1999年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第13号

超音波ドプラ法による局所脈波速度計測法の新開発

研究責任者

松尾 裕英

所属:香川医科大学 第二内科 教授

共同研究者

千田 彰一

所属:香川医科大学医学部附属病院 総合診療部 教授

共同研究者

菅原 基晃

所属:東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所 基礎循環器科 教授

共同研究者

弓場 雅夫

所属:現土肥病院

共同研究者

片倉 景義

所属:(株)光電製作所

概要

1.はじめに
今日の死因第2,3位である虚血性心疾患や脳血管障害などは,動脈硬化症に起因しており,心筋梗塞や脳梗塞は粥状動脈硬化が進展した結果発症する。しかし動脈硬化症は,これらが発症するよりも相当以前から無症候性に進行していることが多い。よって,動脈硬化症を早く発見し病変の進展を未然に防ぐためには,動脈硬化症を早期診断してその病変程度を定量的に評価することが必要となってくる。また,動脈硬化は動脈系全体に一様禰慢性に生ずる病変ではなく,各部位でその進展は必ずしも並行していない。このため頸動脈,胸部大動脈,腹部大動脈といった各局所で動脈硬化を定量的に測定する必要がある。
動脈硬化症は本来病理学的な概念であるが,動脈壁の物理的な硬さが増大したものという考え方に立脚して,動脈硬化を定量的に評価する方法の1つとして脈波速度計測法がある。脈波の伝播速度Cは,ヤング率をE,血管壁厚をh,血管内径をD,液体密度をρとすると,Moenes-Kortewegの式より
と表すことが出来る1)。この式によると,ヤング率が上昇するつまり血管弾性が上がったり,血管内径が小さくなったりすれば脈波速度が速くなる。すなわち,脈波速度が動脈の狭窄や壁肥厚,硬化病変度を直接反映することから,これを計測することにより動脈壁の物理的な硬さを定量評価することができる。それゆえ,非侵襲的に動脈硬化症を診断する簡便な検査法として脈派速度計測法が臨床の場で用いられてきた2)。
臨床指標としての脈波速度は,当該動脈二点間の伝播距離と脈波の位相差とから求められ,平均的動脈硬化度推定の良い指標として従来から利用されてきた。現在のところ,非観血的に脈波の位相差を検出する方法として体表面においた圧センサーを用いる方法が一般的である。しかし,頸動脈と大腿動脈の圧脈波により計測される脈波速度は,空間平均的な評価を行うもので,局所の微小な変化の検出は困難であり,異常の早期変化に対しても鋭敏性を欠いた。これに対して局所の脈波速度を測定すると,各々の動脈硬化度を推定することができ,かつ薬物などによるその部位の微小な反応の検出も可能となってくる。そこで,近接した2点において測定した超音波ドプラ信号同士の直接複素相互相関処理により,脈波の伝播時間を計測する局所脈波速度法を新たに考案した3)4)。
本研究では,血流ドプラ信号間の相互相関処理を行って高精度に脈波伝播時間を測定し,超音波断層法との併用により局所脈波速度を計測する方法を確立し,試作した超音波断層装置が日常の検査業務の中でも効率よく微小部分の局所脈波速度計測ができる実用的な診断システムたり得るか否かを検討した。
2.計測原理
(1)流速波形と圧波形との関係
無限長の管内における液体圧力変化(圧脈波に相当)△Pと液体流速変化(流速波形に相当)△Uとの関係は,Cを圧力変化の伝播速度とすると,
と表すことができる5)(図1)。ρ(液体密度),Cは一定であるとすると,△Pは△Uと比例関係にあり,圧力変化(圧波形)と流速変化(流速波形)は,同一波形とみなすことができる。それ故,流速波形を計測することによって,圧脈波の到達を感知することができる。つまり,従来の二点で同時に計測された圧波形により求められた脈波伝播時間は,同時に二点で血流速度波形を計測し,その立ち上がりの時間差をみることにより計測することが可能となる。
(2)脈派伝播時間計測の時間分解能
血流速度の経時的変化情報(血流速度波形)は,ドプラ血流速度計で計測可能である。但しドプラ血流速度計測法を用いる場合,計測精度に直接関与する因子として,脈波伝播時間検出における時間分解能が問題になってくる。従来は,ドプラ反射信号の周波数分析にはフーリエ変換を用いて解析していたため一定の信号継続時間を要し,通常の速度分解能を維持しつつ実現される時間分解能は,時間一周波数の不確定性原理により良いもので20msec程度までであった。これは生体での脈波伝播距離に換算すると10~20cm程度となり,フーリエ変換を使用した周波数分析法で距離数cm以下の局所二点でのドプラ流速波形を記録しても,目視によって血流速度波形の立ち上がり時間差を測定することは不可能である。そこで,二つのドプラ信号を血流速度波形に変換することなく直接に,相互相関法を利用して二信号問の時間差を求める方法を考案した4)6)。
(3)本方式における時間分解能の利点
相互相関関数における理論的な時間分解能は,信号周波数帯域幅の逆数に相当するといわれている7)。媒質中を進行する超音波の音速をC,超音波発信周波数をf,媒質の流速をV,ドプラ入射角をθとすると,周波数帯域幅Bは
と表すことができる。ここでC=1500m/sec,f-7。5MHz,V=0.5m/sec,θ・0とすると,(3)式よりB=5.OKHzとなる。すなわち,この逆数が時間分解能となるため,1/B・0.2msecとなり,本法における時間分解能は理論的には0.2msec程度である。
3.方法
(1)拍動流路モデル
本システムの基礎実験として,ハーバード型ポンプ(MODEL55-3321)を用いて水槽内に流路モデルを作成し,動脈壁のモデルに内径10mmの物理的性状の知れた柔らかいシリコーンチューブを使用し,これを水平に設置した(図2)。模擬血液として,脱気40%グリセリン水溶液にスターチを混合した溶液を使用した。この拍動流モデルでは,サンプルポイント間距離を1cmから5cmまで1cmずつ変化させながら2点間の脈波到達時間を測定し,脈波速度を求めた。
(2)超音波装置
HITACHI社製EUB165A型超音波診断装置に装備されているパルスドプラ法マルチゲートモードを用い,1ビ一ム2ゲート方式にて同時に2点で連続10心拍のドプラ信号をコンピューターに記録した。探触子は通常用いられている7.5MHzのリニア走査型を使用した。脈波伝播距離は,Bモード断層上で確認しながら二つのサンプルポイント間として1cm,2cm,3cm,5cmと設定した。
次により実用的な試作システムとして,フクダ電子社製超音波断層装置UF5800Aに2個のドプラユニットを追加した血流ドプラ計測部と,得られたドプラ信号データを演算処理するパーソナルコンピュータとで構成した(図3)。今回の装置において,探触子は3.5/5MHzのセクタ型を用いた。まずBモード断層上で血管の縦断面像を描出して,血管内に2個所のサンプルポイントを設定し,それぞれの血流ドプラ信号の実数成分と虚数成分をAD変換してパーソナルコンピュータに取り込んだ。本装置の特徴は,2個のサンプルポイントそれぞれが断層像上の任意の場所へ移動でき,その設定部でのドプラ信号が即座に得られることである。さらには,装置画面には,断層像と2個のドプラ波形を同時表示し,モニタ画面上に2個のサンプルポイント間距離とサンプルポイント幅を常時実時間表示した。
(3)脈波伝播時間の演算
流路モデル内または血管流路内のシリコーンチューブ上流部をサンプルポイント1とし,下流部をサンプルポイント2とした。この2点で同時にドプラ信号を検出してA/D変換を行いコンピューター(PC9801)に取り込んだ。サンプルポイント1の信号を基準信号として基準信号長100点にて相互相関関数を計算した。そのグラフを描くと図4に示すようなピークを有する曲線が求められる。0点よりピーク出現時刻までの時間を,サンプルポイント1,サンプルポイント2の信号のズレ,すなわちサンプルポイント間dの脈波伝播時間として測定した。
(4)臨床例での計測
本システムを用いて,健常成人で局所脈波速度を計測した。断層面に血管の縦断面像を描出し,血管内の中心にサンプルポイントを設定し,それぞれの部位で最大血流速度波形を記録した。計測は,大腿動脈波を触知する部位で左大腿動脈血流を,膀上部で腹部大動脈血流を,頸動脈波を触知する場所で左総頸動血流をそれぞれ記録した。
4.結果
(1)伝播距離と脈波伝播時間との関係
脈波伝播時間は,図5に示すようにシリコーンチューブ内径にかかわらず測定2点間距離と強い一次関係(内径12mm:y-1.5x+0.08,r・0.98,内径10mm:y・1.3x+0.06,r-0.99)にあり,距離が短くなるのに対応して伝播時間は短くなった。各距離での分散度は,内径12mmの方が内径10mmに比して大であった。
(2)伝播距離と脈波速度との関係
拍動流路モデル実験で,EUB165A型超音波診断装置によるシステムでは,局所脈波速度はサンプルポイント間が1cm,2cm,3cm,5cmにおいてそれぞれ内径12mm9.1m/s±77%,6.3m/s±18%,6.7m/s±4%,7.1m/s±9%,内径10mm:8.2m/s±32%,8.1m/s±3%,7.2m/s±5%,8.Om/s±6%と,測定間距離が短いほどばらつきが大であったが,各距離間で有意差は認められなかった(図6)。また,UF5800A超音波診断装置によるシステムで得られた局所脈波速度は,サンプルポイント間が1cm,2cm,3cm,4cm,5cmにおいてそれそれ8.8±1.Om/s,8.3±0.7m/s,8.6+0.5m/s,8.4+0.4m/s,7.9±0.3m/sであった。
(3)臨床応用
健常成人での1例(22歳男性)を示す。大腿動脈,腹部大動脈,頸動脈で得られた局所脈波速度は,それぞれ5.5m/s,4.9m/s,5.2m/sと,末梢にいくほど脈波速度は早くなる結果が得られた(図7)。健常男性7例(19~33歳)での検討では,それぞれ6.4±0.8m/s,4.0±0.5m/s,4.8±0。5m/s(p〈0.05)てあった。次にプラークのある例(82歳女性頸部)では,プラークを挟んだ2点問で脈波速度を計測すると10。3m/sと非常に早くなっており,プラークの手前の脈波速度は6,5m/sと低値をとった(図8)。
5.考察
脈波の到達を検出する手段として超音波ドプラ法を用いると,表在だけでなく深部の動脈をも計測対象とすることができる。一方,近接距離で脈波伝播時間計測を行うには,その時間分解能が問題となる。そこで我々は,極めて矩い距離における2点間の血流ドプラ信号の直接相互相関からその時間差を求めて脈波速度を非侵襲的に求める局所脈派速度計測法を提唱してきた3)4)6)8)。
拍動流路モデル実験では,異なるサンプルポイント間で得られた局所脈波速度は,いずれもあらかじめ求めたチューブの理論値7.4m/s(内径12mm),8.1m/s(内径10mm)にほぼ一致した値か得られた。ただし,サンプルポイント間の距離が短いほどばらつきが大きくなる傾向が認められた(図6)。したがって精度よく計測するためには,なるべくサンプルポイント間の距離を離しておくことが必要である。先に行った検討では,サンプルポイント問の距離か2cmまでならば,得られる局所脈波速度の測定精度は,82%程度であった9)。
さらにヒトでの実測場面を考えると,解剖学的に腹部大動脈の大きな四分枝,つまり腹腔動脈,上腸管膜動脈,腎動脈,下腸管膜動脈のそれぞれの間隔は1~2cm,2cm,5cm程度で10),さらに下腸管膜動脈と総腸骨動脈の分岐までは5cmであるll)。このため,臨床的には2cmの距離を局所としても問題はないと考えられる。よって体表からのアプローチによる本法の局所脈波速度の計測は,反射波の影響を受けない所であれば,測定2点間距離が2cm程度ならば臨床応用上も正確に計測可能であると考えられた。
ヒトでの実計測において,断想像にて解剖学的状況を目視しながら血流計測を行うため,サンプルポイントの設定が容易でかつ確実になしえた。また,UF5800A試作装置において,設定サンプルポイント間はリアルタイムに距離が表示されるため,その精度は信頼性が高いと考えられる。
試作装置では,目標とする血管軸に対して種々の角度からのドプラ信号の記録が可能で,血管が蛇行している場合などでも,任意の場所で2個のサンプルポイントを設定してドプラ信号が得ることができた。また,プラークを挟んだ2点間の脈波速度は非常に早くなっており,これは計測部動脈内径の狭小化と壁の硬化のためであると考えられた。しかし,プラークの手前の脈波速度はむしろ低値をとったが,これはプラークの存在によって血流動態に変化が起きたことによる可能性を否定できない。
局所脈波速度は,今回の成績および先に同様に行った検討においてもH),動脈の部位により異なり末梢にいくほど早くなる結果が得られた。これは,動物実験で示されている結果12)とよく一致している。ここで,臨床成績の集積がなされれば,ヒトでの動脈硬化の進展に関する新たな知見が得られると期待される。
今回の計測では試作手順の都合からセクタ型探触子を使用したが,2点問の距離をなるべく大きく,また血流に対する角度を小さくとりたいがために,どうしてもサンプルポイントを画面の両端近くに設定してしまいがちで十分な血流信号が得られにくい事例もあった。これに対しては,小口径のコンベックス型探触子が望ましく,探触子と体表の間に十分なカップリング材が必要と思われた。また,より高周波数のリニア型探触子を用いた方が一層計測精度の向上が期待されよう。
本研究では,局所脈派速度計測法の試作システムを用いて,動作と精度の確認および臨床適用を行ってその実用性を評価した。
6.おわりに
超音波断層装置に2チャンネルドプラユニットを追加し,局所脈波速度の計測を行なって,その試作システムの妥当性を検討した。拍動流路モデルでは,理論値と実測値とがほぼ等しい良好な結果が得られ,試作システムの計測精度が確認された。また,ヒト動脈において,大腿,腹部,頸部動脈の局所脈波速度の計測を安定して記録可能であった。
我々が提唱している局所脈派速度計測法は,動脈硬化症の早期発見に寄与しうる診断法であると期待される。