2010年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第24号

細胞機能解析のための新規マルチカラー蛍光イメージング装置の開発

研究責任者

岡 浩太郎

所属:慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科 教授

共同研究者

堀田 耕司

所属:慶應義塾大学 理工学部生命情報学科 専任講師

概要

1.はじめに
細胞内で起きているイベントをリアルタイムに計測し、複雑なシグナル伝達過程と生理機能を対応づける研究は基礎研究として重要であるのみならず、創薬研究等の基礎技術として大いに注目されてきている。これまでに我々は神経細胞を中心に種々のイメージングを用いた研究を行ってきた。そのような一例として、無脊椎動物感覚神経細胞の情報コーディングを細胞内カルシウムイメージングにより解析し、慣れに伴う神経活動変化、シナプス可塑性について言及した1)・2)。最近では神経樹状突起のシナプス前後でのカルシウム応答のまったく新しい計測方法を提案した3)。一方培養細胞を用いた研究も進めており、例えば神経伝達物質として知られているセロトニンをPC12細胞に投与した際の細胞のカルシウム応答を調べ4)、また細胞骨格系とその制御タンパク質の動態を蛍光共鳴エネルギー移動法(以下FRET)により可視化することにも成功した5)。また新規な蛍光タンパク質の開発とそれを用いたイメージングの可能性について論じてきた6)。また定量計測ができなかった細胞内Mgイオン動態を定量計測するための新規プローブの開発も進めている7)・8)。特に単一蛍光プローブによりCaおよびMgイオンの双方を定量計測可能な新規プローブの開発に成功し、実際に細胞内でこの双方のイオン動態を初めて同時可視化した9)。またミトコンドリア内部のMgを選択的に計測するためのプローブの開発に成功した(Komatsu et al.投稿準備中)。これらの研究は生理的に重要なイオンであると認識されているもののCaイオンと比較してその詳細な動態が明らかでなかったMgイオンの生理作用について厳密な議論を可能にするものと期待される。これらイメージングの研究は、近年特に注目されてきている「計算機を利用した生物学研究」にも大いに資するものである。そのような「システム生物学」研究として、細胞内のシグナル伝達のクロストークに関しては計算機を用いた研究を進めてきている。中枢神経系の記憶生成に関わるプロセスについて計算機シミュレーションによるタンパク質リン酸化の検討を行った10)。またイメージング技術と計算機シミュレーションの重要性について指摘し、新たな研究の方向性を提示した11)・12)。このように細胞内のシグナル伝達過程を種々の蛍光プローブを利用して定量的に調べる研究は盛んになってきている。特に蛍光タンパク質型プローブの開発は国内外で激しい競争が行われている分野であり、細胞内カルシウムイオンの計測を皮切りに、サイクリックヌクレオチド、NOや活性酸素種、細胞膜電位等の計測用プローブの提案が行われてきている13)。また観察方法としては共焦点レーザ顕微鏡の利用が考えられる。市販されている共焦点レーザ顕微鏡には多波長励起で多蛍光を取得できるものがあるが、同時性という点では問題があり、例えば心筋などのように単時間で大変形する細胞にこの光学系を適用することは難しい。そこで本提案の研究は、装置開発(ハードウェアとソフトウェアの双方を含む)と分子生物学的な方法を利用した蛍光タンパク質プローブの開発の双方から新規な細胞内シグナル伝達イメージング技術を開発することを特徴とする。計測方法の開発はハードウェアとソフトウェアの双方のバランスが重要であるが、細胞での応答を可視化する研究においてはそれ以外にセンサープローブ自身の性質を計測系にあわせて最適にチューニングする必要がある。本提案の研究ではこれらを調和させて進め、複数の細胞内情報伝達を定量的に計測する新規な方法を提供することを目標として研究を進めた。このような研究は分子生物学、計算機科学との境界領域に位置するものであり、個別の研究者が単独で行うのが難しい領域である。なお本報告書の内容の一部はすでに学術論文として掲載されている14)。
2.本研究の背景
2.1研究の必要性
本研究の目的は、神経科学、細胞生物学等の広範な生命科学研究に利用可能な「細胞内情報伝達過程を可視化するための装置の開発」である。現在、これらの生命現象を解明するために大規模かつ網羅的な研究が広く行われてきている。また前述したように、それらの研究から得られた成果を用いて、生命現象をシステムとして理解することを目標とした「システム生物学」の重要性が指摘されている。しかしながらこれらの研究では、例えば生命現象の静的な性質(タンパク質のアミノ酸配列、遺伝子の塩基配列等)については多くの情報が得られてきているものの、生命現象のダイナミクスに迫る、大規模かつ網羅的な研究は十分行われているとは言いがたい。本提案は、生命現象のダイナミクスを定量的に調べるための新規な計測方法の開発に関わるものである。
2.2解決しようとする課題と研究の現況
細胞内の情報伝達過程を個別に計測するための方法としてはFRETを利用したものが多く提案されてきている。このようなプローブ作製のアイディアは共通であり、FRETを起こす2種類の蛍光タンパク質の間に、計測対象物質と結合するタンパク質部位をはさむような融合蛍光タンパク質を細胞内に遺伝子導入により誘導することが基本である。プローブ作製に関しては本研究でも同様な方法を用いるが、2種類以上の細胞内情報伝達物質の計測のためには、少なくとも4種類の蛍光を細胞から直接計測する必要がある。そのような研究は従来まったく報告されていない。本提案の研究は、特に細胞及び細胞下レベルでの生命活動についてのイメージング技術の提案であり、実時間で複数の細胞内情報伝達過程を可視化する方法に対する実験的なアプローチである。具体的には、新規な蛍光タンパク質をべ一スとしたプローブを開発し、細胞で起きているさまざまな生理的なイベントをその場定量観察する方法を提供することを目的とする。例えば神経様に分化することが知られているPCI2細胞や、ニワトリ後根神経節初代培養細胞、マウス中枢神経培養細胞等を試料として、複数の細胞内情報を時間遅れなく蛍光プローブにより計測するための方法論を、プローブ開発と機器開発の双方から進める。これにより、従来まったく得ることができなかった情報伝達物質問のクロストークをリアルタイムに可視化することが可能となる。さらに細胞周期や発癌のメカニズム解析、神経細胞における記憶の素過程の追跡など広く細胞生物学に利用可能な新規な知見を得ることができるだけでなく、創薬研究に資するツールを研究者に提供することが可能となる。
3.実験方法
3.1ハードウェア開発
時間遅れなく蛍光像を取得するためには、励起と蛍光のフィルターを切り替えるような光学系は適当ではない。例えば単一波長で異なる2蛍光分子を励起し、それから得られる蛍光を分割して同時に取得する必要がある。そのような光学系としては例えば浜松ホトニクスより商品化されているdouble-view光学系がよく知られている。しかしながら、この光学系では蛍光2波長しか同時に取得することができないため、例えばFRET計測では一つの細胞内セカンドメッセンジャー動態しか取得できないという問題がある。そこで少なくとも4つの蛍光を同時に取得するような光学系を開発する必要がある。具体的には高感度CCDカメラを4分割するようにダイクロイックミラーと蛍光フィルターを配置する光学系の構成を検討した。またこのような光学系をさらに工夫することにより6色蛍光(3種類のFRETタイプのプローブを利用するイメージング)への拡張も図った。
3.2ソフトウェア開発
細胞内に複数の蛍光プローブを導入し、個別に定量的なデータを取得するためのソフトウェアを開発する。本研究では単一波長で蛍光タンパク質型細胞内セカンドメッセンジャー計測用プローブを励起し、4種類の蛍光を新規な装置を利用して同時に観察する。このような計測に特化した、蛍光を分離取得し、分離した蛍光イメージから細胞内セカンドメッセンジャーの定量評価を行うためのソフトウェアを作成する。具体的には蛍光励起波長した際の4つの計測チャネルへのそれぞれの蛍光のかぶりを事前に実験的に見積り、神経細胞から得られた蛍光画像の画素ごとに、個々の色素の蛍光シグナルを逆算することを行った。またFRETイメージを構成するためには、画像位置のずれなどを細かに修正する必要が生じる(これは市販されているdouble-view光学系より困難で、アファイン変換などが必要となる)。そのため、本計測に特化した画像解析アルゴリズムを作成し、画像計算プログラムを計測系に実装させる必要があった。
3.3多重蛍光観察用の新規タンパク質蛍光プローブの開発
上記3.1で述べるような光学系を利用するためには、その光学系に特化したような蛍光タンパク質をFRETペアとして採用する必要がある。その一例は蛍光タンパク質CFP/YFP(これはそれぞれシアン色と黄色の蛍光を発するタンパク質の略号)と、T-sapphire / RFP(これは青と赤の蛍光を発するタンパク質の略号)のFRETペアである(この蛍光タンパク質の組み合わせは図1の光学系で理論上は計測可能である)。この2種類のFRETペアを用いることにより、細胞内セカンドメッセンジャーのうち2つの同時計測が可能となることが期待される。これら計測系の健全性を判断するために、まずPC12細胞にカルシウムとサイクリックAMPの計測が可能なセンサペアを遺伝子導入し、性能評価を行った。
4.結果
4.1ハードウェア開発
本研究ではFRET型センサーを用いることにより、細胞内から少なくとも2種類のセカンドメッセンジャー(cAMP, cGMP, Caイオンのうちから2種類)を計測することを考えた。FRETが起きる蛍光タンパク質の組み合わせは種々考えることができるが、本研究ではCFP / YFPとSapphire / RFPのFRERTペアをハードウェア制約(入手可能な光学フィルターとダイクロイックミラーの組み合わせによる)とこれら蛍光タンパク質の蛍光波長等を考慮して決定した(図1)。図1Aには光学系の構成を示している。励起光を405nmの単一波長として、これによりアクセプタ蛍光タンパク質(CFPとsapphire)の双方を同時に励起できる。また細胞からの蛍光は4枚のダイクロイックミラーと4枚の蛍光フィルターにより高感度CCDカメラ上に、R,C,Y,Gの4種類の蛍光が得られる。B図には用いた蛍光タンパク質の蛍光スペクトルとダイクロイックミラー、蛍光フィルターの特性を描いている。この図よりわかるように、4色の蛍光は重なりを持ってCCDカメラ上にイメージを作っていることとなり、これを波長ごとに分解するためのソフトウェア上の工夫が必要となった。
4.2ソフトウェア開発
4.1でも述べたように、CCDカメラ上に作られた4枚の蛍光をスペクトル分解することを試みた(図2)。
図2の左の図は4種類の毛稿タンパク質をそれぞれ発現させた細胞にっいて、上述した光学系により取得される蛍光像を示している。一番上の行を例にとると、CFPの蛍光はCとGチャンネルでほぼ同じくらいの蛍光強度のイメージとして検出されており、Yチャネルにも僅かに蛍光が漏れこんでいることがわかる。このように得られた蛍光画像をシグナル分離するために、我々は1inear unmixingという手法を用いることにした。この方法では、事前に個別の蛍光タンパク質からの蛍光が、どのチャネルにどれくらい漏れこむのかを調べておく。その漏れこみ状態を行列表現し、その漏れこみ行列の逆行列を用いることにより、蛍光シグナルを完全に分離する手法である。数式でそれを表現すると下記のようになる。
ここで行列Sの成分はどの蛍光タンパク質からの蛍光がどのチャネルに漏れこむのかを示しており、Xはそれぞれの蛍光タンパク質の蛍光強度、Yは実際に得られたそれぞれのチャネルの蛍光強度を示している。上式よりSの逆行列を求め、X行列を実際に演算すると図2右のようになる。この図からわかるように、それぞれの蛍光タンパク質からの蛍光強度が4つの蛍光チャネルそれぞれに完全に分離されている。またスペクトル分解以外にも、本光学系では蛍光画像のずれと光ムラについて修正する必要があった(図3)。
図3Aに示したように、4つのチャネルの画像はわずかにずれていた(拡大図も参照のこと)。この画像のずれは、通常にイメージング観察を行う場合には問題はないのだか、FRETによる定量的イメージングを行う場合にはピクセルごとに完全に画像が重なることが要求される。そのためアファイン変換を画像それぞれに関して行い、ピクセルレベルで個々の画像が完全対応するプログラムを作製した。また画像がずれること以外にも、光ムラの問題があることがわかった(図3B)。蛍光タンパク質の混合液を顕微鏡視野において蛍光観察したところ4つのチャネルの像の蛍光強度分布を示している。これについても補正プログラムを作成して対応した。これにより目視では明らかでない(図3C)光ムラ(図3D、E)を細胞画像においても補正することが可能となった(図3F)。
4.3多重蛍光観察用の新規タンパク質蛍光プローブの開発
まずcGMP計測用に構成した蛍光タンパク質センサーについて説明する(図4)。このセンサーはphosphodiestereseのcGMP結合ドメインのN末側にT-sapphireを、C末側に赤蛍光を出すdimer2蛍光タンパク質を接続した融合タンパク質である(図4A)。HEK293T細胞中にこのタンパク質センサーを発現させて、回収後200μMのcGMP存在下で蛍光波長を計測したところ、500nm近傍で蛍光変化することが明らかとなった(図4B)。そこでcGMP濃度に対するFRETペアの蛍光強度比をグラフに描いてみたところ40nMを中心に、蛍光強度比からcGMP濃度を見積もることが可能であることがわかった(図4C)。またこのセンサーは同じ濃度範囲においてcAMPに関してはほとんど応答しないことも確認できた。実際にHEK293T細胞にこのセンサーを発現させ、cAMP濃度を増大させることが知られているAdenosine/IBMX刺激(この刺激は細胞内のcAMP濃度上昇を元進させるとともに、分解を抑制するため、細胞内cAMP濃度を急上昇させることが知られている)を行ったところ、全く応答しなかったが、一方で細胞内cGMP濃度上昇を誘導するSNAP(この薬物は一酸化窒素を遊離し、その一酸化窒素が細胞内でのcGMP濃度上昇を誘引する)では一過的な濃度上昇を検出することができた(図4D,E)。また結果として、このcGMPセンサーは既存のセンサーより10倍程度感度が高いことが明らかとなった。次に我々は既存のcAMPセンサーとこの新規cGMPセンサーを併用し、細胞内サイクリックヌクレオチド濃度を個別計測可能であるかを、PC12細胞を用いて検討することにした(図5)。図5Aにはこの2種類のセンサーをPC12細胞に導入し、種々の薬物で刺激した際の細胞応答を示している。Adenosine/IBMXによる刺激により細胞内cAMP濃度は上昇し、またSNAP刺激によりcGMP濃度の顕著な増加を細胞イメージとしてとらえることに成功した。このような同時イメージングの試みは従来行われていない。また図5BにはDual-FRET時とsingle FRET時における蛍光変化を、蛍光スペクトル画像をlinear unmixingした結果を比較して示している。この結果は、本スペクトル分離方法がDua1-FRET計測系でも有効に働いていることを示している。
次に新規なCaセンサーの開発を行った(図6)。このセンサーは先に述べたcGMPセンサーと同じ蛍光タンパク質のFRETペアを用いており、この2つの蛍光タンパク質に挟まれるようにCalmodulinのCaイオン結合部位が挿入されている(図6A)。このセンサーも500nm付近の蛍光がCaイオン濃度(10-8M-10-3M)に応答することが、加Vltl"Oのセンサー評価から明らかとなった(図6B,C)。また同様なCaセンサーをSapphireとDSRedの蛍光タンパク質の組み合わせでセンサーとして細胞内に発現させてみたところ、我々が今回開発したT-Sapphire/dimer2との組み合わせの方が有意に明るいことが判明した(図6D)。さらにこの両者のCaイオンセンサーをそれぞれHeLa細胞に発現させ、ATP刺激(今回用いた細胞の細胞膜にはATPを受容するレセプターが存在することが知られており、この受容体が刺激されると、細胞外および細胞内小器官からのCaイオンの細胞質への導入が引き起こされる)に対するCaイオン応答を比較してみたところ、T-Sapphire/dimer2のセンサーの方が大きな蛍光変化を示すことが明らかとなった。
これらセンサーのセンサーにより、薬物刺激とは異なる生理的な応答が検出できるかを心筋細胞で調べた(図7)。その結果、高速に伸縮をくりかえすラットの心筋細胞内で起きている、Ca濃度の激しい変化と、cAMPの濃度上昇を、世界で初めて同時計測することに成功した。Dua1-FRETイメージングにより、心臓の収縮力を高める薬(isoproterenol)の刺激により細胞内cAMP濃度は急激に上昇し(一番上のグラフ)、それに応じて心拍上昇に伴うCaイオン濃度変化(上から2番目のグラフ)が計測されている。また下図では単一細胞でcAMP濃度変化とCaイオン濃度変化がイメージとして得られていることが示されている。心筋細胞ではカルシウム濃度は収縮に伴って振動しているのに対し、cAMP濃度は振動せず、刺激により徐々に上昇している。またCaイオン濃度の振動周波数は刺激直後に上昇していることがわかった。図7では心筋刺激作用により心臓の収縮力を高める薬(イソプロテレノール)が、どのようにして心拍数を上げるのか、実際に細胞内で起こっている現象を明らかにすることができた。
4.4培養神経細胞成長円錐内でのセカンドメッセンジャー応答の解析例
最後にこれらセンサーを利用して、神経細胞成長円錐について最近行っている研究について紹介する。培養神経細胞について、本観察系を適用し、複数の細胞内セカンドメッセンジャシグナルの計測を行った。Dual-FRET法は細胞形態が大変形しても、蛍光比のイメージングを行うために、正確なシグナル検出が可能であると考えられる。そこで本研究には形態が大きく変形することが知られている神経線維先端の成長円錐をターゲットとした。神経細胞の突起先端に位置する成長円錐は糸状仮足(Filopodium)、葉状仮足(Lamellipodium)よりなる運動性の高い部位である。この先端部分はアクチンが、また基部には微小管が主要な細胞骨格となっており、神経発生の初期過程に神経を特定なターゲットに誘導する役割を果たすだけでなく、障害を受けた神経においての神経再生などに重要な働きを担っており、その機能を理解することは重要である。成長円錐は細胞外マトリックスや神経成長・誘導因子の濃度勾配を検出する高度なセンサー機能としての役割の他に、極めて運動性の高い細胞部位として、神経線維を特定の方向に誘導する重要な機能を有している。成長円錐の誘導を考える際に、成長円錐はどのように外界を認識するのかという問題に関心が集まっている。このような研究には、古くは神経成長因子NGFの濃度勾配に成長円錐が応答し、濃度勾配を上る方向を検出していることが知られている。その後この神経成長因子には種々のものが知られるようになり、その濃度勾配検出については1分子イメージングの手法を利用して成長円錐表面に露出しているNGFレセプターにNGFが結合し、細胞内に取り込まれ、さらに核まで輸送されるメカニズムの実験的な研究が行われている15)。また一方で濃度勾配を検出するための物理化学的な理論解析も行われてきている。また細胞外の成長因子の濃度勾配が成長円錐内のセカンドメッセンジャー濃度変化に変換されることも明らかになってきているものの、その制御機構は複雑である。例えば細胞内のサイクリックヌクレオチド(cGMPとcAMP)の濃度比が成長円錐先端の伸長と退縮を決めているという主張がある16)。この研究では神経誘引物質であるNetrin-1の成長円錐ガイダンス機能が、細胞内のサイクリックヌクレオチド比によって制御されているという結果が示されている。この結果は細胞内の状態(この場合はcAMPとcGMPの濃度比)が誘引と忌避を制御しているということを示しており、一概に特定の化学物質を「誘引性」、「忌避性」と区別できないという点が興味深い。しかしながらこの研究では細胞内のサイクリックヌクレオチド比を制御するために、細胞膜透過型のサイクリックヌクレオチド類似物質が用いられている点で生理的とは言えず、また誘引と忌避を決める濃度比がおおよそ10:1であるという結論も、果たして生理的環境下でそのようになっているのかについては疑問がある。そのため、生理的環境下で成長円錐内のサイクリックヌクレオチド濃度変化を連続的に計測する方法論の確立が当該研究の展開には必須である。そこで我々は成長円錐のイメージングによく用いられてきたニワトリ後根神経節細胞に本研究で開発したCaイオンとcGMP計測用のFRETセンサーを同時に導入し、Dua1-FRETイメージングを行った(図8)。
成長円錐先端部は厚みが薄く、イメージングが難しい部位であるが、ウィルスベクターを利用することによりセンサー導入に成功した(図8A)。成長円錐を刺激するためにarachidonic acidにより刺激したところ、急速な細胞内CaイオンおよびcGMP濃度上昇を同時計測することに初めて成功した。この応答は僅かにcGMP濃度上昇が先行しているように観察されている(図8B)。このことから、本手法によりシグナル伝達の順番について議論することも可能になるものと期待される。
5.まとめ
本提案のDua1-FRET法は、従来調べることができなかった細胞内での情報伝達物質のクロストークを解析することができる画期的なバイオイメージング技術である。分子レベルの細胞生物学研究は多数の細胞の平均的な値として、細胞内タンパク質のリン酸化などのシグナル伝達を調べてきた。こられの研究では時間、空間の双方において十分な研究が展開できているとは言いがたい。最近になって蛍光顕微鏡と高感度カメラ、共焦点レーザ顕微鏡の普及により細胞内で「いつ、どこで、何が」を調べる手立てができてきた。次のステップとして期待されるのが、細胞内で起きているイベントの相互作用をその場でリアルタイムに調べる方法論の確立であり、本提案はそれを可能とするものである。本提案手法により複数種類の細胞内セカンドメッセンジャー動態をリアルタイム計測することが可能となる。例えばcAMPとCaイオン、cGMPとcAMP等種々の組み合わせでのリアルタイムイメージングを実行できるため、シナプス可塑性、神経成長円錐での軸索ガイダンス等のセカンドメッセンジャークロストークが想定される生理現象の解明に用いることができる。さらにこの技術を、例えばメタボローム解析と併用することにより、基礎生物学、医学における一般的なパスウエイ解析に適用できる。また創薬研究のための候補薬物スクリーニングにも活用でき、従来知られていない新しい細胞内シグナル伝達過程を発見することも可能と考えられる。