ることもできるのである。本研究では,トンボ類という身近な生物を材料に,主に紫外線に感受性がある視覚に注目し,彼らの生活にどのように利用され,どのように役立ってきたのかなどについての資料を得ることを目的とする。
 我々には感受性がない紫外線の調査には、デジタルカメラによる撮影が有効である。フィルムカメラで紫外線撮影していた時代と比べ、野外でも手持ちでも撮影できるようになり、手軽に失敗なく撮影ができるようになりつつある。近年のデジタルカメラの機能の発達には目にみはるものがあり、紫外線写真が比較的安価な機器で撮影可能になってきている。さらに,ライブビューで紫外線の視覚の疑似体験をすることも不可能ではなくなってきている。
 しかし比較的安価な機器といってもそれなりに経費が掛かることは確かである。研究遂行には調査機器の検討とそれらをそろえるところから始め,実際にトンボ類が紫外線を利用している場面をとらえるなどの資料収集に努める必要がある。
今回は資料収集が主な目的であるが,これらの成果を活用した視覚と生態に関連した進化学習を行うことができれば,進化は身近に起きている生物の基本現象であることを感じ取ってもらえるのではないかと期待する。


2 材料と方法
2-1 紫外線撮影機器の検討
 調査方法はデジタルカメラを用い紫外線写真の撮影を行い紫外線の反射あるいは吸収の状態を調べ,行動や生態との関連を追求することとした。そのため撮影機器の検討から始めた。
 紫外線撮影を室内で静止画を撮影するなら長時間露光で可能である。ここでは碓井が述べているように,紫外線写真を「野外で・ライブビューで・カメラを手持ちで」撮影することを目標にした機材選びを行った。
 最低限必要なものは,微弱な紫外線量でも撮影可能な高感度撮影が可能なデジタルカメラ,紫外線の透過率が高いレンズ,紫外線の透過率が高くその他の可視光線や赤外線をカットし透過率が0に近いフィルターである。さらにデジタルカメラは紫外線撮影用に改造を依頼する必要がある。これはカメラのイメージセンサーに装着されている紫外線や赤外線をカットする機能を持つ複合調光フィルターを取り外し光路長調整のための石英ガラスフィルターを換装する必要があるからである。
 検討の結果、カメラは「ソニーα7s」,レンズは碓井に従い「Ai-S Micro-Nikkor 55mm F2.8」,フィルターはBaader Planetarium社の「Baader U-Venus-Filter2」とした.このフィルターは金星の天体撮影用に開発されたものであるが、紫外線撮影にも応用されるフィルターである。紫外線撮影に利用できそうな各種フィルターの検討の詳細は土屋間を参照されたい。
 高感度撮影が可能なデジタルカメラにより静止画だけでなく、動画も撮影可能になった。これは行動を調べるのに大変有利になった。

2-2 紫外線写真
 紫外線撮影といえば,花の密源をポリネーターに知らせるハニーガイドやネクターガイドを思い浮かべる方が少なくないと思うが,多くの動物は紫外線をいろいろな場而で利用しているようである。彼らは外界の刺激をさまざまな感覚で受け取っているが,特に形・模様・色・明暗などを受けとる視覚が発達する動物は多い。その中で一部の昆虫類と多くの鳥類の視覚は可視光線ばかりでなく,我々ヒトが認識できない紫外線にも感受性が認められる。
 鳥類やチョウ類ではその実態は比較的多く報告されているが,他の昆虫類ではまだ少ない。我々は紫外線に感受性がないため,専門的な調査では紫外線から可視光線まで各波長に対する反射・吸収強度の測定に分光計(Spectrometer)が使われているようである。しかし動物の行動の実際を調査するには,紫外線撮影を行う方法が有効である.野外調査でも比較的手軽に行うことができるからである。
図は中学校2年生用のある教科書に載っている写真である。タンポポの花の通常の写真と紫外線で撮影した写真を示し、ヒトと昆虫で異なる刺激を感知できることを説明している。一般にはこれがいわゆるハニーガイドであるかのように説明され、タンポポの花にとまるハチとセットの写真が紹介されることがある。しかし夕ンポポの花は集合花であるため、ハニーガイドとしての意味はないのではないかと思われる。このような誤解が生じるのも進化的な考察が不足しているからなのではないだろうか。
 次の図はユリ科の花弁1枚の紫外線写真である。根元に近い方に紫外線を吸収する部分があり、このような花弁がハニーガイドとなると思われる。


3 結果
3-1 トンボ類の撮影例
実験・観察は野外の池で水際まで近寄れる実験適地を探すことから始めた。自宅周辺はもちろん、県内各地を回って適する場所を探した。多くの池では水際にアシが多く繁茂し、水際まで近寄れ、実験を行いやすい場所は意外と少なく適地の探索には苦労した。
 カワトンボ類,シオカラトンボ類,チョウトンボについて紫外線撮影を行った。カワトンボ類は紫外線の反射,吸収とも不明確であった。シオカラトンボ類は腹部の白粉部分が反射していた。これは既知のとおりであった。チョウトンボは予想通り翅の有色部分に反射が見られた。この有色部分は構造色を旦していることは自明であり,紫外線の反射は構造色として反射していることが分かった。

3-2 チョウトンボの繁殖行動と翅の紫外線反射
①同性間の干渉
 なわばりを構える雄は侵入雄を追尾し、侵入雄を追い払うような行動を示す。雄同士が干渉し合っている。この時のようすを紫外線動画撮影すると、翅が紫外線をよく反射しているのが分かる。
②モデル実験a
 雄の標本を長さ90cmの細長い棒の先に固定し、棒を手持ちで細かく振動させることにより翅をはばたいているのと似た状態にし、他の雄の反応を見た。すぐに他の雄が寄ってきて盛んにアタックを仕掛けてきた。翅が振動していないとこのような反応は見られなかった。明らかに翅の動きに反応していることが分かった。
③モデル実験b
 ②の反応が翅の紫外線反射に反応したものか、あるいは紫色の翅に反応したものかどうかを確かめるために、雄の標本の代わりに別なモデルで②と同様な実験を行った。
 モデルとしたものは、コピー用紙を長方形の形で左右2枚ずつ計4枚にしたもので、翅の代わりとした。胴体はない。大きさは雄の翅と似た大きさにした。これを②と同様に棒の先に固定し振動させた。振動の条件をそろえるためと観察や撮影に集中するために、モーターを使って棒を振動させた。モデルとしたものは、数色の色紙、コピー用紙に絵の具やラインマーカーで着色したもの、コピー用紙に日焼け止めをぬり紫外線の反射率を変えたもの、数色の反射テープ、プラスチック製の小さな多面体をいくつか張り付けたものなどである。
 色紙は主に色に対する反応を調べるためである。反射テープやプラスチック製の小さな多面体は反射が強いことから紫外線反射の反応を調べるためである。合計42種類のモデルで反応を調べてみた。これらは紫外線の反射率の大きなものから小さなものまで違いがあったが、他の雄の反応が見られたのは紫色のホログラムテープだけであった。他の色のホログラムテープには反応が見られなかった。単に紫色だけあるいは紫外線反射だけに反応しているということではないということが分かった。
 紫色のホログラムテープを振動させた時のようすをよく見ると、斑点状に反射が強く出る部分が見え、振動によってその斑点の位置が目まぐるしく変化していた。これは、トンボの視覚からすると、紫色の翅が紫外線のスポットを点滅させているように見えるはずである。
④授業での紹介
 ここまでわかったことをもとに授業で紹介した。可視光線による写真と紫外線による写真の比較、チョウトンボの翅の構造色のようす、同じく紫外線反射の様子、同種雄による干渉のようす等を静止画と動画を交えて紹介し、彼らの行動が他種との関係やまわりの環境との区別の必要性から生じた進化の結呆であることを考察した。


4 まとめ
 チョウトンボの紫外線利用について、翅の構造色による紫外線反射を繁殖に利用していることがわかった。ただし単純に紫外線の反射に反応しているのではなく、その細かな点滅に意味がありそうである。単純に紫外線の反射に反応するのなら、水面や水辺の植物の葉にも反応してしまう。それを防ぐために翅の振動による紫外線の細かな点滅に反応するように進化したのかもしれない。それにより同種の行動にだけ反応することができるようになったのではないだろうか。今回明らかにすることができたのは、ここまでである。
 チョウトンボは日向のトンボである。日が陰るとその活動量は極端に減少する。たっぷり太陽光線を浴びる事には意味があったのである。暑い中ひらひら飛び回っているだけのように見える彼らの行動には繁殖を成功させるという深い意味があったのである。強い太陽光線の中で翅をひらひらさせることこそが大切なことであった。当たり前のように見えた行動に深い意味があった。
 身近な昆虫であるトンボを材料にすることは、興味を喚起し意欲的な学習活動へと導くものであると思われた。今後も調査を続け視覚に関連する行動生態の進化を調べ,その成呆を進化学習に生かしていきたいと思っている。