1991年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第05号

超音波による生体組織の硬さの画像化に関する研究開発

研究責任者

山下 安雄

所属:東海大学 医学部 ME学教室 助教授

日本大学生産工学部管理工学科 教授

共同研究者

久保田 光博

所属:東海大学 医学部 第二外科  講師

共同研究者

八木 晋一

所属:上智大学 理工学部 電気電子工学科  助手

共同研究者

長澤 亨

所属:東海大学 医学部 ME学 助手

概要

1.まえがき
超音波断層法は,音響インピーダンス分布によって,生体内の臓器や組織の形態的情報を映像化するが,近年の技術の進歩に伴って,実質からの散乱波を利用して,生体組織の内部状態を調べるための映像法としても確立されつつある。とくに悪性腫瘍などの早期発見,正確な診断のために,より適切な組織特微化が望まれ,現在,音速,周波数依存性減衰係数,後方散乱量(Integrated Backscatter),非線形パラメータB/Aの映像化が盛んに試みられている。
悪性腫瘍を診断する有力な根拠の一つは,腫瘍の不正な増殖及び浸潤を表す形,表面の不正な性状,周囲組織の癒着,などの形態的変化であり,他の一つは間質における線維成分の増加を表す「硬さ」である。たとえば乳腺などの表在軟組織の診断では,触診によって圧迫したり振動を加えた場合の組織の「動的な弾性」あるいは「硬さ」「ずり粘弾性」などから組織i生状を質的に鑑別する方法が有効であり,乳癌は硬く,明らかに良性腫瘍とは異なっていることが経験的に知られている。また乳腺だけでなく,直接手で触れにくい腹腔内臓器疾患の超音波診断法においても,悪性診断の基準の一つとして,「癌は超音波パルスの方向に対して縦長である」といわれているが,これは癌組織の弾性の低下に関連していると考えられる。このように生体組織の「硬さの増大」や「弾性率の低下」は癌の性状診断の大きな手がかりであり,とくに形態的には特徴の少ない浸潤性の悪性腫瘍の診断に重要である。
本研究では,柔らかい生体組織に外部から静圧や10Hz程度以下の低周波振動を加圧し,この振動を伝搬する組織局所の変位や変形をプローブ用高周波超音波(2~10MHz)で測定し,生体軟組織の「硬さ」や「動的弾性率」の特性量として画像化することを試みた。
2.方法
2.1局所変位の推定方法
超音波のエコー信号を基に散乱体の局所変位を推定する方法には,散乱体の変位に起因する位相偏移(ドップラー・シフト)を検出する方法とエコー信号の振幅(包絡線)の時間推移(オプチカル・フロー)を検出する方法とがある。すなわち,変位前の受診RF信号を
また変位後の受診RF信号を
とすると,ドップラー・シフト法では位相偏移qを検出する。(図1参照)。RF信号の角周波数をω,超音波の音速をc,散乱体の変位をuとすれば,u=qcω/2の関係が成立するので,qが検出できれば,距離ct/2の深さにおける変位Uが求められる。ドップラー・シフト法は,既に確立された方法であり,RF信号の1波長(=cπ/ω)以下の極微小変位を推定できるが,超音波の進行方向と直交する方向の変位は推定不可能である。
一方オプチカル・フロー法は,振幅の時間推移sを検出して,u=sc/2の関係より距離ct/2における変位uを求める。オプチカル・フロー法では振幅f(t)が生成する2次元包絡線時系列画像(Bモード画像)における映像上の変位を推定するので,ドップラー法と異なり,プローブ波に直交方向の変位も検出可能である。
オプチカル・フローに基づく変位検出には,相関法や勾配法があるが,ここでは並列演算による高速化が可能で変位推定の信頼性をも評価できる時空間微分最小2乗法(最小2乗濃度勾配法)を利用した。以下に簡単に説明する。
時刻t1,t2における2枚のRF包絡線画像を
と表す。(図2参照)。
時間tz-tlの間に,fl(X,y)が変位(u,v)及びエコー強度変化(1-k)を生じてf2(x,y)になったとすれば,
の関係を満たす。時間t2-t1が充分に小であれば,変位(u,v)及びエコー強度変化率kも微小と考えられ,
と近似できる。ただし,
である。式(5)の近似誤差を
と置き,変位(u,v)及びエコー強度変化率kは局所領域r内で一定と仮定すれば,式(6)のJを(u,v)及びkに関して最小にすることで,次式が得られる。
となる。ここで, || ||は行列式を表し,
である。式(7)~(9>の変位(u,v)とエコー強度変化率kを式(6)に代入して得られる推定誤差の最小値をJer,と書けば,Jd。tとJ。,,を利用して変位の推定値の信頼度を評価することができる。すなわち,
①Jd,,が小であると,エコーの包絡線画像に適当な濃淡がなく,変位の推定が不可能である。
②Jd,,が大で変位の推定は可能であるが,Jerrが大であり,推定値が信頼できない。
③Jd,,が大で推定可能であり,かつJerrが小で変位(u,v)の推定値も信頼できる。
この方法は,包絡線の波形セグメントの移動として変位量を推定するものであるが,およそ1画素以上の大変位に対して推定精度が低下するため,数画素の変位までを推定しうる方法を新たに付加した。すなわち2枚の包絡線画像fl(x,y)とf2(x,y)の間に,エコー強度変化率kと変位(U+u,V+v)があり,局所領域rでf2(x+U,y+V)={1-k}f1(X-U,y-v)が成立すると仮定する。ここに変位(U,V)は1画素以上の中変位であり,変位(u,v)は1画素未満の微小変位である。kおよび(u,v)が微小でかつr内で一定とみなせるならば,f,(x,y)=f、(x十U,y十V)-f1(x,y)と書いて,ft(x,y)十ufx(x,y)十vfy(X,y)十kf1(x,y)=0カご近似的に成立する。なお中変位(U,V)は,対象とする組織の移動量に関する事前知識に基づき前もつて数枚のf2(x+U,y+V)画像を準備しておく必要がある。この改良法でも画像上の局所変位を並列処理で高速にかつ頑健性高く推定できる。
3.結果
3.1局所変位のin vitro測定
RFエコー信号の振幅推移から上述の方法で局所変位を推定する場合の精度と分解能を検討するため,生体類似試料に外部から微弱な静圧を加z,加圧によって生じた組織内部の微小変形をプローブ用超音波で測定するin vitro実験を行った。
図3は実験の概略を示す。2枚のアクリル板(5mm厚)に豚肉(約45mm厚)とコンニャク(約20mm厚)を重ねて挟み,下側のアクリル板を0.4mm単位で上方に締め付けて試料に静圧を加え,組織に微小変形を生じさせ,シングルプローブ(KB-Aerotech社製,中心周波数3.5MHz,焦点距離5-12cm)にて軟部組織からのRFエコー信号を測定する。このRF信号は,テクトロニクス社製波形ディジタイザ390AD-HD1(最高サンプリング周波数60MHz,量子化精度10ビット)でディジタル信号に変換・記憶後,パソコンに転送する。プローブを機械走査して2次元包絡線画像を生成し,加圧によって生じた組織内部の局所変位を推定した。
図4は,試料の包絡線画像,および矢印で指示した特定のビーム位置において推定した0.4mm圧縮前後の組織局所のエコー強度変化率kと垂直方向変位vを示す。太線は変位推定の信頼度が高いことを,細線は信頼度が低いことを意味している。図5は,図4の矢印で指示した位置における0.4mm圧縮前後の2本の包絡線波形である。この2本の包絡線波形から変位vとエコー振幅変化率kを推定した。なお図4の「linear case」とは,アクリル板間隔の短縮に対して試料が線形に変形した場合の局所変位である。図6は局所変位(u,v)の2次元ベクトル表示であり,推定の信頼度に応じて異なった表示をしている。
この実験では,約3mm平方の解像力で,0.3mm以下の変位が推定可能であることが示された。試料の豚肉は脂肪と肉質を交互に含んだ構造をしているが,微小変位の微細な差異からこれら構成成分を識別するまでには至らなかった。
3.2肝組織の心拍起因の局所変位のin vivo推定
超音波Bモード画像から肝実質の局所の変位や変形を検出し,組織の硬さや粘弾性の性状を特徴化できれば,禰慢性肝疾患などの診断に有用であると考えられる。そこで,超音波診断装置のBモード時系列画像に基づいて,心拍動に起因する生体組織の局所変位を推定した。この方法は変位測定のための特別な装置を必要とせず,臨床用のリアルタイム電子スキャン超音波断層装置のBモード映像より局所変位が推定できるので,極めて実用的である。
腹部検査用の超音波診断装置(YMS4600)の電子スキャンBモード画像(NTSC映像信号)をタイムベースコレクタを介して時間軸のジッタを除去し,256*256画素8bit(256階調)のデジタル画像として,1/30秒間隔で連続64フレームを取り込むシステムを開発した。今回は外部から振動を加えるのでなく,心拍動に起因して生じる肝臓組織の伸張と縮小を測定した。肝組織の「硬さ」が異なると考えられる正常人2名,および肝硬変3名について,心および大血管の拍動を最も受けやすい肝左葉外側区域で,大静脈直上,矢状方向でスキャンした。またセクタ走査やコンベックス走査ではBモード画像の構成方式が複雑で変位測定には適当でなかったので,3.5MHzのリニア走査Bモード映像を使用した。
心拍動に起因する肝臓組織の周期的な変位は,Bモード画像上で目視にて充分に認められる。肝臓は,心収縮期には左方へ短時間に強く伸張され,心拡張期には右方へ長い時間にわたって緩やかに縮小する。この「肝縮小期」において肝の変形速度が最大となる4枚のBモード画像(時間間隔2/30秒)をもとに局所変位を推定した。
図7に正常肝の,図8に肝硬変の,組織局所変位を算出した結果の一例を示す。図(a)は2/30秒の時間差における時間差分画像であり,この画像をもとに変位検出を行った。図(b)は,Bモード画像および矢印で指示した水平方向1ラインでの変位uとエコー強度変化率kを表し,太線は変位推定の信頼度が高いことを,また細線は誤差が大きく変位推定の信頼性が低いことを意味している。図(c)は,図(b)で指示した水平ライン位置でのエコー振幅信号の2/30秒間における変化を示す。図(d)は画面全体にわたって推定した局所変位(u,v)の2次元ベクトル表示であり,図(e)は推定の信頼度の高い領域に関して変位量の大きさを濃淡画像として表した。
これらの結果から,心拡張初期において,正常肝では,変位量が大きく,また心臓より遠位となるにしたがって変位が鈍化して組織の局所変形が大であることが知られ,正常肝組織の柔らかさを示している。一方肝硬変でも心拍に応じて変位が検出されているが,変位は小さく,また変位の部位による差も少なく,局所変形量は小さい。これは肝組織の硬化を意味している。なお,局所変形量を定量的に表現する指標として変位空間変化率(歪)を算出したところ,肝臓組織の広い範囲にわたる平均値として,正常人では5.5%,肝硬変では1.2%であった。
4.結論および今後の問題
生体の外部から静圧を加えた生体試料からのRFエコー信号を測定し,その包絡線画像をもとに組織の局所変位を算出した。中心周波数3.5MHzのプローブ波を使用した包絡線映像では,RF波のS/Nが充分であれば,0.3mm以下の微小変位も検出可能であることが示された。さらに,臨床用診断装置のBモード画像(NTSC映像信号)より肝組織実質の局所変位をin vivoにて算出し,映像化した。正常肝では変位,変形量とも大きく,組織の柔らかさを示し,一方肝硬変では,変位,変形が小さく,肝組織の硬化を反映している。また肝炎では正常肝の軟らかさと肝硬変の硬さの中間的性質を示すと考えられ,さらに症例を増して検討を重ねている。
生体軟組織の柔らかさは外部の加圧に対して自由に形を変える性質であるとか,加振に対する動的な粘弾性(粘弾力性)であるとも指摘されている。これら特徴量を組織局所の微小変位より表現するためには,変位量の加圧方向における空間変化(変位勾配)だけでなく,加圧と直交する方向での変位勾配(ずり変位勾配)をも含んだパラメータを利用すべきであると考えている。
今回の研究助成金によって研究はかなり進展したものの,まだ完結したわけでない。生体内部の臓器や組織にどのような方法でどんな周波数の振動を加えるのが効果的であるか,また変位の検出方法に関しても解決すべき問題は多い。