1990年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第04号

網赤血球計数の標準化に関する研究

研究責任者

巽 典之

所属:大阪市立大学 医学部 臨床検査医学教室 講師

共同研究者

津田 泉

所属:大阪市立大学 医学部 臨床検査医学教室  研究員

共同研究者

二里 ますみ

所属:大阪市立大学 医学部 臨床検査医学教室  研究員

共同研究者

文谷 美之

所属:大阪市立大学 医学部 臨床検査医学教室 研究員

共同研究者

瀬戸口 一恵

所属:大阪市立大学 医学部 臨床検査医学教室  研究員

概要

1.序
網赤血球reticulocyteは赤芽球が成熟,脱核した後で成熟赤血球になるまでの期間にあるm-RNAを多量に有しヘモグロビン合成能を有する細胞である。未梢血中での本細胞の増加は,赤芽球造血能の充進を示すものであり,本細胞の算定はこの造血能を知る最も簡易な手殺のひとつである1)2)。
貧血の患者の状態は,CBC(全血算)の値およびその値の変化で知ることが出来る。新生赤血球の増加は,CBCにおいて,赤血球数,ヘモグロビン,ヘマトクリット,MCV,およびMCHCの変化でとらえられるはずである。しかしながら,その増加は,網赤」血球分利のような極端な場合は別として,通常みられる造血能亢進では極めて小さく,計測精度内変動として見逃される程のものであるため,臨床的有意差を見つけるためには理論的にも10日以上のCBC変化率を観察しつづけなければならない3)。これに対し,網赤血球数はCBC値とは独立したものであり,決してCBCで代用されうるものではない4)7)。このような理由から,網赤血球数を正確,かつ9精密に測定することは臨床上極めて重要であると考えられる。
2.網赤血球算定法とその原理
網赤血球とは,ブリリアントクレシル青(BCB)またはニューメチレン青(NMB)などの染色液で緑青色に染まる網状穎粒質(substantia reticulofilamentosa)を細胞質内に含む赤血球であり,その物質の細胞内容量は細胞成熟と共に減少し,網赤血球は遂には成熟赤血球となる。4)5)
この網状物質を染め出す色素は,1コ以上のベンゼン核から成る色原体と,>C=C<,>C=N-,>C=0,-N=N-,>C=Sなど二重結合をもつ発色基と,-OH,-S,02,-NOZ,-SOZ,-NH,-NH2i-NH(CH3)2などの助色基から成り,発色基の二重結合により光線が吸収され,その余色が固有色調となる。ここで助色基は正に荷電することから,これらは塩基性色素と称される6)。
網赤血球染色にこれまで用いられて来たものは,アクリジン,キサンチン,チアジン,アジン,ジアリールメタン,トリアリールメタン,オキサジン,メチンの各種の色素であるがいつれも共通するのは塩基性色素として作川することであり,これらの中で通常臨床検査に用いられているのは,BCB,NBM,アズールB,アクリジンオレンジの4種であり,いつれも極めて類似した化学構造を有している(図1)7)8)。
網赤血球は,Heilmayer O型では2重鎖のDNAと単鎖のRNA,1型以上の成熟型ではRNAのみを含む。これら核酸のPO2が負に荷電し正に荷電した色素分子が静電的に結合し、メタクロマジーを生じさせる。ここでの結合はイオン強度,pH,基質・色素濃度に依存すると同時に,核酸のランダムコイルの柔軟性により色索分子は相互に凝集し,光学的性質は色素重合体のそれに近づいて行く。この電合度は電離の極性の差によって異なるものの,通常用いる色素では,RNA・色素複合体凝集物,すなわち網状構造物を,幼若赤血球内に人工的に沈澱させることとなる。そして網赤血球染色に用いられる色素濃度はその細胞を傷害することから,本染色を超生体染色と表現することは正しくない4)8)。
現在、網赤血球算定法は主として伝統的方法でもって行われている。全血を染色液と混合,静置し,網状物質を沈澱させる。これをガラススライド上に伸展し,そのままか,あるいは対比染色し光学顕微鏡下で観察するか,ガラス計算盤に細胞浮遊液を入れ算定する方法がとられる。この網赤血球の算定結果の極めて不正確,不精密さは諸家の指摘するところであり,このまずさが,折角の網赤血球数の臨床的重要性を失わせる結果をまねいている9-ll)。
3.網赤血球算定法の問題点
不精密性の検討結果が図2,3,4である。図2は算定細胞数の問題(臨床検査用は通常1000個赤血球算定を原則としている),図3はウェッジ法およびスピナー法による網赤血球数のバラツキ,図4は1.4%および4.3%の綱赤血球を含む2標本についての技師間差をみたものであり,網赤血球数の不正確さ不精密さはこれらの諸要因,すなわち,検体差,染色法,標本作製法,分析方法,そして細胞判定基準などの諸因子によりもたらされるものであることを実験結果は如実に示している。と同時に,網赤血球数算定法の標準化には,これらの諸問題を丁寧に1つづつ解決して行かねばならないことを教えてくれる。表1にはこの問題解決の基本となる網赤血球数算定の基本手順を示す。
染色結果の比較は,当然のことながらガラス標本上の細胞の分布,変形度,染色性で決定される。この判定は観察者の視覚により大きく左右されることになる。どうしても主観的にならざるをえない箇所を除いて,可及的に大部分の手技を客観的に行うようにした。細胞については,分布としてチラバリ,細胞の重なり,変形度としては,細胞形,辺縁の状態,ピンホールや亀裂の有無,網状構造については,その染色度,構造,出現率などが主な観察ポイントとなる。
4.予備実験
Reference法は多くの技師に同意されるものでなければならない。そこで,この基本を米国臨床検査標準協議会で基準となっているH16-PおよびそのもととなるBrecher法に求めることとし,さらにわが国の臨床検査室の現状を考え表2-Cの如く,多少の修飾を加えた。ちなみに,前回の実験結果から,標準作製はスピナー法とし分布誤差を,油浸×1000,対物×10,ニコン生物顕微鏡,使用スライドは松浪硝子製,プレクリーン・diff用グラス(76.2×25.4mm,0.9~1.2mm厚,Frosted)を用いることで標本観察誤差の縮少を,そして血液検査室に勤務する2人の有資格臨床検査技師を予かじめ準備した20枚の網赤血球染色標本を交互に観察させ,データを比較し,技師間誤差の縮小をはかった。
(A-1)色素選択:0.5%ニユーメチレン青(NMB)iz)14),0.5%ブリリアントクレシル青(BCB)14)iO.5%アズールB(AZB)15)16)を用い,臨床検査室で,正・高・低網赤血球比率のサンプルを各10検体(EDTA・2Kifrt)を抽出し,その染色性を比較した。各標本を5点スコア方式とし細胞変形・傷害性,染色性,綱状細胞出現率(出現最高値を100%とする),細胞質との対色性の4項目につき評価,結合評価したが3者間に有意な差(P<0.05)は認められなかった。ただアズールBは染色性がややおとる傾向にあった。
(4-2)色素濃度ニー般臨床検査に用いられているNMB,BCBについて,0.25%,0.5%,0.75%,1.0%の各濃度での染色性について比較した。この結果は,0.25%では染色性は不良,0.5%以上は不溶性色素の量が多く炉紙上に沈着する比率が高くなり,染色性は0.5~1.0%で有意の差(P<0.05)はみられず,色素量0.5前後で飽和されるものと考えられた。
(4-3)塩濃度:染色性は,色素液の塩濃度や2価金属イオンの影響により変化する。まず高張条件(1.34M),低張条件(0.625M)の2種を蔭酸カリウム量を変えることで作製し,等張対照と染色性を比較してみた。高張条件では,赤血径は縮小し,ヘモグロビン色は濃くなり,網状構造物は円形穎粒状でその長さは短縮し太くなる。このためその構造は観察し易い。他方,低張条件では,明らかに細胞のサイズは平均的に膨張する。ヘモグロビン色調は淡く,網状構造物は糸状に長くなるか,微細粒状になり,その数が増加し,識別し難いものも少なくなかった。単染色スメアーの光学顕微鏡所見では低張条件の方が観察が客易であるが,解像力不良の顕微鏡を用いてや,CCDカメラを通じての観察には低張条件は不適であると判断された。
(4-4)色素液一全血混合比:色素液と全血の混合比を9:1,4:1,2:1,1:1とし,各々の網赤血球の率および染色性について検討した。その結果は,2:1~1:1の時に最も良い網赤血球比率を得た。ちなみに寺田ら14)の記述では網赤血球数算定に白」打[球数算定川メランジュールを使用,全血1に色素液を10の割合で混合して測定している。スライドグラスー上での赤血球の重なりを考えた場合これもよいが,見逃し率からみて1~2:1の混合比率にすべきと考えられた。
(4-5)塩および緩衡液の添加:塩添加効果はまず次の組成で行われた。ちなみに緩衡液は0.5MNa-K燐酸緩衡液pH7.0を用いた。
実験1では検体により連鎖形成傾向がみられた。実験2は細胞サイズの縮小がみられた。実験3,4,5,6の間には形態学的に,また網赤血球率にも差はみられなかった。ちなみに,緩衡液の添加群は非添加群に対し細胞変形が少なく,色調の安定化に有用であった。KCIは網状色調を濃くするのに役立った。(4-6)後染色:標本保存性を考慮し,後染色を行うことにした。下記はその結果を示す。
超生体染色による色素は,pH3.0以上の水溶液にて脱色される。このためスメアーは予かじめメタノール(50%以一上の)溶液で固定するべきである。このため,明瞭な染色像をうる染色体は,メイグルンワルド溶液(MG)を用いるか,ライト(単)染色であると判定された。(但しライト法はコンピュータ・プログラミング上,白血球や1flL小板塊と識別しにくいので以後の検討には用いなかった)。
5.染色法に関する本実験
染色色素は0.5%BCBとし,これに緩衡液を加え色素液を作製。全血と色素液を等量混合,静置10分,スピナ一法でスメアー作製,風乾。次いでMG液で固定,染色する。これを水洗,乾燥し,まず油浸×1,000で観察,同時にCCDカメラを通じCRTに像を出力し他の観察者にも判定の便をはかり,さらにこの像は光ディスクにも記憶させるようにした。
細胞の解析は,分散,汚れやごみの混在,赤」航球色調,外形の歪み,ハロ(halo)形成,亀裂,ピンホールの形成,網状構造物,核などの出現する細胞を全観察細胞数の比で示し,その比較の尺度とし,これらの結果を総合評価した。
(5-1)本染色条件の検討図5は3種の色素の効果を比較したものである。CRT上に映し出された像は,網状構造に類似したものを含む。すなわち,亀裂やピンホールは顕微鏡のピントの少しのズレにより網状構造と誤認される(傷付赤血球)。赤血球厚の大きな場合や鋸歯状縁のある場合にはhaloを生じ,時に網状構造様に誤認される(エッジ)。網状細胞は周辺部には出現しないことが多いことから,ここを除いて観察することで誤認率は大きく低一下する(図6)。図5の結果から明らかな如く,NMBの色調は黒色味が強く観察しやすいものの,細胞障害性の点からはBCBが最もすすめられる。Marshall8)はBCBよりNMBの方が5%高いと記述しNMBをすすめているが,これはX91らかにその原典17)のよみ誤りである。
染色時間の短縮化をはかる目的で7分間染色を試みた結果が図7である。10分以下の短縮は網赤血球数の減少をきたし好ましいものでなかった。
BCB濃度の節減効果をみる目的で行った実験結果が図8である。やはり0.5%濃度は必要条件であると判定された。染色効果の向上や染色時間短縮の目的で,染色液に10mMのリン酸緩衡液を加えたがpH6.4以上でよい染色効果をえられるものの,網赤血球数の増加効果はみられなかった(図9)。
滲透効果を上げるため1/20容の6M尿素,グリセロール,DMSOの添加は細胞容積を大きくするものの,網状構造の染色性を阻害,還元試薬のアスコルビン酸,β一トルカプトエタノール,ジチオスレイトールはいつれも染色性向上や染色時間の短縮には効果がみられなった。染色液に10%の割合でヒト血清アルブミン溶液の添加を試みたが亀裂形成に防止効果はえられなかった。
5種の色素,武藤化学BCB液,メルク社BCB#122929,メルク社BCB#534K960568,クロマ社NMB#IE240,アルドリッヒ社NMB#01302DMの4種について染色性を比較した場合,BCB#122929は#534K960568よりも黒紫色調が強く,NMBでは#IE240は染色性が悪く,#01302DMは良好な濃縁青色の網状構造を観察しえた。Marshallは4)また,NMBの方がBCBよりもロット間差や製品差間は少ないとしているが,どちらの色素においてもこのことは問題になる点であると考えられる。
固定法としては,純メタノール,純エタノール,75%メタノール,50%メタノール,純アセトン,カルノア液,MG液(原液),MGのリン酸緩衡液による2倍稀釈液,NGとエタノール等量混合液で,細胞変形度を比較した場合,75%メタノール,50%メタノール,MGとエタノール混合液ではピンホール形成および輪環状変化を来たす割合が多く,カルノア液では細胞の不整萎縮がみられす割合が多く,カルノア液では細胞の不整萎縮がみられた。このことから,純メタノール,純アセトン,NG原液,MG原液とリン酸緩衡液混合液がよく,特に後者は赤血球も淡赤色に安定した色調を示すことからすぐれていると考えられた(図10)。
後染色後の水洗は,10秒程度が効率的であり,それ以一上の水洗はスライド上の沈着色素滓を除きうるものの,新たに水に混在するゴミを付着することもあった。
乾燥は,自然乾燥がよく(10分以上),強制乾燥は亀裂形成を生ずることが多く,温風ファンの使用はゴミの付着をもたらし好ましい方法ではなかった。
ちなみに,傷付赤血球の出現頻度とMCVないしMCHとの相関性をみたところ,いつれも有意の正の相関がえられた。
MG一緩衡液混液の赤血球の呈色効果はまだ不充分であったため,原液2:緩衡液1で追染色しその対比染色効果を高めるようにした。
このような検討を重ねた末に決定した基準染色法は表5に示すようなものであり,スピナーは立石電機製,染色液は品質の安定性からMGは武藤化学製のもの,BCBはメルク社のBCB#534K960568を現在用いている。
図12は,私共の基準法を用いて外来患者よりの任意の5検討を用いての評価試験結果を示す。前回の再現性試験(図2)に比し明らかな改善がみられている。図13はルーチン法と私共の方法との相関性試験の結果である。γ=0.62は決して良い値ではなく,これはむしろルーチン法の不正確さに原因するものと考えられる。
6.網赤血球数算定の現状と将来
現在,網赤血球数算定には3つの流れがある。古典的方法14)と,パターン認識方式と18),フローサイトメトリー方式である19)20)。古典的方法には螢光法もあるが21)一般的でなく,わが国ではBCBないしNMB法,米国ではNMB法が主として用いられるものの,その不正確さ,その不精密さは如何ともし難い9-11)。パターン認識方式は古典的方法を踏襲し,その観察をコンピュータにゆだねたものであり,古典的方法の問題点の上に22),コンピュータ技術の問題が加算される18)。特にコンピュータプログラミング上の問題となるのは18傷付赤血球,染色カス・血小板・ゴミ付着赤血球の誤認をさけることにある。パターン認識機の分析エラーのひとつにはカウント細胞数があり23)24)これも大きな問題となる。スメアーの作製法にも問題がある25)。
私共のルーチン・ラボにおいてH社のパターン認識機を白血球6分類と同時に,網赤血球数算定に用いた経験がある。この時の結果は極めて不良であった。その理由は,染色性のバラツキ,処理時間の遅さ,前処理を含めたロスタイム,そしてデータの不安定さなどであった。
フローサイトメトリーが注目されているのはこのような背景に基くものの,フローサイトメトリー成績を評価する基本参照法をどこにおくかという問題が最初に生じてくる。そのひとつの解決法がNCCLSのHl6-Pであろう。私共の今回の目的の前半は,自らの基準法を作ることであったが,これまでの不確定の要因を出来るだけ取りのぞき実用的なものを作るという時間のかかる大方の興味の外にある作業であったのは確かである。
第2の作業としては,この染色法にもとついた,従来とは異なるパターン認識機を作ることでありこの作業はまだ進行中である(表6)。図14は,プログラミングVer-sion1の自動計数の結果とCRT目視計数の相関を示したものである。図15は,油浸×1000の手間のわずらわしさを時間的ロスを少なくするため×600での自動計数した場合の結果,図16はエッジ部の干渉除去効果をみたものである。今後は,このプログラムの完成に努力する.予定である。
第3の作業は,網赤血球数の正常参考値および各種病態における変動をしらべる事で,今,最も精度の高いデ一タをうることが出来る唯一の市販自動網赤血球計数装置R-1000(東亜医用電子)でその集積をしており26-38),将来,完成されたプログラムを有する自動パターン認識計数法で,データ比較を予定している。
網赤血球数は,骨髄赤芽球造血能を知りうる最も簡便で経済的な方法である。臨床的には貧血の鑑別診断と治療効果判定の指標として専ら利用されている。近年,癌化学療法の進歩に伴い,抗腫傷剤や造血成長因子が盛んに利用されるようになっている。ここでそれらの治療効果を最も早期に教えてくれるのが網赤血球数であり39-41),この意味において,この計数の重要性は今後ますます高まるものと考えられる。