1992年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第06号

脳磁図計測と脳機能局在推定に関する研究

研究責任者

上野 照剛

所属:九州大学 工学部 電子工学科 教授

概要

1.まえがき
脳の電気活動に伴う脳内イオン電流は,脳波(electroencephalogram(EEG))を生成させると同時に,頭の周りには磁場を誘起させている。この磁場は脳磁図(magnetoencephalogram(MEG))と呼ばれ,地磁気の1億分の1の大きさの数fT(10-15T)から数pT(10-'ZT)のオーダの微弱なものである。脳磁図の測定がSQUID技術の発達により可能となって以来(1)(2),脳波と脳磁図の関連から脳内電源の性質を調べる研究が行われてきた(3)一(9)。
脳磁図計測が目標とするところは,得られた磁気情報の時間的変動波形から,または,空間分布の二次元マ・ピングから脳内電源の性質や挙動,さらには位置を推定するところにある。
これまで多くの脳磁図計測が行われてきているが,脳磁図が脳波に比べて電源局在性に優れていると言った報告はあるが,脳波では得られない情報が脳磁図で得られたと言う報告はこれまでほとんどなされていない。脳磁図に関しては,主に,誘発反応(10)やてんかん(11)に関して研究が行なわれ,自発脳磁図,特に睡眠時の脳磁図に関する研究はあまり行なわれておらず,その発生源に関しては,十分な理解が得られていない(12)(13)。
本研究では,睡眠時における脳磁図を脳波と同時に計測を行い,脳内電源の解析を行った。また,脳磁図では観測されるが脳波では観測されない電源,逆に脳波では観測されるが脳磁図では観測されない電源の検出を試みた。すなわち,健康成人の睡眠時における睡眠2期に出現するK-complexに関して電源の局在性推定を行った。また,睡眠1期の後半に発生するvertex sharp transient,および,睡眠3,4期に発生するデルタ波に関して電源の解析を行いの性質を調べた。
2.内容および成果
2.1実験方法
図1に本研究で用いた脳磁図計測システムを示す。脳磁図の測定は1チャネルの2次勾配型DC-SQUIDを用い,磁気シールドの無い通常の実験室で行なった。被験者は健康な成人男子4名を用い,頭皮に垂直な成分の磁場を,主に左右の側頭部の数カ所の点で測定し,0.1Hzから20Hzの帯域フィルタを通し,脳波と同時にデータレコーダに記録した。
脳波は,国際式10-20方式の電極の位置に応じた頭皮上14点で測定した。
脳波および脳磁図の波形の周波数成分を求めるのに,データをサンプリング間隔を5ms,10.24S間をA/D変換した後,高速フーリエ変換してバワスペクトルを求めた。
計算機シミュレーションでは,頭を均一な導電率を持った半径0.1mの均一導体球と仮定し,電源を電流双極子で表現した。
電位は,Barrらによって心電図の場合に提案された方法を脳波の場合に応用して計算した。磁場は,頭部モデルとして均一導体を用いたのでBiot-Savartの法則を用いて計算した。
2.2K-complexの電源解析
図2に睡眠2期に発生するK-complexの脳波と頭皮上脳波空間パターンを示す。K-complexは,突発的に生じる2相性から3相性の高振幅徐波であり,脳波の空間パターンは,前頭部に陰性電位のピークが現れ,後頭部にいくに従って小さくなるパターンを示している。この様な空間パターンつくる電源として,まず正中線に沿った1個の電流双極子が考えられる。この電流双極子を用いて脳波と脳磁図の空間パターンを計算機シュミュレーションにより求めると図3の様になり,脳波の空間パターンは実際の測定データに近いものとなっている。
図4に10-20方式における点C3,T3,C4,T4の近辺で測定したK-complexの脳磁図波形を示す。図5には,K-complexの脳磁図のN極とS極の極性分布のマッピングの結果を示す。これらの結果と,1個の電流双極子でシミュレーションした脳磁図空間パターンの極性とを比べてみる。側頭部のC3とC4の位置において,計算機シミュレーションの極性と実際の測定データとの極性が一致していない。すなわち,K-complexの電源は1個の電流双極子では現わせないことがわかる。
次に左右対称に存在する2個の電流双極子を新たにK-complexの電源と考える。計算機シミュレーションにより脳波と脳磁図の空間バターンを求めると図6の様になる。脳波の空間バターンは測定結果とよく合っており,脳磁図の極性の分布も実際の測定結果と一致している。
これらの結果より,K-complexの電源はC3及びC4の下の辺りに少なくとも2個存在していることがわかる。脳波を測定し2次元脳電図を求めただけでは,電源が1個か2個かは判断することは出来なかったが,磁場を数カ所測定しその極性の変化を合わせて考えることで,電源の数を決定することが出来た。
2.3 Vertex sharp transientの電源解析
図7にvertex sharp transientの脳波の波形と頭皮上脳波空間パターンを示す。この脳波は,図に示すように単相性あるいは2相性の鋭い波であり,図の上段3段はF3,T3,P3で測定した脳波であり,一番下がT4で測定した脳磁図である。
AからEまでの各vertex sharp transientに対応する脳磁図の極性は,N極になったりS極になったり,あるいは,ほとんど磁場が現われていない場合もある。脳波はどれも単相性の波で,振幅に少し違いが見られる程度でその波形には特に際だった違いはみられないが,脳磁図では極性に違いがみられる。各波形の頭皮上空間パターンを求めると頭頂付近にピークが存在する同心円状となっており,波形によって同心円の中心がいろいろと動き,中心からずれている。これらの空間パターンから,vertex sharp transientの電源としては頭頂の下に存在している電流双極子を仮定することが出来る。
磁場の特徴として,均一導体球の中に電流源である電流双極子が存在する場合,電流双極子が球の表面に対して垂直方向を向いているときには球外には磁場は現れない。しかし,電流双極子の向きが少しでも垂直方向から傾くと,電流双極子がつくる磁場は現れる。このことから脳波の空間パターンがきれいな同心円となっていて,磁場では脳波に対応する波形が全然得られていないとき,vertex sharp transientの電源は球表面に対して垂直方向を向いていると考えられる。磁場においてvertex sharp transientが現れているとき,その極性のN極とS極の違いは電流双極子の傾いた向きの違いによると考えられる。また,脳波の空間パターンは電流双極子の傾いた向きに一致して同心円の中心が移動していると考えることが出来る。
これらのことを基に,推測した電流双極子の向きとこれらの各電流双極子がつくる脳波と脳磁図の空間パターンを図8に示す。このシミュレーションの結果と実際のデータを比較してみる。例えば,T4の位置で磁場の極性の変化をみると,AとBの電流双極子では零,CとEではS極,DではN極となっており,実際の結果と位置している。すなわち,vertex sharp transientの電源は頭頂の下に存在しており,その向きは表面に対して垂直方向に近いものであると推測される。この電源の向きを.脳磁図を測定し,その極性と振幅を詳しく調べることにより正確に推定することが出来る。
2.4デルタ波の電源解析
図9に睡眠4期のデルタ波の脳波と脳磁図の波形,及びスペクトル解析結果を示す。脳波の測定点はF3およびC3であ1),脳磁図はC3とT3の中点で測定している。
デルタ波は周波数が2Hz以下の高振幅の波であり,種々の周波数成分を持つ波である。通常は脳波でデルタ波が現れると同時に磁場でも現れ,同じ様な変化を示している。しかし詳細にみると,脳磁図の波形のなかには脳波の波形に比べて低周波であり振幅の変動が激しくなる部分が見られる。図9の脳波と脳磁図の波形を比べると明らかに脳磁図の周波数が脳波より低くなっていることがわかる。この区間の脳波と脳磁図のスペクトル解析では,脳波は1.1Hzに周波数分布のピークが現れているが,脳磁図では0.7Hzにピークが現れている。脳磁図で観測される0.7Hzの波は,それまで現れていた波形とは異なり振幅が突然大きくなり周波数が低くなる波である。脳波にはこれに対応した波形の変化は現れていない。脳波と脳磁図とで同じ電源から発生する信号を観測しているとすると周波数が異なっていることは考えられない。両者で観測した信号の周波数が異なっていることは,脳磁図で観測した波形の電源と脳波で観測した波形の電源とは異なっていることを示唆している。すなわち,デルタ波には周波数の異なる複数個の電源が存在し,それぞれの電源が独立に活動していると考えられる。その中には,磁場では観測されるが脳波では観測されない電源が存在している。
約16分間続いた睡眠4期のデルタ波を,サンプリング周波数100Hz,サンプリング時間5.12秒でスペクトル解析して両者の周波数が違う割合を調べた結果,脳波と脳磁図の周波数が一致した場合が全体の約67%,脳磁図の周波数が脳波よりも低くなった場合が約29%,逆に脳波の周波数が脳磁図より低くなった場合は約4%であった。図10は,デルタ波の頭皮上でのパワーマップであり,周波数帯域を0.4Hz~0.6Hz,0.9Hz~1.1Hz,1.4Hz~1.6Hzとしたときのパワーマップである。解析時間は5.12秒間であり,マップ(a),(b),(c)は時間を2.56秒ずつずらしていったときの結果である。(a)それぞれに対応した脳波と脳磁図の周波数解析を図11に示す。脳波の測定点は国際式10-20方式に対応した14点である。脳磁図は前頭部のFzの近辺で測定した結果である。
図11の周波数分布をみると脳波の周波数ピークは14点どの点でも1Hzであるが,脳磁図では周波数のピーク値が0.5Hzであり明らかに異なっている。これに対応したパワーマップ(図10(a))を見ると脳磁図を測定しているFzでは,脳波のピークは0.5Hzには現れていない。この点ではlHzの成分が最大である。すなわち,0.5Hzの信号成分は脳磁図ではとらえにくいことがわかる。
これらの結果から,頭の中にはデルタ波の電源として周波数の異なるいろいろな電源が存在しており,時間と共に刻々とそれらの位置やパワーが変化している。それらの中には脳波では観測されないが脳磁図で観測されるような電源が存在していることを示唆している。特に図9の脳磁図に現れた波形は脳波には現れていない。この様な電源として考えられるものに,電流がループ状であったり,互いに逆方向を向いた2つの電流双極子で表されるような電流がある。神経繊維が集団で活動して,ある瞬間にはこの様な電源が形つくられていると考えられる。
3.まとめ
本研究では,特に睡眠2期のK-complex,睡眠1期のvertex sharp transient,及び,睡眠3,4期に発生するデルタ波に着目して,1チャネルDC-SQUIDマグネットメータを用いて,脳波と同時に磁場を測定することにより電源の解析を行った。
K-complexは,脳波を測定しただけではその発生源が1個か2個かは判断できなかったが,同時に脳磁図を測定し極性の分布を調べることにより発生源が少なくとも2カ所存在することがわかった。
vertex sharp transientの電源としては,頭頂の下に存在する電流双極子が考えられ,この電流双極子の向きが半径方向に向いているときには,磁場は現れなくて脳波でしか観測できない。この向きが半径方向からずれると磁場が現れ,向きの方向の違いによって磁場の極性や振幅値に違いが現れる。電流双極子の向きの微妙な違いをSQUIDで脳磁図を観測することにより検出した。
睡眠4期のデルタ波に関して,デルタ波の電源の中に脳波では検出できないけれども磁場で検出できるタイプの電源が存在している可能性があることがわかった。すなわち,電流がループ状に流れていたり,逆方向に向いた電流双極子が存在している。このタイプの電源は,磁場ではその信号を捕らえることが出来るが,脳波ではほとんど検出できない。この様な電源を検出することができるのが脳磁図計測を行うことの大きな利点である。