1994年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第08号

赤血球異常症診断プロトコールの研究開発

研究責任者

八幡 義人

所属:川崎医科大学 内科学 教授

共同研究者

山田 治

所属:川崎医科大学 内科学 助教授

共同研究者

杉原 尚

所属:川崎医科大学 内科学 講師

共同研究者

神崎 暁郎

所属:川崎医科大学 内科学 講師

共同研究者

阿多 雄之

所属:川崎医科大学 内科学 講師

概要

1.まえがき
血液疾患の診断は,造血細胞各系統にしたがって,(1)赤血球系,(2)白血球系,(3)血小板系,(4)その他の細胞系,などについて各々の疾患群に分類して行われるのが通例である。この診断の過程は,(1)病態の把握の基礎となるデータの測定入手と,(2)得られたデータの総合評価による判定,とから成り立っている。
この場合,病態診断に不可欠なデータとしては,(1)定量指標(血球数,血球容積)の異常と,(2)質的(定性的)指標の異常,があげられる。
最近,10余年の絶えざる研究開発の成果によって,上記のうち定量的測定法(特に血球数と血球容積)の進歩とその信頼性は揺るぎないものとなっている。
特に,赤血球系疾患については,現在得られている電子計測技術によって,正確な病態診断がある程度可能であり,完全自動化の日が近いといえる。それは,(1)赤血球,(2)赤血球指数,(3)粒度分布(血球容積分布),(4)RNA量の測定(赤血球造血の指標),などを活用することによって,赤血球異常症診断のプロトコールを作成することができる。これらの指標によって,わが国における疫学頻度を考慮することによって,その赤血球異常症の約8割を正確に診断し得る。また,赤血球異常症のうち,赤血球増加症の頻度は極めて低く,主体は圧倒的に貧血症であることから,貧血症を本研究の主対象と定めた。
ところで,臨床実地の観点から考えると,各赤血球異常症(貧血症)症例について,臨床実地上,まず最初に問題となるのは,臨床所見であり,これに基づいて必要項目についての血液学的(あるいは内科学的)検査がなされ,補助検査の成績をも考慮して最終診断に至ることになる。
従来から,ややもすると,血液一般検査(complete blood cell count : CBC)による成績のみが強調され過ぎていたきらいが無しとしない。そこで,臨床医による診断stepをもう一度十分に顧みることによって,電子計測技術の優れた利点と臨床医による情報とを加味した赤血球異常症(貧血症)に関する包括的な診断プロトコールを作成することを試み,併せて,この赤血球異常症のうち,特に最近の分子生物学的研究成果の著しい赤血球膜異常症に焦点を絞ってその検索方法ならびに診断確定を目指すことを本研究の主要目的とした。
2.内容および成果
2.1赤血球異常症(特に貧血症)に関する包括的診断プロトコールの作成
赤血球異常症(特に貧血症)について各該当疾患約3500症例を本研究の対象とした。その疾患群としては,病因別に(1)失血性貧血群,(2)溶血性貧血群,(3)症候性貧血群,(4)赤血球産生障害群などである。
診断プロトコールの作成は,現実に臨床の現場で行われている赤血球異常症の診断過程を可能な限り忠実に写すことが出来る様に考慮した。したがって,臨床実地の診断過程の流れに従って,まず臨床所見,次いで,CBC所見,さらに末梢血の赤血球形態所見とした。この段階までで,貧血症の約8割の疾患を分別することが可能となり,各疾患間の重複はほとんど無いか,あっても極く稀となる。この成績は表1に示した。
2.2臨床所見
現病歴では,急性大量出血(失血)の有無の情報が最も重要であって,失血性貧血群はほとんど全てこの事実によって決定しうる。
次に理学的所見では,黄疸の有無が最も重要である。黄疸の病因は,溶血性と非溶血性とに大別されるが,貧血症に加えて溶血性黄疸の存在が確定されれば,溶血性貧血が確定する。基本的には,黄疸の存在しない溶血性貧血は存在しない。この場合,非溶血性黄疸(肝性,肝後性,体質性など)を鑑別する必要があるが,通常鑑別に困難はない。
この場合,遺伝歴の聴取が重要であり,遺伝歴が明らかであれば,わが国の場合,先天性溶血性貧血の約8割は赤血球膜異常症であるから,勿論精査は不可欠であるが,その主体をなす遺伝性球状赤血球症である確率は高いことになる。
これに対して,遺伝歴が不明の場合には,(1)本質的には先天性溶血性貧血でありながら,孤発例(狭義のde novo mutation)の場合,あるいは臨床症状が軽微であるために家系内に症例がありながら未確認に終っている場合,そして当然(2)後天性溶血性貧血群がこの群に入る。この後天性症例群であって,発作性,間欺的溶血症状を示す場合,寒冷との関係が明らかに濃厚であれば,発作性寒冷凝集素症(paroxysmal cold hemoglobinuria : PCH)の可能性が高くなるし,もし寒冷との関係がほぼ無縁であれば,発作性夜間血色素尿症(paroxysmal nocturnal hemoglobinuria : PNH)の可能1生が高くなる。これらの臨床的所見は,CBC所見などよりも遙かに診断確定的である。
さらに重要であるのは,原疾患の存在の有無である。わが国では,原疾患によってもたらされる貧血群(症候性貧血,続発性貧血,あるいは二次性貧血)は全貧血症例の約半分に及ぶと推定されていることから,重要なcategoryである。各原疾患の同定のための補助検査成績が当然のことながら最も重要となる。
最後に,上記のいずれにも該当せずに,長期間に亘って経過する一群の貧血(一般に慢性貧血と呼ばれている)が問題となる。この群には主として造血障害と呼ばれる,赤血球産生障害の諸疾患が多く含まれている。この鑑別診断には,臨床所見に加えていわゆる電子計測技術によるCBCが有用である。
以上を統括すると,臨床所見を主体として,失血性貧血群,溶血性貧血群,多くの症候性貧血群の診断が可能である。これに対して,ある種の造血障害群については,その鑑別診断には,CBCに負う所が大きいといえる。
2.3CBC所見
貧血の診断においてCBC所見の持つ役割は大きいが,またある意味では過大評価され過ぎているとも云える。CBCは本質的には,(1)赤血球数,(2)赤血球内に存在する細胞質量(主としてヘモグロビン量,稀には水分量)が診断的意義がある。後者は,MCV(赤血球容積の点で)あるいはMCH(Hb量の点で)として表現される。
まず,赤血球数の減少を示す場合には,失血,溶血,造血障害のいずれの場合の貧血症も可能性があって鑑別上,特異的なマーカーとはなりにくい。
また,赤血球内に存在する細胞質の量も赤血球数の減少が存在するとすれば,この減少分に見合った細胞質の総量の減少が存在するのは当然である(MCVおよびMCH値は正常:正球性正色素性貧血)。
しかし,細胞質特にその主要構成成分であるHb量の合成系に何らかの異常があれば,MCHは低下することになり,多くの場合MCVの低下も伴っている(小球性低色素性貧血)。また,核成熟障害も相対的なMCHの上昇,MCVの上昇を示すことになる(大球性高色素性貧血)。これらの疾患群は,多くの場合,慢性貧血の形をとり,臨床的には診断決定的,特異的な鑑別点を持たないことが多いことから,このCBC所見はこの群の疾患診断には極めて有用である。
以上,CBC所見はそれのみでは,正球性正色素性疾患群の鑑別診断には無力である一方,小球性低色素性,あるいは大球性高色素性群については可成り診断確定的であるといえる。
2.4末梢血赤血球形態
赤血球異常症のうち,奇形赤血球症の存在は,ある種の貧血症に対しては,診断確定的であり,特に疾患特異性の高い溶血性疾患群について云える。小型球状赤血球症,楕円赤血球症,有口赤血球症, acanthocytosis, 赤血球凝集像, rouleaux形成,破砕赤血球などがそれである。また,造血障害群では巨赤芽球の存在によって巨赤芽球性貧血が,核または細胞質の異形成の存在する場合には骨髄異形成症候群(myelodysplastic syndrome : MDS)の診断が各々確定する。
以上,末梢血赤血球形態所見をこの診断プロトコールに組み込むことは極めて重要である。
2.5補助検査
以上の2.2臨床所見,2.3CBC所見,2.4末梢血赤血球形態によって,大半の症例についてはすでに診断がほぼ推定されうるが,診断確定のための補助検査も重要な場合がある。たとえば,遺伝性球状赤血球症(HS)では,食塩液浸透圧抵抗試験や自己溶血試験が,解糖系諸酵素欠損症や諸種Hb異常症などでは,当該物質の生化学的測定とその解析が不可欠である。自己免疫性の溶血性貧血ではCoombs試験は欠かせない。
鉄代謝の立場からは,体内総Fe量の指標としての血漿フェリチン量は重要であり,その欠失は鉄欠乏性貧血を,このferritin量が正常でありながら,血清Fe値と総鉄結合能(TIBC)の低値は,症候性貧血の存在を想定させられる。
巨赤芽球性貧血の病因としての,vitamin B12あるいは葉酸欠失の確認も大切である。
2.6貧血診断のためのプロトコールの問題点
以上の如く,臨床所見,CBC所見,末梢血赤血球形態,各補助検査,各々にその独立性と存在意義があり,その重要性については,その概当疾患によって可成り異なっている。したがって,本プロトコールの実施に関しては各疾患それぞれについて,重要度にscoring systemを導入すべきであろう。
また,上記の各項目については,容易に定量化しうるもの(CBC所見など)と,やや困難な項目(臨床所見,末梢血の赤血球形態所見など)とがあり,これらの数量化を何らかの形で行う必要があろう。
3.1赤血球膜異常症診断プロトコール
わが国の先天性溶血性貧血の大半は赤血球膜異常症であり,しかも膜蛋白レベルおよび遺伝子レベルにまで解析が進んできたので,この領域に限局して,特異性の高い診断プロトコールを試作してみることとした。
3.2対象症例
既に揚げた表1の如く,貧血性に関する診断プロトコールを用いて,先天性溶血性貧血群に該当し,しかも赤血球異常症が最も確定しうる自験症例347家系601症例を研究対象とした。
3.3検索方法
これらの赤血球膜異常症の検索screening protocolとして,
(i)臨床血液学的検査
(ii)光顕,位相差光顕,走査電顕
(iii)蛋白化学(SDS-PAGE, spectrin重合能,膜蛋白cleavage検索,銀染色,PAS染色,各膜蛋白間の結合能など)
(iv)膜物性(Na輸送能,ektacytometry, FRAP法など)
(v)特殊電顕(negative染色法, quick-freeze deep-etching法, surface replica法, freeze-fracture法など)
(vi)赤芽球分化に伴う膜蛋白に関する遺伝子発現と膜蛋白の組み込み機構(二相性液体培養法)
(vii)遺伝子解析による病因同定
などを施行した。
3.4末梢血赤血球形態異常に準拠したわが国の赤血球膜異常症の病型分類
上記の検索症例について,末梢血塗抹標本および,1%glutaraldehydeリン酸緩衝液にて固定した標品について,各症例の赤血球形態異常に基づいて病型分類を行った。
その成績は表2の如くである。末梢血赤血球形態異常のみによって,約77.9%を診断することが出来た。残りの症例のうち,約半数(46.6%,全症例の13.2%)は生化学的解析によって始めて診断可能であった。
3.5赤血球膜蛋白異常症の解析
膜蛋白および遺伝子解析を行った1990年度以降の症例について以下の如く分子異常症を同定することが出来た。
(1)細胞骨格タンパク異常症としては,臨床的phenotypeは主としてHEの赤血球形態をとった。分子レベルの検索では,
(i)α-Spectrin異常症 : HE|〔a1/74〕1家系,
(ii)β-Spectrin異常症 : Spectrin Tokyo(β220/216 : codon 2059でC欠失), Spectrin Le Puy in Yamagata(β220/214 : codon 2007でexon skipped),
(iii)Band4.1部分欠損症:わが国のHEの大多数を占めることなどが判明した。
(iv)なお正常者におけるα一spectrin polymorphismとしてαv/41polymorphism (codon 1857 CTA → GTA : Leu→Val) 多数例 (検索50例のうち, α/α:32例, α/αLELY :14例, αLELY/αLELY :4例)を同定しえた。
(2)Anchorタンパク異常症の解析成績では,
(i)Ankyrin異常症 : 染色体異常de1 (8) (p11.22-p21.1) 伴う2家系のheterozygotesではそのphenotypeはHSであった。
(ii)Band4.2異常症 : 完全欠損症 (142 Ala→Thr, その他) 13家系17例, 部分欠損症2家系3例, doublet(74/72kDa)2家系7例,などが発見された。
(3)構造タンパク異常症の解析成績では,
(i)Band3異常症 : 2家系3症例が同定され,そのうちの一家系はmembranous domain分子異常症と判明した。
(4)膜輸送能(特にsodium transport)異常としては,
(i)遺伝性有口赤血球症が知られているが, 40家系57症例を同定し, その病態解析を行った結果, band7(28kDa)の部分欠損症7例が認められた。
3.6赤血球膜脂質異常症の解析
(i)HPcHA30例, (ii)LCAT欠損症1例, (iii)β一リボ蛋白欠損症5例, (iv)α一リボ蛋白欠損症1例を同定しえた。
3.7検索依頼時の臨床診断と精査後の分子病態との対応
最後に,検索依頼時の臨床診断と精査後の分子病態との対応に関して,1991~1993年間の90家系143例の溶血性疾患について検討した。その結果:(1)HE(16例)では,形態学的診断のみで全例ともHEと判明したが,蛋白レベルでは,このうち大多数(13例)はband4.1部分欠損症であった。(2)HS65例では,形態学的に55例はHSと診断されたが,その他にHSt4例,band4.2異常症2例,HPCHA1例,その他3例が含まれていた。またHS症例では蛋白化学的には,spectrin,ankyrin,band3.band4.2などの種々の程度の欠損症を認め,明らかにこの群は病因的にheterogeneousと推定される。(3)HStについては,その診断率は極めて低く,HSt13例中,精査前に診断確定しえたのは僅か1例にすぎず,他はHSあるいは診断不明とされていた。また,別に検索したHSt44例では,著明なNa転入能充進を伴うhydrocytosis6例,dehy-drocytosis7例,軽度のNa輸送能異常を伴う有口赤血球19例,Na輸送能正常群の有口赤血球症12例であった。(4)HPCHA10例は全例,膜脂質分析によって始めて診断可能であった。(5)Band4.2欠損症およびband3異常症は全例,膜蛋白の精査(SDS-PAGEなど)によってのみ診断を確定しえた。(6)最終的な診断不明例は14例であった。
4.まとめ
以上,赤血球異常症のうち,貧血を主体に診断プロトコールを考案しあわせて問題点を述べた。また,貧血症のうち,特に赤血球膜異常症を取り上げ,わが国における疫学的特性を明らかにし,最近の研究成果を述べた。