2013年[ 技術開発研究助成 (奨励研究) ] 成果報告 : 年報第27号

近赤外分光イメージングによる動脈硬化プラークの血管内透視診断技術の開発

研究責任者

石井 克典

所属:大阪大学大学院 工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 助教

共同研究者

粟津 邦男

所属:大阪大学大学院 工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 教授

概要

1.はじめに
1.1動脈硬化症とプラーク
厚生労働省の人口動態統計によると、心疾患と脳血管疾患をあわせた血管疾患は悪性新生物と同程度の死亡率であり、血管疾患の低侵襲かつ安全な診断や治療法の開発が求められている。これらの血管疾患の主要因は動脈硬化症(arteriosclerosis)であり、中でも大量の脂質沈着を伴う粥状動脈硬化(atherosclerosis)が動脈硬化の代表病変である1)。リスクファクターの積極的治療や進展予防といった視点から動脈硬化の診断・早期発見の重要性は言うまでもない。従来、虚血イベントにつながる危険性は狭窄度に大きく依存すると考えられてきたが、高度狭窄を有さない病変でも急性動脈閉塞を引き起こす症例が数多く報告されており、現在は虚血イベントの誘発のしやすさは狭窄度だけでなくプラーク(粥腫)の組成に大きく依存すると考えられている。プラークはその組成により、平滑筋細胞を主体とする線維性プラーク(fibrous plaque)、脂肪成分に富むプラーク(1ipid-richplaque)、石灰化プラーク(calcified plaque)の主に三っに分類される。fibrous plaqueは線維性被膜が厚く安定しているためプラーク破裂の危険が小さい一方で、lipid-richプラークは薄い線維性被膜と豊富な脂質プールから成り虚血イベントを引き起こす線維性被膜の亀裂や破裂を引き起こしやすい。このような不安定で破裂しやすいプラークは不安定プラーク(vulnerable plaque)と呼ばれる2)。不安定プラークと安定プラークでは脂質とタンパク質の比率が異なる(不安定プラークは脂質が多い)という報告もあり3)、危険性の判断には脂質の量や組成といった情報による診断が有効と考えられる。
1.2動脈硬化の診断技術
動脈硬化の診断において画像診断は欠くことのできない技術である。主な動脈硬化診断法として、血管造影法、X線コンピュータ断層撮影(x-ray computed tomography; CT)、核磁気共鳴イメージング(magnetic resonance imaging; MRI)、血管内視鏡観察4)、血管内超音波法(intravascular ultra sound; IVUS)5・6)、光コヒーレンストモグラフィ(optical coherence tomography; OCT)7)、などがある。これらは主に形態をもとに狭窄度の診断を行う手法である。現在、IVUSより高空間分解能でOCTより深い領域を観察可能な血管内光音響イメージング(intravascular photoacoustic imaging IVPA)8)が研究レベルで注目を集めている。また、分光情報を用いることで形態情報のみでは診断困難な不安定プラークの識別が可能と考えられており、近赤外分光3・9~11)、蛍光分光12)、ラマン分光13)、光音響分光14)などを用いた動脈硬化診断の可能性が報告されている。本研究では分光イメージングの一種であるハイパースペクトルイメージング(hyperspectral imaging; HSI)で動脈硬化プラークを強調観察する技術開発について検討を行った。HSIは多波長の観察光を用いて対象を観察し、対象の光吸収特性に基づき位置ごとの分光情報を取得する技術である15・16)。1波長や数波長の分光イメージングでは検出が困難な場合、多波長の情報、すなわち分光スペクトルの形を利用することで検出対象を分別し強調観察することができる。HSIは従来,衛星や航空機からの土壌や農作物の測定,農作物の糖度測定や病害検出,薬剤の成分分析など,リモートセンシングや品質管理といった幅広い分野で応用されており17・18)、特に、農林分野や食品分野では古くから研究が進み、分光スペクトルの解析手法や成分分析のノウハウが蓄積されている。近年、医療分野においても癌細胞の観察や血管網の観察などへの応用が試みられている19・20)。また、動脈硬化病変の観察については可視域を用いた報告がある21)。
1.3動脈硬化診断における近赤外分光の有用性
一般に物質の電子遷移は可視域から紫外域、振動遷移は赤外域、回転遷移はマイクロ波の領域にある。分子振動は近似的に基準振動と呼ばれる調和振動子の重ね合わせで表すことができ、その基本音は中赤外域で強い吸収として観測される。分子振動の倍音や結合音への遷移は調和振動子近似では禁制遷移であるが、実際の分子振動のポテンシャルは完全に調和的ではないため、大きな非調和性を持つ分子振動では倍音や結合音が観測される。すなわち、基本音に比べて非常に弱い吸収として波長約800~2500nmの近赤外域で観測される。逆に、近赤外域は中赤外域に比べて吸収が小さいことから、その高い透過性を生かして生体組織の深い領域の診断が可能である。近赤外域に観測される遷移は非調和性が比較的大きい振動モードに限られるため、近赤外吸収スペクトルには水素が関わる0-H、C-H、N-H結合の振動やCニ0伸縮振動など限られた種類の振動の倍音や結合音が観測される22)。脂質に富んだプラークはこれらの結合を多く持ち、その近赤外吸収スペクトルには波長1200nm帯にC-H伸縮振動の第2倍音、1400nm帯にC-H伸縮振動・変角振動の結合音、1450nmに0-H伸縮振動の第1倍音、1700nm帯にC-H伸縮振動の第1倍音と23)、弱いながらも特徴的な吸収が観測される。実際、近赤外域は脂質性のプラークに対して特徴的な分光情報を持つとの報告はすでにあり24)、動脈硬化診断に向いている波長域である。図1にウサギ動脈硬化プラークとウサギ正常動脈の近赤外吸収スペクトルを示す。
1.4本研究の目的
近赤外域での分光イメージングは、プラークの主成分である脂質由来の分子結合に関する情報をもとに表層病変をはじめ深部病変を検出・観察できる可能性がある。そこで本研究では、近赤外HSIによるプラークの内視鏡的診断法における強調観察技術の開発を目的とし、①近赤外域の脂質の吸収情報をもとに脂質を強調観察可能かどうか、②可視では観察困難な深部病変(表面に露出していない初期病変)を検出・観察可能かどうかについて、動脈硬化病変ファントムを観察対象に検討を行った。
2.HSIの方法
2.1原理
HSIでは連続した波長の分光画像を取得し、位置情報に加え画像ピクセルごとの分光スペクトル情報を持つデータセットであるハイパースペクトルキューブ(hyperspectral cube; HSC)を取得する必要がある。HSC取得に関してはいくつかの方式が考えられる。すなわち、照射光の方式(点状・線状・面状)、検出器の方式(単一素子・ライン・カメラ)、分光する部分(光源を分光し照射・拡散反射光を分光し検出)、分光の方式(フィルター・プリズム・モノクロメーター・波長可変光源)の組み合わせである25)。図2にHSIの測定イメージを示す。
2.2光学系
本研究では、分光した面状光を照射しカメラを用いてHSCを得る方式のHSIシステム、具体的には白色光源、グレーティング式モノクロメーターとカメラを用いたシステムを構築した26)。図3に本研究で構築したHSIシステムを示す。光源にはパルス幅13ns、繰り返し周波数75MHz、発生波長域1100-2400nm、平均出力約40mWのスーパーコンティニウム(super continuum: SC)光源(Sumitomo Electric Industries、Japan)を用いた。SC光源からの出射光をシングルモードの石英ファイバーで導光し、入射スリット幅500?mの波長駆動装置付きグレーティング式モノクロメーター(SPG-1201R、AT120-PL、AT-120PCC、Shimadzu、Japan)で分光し、波長範囲を限定した光を得た。波長による光源強度の不均一性を補正するため、波長帯によってアッテネーターを通過させ光源強度を調整した。モノクロメーターからの出射光を縦横同率となるよう成形拡大し、上部から斜入射にてサンプルへ照射した。サンプルからの拡散反射光をInGaAs素子の近赤外CCDカメラ(320×256pixels,30?m/pixel)(XEVA-2.5-320,Xenics,Belgium)で検出し一波長におけるイメージを得た。なお、光源強度、モノクロメーターの対応波長、CCDカメラ感度のバランスから、波長1150-1720nmの画像データを10nmごとに取得した。
2.3イメージの取得および処理方法サンプルの拡散反射光強度Isample。(x、.v.λ)、標準反射板からの反射光強度Iback(x、.v.λ)、非照射状態でのカメラの暗電流強度Idark(x、.v.λ)から、式1により分光反射率R(x、.y、λ)を算出し、式2により分光反射率から吸光度A(x、.v.λ)を算出した。各ピクセルに対してこの計算を行い、一波長における吸収画像を得た。これを使用する波長分繰り返しHSCを得た。
ここで、xとYはピクセル位置、λは波長を示す。測定時は、波長ごとにIback(X、.v、λ)が一定となるよう露光時間を調節した。取得したHSCは、ピクセル間の吸収スペクトル(横軸に波長,縦軸に吸光度を取った曲線で、HSCの波長軸方向の値を並べたもの)の類似度を画像コントラストとして描出する手法であるスペクトル角マッパー(spectral angle mapper; SAM)法27)をもとにした演算法で処理を行った。図4にSAM法のイメージを示す。まず、吸収スペクトルのベクトル化を行った。吸収スペクトルはその1点1点の吸光度を書きならべると波長数n点の値を持つベクトルに対応させることができる。このベクトルはn次元空間内の1点であり、原点からの方向がスペクトルの形に、原点からの距離がスペクトルの強度に対応する28)。
画像中で強調したい物質の吸収スペクトルを基準ベクトルAとし、全てのピクセルにおける吸光ベクトルBに対しAとの角度差θの余弦値、すなわち類似度cosθを式3で計算した。
cosθ値を整数倍し0-255の256階調に振り分け、類似度の最も高いピクセル(基準ベクトルに近いもの)を255(白)、類似度の最も低いピクセルを0(黒)と定めHSIイメージを描出した。なお、本研究では近赤外分光光度計で測定した牛脂の吸収スペクトルを基準ベクトルとした。また、HSIイメージの画素値ヒストグラム(輝度値の分布)をもとに輝度値の境界条件を定め画像の高輝度部分を切り出すモード法を用い、HSIイメージから類似度の高い部分をさらに強調する画像処理を行った。
3.動脈硬化病変ファントムの作成方法
図5に作成した動脈硬化病変ファントムの構造を示す。動脈硬化病変ファントムは正常血管ファントムとプラークファントム(牛脂)を用い作成した。まず正常血管ファントムとして、吸収媒体のヘモグロビンと散乱媒体のイントラリピッドを含有したゼラチン試料を作成した。組成はヘモグロビン0.15mg!m1、イントラリピッド2.Ovol%、ゼラチン0.191mlとし、正常動脈の可視・近赤外波長域における光学特性値を模擬した。また、プラークファントムとして、波長1200nmおよび1700nm帯で吸収スペクトルが類似している牛脂を使用した。スライドガラス上に1mm厚みの正常血管ファントムを作り、中央部に5mm角の穴を成形し、その穴に融かした牛脂を流し込み、病変模擬部が5mm角で1mm厚みの露出病変ファントムを作成した。また、作成した露出病変ファントムに厚み0.5または1.Ommの正常血管ファントムを重ね、表面から観察の困難な初期病変ファントムを作成した。両ファントム共にサンプル上部から測定を行った。
4.成果
4.1吸収スペクトル
図6に本研究で構築した近赤外HSIシステムで測定した0.5mm厚みの正常血管ファントムを重ねた初期病変ファントムの波長1150~1720nmにおける吸収スペクトルを示す。図5(a)が正常血管ファントム部分、図5(b)が牛脂部分の吸収スペクトルである。正常血管ファントム部分には波長1440nm付近に大きな吸収帯が確認されたのに対し、牛脂部分には波長1440nm帯に加えて波長1200nm付近に小さな吸収帯が観察された。これは脂質のC-H伸縮振動の第2倍音由来の吸収帯であり、本研究で構築した近赤外HSIシステムは牛脂の分光情報を計測できていることが分かった。
4.2ハイパースペクトルイメージ
図7に動脈硬化病変ファントムの(a)可視イメージ、(b)波長1200nmで撮影した分光イメージ、(c)波長1150~1300nmのHSCをSAM法で画像処理したHSIイメージを示す。露出病変ファントム(正常血管ファントムを重ねない場合)では(a)可視イメージ、(b)波長1200nmの分光イメージ、(c)波長1150~1300nmのHSIイメージ全てで牛脂部分の観察が可能であった。初期病変ファントムでは正常血管ファントムの厚みが0.5mmおよび1.Ommの両条件において、(a)可視イメージおよび(b)波長1200nmの分光イメージでは牛脂部分の観察は困難であったのに対し、(c)波長1150~1300nmのHSIイメージではコントラスト良く牛脂部分の観察が可能であった。モード法により牛脂部分を強調した画像を図8に示す。図7(c)に示した未処理のHSIイメージに比べ、牛脂部分の鮮明な境界を得る事ができた。モード法により切りだされた牛脂部分のピクセル増加割合は、重ねた正常血管ファントムの厚み0.5mmで約1.5%、1.Ommで約6.4%であり、重ねた正常血管ファントムが厚くなるに従い、牛脂部分を過大評価することが分かった。これは表面に存在する正常血管ファントム層による散乱の影響であり、深部病変の正確な観察には何らかの散乱補正技術が必要であると考えられた。
5.おわりに
近赤外HSI技術は動脈硬化診断におけるプラークの強調観察に有用な技術であると考えられる。本稿では波長1200nm帯に焦点を当てその有用性を示した。波長1700nm帯や2300nm帯を用いた場合でも同様の強調観察は可能であるものの29)、近赤外域では長波長側に向かうにつれて水の吸収の影響が大きくなることから、観察視野に生理食塩水が存在する血管内視鏡観察環境下では少々使いにくいことが推察される。また、波長1200nm帯は不安定プラーク検出のための近赤外分光法やヒト冠動脈の血管内光音響イメージング30)など、他手法の動脈硬化診断研究においても有効性が示唆されており、分光学的な手法による動脈硬化診断に有望な波長域であると言える。現段階では脂質の有無のみに着目しているが、脂質濃度を定量できればプラークの不安定性を判断する一つの指標になるかもしれない。また、システムの波長分解能を向上させHSCを取得することにより吸収スペクトルの違いからプラークの組成を評価することにプラークの不安定性を判断できる可能性がある。今後は本技術を血L管内視鏡に適用し、より臨床に近い実験系でフ゜ラークの強調観察が可能かどうか、その有用性を実証していく予定である。