1993年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第07号

血小板の細胞内カルシウム、細胞内pH及び凝集能の同時測定が可能な蛍光分光光度計の開発

研究責任者

久米 章司

所属:山梨医科大学 医学部 検査部 教授

概要

序言
細胞活性化機構において,細胞内カルシウムの増加は重要な刺激であることが明らかにされている。一方,細胞内Ca++増加のみでは説明のつかない現象も認められつつあり,他の刺激伝達経路の関与が推察されていた。その中でも現在注目をあびているのが細胞内pHで,細胞内pHは主としてNa+/H+交換経路により調節されるが,細胞内pHが細胞の活性化にともない上昇し,このことが種々の細胞機能の調節に関与していることが徐々に明らかになってきた。最近では,細胞内pH上昇が細胞内Ca++増加を惹起させる要因なのか,または細胞内Ca++増加が結果的に細胞内pH上昇につながるのか,はたまた細胞内pH及び細胞内Ca++がそれぞれ独立に制御され,細胞活性化に相乗的に働くのかといった疑問が新たに提起されている。しかし,これらの現象が同時に起きているのか,または,そのどちらかが他方の起因になっているのかはこれらを同じ検体について同時に測定し決定しなければならず,いまだに結論はでていない。また,細胞内カルシウム,細胞内pHの測定には蛍光物質を使用するが,種々のartifactを除去するためにそれぞれの蛍光の不変点で補正する二波長測定を行う必要がある。この様に少なくとも4種類の波長を短時間に(秒以下)に変化させ,それぞれの蛍光強度を測定しなければならない。さらに細胞内カルシウム,細胞内pHの変化を他の細胞活性化の指標と同時に評価することが必要である。遊離細胞の場合,刺激による形態変化(血小板の場合は凝集)の測定が,細胞内カルシウム,細胞内pH測定と同時に行える細胞活性化の指標であり,この場合さらにもう一つの光学系を追加する必要がある。我々は現在市販されている波長切り替えのできる蛍光分光計を改善し,形態変化の測定できる光学系,データの処理を行うソフト等を追加し,以上の問題の解決を試みたので報告する。
研究の内容及び考察
(1)蛍光波長切り替えの高速化およびデータ処理のソフトの開発
日立細胞内Ca++測定用蛍光分光計F-2000を用い,細胞内Ca++測定データ,細胞内pH測定データの解析を効率よく行うソフトを開発し,血小板細胞内Ca++と細胞内pHの同時測定が可能となった。このソフトは,fura2蛍光による細胞内Ca++測定の場合は,励起波長340nm,380nmにおける蛍光強度の比からGrinkiewiczらの式をもとに経時的な細胞内Ca++の変化を算出し,ハードディスクに保存する。また,試薬の注入時のartifactの除去,図の一部分の拡大縮小も可能である。さらに,異なるデータ問の四則演算が可能であり,薬剤使用前後の細胞内Ca++の変化の差が視覚的に認識できるようになった。BCECFを用いた細胞内pH測定の場合,BCECF蛍光をpHの変化に左右されないisosbestic pointの蛍光で補正する必要があり,その計算ができる項目もつけ加えた。血小板等の遊離細胞の形態変化及び凝集を測定できるようにするため,蛍光分光計の測定室に,血小板凝集計と同様の光源系を組み込み,細胞内Ca++,細胞内pHなどと共に血小板凝集が同時に測定できるように装置を変更した。しかし,通常の血小板凝集計の凝集曲線と同様のバターンが起きず,この問題についてはこれから改善する必要があると思えた。
(2)血小板における細胞内Ca++と細胞内pH
新しく開発したソフトを用いて,血小板細胞内Ca++動員における細胞内Ca++貯蔵部位からのCa++遊離と,細胞外Ca++の流入の寄与,その調節機構について検討を行った(図1)。ストロンチウム(Sr++),バリウム(Ba++)は,Ca++と同じ2価のイオンであり,Ca++の動態を検討するのによく使用されている。また,Mn++はfura2蛍光を濃度依存性に減衰させるため,細胞内Ca++に関わらず,Ca++channelの開口状態を把握できる利点がある。これらの2価イオンの使用により,細胞外Ca++が細胞内に流入するCa++channe1,細胞内Ca++貯蔵庫のCa++保持状態,細胞質に存在するCa++の細胞外への排出機構等の性質が一部明らかになった。Ca++,Ba++,Sr++の三者とも細胞外より細胞内に流入でき,Ca++channe1を通過する。また,これらの三者ともCa++が欠乏した細胞内Ca++貯蔵庫を満たすことができる。一方,細胞質に存在するCa++,Sr++は速やかに細胞質より排除されるが,Ba++は細胞外へ排除されにくく,細胞質にあるCa++ポンプはBa++を使用しない。細胞内Ca++貯蔵庫のCa++含量は細胞外からのCa++流入を制御することがわかっているが,Sr++はCa++と同様にCa++channe1の開口状態を抑制したが,Ba++にはその作用はなかった。これらの結果より,血小板におけるCa++動員を制御する機構において,Ca++結合性に微妙な差があり,Ca++,Sr++,Ba++の三者の2価イオンの動態に差が起きるものと考えられた(図2)。
次に細胞内pHの動態について検討した。血小板細胞内pHは,トロンビンその他の血小板刺激物質により,約0.1-o.2上昇する。この上昇はおもに血小板細胞膜上にあるNa+/H+ exchangerの活性化によるものであり,細胞内pH増加により細胞の活性に必要な種々の機構が増強されると考えられている。Na+/H+ exchanger活性1ま,複数の制御機構により調節されていると思われるが,中でもprotein kinase Cの作用が主要な役割をはたしているとされる。我々は,Na+/H+ exchanger活性に対するprotein kinase Cの作用を新しいソフトを用い,詳細に評価した。protein kinase Cの活性化物質を投与すると,血小板細胞内pHは増加することも,また,反対に低下することもあった。多数の症例の検討,また刺激前の細胞内pHを変化させながらの検討では,protein kinase C活1生化時に細胞内pHが7.22以下の場合に細胞内pHは上昇し,それ以上の場合にはprotein kinase C活性化により細胞内pHはかえって低下することがわかった(図3)2)。一方,弱酸を用いて細胞内pHを低下させNa+/H+ exchangerを活性化させる系では,protein kinase CはNa+/H+ exchanger活性を著明に増加させた。細胞内pH回復の速度定数の測定により,protein kinase CはNa+/H+ exchangerのNa+とH+の交換のturnover rateを増加させることが明らかになった(図4)2)。
次に,細胞内Ca++と細胞内pHの同時測定を行い,これらの細胞代謝における関係を調べた。これまでの報告では,細胞内Ca++が先に増加し細胞内pHの増加の起因となる,また細胞内pHが先に変化し細胞内Ca++の増加に寄与するなどの相反する仮説がたてられていた。細胞内Ca++をキレートし細胞内Ca++に依存する種々の反応を抑制するために,BAPTAが用いられる。そこで血小板にBAPTAを負荷し,細胞内Ca++と細胞内pHの同時測定で細胞内Ca++の増加が抑制されていることを確認しながら,細胞内pHの変化を評価した。この系において,トロンビン刺激を行うと細胞内Ca++は増加しないにも関わらず細胞内pHは上昇し,細胞内Ca++の増加が細胞内pH増加の起因でないことが示された。次に,Na+/H+ exchangerの特異的阻害剤であるethylisopropylamilorideを用い細胞内pHが増加しないことを確認しながら,細胞内Ca++の変化を見た。この処理によりトロンビン刺激で惹起される細胞内pHの増加は抑制されたが,細胞内Ca++はNa+/H+ exchangerの抑制がない場合と同様に認められた。
細胞を低温下におくと代謝が遅延し,刺激直後の変化が判定しやすくなる。そこで,血小板を4℃に冷却し,細胞内Ca++と細胞内pHの変化を同時に測定した。この処理により,細胞内Ca++の増加,細胞内pHの増加はトロンビン刺激後緩徐に起き,そのtime courseが判定しやすくなったが,細胞内Ca++及び細胞内pHはほぼ同時に増加する傾向を示した(図5)。これらの結果より,血小板細胞内Ca++と細胞内pHは独立した機構で制御されていることが示唆された。
まとめ
4波長の蛍光を同時に測定でき,またそれらの結果を自由に演算できるようにしたことで,血小板細胞内Ca++及び細胞内pHの調節機構について重要な知見が得られた。種々の蛍光物質の開発により細胞機能について多岐の検討が可能になったが,より多くのパラメーターを同時に測定できる装置の開発によりより多くの情報が入手できると思われる。