2017年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報30号補刷

細胞外 ATP の蛍光計測による脳梗塞の梗塞巣拡大メカニズムの解明

研究責任者

関谷 敬

所属:東京大学大学院 医学系研究科 細胞分子薬理学教室 助教

概要

1.はじめに
脳梗塞は、死亡原因の上位に位置し、死に至らなくても麻痺や言語障害をはじめとする重篤な 後遺症が残る疾患で、社会に対する負荷も重大で ある。脳梗塞は、脳の血管内に血栓などが塞栓し、一部の脳血流が途絶えることにより引き起こさ れる。血流低下に伴い、神経細胞死が起き、様々 な脳機能が障害され後遺症となる。この後遺症か らの回復には、長期にわたるリハビリなどを強い られる上、完全な回復は難しい。これまで、脳梗塞について多くの研究が行われてきた。しかし、脳梗塞は急速に進行する病態であることや、梗塞の状態や合併症が症例ごとに著しく異なること などから、臨床におけるヒトを対象とした研究は 非常に困難である。そのため、脳梗塞における神 経細胞死に対し、病態を踏まえた有効な治療法は 十分には開発されていない。現在でも、脳梗塞発症から数時間以内の急性期に血栓溶解薬を投与 するという再灌流療法のみが、主な治療法である。
近年、この再灌流療法の広まりとともに、脳梗塞の新たな病態モデルが提唱されている。脳梗塞では、脳血管に塞栓が起きる。血流が途絶えた領域では、直ちに神経細胞死が引き起こされ、梗塞巣となる。一方、梗塞巣の周辺領域は、直ちには神経細胞死に至らないが、血流低下により一時的に正常な神経活動が停止した、ペナンブラと呼ばれる領域となる(図1)。

(注:図/PDFに記載)

この血流の低下したペナンブラでは、神経細胞死には至らないものの、神経細胞は非常に脆弱な状態である。このペナンブラに、梗塞巣外縁から伝播する異常神経活動(Periinfarct Depolarization)が引き起こされることで、大きなエネルギー消費を強いられ、神経細胞死を起こして梗塞巣へ移行してしまう。現在、このペナンブラへ拡大してゆく梗塞巣が、初期の梗塞巣より結果的に大きくなり、脳損傷の大きな割合を占めていることが示唆されている。このため、この梗塞巣拡大を止めることが、脳梗塞の非常に有効な治療と考えられている。
この梗塞巣拡大に対し、基礎医学研究に基づき、様々な治療法が提案されてきたが、有効なものは ほとんどない。その理由として、ヒトでの病態を 十分に反映した動物モデルがないことがあげら れる。現在の脳梗塞モデルは、中大脳動脈を永続的または一時的に遮断することにより、梗塞巣を作製する。これらのモデルは、梗塞が形成される脳部位や領域などにばらつきの少ない、研究に適した梗塞巣を作製できるなど、非常に優れた特徴を数多く備えている。しかし、梗塞巣が大きくペナンブラが生成されないといった問題や、一時的な虚血と再還流により作製されたペナンブラは実際の病態と異なっているなどの問題もある。このため、動物モデルで有効性を示した新しい治療法が、臨床試験において無効であることが多く見られた。
このため、ヒトでの病態を忠実に反映した動物モデルが切望されている。そこで我々は、これまでの動物モデルの問題点を克服すべく、新しい動物モデルの作製を考えた。脳血流の低下は、脳内の微小血管での血栓塞栓により局所的に実現され、その他の領域への血流供給が保たれることが望ましい。そのため、マウスの血液から作製した血栓を、外頚動脈を逆行させて内頚動脈へ注入することを行った。外頚動脈へ血栓注入ラインを留置することで、総頚および内頚動脈を傷つけることなく、脳内に梗塞巣を作ることができる。血管の損傷は、脳梗塞とは異なる脳血流低下の原因となるため、脳梗塞病態の忠実な反映には、非常に重要だと考えられる。このような逆行性の血栓注入法により、脳への血流を保ったまま脳血管に血栓塞栓を起こし、病態を忠実に再現するモデルの実現に取り組んだ(図2)。

(注:図/PDFに記載)

さらに、この血栓塞栓モデルにおいて、脳内の神経細胞やグリア細胞といった多様な細胞の、活動の時空間動態や、細胞間のシグナル動態を可視化してとらえ、脳梗塞の複雑な病態を解明し、治療法開発へつなげることを目的とした。
我々はこれまでに、KENGE-tet 法という新しいマウス遺伝子改変技術を用いて 1)、生きた動物の脳内で、神経細胞やアストロサイトの活動を詳細にとらえる可視化法を実現している(図3)。

(注:図/PDFに記載)

また、細胞外シグナル分子であるグルタミン酸の生体内可視化にも成功しており(図4)、これらの可視化法を発展させ、脳梗塞モデルマウスへ応用することを考えた。そこで本研究では、KENGE-tet 法を脳梗塞モデルへ応用し、脳梗塞急性期において、梗塞巣拡大に深く関与する異常神経活動と、その時のアストロサイトの活動の可視化解析を行なった。さらに、シグナル分子の可視化法を発展させ、神経細胞およびアストロサイトの細胞外シグナル分子である ATP の生体内可視化法を新しく確立し、脳梗塞急性期における神経細胞-アストロサイト間相互作用を捉え、脳梗塞の梗塞巣拡大メカニズムの解明に取り組んだ。ATP は、生理的状態において、神経活動の抑制に関与することが知られており、脳梗塞の病態生理においても重要な働きを持つと考えられる。

2.脳梗塞モデルの作製と評価
2.1 血栓塞栓モデルの作製
忠実な病態再現のため、血液から作製した血栓 を用い、梗塞を作製する。この際、血栓注入のた めのライン留置操作などにより、血流途絶や血管 内皮損傷が内頚動脈に起こると、脳血流が低下し、実際の脳梗塞病態とは異なってしまう。このため、外頚動脈から逆行性に血栓を導入する手法を開 発し、血栓塞栓による脳血流低下を実現した。

2.2 血栓塞栓モデルの MRI による確認
外頚動脈経由での血栓注入後、脳内に目的とする梗塞巣が完成したことを、小動物用 MRI を用いて確認した。血栓注入による梗塞巣作製後、2 時間以内に血流低下領域が検出(図5:赤矢頭) され、10 日後には虚血領域の中心部に梗塞巣の完成が確認できた(図5:黄矢頭)。生理食塩水を注入したコントロールでは、梗塞巣は見られなかった。

(注:図/PDFに記載)

2.3 血栓塞栓モデルにおける細胞形態
さらに、脳透明化法及び共焦点顕微鏡を用い、梗塞巣周辺の神経細胞及びアストロサイトの形態変化を検出した。梗塞外の正常領域(図6:左)

(注:図/PDFに記載)

では、神経細胞及びアストロサイトの正常な形態が確認できた。梗塞巣中心(図6:中)では、細胞が脱落していた。梗塞巣に隣接するペナンブラ(図6:右)では、神経細胞の脱落とアストロサイトの微細突起の膨潤という形態変化が認められた。これらより、外頚動脈経由での血栓注入法を用いて、ペナンブラのある脳梗塞モデルマウスを作製できた。

3.脳梗塞急性期における細胞活動の可視化
梗塞モデルの作製に成功したので、次は脳梗塞急性期において、Ca2+イメージング法を用いて異常神経活動をとらえ、さらにその際のアストロサイト活動の時空間動態の可視化も行った。

3.1 血栓塞栓直後の神経活動
神経細胞特異的なプロモータを用いて、Ca2+インジケータを神経細胞に発現させ、二光子励起顕微鏡を用いて Ca2+活動を可視化した(図7:上段左)。血栓注入後より、神経細胞は周期的な活動を示した(図7:上段右)。図7の下段は、神経細胞の Ca2+シグナルの強調画像で、神経活動は周期的かつウェーブ状の伝播を示した。

3.2 血栓塞栓直後のアストロサイト活動
神経細胞と同様に、アストロサイト特異的なプロモータを用いて、Ca2+インジケータをアストロサイトに発現させ、二光子励起顕微鏡を用いてCa2+活動を可視化した(図8:上段左)。血栓注入後、神経細胞と同様に、アストロサイトも周期的な活動を示した(図8:上段中)。血栓注入による梗塞の前後で、アストロサイトは、微細突起の膨潤などの形態変化が確認できた(図8:上段右)。図8の下段は、アストロサイト Ca2+シグナルの強調画像で、周期的かつウェーブ状の時空間動態を示した。

(注:図/PDFに記載)

3.3 神経・アストロサイト活動の伝播
血栓注入後、神経細胞及びアストロサイトとも に周期的な活動を示したことから、この活動が大 脳皮質の広い範囲へ伝播するかについて、可視化 解析を行った。蛍光実体顕微鏡を用いて、数mm 四方の広い脳表の範囲を観察し、血栓を注入した。神経細胞(図9:上段)及びアストロサイト(図9:下段)ともに、周期的に見られる活動が、大脳皮質の広い範囲をウェーブ状に伝播することを可視化できた。

(注:図/PDFに記載)

4.生体内での細胞外 ATP 可視化法の開発
脳梗塞モデルにおいて、神経細胞及びアストロサイトが共に、ウェーブ状の伝播する活動を示すことを可視化できたため、続いて、神経細胞-アストロサイト間の細胞外シグナル分子であるATP の蛍光イメージングを行い、神経細胞-アストロサイト間の細胞間相互作用の解析を行った。

4.1 ATP 可視化に用いる蛍光プローブ
ATP イメージングには、ATP 結合タンパクと赤色蛍光色素を融合させた、ハイブリッド型の蛍光プローブを作製し、使用した。このプローブは、ATP と結合することで最大2 倍の蛍光強度変化を示した(図 10:上段)。また、ATP への選択性も高く、pH に対する安定性も高いことも確認された。

(注:図/PDFに記載)

4.2 生体内での ATP 可視化
この ATP プローブを in vitro にて合成した後、マウス大脳皮質に微小ガラス管を用いてインジェクションし、細胞外スペースに導入した(図10:中段)。プローブ導入後、ATP 溶液の注入により、約 10%の蛍光強度増加を示した(図 10: 下段)。このように、生体内での細胞外 ATP シグナルの可視化に成功した。

5.脳梗塞急性期における ATP 動態と作用
ATP 可視化法を確立できたため、脳梗塞急性期へ応用した。ATP プローブを導入したマウスに対し、外頚動脈から血栓を注入し、脳梗塞急性期における ATP 動態を可視化した。

5.1 血栓注入直後の ATP 動態
Ca2+インジケータでとらえた神経細胞及びアストロサイトのウェーブ状の活動伝播と同様に、ATP 動態もウェーブ状の伝播を示した。図11 に、大脳皮質へ導入された ATP プローブの蛍光画像(図 11:左端)と、ATP シグナルの差分強調画像を示す。差分強調画像においては、異常神経活動に伴う ATP ウェーブの進行波面が確認できる(図 11:右端・矢頭)。

(注:図/PDFに記載)

5.2 脳における細胞外 ATP の作用
脳梗塞急性期には、細胞外 ATP 濃度がウェーブ状に上昇することが示された。この ATP シグナルがどのような作用を持つかを調べるため、大脳皮質細胞外スペースに微小ガラス管を用いて ATP をインジェクションした際の、神経細胞とアストロサイトの活動を可視化した
(図 12)。ATP インジェクションにより、細胞外 ATP 濃度が上昇し、ATP プローブの蛍光強度が増加した(図 12:上段)。一方、ATP 濃度上昇時に、神経活動は抑制された(図 12:中段)。また、アストロサイトは ATP 濃度上昇により、活動が増加した(図 12:下段)。これらより、細胞外 ATP は神経活動を抑制し、アストロサイトの活動を引き起こすと考えられる。

(注:図/PDFに記載)

5.3 ATP による異常神経活動抑制モデル
脳梗塞急性期には、梗塞領域外にて、神経細胞やアストロサイトの活動、及び細胞外 ATP シグナルが、ウェーブ状に伝播する。また、細胞外 ATP は神経細胞に対して抑制性に、アストロサイトに対して興奮性に働く。これらより、神経細胞の異常活動の伝播(図 13:上段・中段)に対してアストロサイトが反応し、ATP を放出することで周囲のアストロサイトを活動させるとともに、神経活動を抑制する(図 13:下段)と考えられる。

(注:図/PDFに記載)

6.まとめ
本研究では、ペナンブラを再現できる新しい脳梗塞モデルを確立した。このモデルの梗塞巣を、MRI 及び細胞形態で評価し、ペナンブラの形成を確認した。動物モデルにおいて、臨床でもデータを取得できる MRI での梗塞巣評価ができたことは、ヒトでの病態を解明するために、非常に有用である。また、脳梗塞急性期における神経細胞とアストロサイトの活動動態の可視化を行い、Periinfarct Depolarization 様の異常神経活動をとらえた。
さらに、細胞外 ATP 可視化法の確立により、脳梗塞急性期における ATP シグナルの可視化に成功した。大脳皮質における細胞外 ATP の、神経細胞・アストロサイトへの作用と合わせ、アストロサイトが、異常神経活動に反応し、ATP シグナルにより周囲のアストロサイトを活性化するとともに、ATP シグナルを介して異常神経活動を抑制するという可能性が示唆された。
脳梗塞のような複雑な病態では、治療効果を見込んだ薬物が、脳に本来備わっている保護作用などを抑制することで、狙った効果が相殺されることなどが懸念されてきた。今回構築した脳梗塞モデルマウスと、細胞外 ATP イメージング法により、脳梗塞のより詳細な病態が解明され、治療標的の提案や、適切な薬物投与法などの新しい脳梗塞治療法の開発につながることが十分に期待される。