2004年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第18号

自律神経系信号による人工心臓制御システムの開発

研究責任者

鈴木 隆文

所属:東京大学 国際・産学共同研究センター 医用分野 助手

共同研究者

満渕 邦彦

所属:東京大学大学院 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教授

共同研究者

井街 宏

所属:東京大学大学院 医学系研究科 生体物理医学専攻 教授

概要

1.はじめに
生体は循環中枢からの命令を神経系情報・液性系情報等を介して心臓などの各器官に伝え、各器官の働きをリアルタイムに調整している。これに対し現在の人工心臓では、生体内の血圧や血流量などの計測データから必要な心拍出量を計算し制御するという試みがなされている。しかしこれらのパラメータによる制御では、刻々と変化する必要心拍出量への対応速度が遅く、起立や運動の開始に際して、程度の差こそあれ心拍出量の不足状態が生じてしまうといった問題点がある。そこで本研究においては人工心臓の新しい制御法として、生体の神経系情報を利用する制御システムの開発を目的とする。これによって生体本来の循環系と同様に、刻々と変化する生体の要求に瞬時に対応して駆動条件を変化させることのできる人工心臓の実現が期待される。
このような神経系情報による人工心臓制御を実現するためには、生体の循環中枢が心臓を制御するのに利用している自律神経系の信号を計測し、その信号から指令情報を抽出する必要がある。自律神経の信号には目的とする心臓制御に関与する信号以外のものも含まれているため、多点で計測した信号から、目的とする情報を抽出・解釈する必要がある。また、そのための神経信号計測は、長期間に及ぶ安定性が必要不可欠である。このため本研究においては具体的には、
(A)自律神経系信号を多点で長期間安定して計測可能な神経電極の開発
(B)計測した多点神経信号から人工心臓制御情報を抽出・解釈するアルゴリズム
の確立の二つの課題の解決を図る。(A)の神経電極開発に関しては、多点計測のために従来から行なわれてきた電極自体の微細化を図るだけでなく、長期間の安定計測を実現するために、基板も電極針も含めた電極全体が柔軟な構造を有する新しい神経電極を提案する。
(B)の制御情報抽出のためのアルゴリズムに関しては、計測した神経信号と循環パラメータとの対応関係を求めることによって、生体の自律神経系信号から、目的とする指令信号を抽出する方法を検討する。
本来、人工心臓をはじめとした人工臓器は、究極的には生体自身の脳によって統合的に制御されることが望ましいと考えられるため、本研究の目標が達成されることによって、人工臓器研究全体に与える影響は非常に大きいと考えられる。また、特殊な循環動態を作り出すことが可能であるため、循環生理学をはじめとした基礎医学への応用も考えられる。また、本研究で実現を図る長期間安定した情報入出力可能な神経電極は、人工視覚、人工聴覚といった神経系とのインタフェースを必要とする研究にそのまま利用できる革新的な技術である。このような神経インタフェース技術は感覚補綴のような応用だけでなく、次世代のマンマシンインタフェースへの応用も考えられるほか、脳神経科学研究のツールとしての意義も大きいと考えられる。
2,フレキシブル剣山型神経電極
2.1提案の背景
生体の神経系に対する長期間の安定した多チャンネル信号入出力方法の確立は、本研究の目的である人工臓器制御などの補綴的な応用だけでなく、脳科学や神経生理学研究における重要なツールである。これまでに様々な形状の神経電極が提案されているが・~3)、従来の神経電極は、シリコンなどの固い材料によって、電極基板、電極プローブが作成されているため、神経組織に対する侵襲が大きいだけでなく、柔軟な神経組織の動きに追従できず、入出力対象の神経細胞に対して「ずれてしまう」ことが避けられなかった。また作成方法における制約から、三次元的に計測・刺激点を配置することが困難であった。
報告者らのグループにおいても、長期間安定した低侵襲の神経信号計測を目標に、様々な種類の神経電極を開発してきた4.5)。ヤギの自律神経情報の計測に関しては、これまでにカブ型の神経電極によって、健常ヤギの迷走神経から約3週間、心臓交感神経から約1週間の計測が可能となっている。カフ型の神経電極においては、信号導出のための金属線を自律神経の束の外部に接触させることになるが、このため、胸腔内での呼吸や心拍に起因する神経自体の動きによって計測信号にノイズが混入してしまった。また神経束外からの計測では神経束に含まれる多数の神経活動の分離が困難であるが、神経東内の個々の神経の活動の違いにも注目したいという動機もあり、神経東内部に複数本の電極を刺入することを試みたが、電極金属線の柔軟性の不足から柔軟な神経組織の動きに追従することができず、かえって神経組織への侵襲が大きくなってしまっていることが観察された。さらなる長期化のためには、電極の柔軟化による低侵襲化が必要であると考え、フレキシブル剣山型神経電極の開発を開始した。
2.2神経電極の製作
電極の開発は、当初は基板材料としてポリイミドを用いて行ったが、後に基板材料をパリレンに変更した。電極各部のサイズはほぼ同様であるが、これによって製作プロセスがより簡単になった。作成した電極の写真を図1に、製作工程を図2に示す。
パリレンは生体適合性の良好な高分子であり、電極はパリレンによって金属配線層を挟み込んだ構造となっており、先端部で電極針(刺入部)を折り曲げることにより、立体的な構造となる。各電極針は3個の計測点(20μm×20μm)を有している。6本の電極針全体で18個の計測点を有する。この電極針は、長さ1.2mm、幅160μm、厚さは10μmであり、このままでは柔軟性が高すぎ神経束に刺入することができないため、刺入時に、ポリエチレングリコール(PEG)をコートすることによって、強度を一時的に高めて使用する。PEGは生体内で急速に溶解するため、柔軟性はすぐに回復する。PEGコートによる刺入方法についての概念図を図3に示す。
2,3神経電極の評価
ポリイミドを基板とした電極に関しては、ラット大脳皮質視覚野を対象とした評価実験によって、神経信号の計測を確認した。
パリレンを基板とした電極に関しては、神経信号計測による評価実験を準備中である。
PEGの溶解速度を評価するために、生理食塩水内で電極インピーダンスを計測した。その結果を図4に示す。浸水後約20秒で電極インピーダンスがコーティング前の値にほぼ戻り、PEGが十分急速に溶解していることが示された。
3.神経信号と循環パラメータの関係
神経電極の開発と並行して、自律神経信号と循環パラメータとの関係を調べるために実験を行った。ヤギを麻酔下で左開胸し、カフ型の電極を、心臓交感神経と迷走神経に装着した。また、下行大動脈に血圧計測プローブを装着した。覚醒状態で計測実験を行い。データを解析した結果、1)交感神経の活動と動脈圧との間には有意な相関がみられた。2)時間遅れは十分に小さかった。3)迷走神経の活動と血圧、心拍との間には有意な相関は見出されなかった。という結果が得られた。これらは、自律神経系情報による人工心臓制御の実現の可能性を示唆する結果ではあったが、データ数が少ない上に、特に迷走神経の計測データはSN比が悪いものであったので明確な結論は出せなかった。
特に神経系情報による速い制御を期待したい運動開始時において、神経計測データに体動によるノイズが発生した点が研究を進める上で特に問題になると考えられた。上述のフレキシブル剣山電極は、原理的にはこの問題への解決となることが期待される。
4.まとめ
自律神経系信号による人工心臓制御を実現するための要素技術である1)電極開発、2)計測した神経信号からの指令情報の推定、という課題に同時並行的に取り組んだ。特に電極開発に関しては、柔軟性と三次元的多点配置というコンセプトのもと、従来にはなかった新しい電極を提案、製作し、基礎的な評価まで行うことができた。しかしながら指令情報の推定という課題に関しては、主に電極の性能不足のために、明確な結論を出すことはできなかった。今後、今回開発した電極を早急に自律神経計測に使用し、一刻も早く、最終目標である人工心臓制御まで到達することに努めたい。