1989年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第03号

超高感度カメラと画像処理技術を用いた細胞内Caイオンの動態解析システムの開発

研究責任者

片山 芳文

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 自律生理学部門 教授

共同研究者

平井 恵二

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 自律生理学部門 助手

共同研究者

辰巳 仁史

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 助手

概要

1.まえがき
神経機能の発現にカルシウム(Ca)が重要な役割を果たすことが知られているが,このときのCaの作用機構についての詳細は解明されていない。神経活動に伴う細胞内のCaイオンの動態に関しても未だに不明な点が多く,細胞内Caの濃度を容易かつ迅速に測定することが不可欠であり且つ久しく望まれてきた。
近年開発されたCaイオン蛍光指示薬であるfura-21'を用いるCaイオン濃度の光学的測定法は従来の測定法に比べて多くの利点を持ち,既に,培養した神経細胞の細胞内Caイオン濃度の測定に適用されるようになった2,3)。本研究では,体内での神経回路構成を保持した状態の哺乳動物の神経組織において,fura‐2を用いて神経活動に伴う細胞内Caイオンの動態を解析できるシステムの開発を行った。従って,本研究で特に留意すべきことは,培養などの非生理的処置を施さない状態にある哺乳動物の成熟神経組織が標本として可能なこと,及び電気生理学的解析を同時に実施できることである。
2.研究内容
1)顕微測光システム
神経細胞にfura-2を負荷して,紫外光を照射すると,fura-2が励起され微弱な蛍光を発し,この時の励起スペクトルはCaイオン濃度に応じて変化する。このfura-2の光学的特性を利用してCaイオン濃度を知ることができる1)。波長340nmの励起光で励起した時の蛍光強度(F340)と,波長360nm(又は380nm)の励起光での蛍光強度(F360又はF380)の比を計算することによってCaイオンの濃度を求める方法が一般に用いられている2・3・4)。本研究ではこの方法を採用して細胞内Caイオン濃度を測定するために,図1に示す顕微測光システムを製作した。
紫外光対応に改造し,光源をキセノンランプに変えた倒立型落射蛍光顕微鏡を用いた。波長340,360及び380nmの励起光を得るために,励起フィルタとして3種の干渉フィルタ(340,360及び380nm透過)を光源と顕微鏡の間に置いてパルスモータによって随時変換できるようにした。倒立型落射蛍光顕微鏡の架台上にfura-2を負荷した標本を置いて,紫外光照射し,この時発生した蛍光を発光側フィルタ(502nm透過の干渉フィルタ)を通して,二つの方法によって観測した。一つは超高感度テレビカメラ(SITカメラ)を,他は光電子増倍管を用いるものである。前者では,励起フィルタを変換しながらF340一蛍光像とF380(或はF360)一蛍光像を撮影し,テレビモニタで観察し,ビデオテープに収録した。後で再生しながら順次画像入力装置に取り込み,画像各点におけるF340とF380(又はF360)の比の計算の他,必要な画像処理を適宜施しその解析結果を疑似カラーで表示した。後者では,励起光照射領域を大体単一のニューロンの細胞体に相当する範囲に絞り,その部分全域のfura-2蛍光の強度(F340とF380又はF360)を測光し,その出力を1・Vコンバータを介してペンレコーダで表記した。
神経細胞の電気的活動を細胞内記録するために,細胞内微小電極を操作するマニプレータを顕微鏡に付加設置した。電気生理学的実験には通常の市販のプリアンプ,オシロスコープ,刺激装置,ペンレコーダなどを用いた。
2)細胞内Caイオン濃度の測定
まえがきで述べたように,本研究の目的は成熟神経組織の神経活動に伴う細胞内Caイオンの動態を解析できるシステムを作ることにある。従って,最適の標本を選択することが重要である。我々がこれまで,用いてきたモルモットの腸管壁内在神経系は生体内での神経回路を保持したままで非常に薄い標本(厚さ100μm以下)とすることができ,倒立型顕微鏡を用いた電気生理学的実験も可能であるので,本研究に適していると思われる。
腸管壁内在神経の標本をfura‐2/AM(20μM)を含んだクレブス液(37℃)で約30分間インキユベートした。この方法は広く用いられているが,多数の神経細胞を染めてしまうため,細胞が重層すると信号のS/Nが低下する可能性が考えられる。そこで,単一細胞を染めるために,300μMのfura-2と1MのKCIを封入したガラス微小電極を細胞に刺入して,内向電流を通電してfura-2を細胞内に注入した。
蛍光測光で得られたF340とF380(或はF360)の比と,事前に作成した較正曲線を用いて,Caイオンの濃度を求めることができる。今回製作した測光システムの較正曲線の例を図2に示す。しかしこの較正曲線を決定することに関しては種々の問題点が指摘されている5)。
3.成果
本研究で試作したシステムを用いて,モルモットの腸管壁内在神経で得られた成果について述べる。
図3は,fura-2を注入した単一神経細胞から得たもので,SITカメラを用いて撮影したfura-2蛍光像を画像処理し,その結果を疑似カラー表示したものである。上段,左図はコントロール条件(正常クレブス液で潅流)での細胞内Caイオン濃度を示し,右図は潅流液を無Ca/高濃度(6mM)マグネシウム(Mg)の試験液に変換した後の,同一細胞内のCaイオン濃度を示洗上段左右の差,即ちコントロールと試験液での細胞内Caイオン濃度の差をとって,下段左に試験液で濃度が低下した部分,右に上昇した部分について,それぞれ変化分を疑似カラーで表示した。この図から,神経細胞を無Ca/高濃度Mgの環境に置くと細胞内Caは減少し,特に細胞の周辺部で減少が顕著であることが分かる。当標本におけるある種の神経細胞では静止時にもCaが細胞外から流入しており無Ca条件下ではCaの流入が減少し細胞内Caイオン濃度が低下すると示唆されてきた。今回得られたデータはこのことを支持するものと思われる。
他にも幾つかの現象にCaイオンが関与することが電気生理学的に示唆されている。例えば,活動電位後過分極はCa依存性のカリウム(K)チャンネルの活性化によると考えられている。今回,活動電位と後過分極の発生に伴って細胞内のCaイオン濃度が増大することを証明した。潅流液のKイオン濃度を上げると膜を脱分極させCaイオンの細胞内流入を起こすと考えられている。本実験で,高濃度Kイオンによって惹起される脱分極は細胞内Caイオンの増加を伴うことが確認されたが,この時内向電流を与えて脱分極を相殺するとCaイオンは殆ど増加しなかった。このように細胞内Caイオン濃度が膜電位に依存して変化することを明らかにした。更に,細胞内Caイオンの濃度の変化に伴って起こる現象に関する解析を進めている。
本研究で用いている腸管壁内在神経には,P物質やエンケファリンなど脳と共通の数多くの神経ペプチドが存在し,これらは「脳一腸ペプチド」の名でよばれ,神経伝達物質或は神経修飾物質として機能していると考えられてきた。これらのペプチドの作用にCaが関与すると示唆されており,ペプチドの作用に伴う細胞内Caイオン濃度の変化を本システムで解析した。
P物質(1μM)をガラス管に詰めて記録している細胞の近傍に置いて空気圧で圧出すると,図4上段(Vm)に示すような約15mVの脱分極を発生する。下段にはこの脱分極と同時に記録したF340の変化を示す。この記録の前後でF360が変化しないことを確認しているので,この細胞ではP物質の脱分極は細胞内Caイオンの増加を伴うと結論される。上述したように,細胞内Caイオン濃度は膜電位に依存するので,この増加は脱分極によって二次的に起こされた可能性も考慮しなければならない。
メチオニン・エンケファリン(1μM)を潅流で作用させると,図5(Vm)に示すように膜抵抗の減少を伴う約10mVの過分極を発生する。膜電位の記録と同時に,励起フィルタを変換しながらF340とF380を交互に記録した(中段に示す)。両者の比(F340/F380)と較正曲線から細胞内Caイオン濃度の変化を求めて,その時間経過を下段に図示した。エンケファリンによる過分極に伴って細胞内Caイオンの濃度が低下したが,低下に先立って一過性の上昇が見られた。膜電位固定下にエンケファリンを作用させると,細胞内Caイオン濃度の低下の程度は減弱し,無変化,或は逆に上昇する例も見られた。
これらの神経ペプチドなど各種神経活性物質を作用させた時の細胞内Caイオン濃度の変化を指標にして,それぞれの神経活性物質に感受性を示す神経細胞の分布を知ることができる。
4.まとめ
神経活動に伴う細胞内Caイオン濃度を測定するシステムを試作した。試作に当たって念頭に置いたことは,哺乳動物の成熟神経組織を用いて,細胞内Caイオン濃度の光学的測定と電気生理学的測定を同時に実施できることであった。今回試作したシステムを用いて,神経活動に伴う細胞内Caイオンの動態を検討した。今回得られた結果はこれまでの電気生理学的知見との十分な整合性を示し,更に新たな知見を提供した。このことは本システムの妥当性と有用性を示すものと思われ,成果は論文や学会報告として発表してきた。本研究で明らかにしたように細胞内Caイオン濃度が膜電位に依存することは,細胞内Caイオン濃度に関する実験を行う時には,膜電位を制御することが必要であることを示し,光学的測定と電気生理学的測定を併用することの重要性を指摘するものである。今後,本システムを活用し神経機能の発現におけるCaの役割を究明し,神経情報の伝達・処理の機構の解明に迫りたい。