1993年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第07号

組織の酸素圧と酸化還元電位の2次元・時系列マッピングシステムの開発

研究責任者

吉原 治正

所属:大阪大学 医学部 生理学第一講座 助手

共同研究者

志賀 健

所属:大阪大学 医学部 第一生理

共同研究者

原田 昇

所属:大阪大学 医学部 第一生理

概要

まえがき
微小循環系によって組織の形態・機能の維持に必要な酸素や各種基質が供給されている。微小循環の重要性についてはあらゆる組織が微小循環の破綻により障害に陥ることからも明白である。しかし,これまでその研究のほとんどが光学顕微鏡を用いた観察のみに終わっており,近代的手法を用いた計測技術の開発はいくつかの技術的な隆路のため発展が阻害されてきた。微小循環系の機能の内で最も基本的な酸素の供給に関して,組織内酸素分圧分布の計測は組織内酸素拡散と消費過程を知る上で極めて重要であり,その理論式はA. Kroghによって既に約80年前に提出されている。しかし,従来の光学的研究では臓器表面のmmオーダーの大スポットでの血管内酸素圧あるいは組織酸化還元レベルの計測にとどまり,直径数μmオーダーの微小循環レベルにおける計測はほとんど行われていなかった。したがって,Kroghの理論の実測値による確認が未だになされていない。本研究では,微小循環系における酸素の移動と利用を実験的に定量し解析するために,高倍率生体顕微鏡,超高感度分光分析システムおよび画像解析システムを一体化している。目標としては,直径10,um以下の微小血管とその周辺組織における,(1)微小血管での酸素放出・拡散および(2)組織細胞の酸化還元電位マップの作成を経時的に可能とする顕微分光分析システムを開発することとした。これを応用すれば組織における酵素利用の反応速度論的な解析を行うことができる。
2.研究内容
臓器の微小な領域(直径10μm以下)での(1)血管内酸素圧・酸素放出(血管内ヘモグロビンの可視スペクトル解析から),(2)組織細胞の酸化還元レベル(組織内ミトコンドリアチトローム系のスペクトル解析から)のマッピングを生体顕微鏡下に行うことを目標とした。このため,1)微小血管内ヘモグロビンのスペクトル解析による酸素飽和度の計測,2)」(a管内赤血球流速の計測(dual-spot相互相関法),3)上記1)と2)の組合せによる,酸素放出速度(血管内赤」血球→周辺組織)の算出,4)組織細胞内ミトコンドリアチトクローム系(c+Cl,b,aa3)のスペクトル解析による組織酸化還元レベルの計測,を行う必要がある。また,目標臓器の形状に応じ吸収または反射スペクトルを使い分けることになる。既に腸間膜,肝,脳,灌流骨格筋などで予備実験を行ったが,さらに本研究では一層の技術進展をねらった。血管内酸素圧と組織酸化還元の2次元・時系列マッピングが技術的に最も問題となるが,このために最終的には以下の手法が必要と考えられた:(1)顕微鏡光源の高速単色光走査,(2)CCD画像一点(ピクセル)毎の光度計測と計算,(3)酸素圧(血管)と酸化還元電位(組織)の時系列マッピング,を行う。ただし,本年度内では(1),(2)の同期化,データ高速転送にまだ問題があるので,先ずは2次元計測の基礎となる微小2スポット計測のためのハードとソフトの充実を図り力を注いだ。
3.成果
臓器の2次元計測マッピングを目標として(a)微小2スポットのスペクトル計測のハード製造の改良からスタートし,(b)必要なソフトウエアの完成を図った。計測の主対象として肝臓を選び,肝微小循環における酸素供給および肝小葉内の酸化還元レベルの計測・解析を行った。(1)肝小葉の類洞における酸素放出速度の計測:ラット肝の辺縁部で1本の毛細血管(最小直径8μmの類洞)上の微小2スポット(径8μm)で同時に流動赤血球ヘモグロビンの吸収スペクトルを計測し,非線形最小自乗法を用いて毛細血管内血液ヘモグロビン濃度と酸素飽和度を算出する。即ち,計測した単一毛細血管の上流・下流の2点でのヘモグロビン酸素飽和度較差(Fl-F2),ヘモグロビン濃度([Hb]),赤血球流動速度(V)血管径(D),2点間距離(L)から単位血管表面積当り,単位時間当りの酸素放出速度(R)は次の式により算出できる。(図1)
R=(F1-F2)・[Hb]・D・V/4L…(2)
肝辺縁部は薄いので1本の類洞を顕微鏡観察できる。類洞上のスポット・スペクトルから肝細胞上のスポットスペクトルとを差し引けば,類洞内を流動する赤血球ヘモグロビンの吸収スペクトルが得られる(図2)。そこで先ず類洞内1血液ヘモグロビン酸素飽和度を求めたところ,1本の類洞の上流(門脈域)から下流(中心静脈域)にかけて酸素飽和度の勾配が認められた。次に1本の類洞上の2点で計測したヘモグロビン濃度,酸素飽和度較差,赤血球流速,類洞径,2点間距離から,類洞→肝細胞への酸素放出速度を算出した。R=0.21±0.14nmolesO2/cm2/secであった。尚,ラット腸間膜微小血管からの最大酸素放出速度は2.9±2.1nmolesO2/cm2/secであった。肝の類洞では腸問膜毛細血管の酸素放出速度に比べて著しく低かった。また,肝では主に門脈血が流れるために他の臓器に比べて酸素飽和度が低く,赤血球流速も著しく低かった。さらに,酸素放出速度は類洞内血流量および類洞径と有意の正相関を示した(図4)。肝類洞内血液から周辺肝細胞への酸素放出速度が,他臓器微小血管からの酸素放出速度に比して著しく低いとすると,その理由としては,肝血管構築の特異性が考えられる。即ち,肝では肝実質細胞に対する類洞血管の分布密度が他臓器に比べて圧倒的に高く,血管内酸素圧と周辺組織差酸素圧勾配が著しく小さいことが予想される。
(2)肝小葉内微小スポットの組織酸化還元レベルの計測:
ラット肝表面の2つの微小スポット(径20μm)の反射スペクトル(波長450~650nm)を演算・記録した(図5)。灌流液の酸素分圧を低くすると,差スペクトルで還元型チトクロームc+c1,b,aa3の吸収peakが認められ,灌流液の再酸素化によりピークは消失した。又,同一スポット上での吸光度差と流入液中PO2の関係では,600μM以上では吸光度差は0であったが,PO2の低下とともに増大し,0μMで最大となった。
灌流液の酸素分圧を変化させスペクトルを求め,波長550~540nm,564~575nm,603~630nmでの吸光度差からチトクロームc+c1,b,aa3の酸化還元レベルを各々求めた。このようにチトロームのスペクトル解析から,肝小葉内の任意の微小スポットで数個の肝細胞の酸化還元レベルを計測することが可能となった。
4.まとめ
最小直径8μmの微小スポット2点について,(a)毛細血管内を流れる赤血球内ヘモグロビンの濃度酸素飽和度および(b)組織細胞内ミトコンドリアのチトロームの酸化還元状態を計測する方法を開発した。現時点で,(a)毛細血管の上流と下流間における酸素放出速度の測定,(b)肝小葉内の酸化還元レベルの測定が,可能となった。