2001年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第15号

蛋白質構造異常症のソフトイオン化質量分析による臨床検査技術の開発

研究責任者

清水 章

所属:大阪医科大学 病態検査学教室 教授

共同研究者

中西 豊文

所属:大阪医科大学 病態検査学教室 講師

共同研究者

岸川 匡彦

所属:大阪医科大学 病態検査学教室 講師

共同研究者

宮崎 彩子

所属:大阪医科大学 病態検査学教室 助手

概要

1まえがき
遺伝子変異に基づく蛋白質の構造変化が多くの疾患の原因となっている。また種々の疾患において蛋白質の修飾構造に変化を引き起こす。これらの疾患に関連する蛋白質を検出・同定・定量することは病気を診断し、病態を把握する上で重要である。構造変化蛋白質の分析に、従来は電気泳動、液体クロマトグラフィーなどが用いられてきたが、これらの技術は実地臨床検査として用いるには、煩雑で、時間がかかるため、診療に速やかに対応するには至っていない。遺伝子分析は近年著しく普及し、所要時間も短縮されてはいるが、遺伝子分析によって、蛋白質の翻訳後修飾構造や濃度を知ることはできない。
1989年、米バージニア大学のDr.Fennらが質量分析(MS)の新しいイオン化法・エレクトロスプレー(ES1)をScience誌に発表したD。これが、その後の十年間に飛躍的に普及し、液体クロマトグラフィー(HPLC)溶出液の検出系にESIIMSを用いることにより、蛋白質・ペプチドの構造解析ができ、さらに、混合物の中から対象分子を捕らえ、正確に定量することもできるようになった。我々はこの手法を用い、ヘモグロビン(Hb)、トランスサイレチン(TTR)、Cu,Znスーパーオキシドジスムターゼ(SOD-1)の構造研究を行い多くの異常蛋白質を同定した2+14)。これらはそれぞれ異常Hb症、家族性アミロイドポリニューロパシー(FAP)、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因となる。さらに、糖化ヘモグロビン(HbAlc)を質量分析により測定することを着想し、標準法として確立し、この方法を用い、それぞれの異常Hbを含む血液試料が、通常HbAlcのそれぞれの測定法で示す誤差の程度を明らかにした15)16)。
2方法
臨床診断のために依頼された血液試料を分析した。へモグロビン(Hb)は溶血液を用い、イオン交換クロマトグラフィー(polycatA)分析、変性試験を行い、さらに、脱ヘムして、グロビンを調整した後、LCIESI!MSによりグロビン鎖の分析をした。これらのスクリーニングテストで異常の見られた試料はトリプシン消化し、逆相HPLC(silica-basedVydacC18)によってペプチドを分離し、その溶出液をon-1ineでESI一タンデムMS(MSIMS)によって分析することによって、アミノ酸配列の異常を同定した。
TTRとSOD-1の分析には我々のオリジナル手法である免疫沈降法を用いた2)~4)。Hbは血中に高濃度で存在するので、血液を希釈し溶血液を作成するだけで、シグナル/ノイズ(SIN)の良いスペクトルが得られる。しかし、他の蛋白質には精製が必要である。既知の蛋白で、しかも抗体を手に入れる事ができれば免疫affinityカラムクロマトグラフィーによればよいのだが、抗体の精製とaffinityカラムの調整には手間がかかる。検体と目的蛋白質に対する抗血清を混合し、免疫沈降物をそのままLCIESIIMSにかけると、逆相カラムクロマトグラフィーの溶媒中で抗体と蛋白質は分離し、離れて溶出し、明瞭なスペクトルが得られる2}、4)。この手法は内外のこれら疾患の医療センターにおいて、広く採用されている。
HbAlcはβ鎖N末端アミノ基にグルコースが結合した成分であり、1997年Koboldら17)は、この定義どおりの構造を測定する手段として、Hbを蛋白分解酵素Glu-Cで処理し、生じたβ鎖N末ヘキサペプチド、Gluc-VHLTPEとVHLTPEとの比を、LC一エレクトロスプレーイオン化質量分析(ESIMS)を用いて測定する方法を報告した。この方法は現在利用できる測定法の中で最も真値に近い値を示し、異常Hbが含まれていても影響されないと理論的に考えられる。我々はこの方法の信頼性をさらに高め、真値に近い値を求めるため、高純度のβ鎖アミノ末端の糖化・非糖化ヘキサペプチドを合成し、この両ペプチドのMSイオン化効率を精密に算出し、イオンピークの比とペプチドのモル比間の比率を求めた15)16)。これらペプチドには2箇所イオン化の部位(N末とHis)があり、それぞれ1価イオンと2価イオンを生じる。我々は2価イオンの強度に0.5を乗じた数値に1価イオン強度を加えた値を求め両イオン強度を比較すると、ペプチドのモル比とイオン強度比が一致する事を見出した15)16)。この計算式で測定すると、日差、日内変動が小さく(CV=0.5~L5%)、測定時毎の検量線作成を要せず、安定な結果が得られた。これを標準法として、HPLC法(HA-8150:京都第一科学)、及び2種の免疫法、DCA-2000(バイエル三共、Hb全分子を用いる)、および、UNIMATE(ロッシュ、ペプシン消化ペプチドを用いる)による値を評価した。
3結果
我々が分析した、変異蛋白質を表1に示した。この内のいくつかは新変異であり、あるいは、我が国第一例であった.これらの詳細は末尾に揚げた論妙16・に譲るが、1ここでは我々の研究のMilestoneとなったデータを示したい。
3.1異常ヘモグロビン
図1はESIIMSによりHbを測定し、得られた複数の多価イオンを、質量数に換算したスペクトル(Deconvoluted spectrum)である。
それぞれの多価イオンから計算される質量数の平均値と標準偏差を図中に示している。上段は正常のHb、下段は異常Hbを含む溶血液のスペクトルである。上段のα、β各サブユニット鎖の実測質量数がそれぞれの理論値にほぼ一致している(理論値α鎖:15126.4、β鎖:15867.2)。下段ではα鎖が2本に分裂しており、一方はほぼ正常の質量数を示すが、もう一方(αva「pant)は26Da大きい値を示している。この症例はHbMBoston[α58His→Tyr]であり、すでに、当研究の研究責任者らによって、通常の蛋白質化学の手法で構造が示されていた18)。26DaはHisとTyrの差に一致しており、ピークの高さの比はイオン交換で求めた異常・正常成分の比に一致している。またグロビンの各ピークの162高質量側に小ピークが認められ、これは糖化成分である。このようにESIIMSによって、全分子のままで異常蛋白質、翻訳後修飾蛋白質を検出し、その質量数差を知る事ができる。
このようにして、表1に示したように多数症例を診断してきた。その内の一例は、等電点電気泳動、変性試験では検出できず、質量分析で始めて見つかった5)6)。この例ではβ鎖に正常よりも13Da小さい異常ピークが認められ、しかも異常ピークのほうが、正常に比し、約2.5倍高いという通常見られない比率を示した。図2にこのHbをトリプシン消化し、HPLC/ESI/MSにかけたクロマトグラフィーを示した。これによって19Tl4に異常が見つかった。異常βT14のMS/MSスペクトルを図3に示した。MS/MSではペプチドのN末からとC末からのペプチド結合部で切られたフラグメントイオンが測定される。それぞれのフラグメントイオンの質量数より、アミノ酸配列が決定される。図3の正常(3a)と異常(3b)のフラグメントイオンピークを比べ、[β139Asn→Thr]である事を質量分析から結論し、さらに遺伝子解析、蛋白sequencerにより確認した。これはこれまでに報告されていない新しい異常Hbであったので、Hb Sagamiと名づけた5}6)。この症例はβサラセミア[-31(A→G)]を合併していた。Hb Hokusetsuも新変異であり、[β52Asp→Gly】であった7)。またHb Bristolは蛋白質化学的方法でβ67Val→Aspとされ、DNA分析で、,367GTG(Val)→ATG(Met)と報告されていた。我々はMSにより、この位置がVal, Met, Aspであるそれぞれのペプチドを検出した8)。翻訳後、ヘム鉄近傍のMetが一部酸化されAspに変化すると考えられる。Hb Niigata[,β1Val→Leu]では、イニシエーターのMetが切断されておらず、またN末Metが20%アセチル化されていることを示した9}。このような分析は遺伝子分析では不可能である。Hb SantaAna[β88Leu→Pro]、Hb Peterborough[,β111Val→Phe]、Hb Tigraye[β67Asp→His]、Hb I-lnterlaken[α15Gly→Asp】等我が国未報告例を検出同定した10・1D。
3.2.異常Hb含有検体のHbA1c値15)16)
図4に我々の方法によるESI/MS法とHPLC法によるHbAlc値の比較を示した。異常Hbを含まない検体(黒丸)では、2法間の相関は良好(r=0.993)であった。異常Hb含有検体(図中白丸)のほぼ全例がHPLC法では正しく測定されてないことが分かる。異常Hbの保有者では現行のルーチン法によるHbAlc値は種々の要因により正負の誤差を示す場合が多いことが明らかである。以上のように、異常Hbの存在を知らないでHbAlc値を糖尿病スクリーニングやコントロールの指標とすると誤療を招きかねない。HbAlc値測定と同時に一回は異常Hb有無のチェックが必要とも言える。また更に多くの異常Hb含有検体について各方法によるHbAlc値の誤差を明らかにすることが必要である。この二つの目的を達成するためには、ここに示したESIIMSによる方法が最適であり、他の方法では不可能であろう。
3.3TTR 2)4)13)14)
図5に家族性アミロイドポリニューロパチー(FAP)患者(30Val→Met)の肝移植前後の血清中トランスサイレチン(TTR)のESIIMSスペクトルを示した。図5aに示すように正常成分と異常成分は明らかに分離しており、分子量の差は、ValとMetの差32を示している。肝移植後数日にして異常成分は完全に消失している(図5b)。この方法により血清中TTRを分析し、新変異、あるいは我が国未報告例を含めて、多くの異常TTRを同定した(表1)。
3.4 SOD1
SOD1の分析により、赤血球中、脊髄組織よりの抽出液中に変異SODIを検出し、正常と異常成分の量比を測定できる事を示した3)4)12)。変異SODIは家族性筋萎縮性側索硬化症例(FALS)の一部の原因になっており、図6にFALS患者のSODI分析結果を示した。異常成分の半減期と重症度とが関連する可能性が指摘されており、MSによる変異SOD1の量比決定は臨床上重要であろう。
4考察と展望
構造変化蛋白質の検出・同定・定量は臨床上極めて重要であり、今後ESIIMSが常套手法となろう。我々は上記の蛋白質にとどまらず、生活習慣病や悪性疾患における疾患関連蛋白質の分析も始めている。現在遺伝子解析によるSNIP(single nucleotide polymorphism)が重視されているが、生体内で機能している蛋白質の分析がやはり重要である。我々は電気泳動のゲル上のスポットから取り出した蛋白質を自動分析することによる、protein SNIP分析を始めた。完成の可能性は高く、臨床的貢献は多大である。