2013年[ 技術開発研究助成 (奨励研究) ] 成果報告 : 年報第27号

超高感度自己検知膜型表面応力センサーによる広帯域細胞ナノ振動解析手法の開発

研究責任者

吉川 元起

所属:独立行政法人物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 ICYS-MANA 研究員

概要

1.はじめに
細胞の運動と形状の維持には、細胞牽引力が必要であり、血管形成、胚形成、炎症および創傷治癒のような多くの生物学のプロセスにおいて重要な役割を果たしている。また、細胞は常時機械的運動をすることで外界を検知し、それに応じてその特性を変えることが知られている。さらに近年、細胞が高周波でナノレベルの振動を行っているという結果が報告されており1、そのようなナノレベルの機械的運動によって、細胞間で何らかのコミュニケーションを行っている可能性が考えられる。このように、細胞の機械的特性や運動性は、様々なプロセスにおいて重要であるにも関わらず、未知の部分が多く残されており、そのメカニズムや生体内における役割の解明が望まれている。
こういった細胞の機械的運動を測定する方法として、マイクロポストアレイ法2や、原子間力顕微鏡のカンチレバーを用いた方法1が研究されている。マイクロポストアレイは、それらが細胞と接触する部位で細胞の牽引力を検知することが可能である。細胞が多数のマイクロポスト上に存在する場合、細胞はポストの頂点付近を曲げることになる。一旦マイクロポストの横方向のたわみがイメージ観察と分析によって得られれば、細胞牽引力はビーム理論に基づいて決定することができる。図1は、このようなマイクロポストを使用することによって、細胞運動を測定する様子を図示している。マイクロポストアレイに基づいた技術は、サブセルレベルで細胞牽引力を測定するための手法の中では、最も有効なもののひとつであると考えられるが、多数のマイクロポストに細胞が部分的に接触しているという特殊な環境に起因する影響を排除するのが困難であるという問題がある。また、各種の光学顕微鏡を利用した観察においては、光の回折限界を超える横方向の解像度を得ることが難しく、ナノレベルの運動を観察することが困難であり、これまでに報告されているような高速なナノ振動を観察することは原理的に不可能である。
これに対し、カンチレバーを利用した方法は、横方向にも高い解像度を持っており、またカンチレバーを細胞に接触させることによって、細胞の機械的特性を調べることが可能である。しかしながら、画像を取得するには、視野内をスキャンする必要があり、ダイナミックな機械的変形を正確に捉えることが困難である。また、細胞にカンチレバーを接触させる方法では、基本的に接触している一点のみを定点観測することになり、細胞間のコミュニケーションの様子など、もう少しマクロな現象を観察するのが困難である。
そこで本研究では、細胞運動について総合的な理解を得るために、最近開発に成功した膜型表面応力センサー(Membrane-type Surface stress Sensor, MSS)3を元に、時間・空間の両ドメインで高解像度測定が可能なシステムを構築することを目的とした。このMSS上に細胞ネットワークを形成することで、細胞間コミュニケーションにおける機械的ナノ振動の役割を明らかにすることが期待される。また、同一チップ内で、細胞が吸着していないメンブレンを準備し、それを参照することによって、温度や培養液の揺らぎなど外的なノイズを全て排除することが可能になる。このように、狙った箇所にだけ細胞を配置し、その成長を操作することは、光応答表面を利用することによって実現可能であることが実証されている4。そこで、本研究では、MSS上への光応答表面の適用による、任意メンブレン上への細胞吸着・培養の可能性も探った。
2.MSSと光応答表面について
MSSは、「ナノメカニカルセンサー」5'12と呼ばれるタイプのセンサーの一種であり、代表的なカンチレバー型のセンサーの構造を最適化することで、性能の飛躍的向上に成功したものである3。これは、センサーチップに埋め込まれたピエゾ抵抗を用いた読み取り方法に基づいたセンサーであり、図2にその基本的構造を図示した。MSSは「カンチレバー」構造と異なり、4つのピエゾ抵抗「検出ビーム」によって支持された「吸着メンブレン」から成っており、それら4つのピエゾ抵抗がフルホイートストンブリッジを構成する。吸着メンブレン上に表面応力が印加されることによって生じるメンブレンの変形が、増幅された一軸性の応力としてピエゾ抵抗ビームに効率的に変換される。最初のプロトタイプMSSの評価実験によって、標準のピエゾ抵抗カンチレバーの20倍以上の感度が得られることが明らかになり、光学的読み出しカンチレバーセンサーと同等の感度が実証された。このセンサーは、本研究を遂行するに当たって、以下のような様々な長所を有する:
・一超高感度(吸着メンブレン上のサブナノメートルの変形も検出可能)
・光学系が不要(細胞による屈折率変化の影響が無い)
・高濃度・不透明溶媒(細胞培養環境)中で測定可能一静的な測定のため、液体によるダンピングの問題が無い
・導電性液体中でも安定な動作が可能(1ヶ月以上の安定な測定を確認済み)
・センサー内のフルホイートストンブリッジ構成により熱ドリフトが少ない
このMSSを、広帯域読み取りシステムに組み込むことで、高速な変形にも対応したシステムの構築を目指した。なお、これまでに作製した、第一世代のプロトタイプMSS(1G-MSS)チップは、MSS素子がチップ上で一次元に配列されており、細胞ネットワークの形成・測定には、あまり向いていない構造を有していた。そこで本研究では、まず二次元配列MSSの作製に取り組んだ。また、1G-MSSの最小検出可能表面応力は0.2~0.3mN!mであり、これまでに報告されている細胞牽引力が数mN!mであることから、さらなる感度の向上が必要である。そのため、シリコンの特性や微細加工技術を踏まえた最適化を各構成要素に適用することで、感度向上を試みた。
本研究でMSSチップ上への適用を試みた光応答表面は、任意の場所に細胞を配置し、その成長を操作することが可能である。図3に光応答表面の化学的メカニズムと、その実施例を示した。光照射によって脱離する官能基を備えたシランカップリング剤によって、シリコン製のMSSの表面を被覆し、蛍光顕微鏡を用いて局所的にUV光を照射する。その後、細胞吸着剤を適用することで、任意の位置に細胞を配置することが可能になる。
以上を踏まえて、本プロジェクトが最終的に目指す、光応答表面修飾したMSS細胞ネットワーク測定システムの概念図を図4に示す。
3.1第二世代MSS(2G-MSS)チップの作製13
MSSの二次元配列化と更なる高感度化を目指して、新しいチップのデザインを行った。チップサイズが大きくなると、測定チャンバーも大きくする必要があり、より多くの試料が必要になるだけで無く、チップ上の各メンブレンで試料や培養条件の不均一化が懸念される。そのため、チップサイズを小さく保つために、3×3の合計9チャンネルの二次元配列MSSチップを作製した(図5(a))。さらに各MSSチャンネルの感度を向上させるために、以下の通り、各構成要素の最適化を行った13:
1)検出ビームと吸着メンブレンの両方の厚みを薄く(3.2μmから2.5μmに)
2)ピエゾ抵抗部分の保護膜を薄く(CVD SiO2 650nm+LPCVD Si3N4 100nmから熱酸化SiO2 80nm+LPCVD 80nmに)
3)ピエゾ抵抗部のボロンドープを浅く(~500nmから~300nmに)
4)ピエゾ抵抗部の負の領域を排除(電流と応力の方向を考慮して最適化)
これらの構造最適化の効果を、有限要素解析によって確認したところ、第一世代のMSS(1G-MSS)チッフ゜と比較して、約2.8倍の感度向上が見込めることが明らかになった。これらの最適化を行った2G-MSSチップの感度を実験的に検証してみたところ、1G-MSSの約4倍のシグナルを示した(図5(b))。これはピエゾ抵抗「カンチレバー」センサーと比較して、約100倍の感度であり、一般的に使用されている光(レーザー)読み取り型のカンチレバーセンサーと比較しても、数倍高い感度を有していることが確認された13
3.2広帯域読み取りシステムの構築
読み取りシステム構築にあたり、はじめにMSSからのシグナルを効率よく読み取り、かつオフセット調整が可能な接続ボードを自作した。また、本研究で導入した、データの高速書き込みに対応したSSDを備えたPCとナショナルインスツルメンツ社製の高速A/Dシステムを元に、LabVIEWで独自の読み取りプログラムを作成することで、最大102.4kS!sの速度で、8チャンネル同時に読み取ることが可能な高速MSSナノ振動読み取りシステムを構築した。
3.3光応答表面によるMSSチップ上への細胞の任意配置
本研究で作製した光応答表面修飾MSSチップは、以下の手順で作製した。まず、2G-MSSチップ上の9つのメンブレンの表面を、末端に活性エステルを有する光分解性シランカップリング剤(TMS-2NP-NHS)によって修飾し、その後にアミノポリエチレングリコール(PEG、分子量12,000)を反応させた。その後、いくつかのメンブレンにのみ蛍光顕微鏡を用いて紫外光を照射して、PEGを除去する事により、細胞吸着メンブレンを作製した。他のメンブレンはPEGで被覆されているため、細胞の吸着が抑制される。ここにHeLa細胞を播種し、24時間培養したのち正立顕微鏡を用いて観察した結果を図6に示す。特定のメンブレンにのみ細胞が培養されている様子が確認できる。これにより、MSSチップに光応答表面を適用することによって、任意のメンブレン上にのみ細胞を配置することが可能であることが実証された。
4.まとめ
本研究では、細胞運動に起因する微小な表面応力を検出可能なMSSをセンサー素子として、細胞の運動性を総合的に理解するための広帯域ナノ振動測定システムの開発を行った。センサーチップ、読み取りシステム、光応答表面修飾といった各構成要素の最適化を行い、細胞の運動性を測定可能なシステムの構築に成功した。現在、細胞培養環境下におけるその場測定に対応したシステムの構築を進めており、これによって、細胞が成長しネットワークを形成していく際の運動性の変化を、ナノレベルでリアルタイム観測することが期待できる。ナノメカニカルセンサーのシグナルは、表面被覆層の物質・材料的特性にも大きく影響を受けることが解析的に明らかになっており14、細胞からのシグナルを効率よく検出するにはそれらの最適化も必要不可欠である。以上を踏まえて、今後はMSSから得られる表面応力のデータと細胞運動性との定量的な関係など、その解釈方法などを中心に研究を進め、細胞の機械的運動性についての総合的理解を目指したい。