1989年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第03号

超音波位相追従法による血管追跡型超音波パルス・ドプラ血流計の開発

研究責任者

古幡 博

所属:東京慈恵会医科大学 医用エンジニアリング研究室 助教授

共同研究者

立石 修

所属:東京慈恵会医科大学 第4内科学教室 助手

共同研究者

会沢 治

所属:東京慈恵会医科大学 第4内科学教室 医員

概要

Ⅰ.目的
超音波ドプラ血流計測法は,断層法と結合することによって脈管像という形態学的情報を伴い,今日これなしに循環系の1血行力学的診断を行なうことが出来ないといっても過言ではない。しかし,この様なドプラ法における根本問題の一つは,心拍動や呼吸によって揺動する血管内の血流の検出が出来ないということである。このことは,特に,本邦死因の第2位を占める心臓疾患の中でも主要な疾患が冠動脈疾患で,この冠動脈が最も代表的な揺動血管であることを考えれば,揺動血管の血流測定が出来ないということは,ドプラ技術にとって極めて重要な課題と言わねばならない。
従来の超音波心断層法によって冠動脈主幹部の脈管像を得ることは可能で1-4)(検出率90%),この脈管像を参照しながら超音波ドプラ法による冠血流測定の報告がNanda5)6),宮武ら7),伏島ら8),によってなされている。これらは全く無侵襲的に冠動脈血流計測が行なえ,本研究の狙いの一部を実現している。しかし,習熟した技術を要し,また,左冠動脈前下行枝末梢の特異部位に測定点が限られている。冠動脈の広い範囲は無論,心肺周囲の他の揺動血管の精度の高い血流測定は,現在のドプラ法では困難である。この困難な理由は以下による。即ち,超音波パルスドプラ法のサンプルボリュームは超音波プローブ表面から一定距離に設定され,血管の移動等に伴いこれを追尾する機能が無いためである。つまり冠動脈のように呼吸や心拍動に伴って揺動しても,SVをその中に常在させることが出来ず,血管から外れる度に血管壁や周囲の強力なエコーが突入し,ドプラソナグラムには雑音信号のみ記録され,微弱な血流信号は隠蔽されるためである。
これに対し,ここではSVが血管運動に伴い移動し,常に血管腔内に設定することの出来る血管追跡型超音波パルスドプラ血流計を開発した。これは,超音波血管壁エコーを形成する高周波パルスの位相を追尾する位相追従法phase locked loop : PLL)を活用して実現したものである。特に本助成では電子回路系のS/Nの改善,追跡特性の改善を主体に行ない,モデル実験並びに臨床計測によってその有用性を確認した。
Ⅱ.方法
1.原理および装置
血管追跡型超音波パルスドラプ血流計の基本原理は,通常の超音波パルスドプラ血流計に,(1)血管追跡の基準として血管壁エコーの動きを追尾する機能,(2)SVを血管内に常在させる機能,(3)血管揺動によるドプラ効果を相殺し,真の血流ドプラ成分のみを検出する機能を加えるものである。
(1)血管壁エコー追跡機能
Hokansonら9),中山ら1°)が行なったPLL法の原理を用いた。その原理の概略図を図1に示す。超音波エコー装置により検出された血管前壁高周波(RF)信号を増幅,波形整形し,その信号を1/2波長のゲートで区切り,ゲート内のRF信号の積分値が常に零となるようにゲート位置を自動追尾させた。このゲート位置をトラッキングポジション(TP)とするが,この追尾の安定化のためにRF増幅をログ増幅とした(図2)。これはS/Nの改善とトラッキング特性の改善を狙ったものである。
(2)SV自動追従機能
(1)で得られたTPの移動に同期してサンプルホールド回路のゲートを立ち上がらせ,さらにそれらを血管内腔のサンプル点まで移動させることにより,SVを常に揺動血管内に設定することを可能にした。
(3)血管揺動ドプラ成分除去機能
(2)によって揺動血管内に常在させ得たSVから得られる検出ドプラ信号は,図3上段の如く血流速度ベクトルSBによる真の血流信号ではない。SVが常に揺動血管内にあっても,血管揺動成分Swで生じるドプラ信号によって変調され,結果的にSBとSwの合成ベクトルのドプラ信号が測定されることになる。さらに,実際にはビーム幅の影響により周囲組織からのクラツタ成分Scも存在することになる。これを定式化すると,検出ドプラ信号R(t)は,
R,:血液による散乱超音波成分
N1:SV内に混入した周囲動的組織からの反射超音波成分
N2:SV内に混入した周囲静止組織からの反射超音波成分や装置の内部雑音
foキャリア周波数
fdb:真の血流ドプラ周波数
fdw:SVが動くことによって生ずる血管揺動ドプラ周波数
fdt:foから周波数偏位したNlのもつ周波数
θ:送信超音波信号に対する位相差
と表わされる。ここで,第一項のみを選択でき,同時にfdwが除去できれば,図3のSBのみが得られることになる。
開発した装置では,ドプラ検波用参照信号の局部発信器を別個に作り,その発信起点を(1)で得られたTPに同期させた(図1参照)。これにより,図3下段に示すように,Swは相対的に消去され,真の血流信号のみが検出され得ることになる。即ち,式①は結局,
r:ドプラ検出用基準信号振幅
となる。ここで,第一項に対して第二項,第三項が十分に小さければフィルタによる除去が可能で,真の血流速度が検出されることとなる。この大小関係を通常は満足させることが出来るが,冠動脈の様に細い血管においては難しいこともあるので,S/N改善は重要となった。
以上の3つの機能を持たせたサブユニットを東芝製電子走査型セクタ式超音波断層装置SSH-40Aに組み込み,超音波発信周波数3.5MHz,パルス繰り返し周波数6KHZ,LPFフィルタ200Hz,SV幅1mmに設定した。
2.モデル実験
上記の改善装置について,揺動血管を模擬したモデル実験にてその性能を検出した。その実験装置図を図4に示す。実験は35cm×45cm×60cmの水槽を水で満たし,そのなかに内径5mmのアクリル管を角度をつけて固定した。さらに,その管内にヒト血液をロータリポンプで流し,周期的な定常流を作った。心拍動に伴う冠動脈の揺動を模擬するため管を揺らす代わりにプローブを上下に動かした。管の後方にはアクリル箱に密封した肉片を置き,吸収材として代用した。測定は,以下の3つの状態で比較検討した。
(a)プローブ静止状態
(b)プローブ振動SVを自動追従させない場合(SP-tracking(‐))
(c)プローブ振動,SVを自動追従させ(SP-tracking)(+)),さらにドプラ参照信号起点をTPに同期させた場合(DR-tracking(十))
の条件で行い,Mモードおよびドプラソナノグラムを記録した。
3.電気的エコーシミュレータによるトラッキング追従特性の検討
本装置のトラッキング追従能の程度を検討した。試作したUltrasonic Doppler simulatorを用い,0.5~10Hzまでの正弦波エコーを作成,各周波数において振幅を徐々に増大させトラッキング追従不能になる振幅を求めた。
なお,simulatorはバースト波に変調をかけることにより模擬壁運動及びドプラ信号を発生させることが可能な電気信号発生装置で,バースト波を2種用い模擬壁エコー信号と,壁エコーに同期した運動を行ないながらドプラ信号を発生させる模擬血流信号とを,独立に作成可能で,前者をトラッキング点,後者をSV点に設定して用いた。
4.ヒト生体LAD血流測定
対象は,ヒト成人51人(男39人,女12人)。その内訳は,健常者12名,虚血性心疾患者9名,それ以外の心疾患者18名,心臓以外の疾患者12名で行った。(Table1参照)
被験者を左側臥位とし,胸骨左縁第3助骨間にプローブを当て,Bモード表示にて大動脈起始部短軸像を描出した(図5)。この際,多くの症例では大動脈より分岐する左冠動脈主幹部(LMT),LADが描出可能である1Dl2}。しかし,通常,これらはビームとほぼ垂直の角度を示す。このため,少し斜位にして鋭角になるようにする必要があった。この位置でMモード表示をすると,白く抜けたLADが周囲組織とともに揺動しているのが認められる。ここで,今回開発した前述のサブシステム(1)~(3)を作動させた。即ち,LAD前壁をTPとしてトラッキングし,SVをそれに同期させて動かした。さらに,サンプルホールド回路のゲート立ち上がり点をLAD内腔まで移動させることにより,SVを常にLAD腔に設定するようにした。また,ドプラ検波用参照信号の発信起点をTPに同期させることにより,SV揺動による成分を消去させた。
Ⅲ.結果
1.血管追跡型超音波パルスドプラ血流計の基礎的検討
(1)モデル実験(図5)
(a)静止血管の場合(vibration(一))
上段Mモード上より明らかな如く,管腔内にSVがあり,下段のドプラソナグラムには周期的な定常流の血流信号が記録された。
(b)トラッキング機能のない従来のドプラ法の状態で揺動血管内血流を測定した場合(vibration(+),SP一tracking(‐)
Mモード上,SVは管腔内に常在できず,管壁が,SVに出入りする際に下段のソナグラムには強力な雑音信号が発生し,血流信号は判別できない。(c)ドプラ検波用参照信号の発信起点をTPの動きに同期させた場合(vibration(十),SP-tracking(十),DR一tracking(十)。
SVの動き自体によるドプラ効果が消去され,(a)と同じ血流信号のみが記録された。以上より本開発装置の有用性が示唆された。
(2)トラッキング追従特性
図6はsimulatorを用いて周波数,変調レベルを変えた場合のトラッキング追従能を示したものである。追従可能な移動範囲はエコーが正弦波運動をする場合,2Hzまでは移動幅12mmまで追従可能であるがその後追従可能な範囲は周波数が高くなるにつれて小さくなった。一方追従可能な最大移動速度は周波数が高くなるにつれて大きくなり5Hz以上では100mm/secまで追従可能であった(図6)。なお最大移動速度は図6で求めた追従可能な最大振幅時の正弦波勾配から求めた。
2.ヒト生体におけるLAD血流測定
69%の症例において,Bモード上,LADが描出できた。また,41%の症例で,LAD近位部拡張期血流が記録された。さらに,全体の24%の症例で拡張早期のピーク時血流が計測できた(表1)。図7,図8にその記録の1例を示す。図7はBモードでLADを描出した像で,LADとビームのなす角度は60度を示している。この位置でLAD腔にSVを置き,前壁をTPとしてトラッキングさせると図8の記録が得られた。上段Mモード上,冠動脈の動きに一致してSVも動き,SVが常に冠動脈腔内に存在している。下段のドプラソナグラムには,拡張期II音直後にピークを形成する一方向性(上向き)の血流信号が記録されている。拡張後期から収縮期にかけては,冠動脈の動きが最も激しい部分であり,ソナグラムには両方向性の雑音様信号が記録され,血流信号は判別できない。
ちなみに,トラッキングを行わない従来の超音波パルスドプラ法の状態で測定した記録を図9に示す。SV内に血管壁や周囲の強力なエコーが突入し,微弱な血流信号は強い雑音信号に隠蔽されている。
なお,今回計測された12例の拡張早期ピーク時流速は19cm/s~69cm/sで,平均41.Ocm/sであった。なお,各群においては,有意な差は認められなかった。
Ⅳ.考察
1.既存の揺動血管血流測定の問題点(冠動脈を中心に)
今日,平均流量測定的という意味では,色素,133Xe,熱などの希釈法が用いられ,Phasicな血流計測には電磁流量計,レーザドプラ計が用いられる。しかし,揺動血管の精度の良い計測にはいずれも適用困難である。これに対し,超音波法は侵襲性が低く,現在カテ先型のものがPTCA後の監視などに使用されるまでにルーチン化されつつある。更には通常の断層法付きドプラ法は,体表より特定部ではあるが,全く無侵襲的に計測可能である。既に,NANDA,宮武,伏島らによって計測されている報告があるが,いづれもLAD末梢の特異部位,又は心臓の動きの少ない疾患の場合に限られている。
しかし,通常の超音波ドプラ法を動きの大きい冠動脈部分に適用すると,図9の如く不要信号が発生する。Mモード上,管腔は明瞭に認められSVは冠動脈腔内に設定されている。このような瞬間でもドプラソナグラム上,冠動脈血流は両方向性の不要信号を発生する。発生原因として血管の解剖学的位置関係が重要と考えられる。つまり(1)冠動脈は心拍動に伴い運動する,(2)血管周囲は種々の心構造物(肺動脈弁,大動脈弁,心耳など)および結合織があり不均一でありかつ強いエコー源となりうるものが存在することが血流測定を困難なものにしていると考えられる。しかし揺動血管における不要信号の発生原因について検討した報告はなくその詳細は不明であった。本研究においてその実態を明らかにし,これを除去することにある程度成功した。
2.血管追跡型超音波パルスドプラ血流計
即ち,開発した血管追跡型超音波パルスドプラ血流計では,血管前壁をTPとし追従させ,SVを常に血管腔内に設定可能であり,また不要信号の主要原因である冠動脈壁および壁の尾ひきエコーの影響を除去することができた。また壁運動により生じたドプラ信号成分を除くことが可能と成った。従来の固定方式SVでは管腔がSVにある場合,得られるドプラ信号とのベクトル合成となり,管腔よりずれた場合,SV内にある壁エコーの動きにより生じたドプラ信号のみとなる。これに対し,トラッキング方式では参照信号を常に血管壁エコーに同期して発生させるため,壁が移動しても壁ドプラ信号は発生せず,血流ドプラ信号を安定して計測することが可能である。しかし,SV内に胸壁,左房壁などの静止エコー,SVの動きと一致しない強いエコー源からの多重反射エコーがある場合,本方式ではSVと逆の方向にSVの動きによる不要信号が発生することに注意する必要がある。
血流モデル実験結果より本装置を用いて運動血管の血流信号を測定することが可能であり,得られたドプラソナグラムの信頼性も高いことが確認された。実際の冠動脈は拡張早期に大きく運動し,しかもこの時相に冠血流波形もピークを有する。このため臨床応用には拡張早期が正確に追従できるようなトラッキング特性をもった装置が必要とされる。臨床例での拡張早期の壁運動は30mm/sec,移動幅5mm程度ありシュミレータを用いた実験より本装置の追従特性は,これを十分に追従しているものと考えられた。
3.冠動脈血流計測
臨床計測で拡張早期にピークを有する一方向性血流信号が計測された。無侵襲的冠動脈血流計測法は未だ確立された方法がなく,本法による冠動脈血流測定の臨床的意義は大きいと考えられる。しかし冠動脈血流波形をみるとなお不要信号が多く,その軽減が今後の問題点と考えられる。トラッキング方式による不要信号の発生原因はSV固定方式での場合の原因に加え,トラッキング追従不良により生ずる不要信号が考えられ,臨床応用には今後さらに装置の改良が必要と考えられる。
4.臨床的意義
無侵襲的に冠動脈血流計測は今後,
1)冠動脈狭窄例の生理的重症度推定24・25)
2)冠予備力の推定26)
3)冠動脈血管抵抗の測定
に供され,冠循環動態を解明するうえできわめて興味ある知見を提供するものと思われる。
更に,冠動脈のみならず呼吸性揺動を伴う測定に関しても,本開発装置は重要である。門脈における呼吸性揺動によるソナグラム上の変動は,余りに良く知られたところであるが,血管追跡型の開発装置の測定ではそれ程顕著な変動ではないことを確認した。腹部血管系の血流計測には本追跡型装置は少なからぬ有効性のあることが確認された。
又,運動負荷時の計測においても,その重要性は充分示唆されるところである。
V.結語
超音波パルスドプラ法のサンプルボリュームを,揺動血管内に常在させることの出来る血管追跡型超音波パルスドプラ血流計を超音波位相追従法を用いて実現した。この特性,性能をモデル実験,電気的シミュレーションで確認し,ヒト冠動脈血流測定を試み,LAD主幹部計測に成功した。しかし,動きの速い縮収期,及び移動幅の大きな右冠動脈においては,本開発装置では未だ不充分で,三次元的移動に対処する血管追跡型のドプラ装置の必要性が再確認された。
しかしながら,本開発によって臨床的には全く無侵襲的に冠循環動態解析の見通しが得られ,虚血性心疾患に対し新たな診断学的可能性が示唆された。