2009年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第23号

超音波による組織粘弾性3Dマイクロスコープの開発

研究責任者

椎名 毅

所属:筑波大学大学院 システム情報工学研究科 コンピューターサイエンス専攻 教授

共同研究者

山川 誠

所属:京都大学大学院 工学研究科 准教授

共同研究者

新田 尚隆

所属:産業技術総合研究所 人間福祉工学部門  研究員

共同研究者

植野 映

所属:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 准教授

概要

1.はじめに
組織の質的な変化を捉える組織性状診断は、組織形態の病変が顕在化する前の早期診断や良悪性の鑑別診断を可能とするものとして重要視されている。その中でも、組織の硬さは、がん、肝硬変、動脈硬化症などの病態を敏感に反映することから、組織弾性を画像化する組織弾性イメージングの研究が進められている。
我々は、超音波を用いて非侵襲的かつ実時間で組織弾性像を描出する、超音波組織弾性イメージング技術を開発してきたが、近年、企業との共同研究で乳がん診断を目的した装置の製品化を実現した。1) これまでの多数の乳腺腫瘍を対象とした臨床評価の結果から、組織弾性像を用いることで、従来の超音波像による診断に比べより簡便な診断基準にて、高精度ながん診断が可能なことが示されている。2)
一方で、このような新しい診断情報としての組織弾性に基づく診断基準を確立し、疾病の進行度の把握や、良悪性鑑別等を可能にするためには、組織の粘弾性の変化の病理学的な意味付けが重要となる。しかし、工業材料と異なり生体組織に関する計測例は乏しく、Krouskop3)やSamani4)らが、摘出した乳腺と前立腺組織の弾性の計測を試みている例が僅かにある程度であり、特に疾病との対応を定量的に把握できる基礎データは皆無に近い。これらは、工業材料試験と同様、微小な円盤で押した際の変形から組織弾性を求める機械的な手法を用いるため得られるのは二次元的な分布のみであり、空間分解能も十分でない。
また、米国ミシガン大学のグループは、高周波の超音波を用いて顕微鏡的に組織弾性の分布の測定を試みている。5) しかし、これらは、高分解能を得ることを重視しているため、高周波で減衰が大きくなることから、組織を薄切片にして測定することになる。しかし、体内における組織の力学的な特性を正確に把握するには、3次元的な構造を保った状態で計測する必要性がある。
このため、本研究では、組織性状診断技術の向上の観点から、組織粘弾性と病理組織との対応関係を解明する手段として、超音波により組織切片における粘弾性の三次元分布を高分解能かつ定量的に計測可能な、超音波組織粘弾性3Dマイクロスコープの開発を試みた。
2.組織の粘弾性パラメータ
組織弾性イメージングの手法としては、これまでに様々なものが提案されてきたが、その中でも、近年、実用化されものは、プローブで体表から軽く圧迫を加えることで組織を変形させ、そのときに生ずる変形率(ひずみ)を計測して弾性分布を求めるstatic method と分類されるものである。これは、診断に際して通常の超音波探触子に加えて新たに装置を付加する必要がなく、また容易に高い空間分解の組織弾性像を得られるなどの利点がある。また、データ取得のための時間は、基本的には超音波像を得るための時間と同等であるため、3次元の組織弾性像を求める場合に適している。
臨床計測で得られる組織弾性イメージから病理学的診断をすることが目的なので、摘出組織での計測法も臨床計測と同等な手法であることが望ましいと言える。そこで、本研究で目指す組織粘弾性3Dマイクロスコープについても、static method を適用した。
まず、組織弾性については、組織に応力σを加えてながら、生じるひずみεとの関係を測ることで応力-ひずみ曲線が得られるが、式(1)のように、その勾配としてヤング率Eが得られる。
この軟組織の応力―ひずみ曲線は、次式のように指数関数で近似できることが知られている。
ここで、E0 はひずみεが小さく応力σと比例する線形な範囲でのヤング率、βは弾性の非線形性を示すパラメータである。式(2)の両辺の対数を取ることで次式が得られるので、直線近似することで、その勾配と切片から、これらのパラメータが求めることができる。
一般に、応力―ひずみ曲線は、図1に示すように圧迫時と弛緩時では異なる軌跡をたどるヒステリシス特性を示すが、このループの面積Hは組織の粘性に対応するものと考えられる。例えば、靭帯組織では比較的H の値は小さく、平滑筋では大きな値を示す。組織弾性と併せて粘性も、組織の性状を表す指標であることから、このH の値が、正常組織とがん等の疾病の識別に役立つことが期待される。しかし、このヒステリシスループの面積自体は、圧縮-弛緩の折り返し点となるひずみの値ε0 に依存する。そこで、われわれは、次式で示すヒステリシスパラメータHP を導入した。6)
ここで、σ (ε ) c と σ (ε ) R は、それぞれ応力-ひずみ曲線の圧迫時と弛緩時の部分を示す。HP は、0 から100%の値を取り、HP の大きな値の組織は粘性が大きいことを意味する。
3.測定システム
3.1 システムの構成
組織切片において3次元的分布の計測を可能とするための、図2 に示すシステム(3D組織粘弾性マイクロスコープ)を構築した。
力学的な特性を保持できる範囲として、5mm程度の組織切片に対して粘弾性の3 次元分布を計測できることを想定した。このため、透過深度を考慮し超音波周波数を20MHz に設定した。組織片は、脱気水を入れた水槽内に設置され、中央に窓を開けて薄膜を張り付けた圧縮板により、組織の上方からステッピングモータの制御で圧迫、弛緩を行った。また、水槽自体は電子天秤の上に置かれ、圧迫による加重から組織表面での応力が算出された。超音波プローブは、ステッピングモータによりxy平面内の走査を行い、組織からのエコー信号のボリュームデータを取得した。
3.2 データ計測とパラメータの算出
組織切片を圧縮板で加圧する際、応力=0を起点とした。まず、図3に示すように、プローブをxy平面内で走査し、エコー信号のボリュームデータを記録し、次に圧縮板で僅かに加圧した状態で、同様にエコー信号のボリュームデータを記録し、これを繰り返しながら、圧縮―弛緩における、各応力値での、エコー信号のデータを収集した。組織切片内での応力の分布は一様で、組織表面すなわち電子天秤から得られる値に等しいと仮定した。これは、圧縮板の面積が組織片の厚みに比べ十分大きいので妥当と考える。
まず、1 ステップ異なる応力値の2つのボリュームデータに対して、各点における式(3)を用いて、各点におけるビーム方向(z方向)の変位分布を求めた。この際、組織弾性イメージング用に我々が開発したCA法(複合自己相関法)を用いた。次に、z方向に沿って、変位分布の空間微分を行いひずみ(z成分)の分布を求めた。さらに、これらより、各点において応力-ひずみ曲線を得、式(3)を用いてE0 を算出した。また、式(4)を用いてHPの分布を求めた。
4.空間分解能の解析
弾性イメージの分解能は、波長、ビーム幅など測定系や、相関窓幅などの信号処理の様々なパラメータに依存する。このため、3 次元の組織モデルを用いて、弾性イメージの空間分解能について検討した。
組織片は、図4 に示すように大きさ12.8mm?16.8mm x2.8mm で、ヤング率10kPa であり、その中に球状の内包物を含むモデルを考えた。上方から、平均1%のひずみを生じさせるため100Pa で圧迫した。各部の変形は3 次元の有限要素法で計算した。次に各点からのエコー信号を生成した。超音波は20MHz とし、パルス幅は0.108mm、焦点でのビーム幅は0.32mm、走査線間隔は、x方向、y方向ともに50μm とした。エコー信号は240MHz、11bits でサンプリングされた。パラメータとして、内包物の直径とヤング率を様々に変え、弾性イメージ(ヤング率分布)を得た。
弾性イメージの評価指標として、次式を用いた。
ここで、ΔEmax は、内包物と周囲とのヤング率の差の最大値、σsur は、周囲のヤング率の標準偏差を示す。
一般に、γが大きくなると視認性が高まるが、ここでは事前に主観評価のテストを行った結果に基づき、γ=2.5 を閾値としてそれ以上の場合に、内包物が識別可能とし、その時の直径Dを空間分解能とした。空間分解能は、内包物のヤング率Einと周囲とのヤング率Esurの差に大きく依存する。例えば、図4(b)では、内包物がEin=100kPaで周囲Esur=10kPaの10倍の場合であるが、空間分解能は0.4mm程度であることがわかる。一方、内包物がEin=1kPaと周囲Esur=10kPaの1/10で軟らかい場合はコントラストが下がり、識別が難しくなるのが示されている。内包物の硬さを様々に変えて評価した。例えば、内包物がEin=30kPa、周囲Esur=10kPaでは、空間分解能は、0.8mmとなった。
5.実験と結果
5.1 ファントム実験による空間分解能の評価
実際に構築したシステムの特性を評価するため、ファントムによる実験を行った。ファントムはゼラチンをベースにして、内包物としては微小な球形のものは作成が難しいので、棒状のものとして様々な太さ(0.4、0.6、0.8 mm)のスパゲッティを茹でたものを用いた。図5は、機械的に測定したゼラチンのヤング率とひずみ曲線である。これから、10%のひずみでは、ヤング率16kPaであることが分かる。また、同様にして測定したスパゲティのヤング率は、139kPaであった。
ファントムの計測は、4.で行ったシミュレーション解析と同等の条件で行われた。中心周波数20MHzのプローブを0.1mm の走査線間隔で移動して、250MHz、11bits でサンプリングしたエコーデータを収集した。
図6は、太さの異なる内包物に対して、弾性イメージを構成した結果である。これから、内包物Ein=139kPa、周囲Esur=16kPa の場合の、空間分解能は0.6mm 程度であることがわかる。シミュレーションの場合のEin=100kPa、Esur=10kPa で、空間分解能は0.4mm 程度より、やや低めの値ではあるが、球形と棒状などの幾つかの条件の違いや、ファントム計測の場合の減衰の影響を考慮すればほぼ同等の結果が得られたと言える。
5.2 組織サンプルの計測結果
次に、組織片の計測を試みた。図7(a)(b)は、それぞれ4mm 厚に切り出した豚の肝臓の断面の写真およびB モード像である、中央に見える白い部分は硬い内包物に相当する部分として作成したもので、ニクロム線を通して加熱による熱硬化を生じさせた。計測範囲は、5mmx5mmx2mm で、圧縮と弛緩は10μm 間隔で行った。組織片は、ファントム実験と同様に、0.1mm 間隔で走査してエコーデータを収集した。図7(c)は、図7(b)内の3点(A、B、C)において、機械的な計測で得られた応力-ひずみ曲線である。点A でのヒステリシスループは、点B や点C に比べ小さく、熱変性により粘性が低下したことを示唆している。表1は、正常組織と熱凝固した部分のそれぞれについて、3 回測定を行って得られた、ヤング率E0 とヒステリシスパラメータHP を示す。熱凝固によりE0 は約3 倍増加し、HP は約10%減少しているのが分かる。
次に、この組織サンプルをファントム実験で用いたシステムで測定した結果を図8 に示す。ヤング率E0 の3D分布では、Bモード像に比較して熱変性による硬化部がより明瞭に描出され、また表1 に近い値であることが示されている。また、図8(c)は、指定した断面内でのヒステリシスパラメータHP の分布を示すが、熱変性部分は、機械的計測の結果と一致して、粘性の低い部分として描出されている。
6.結 論
我々は、超音波により組織の弾性を示すヤング率と、粘性を示すヒステリシスパラメータの3 次元分布を高分解能で計測可能な組織粘弾性3Dマイクロスコープを構築した。シミュレーション解析においては、開発したシステムの空間分解能を評価し、20MHz の超音波を用いて、比較的厚い組織切片の計測についても、実用的な空間分解能を有することを検証した。また、ファントムや組織切片を用いた計測でも、シミュレーション解析結果と同等の分解能と、定量的な粘弾性の分布が得られることを実証した。今後、実際の摘出組織の計測に適用可能とするためには、操作性の点でより簡便なものとし、また恒温槽などの温度管理など、より正確な計測が可能となるようシステムを改良していく必要がある。さらに、今回は応力分布は一様と仮定しているが、今後は不均一媒質での応力分布の推定を行いその影響を検討する必要があろう。これらの検討結果を反映したシステムを用いて、多くの症例について計測データを蓄積することにより、粘弾性値と組織病理との関連づけについて検討を進めたい。