1991年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第05号

術中局所心機能評価のための超音波ドプラトラッキング層別壁厚計の開発

研究責任者

辻岡 克彦

所属:川崎医科大学 医用工学 助教授

共同研究者

梶谷 文彦

所属:川崎医科大学 医用工学  教授

共同研究者

藤原 巍

所属:川崎医科大学 胸部外科 教授

共同研究者

小笠原 康夫

所属:川崎医科大学 医用工学 講師

共同研究者

高折 益彦

所属:川崎医科大学 麻酔科  教授

概要

まえがき
狭心症,心筋梗塞などの虚血性心疾患に対して,大動脈冠動脈バイパス術,内胸動脈吻合術や心室瘤切除術が行われて治療効果を上げている。しかし,局所心筋のどの部分が機能を保持しているか,またどの程度保持しているかについての術中評価は,目測によるのみで,客観的計測方法を欠如している現状にある。ことに,心筋虚血は心内膜側からはじまり,かつ心筋虚血の程度も心内膜側がより高度であることが知られているので,心外膜面からの目測による評価は,この点ははなはだ不十分である。したがって,心臓手術時に局所心筋機能を客観的に心内膜側から心外膜側にわたって心室壁層別に計測・評価しうる装置を開発することは,虚血性心疾患に対する術中病態解析にとって重大な課題である。
今回,超音波ドプラトラッキング法により,心室壁の壁厚を各層別に計測する装置を開発し,その精度と局所心筋機能評価における有効性を動物実験において確認したので報告する。すでに多数の動物実験で超音波クリスタルを心筋内に植え込むことによって明らかにされているように,局所壁厚の増加量を計測すれば,その部位の心筋長の短縮量,すなわち局所心筋機能が評価できる。もちろん,超音波クリスタルをヒト心筋内に植え込むことは不可能であるので,本研究では心外膜側に小さな超音波プローブを留置するだけで同じ情報を確保しうる超音波ドプラトラッキング層別壁厚計を考案した。なお,本装置は,術後の急性期(数日内)における局所心筋機能のモニタとしても用いうるものと期待される。
内容
1.装置の概要
超音波ドプラトラッキング壁厚計のシステム図を図1に示す。超音波パルスドプラ法の基本構成に加えて,サンプルボリュウム位置のトラッキング制御回路が付加されているのが本機の特徴である。
原理は,心筋壁表面に装着した1個の超音波トランスデューサを用いて心筋壁内の任意点に設定したサンプルボリュウム内を通過する心筋群の速度を検出し,それを積分することによりその変位量を求めるものである。トラッキング制御回路を持たないシステムは,1983年にアメリカのHartleyらによって開発されている1・2。しかしトラッキングがない場合にはサンプルボリュウム位置が固定されているため,壁厚が厚くなる心収縮末期に心内膜側にサンプルボリュウムを設定した場合,壁厚が薄くなる拡張期にはサンプルボリュウムが心室腔内に移動してしまう場合が生じうる。つまり,Hartleyらのシスァムでは,心周期全体にわたる心内膜側の壁厚計測は困難であった。
これに対して,本システムでは,サンプルボリュウム位置を注目している心筋層の動きにトラッキングさせて移動しながら心筋各層の動きを検出しうるので,全心周期にわたる2点間壁厚計測を任意の心筋層において行いうる特徴を有する。また,サンプルボリュウムの位置は電気的に心筋壁内の任意の位置に設定できるため,心筋表面に装着した1個のセンサによって任意の心筋層の変位計測が可能である。
2.装置の基本規格
超音波ドプラトラッキング壁厚計の基本規格を表1にまとめた。基本周波数は10MHz,繰り返し周波数は4kHzで,ドプラ信号帯域は組織の変位をみるため1Hz-1kHzとなっており,変位量の最大計測レンジは,5mmのチャンネルと10mmのチャンネルがあり,同時に設定可能である。変位分解能は0.02mmである。トランスデューサ(センサ)の直径は約2mmで,本法の特徴は心筋表面に一つセンサを装着することにより,心筋壁内の任意の位置の心筋挙動が多数点で同時に計測できることである。
成果
1.モデル実験による検討
トラッキングシステムの有効性を調べるために水中における糸の動きをトラッキングシステムONの状態と,OFFの状態で比較した結果を示す(図2)。糸の最大変位量は3mmであるが,トラッキングシステムONの場合は精度良く糸の動きを計測しているのに対して,OFFの場合にはサンプルボリュウム内から糸が外れるとドプラ信号が無くなり,検出される糸の変位量は制限されてしまう。次に,水中においたスポンジの前方約5mmにセンサを置き,リニアモーターにより変位させた。センサによって得られたスポンジーセンサ間の相対的距離の変位量と,リニアモーターにより変位させた量との関係を見たものが図3である。両者の間に非常に良い相関を示し,本法によって計測した変位量の正確性が実証された。
2.動物実験における壁厚動態の評価
2.1局所心筋虚血時の壁厚動態
本システムを用いて麻酔開胸犬7頭に対して冠動脈閉塞による急性心筋虚血時の心筋壁厚を計測した。まず,実験のSetupを図4に示す。左冠動脈前下行枝(LAD)を一時的に閉塞させて,支配領域が虚血により奇異性の壁運動(収縮期に外側に膨隆する)を示したことを確かめた後に,その部位にトランスデューサを装着した。実験では,サンプルボリュウムを壁中央部と心内膜部の2ヵ所に設定した。つまり,心外膜から壁中央部までの壁厚と心外膜から心内膜までの全壁厚を同時に計測し,両者の差より心内膜側壁厚を算定した。同時に左心室内圧の計測と伝播時間法による左心室短軸径計測を行った。
計測装置類を装着して後,血行動態が安定していることを確認した上で,左冠動脈前下行枝を再び閉塞して壁厚動態を計測した。図5は,局所心筋虚血時の壁厚動態を経時的に見たものである。上の三つの波形が壁厚動態を示し,最上段は心内膜側から心外膜側に至るまでの全壁厚,次は心内膜側から壁中央部までの壁厚,3段目は心外膜側から壁中央部までの壁厚波形である。以下,左心室短軸径と左心室内圧,および心電図を示す。左室短軸径は,伝播時間法を利用し,1対の超音波トランスデューサを心内膜側に左室長軸と直交するよう対面させて計測した。
左冠動脈前下行枝閉塞後の10数秒間には,左心室短軸径,左心室内圧に顕著な変化は認められない。これに対して,心外膜側と心内膜側の壁厚動態を見ると,閉塞後約5秒後から壁厚波形に変化が観測される。これは,心筋虚血により心筋収縮力が減じたため,収縮期壁厚も減少したと考えられる。一方,閉塞前では心内膜側壁厚変化は心外膜側の2.5倍程度あった。
2.2局所心筋虚血時の心筋壁仕事率の解析
冠動脈閉塞による急性心筋虚血への過渡期における局所心機能の評価を行うため,局所心筋壁仕事率を計算した。従来は拡張末期と収縮末期の壁厚の差をみて機能評価が行われていたが,冠動脈閉塞早期のわずかな壁厚変化の検出は困難なため,菅原ら3・4・5)が提唱する局所壁仕事量を計算,評価した。つまり,ここに示した壁厚,短軸径,および左心室内圧の計測値を次のモデルに適用し,心筋壁の仕事量を評価した。
2.2.1肉厚心室モデル
左心室を肉厚Htの壁でできた半径Rの球形としたモデルを仮定する(図6)。心室壁の単位体積当たりの仕事量は,壁厚Htと壁の応力σを用いて菅原,中野らの式により算定できる。ここでは応力σの第一次近似として,この式で示される平均応力を使用した。また,心筋壁の内膜側と外膜側の比較には,単位時間当たりの仕事量,すなわち仕事率を用いた。APPENDIX参照
2.2.2仕事率の解析
図7の縦軸が単位心筋容量当たりの仕事率であり,横軸が時間を表す。上段は,心内膜側(endo-mid)の心筋の仕事率,下段は心外膜側(epi-mid)の仕事率である。コントロールの状態では心内膜側の仕事率が心外膜側の約3倍あるが,この結果は平均応力を壁仕事率計算に用いているため,心内膜側と心外膜側の壁厚変化の差が反映されたものである。次にLADの閉塞を行うと閉塞後約5秒から心内膜側および心外膜側のいずれにも仕事率の低下が見られた。LAD閉塞から仕事率の低下開始までの時間(delay time)は心内膜側が心外膜側に比べて約1秒弱早く心内膜側心筋の虚血に対する脆弱性を示唆するが,統計的有意差はなかった。ただし,このように平均応力を用いることについては今後の検討が必要と思われる。
以上,動物実験において,超音波ドプラトラッキング壁厚計の局所心筋機能解析における有用性を確認したので,術中計測で臨床応用する予定である。
まとめ
著者らはドプラ心筋壁厚計を用いて,トラッキングシステムの有効性を検討した後,心筋虚一血時の壁厚動態を計測し,さらに,心筋虚血時の心筋各層における局所心筋機能解析を行った。心内膜側心筋の壁厚変化率,仕事率は心外膜側心筋のそれに比べて大きいため,虚血に対して不利であることが窺われた。今後,術中計測による臨床応用を予定している。
APPENDIX
左心室を肉厚Htの壁でできた,半径Rの球形としたモデルを仮定する(図6)。心室壁の単位体積当たりの仕事量の計算は,壁厚Htと壁の応力σを用いた,菅原,中野らの式により算定できる3・4・5)。
ここでは応力σの第一次近似とじて,この式で示される平均応力を使用した。また,心筋壁の内膜側と外膜側の比較には,単位体積当たりの仕事量,すなわち仕事率を用いた。