2002年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第16号

細胞内におけるリン酸化依存的蛋白質間相互作用のイメージング

研究責任者

萩原 正敏

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 教授

概要

1.はじめに
細胞内シグナル伝達経路のほとんど全てにおいて、蛋白質リン酸化反応が重要な役割を果たしていることが証明されつつある。様々な実験系や細胞系で次々と新しいリン酸化酵素とその基質が見つかり、リン酸化反応によって触媒される細胞内シグナルカスケードのモデルは、ますます複雑多岐になりつつある。従来のin vitroのリン酸化反応のデータをもとに、シグナルカスケードモデルを"矢印"で示すような手法では、カスケードがクモの巣のように入り組み収拾がつかない状況が現出している。これは、そのリン酸化依存的シグナルカスケードが実際に細胞内で作動していることを簡便に検証する実験手法が乏しいことによるものと思われる。
in vitroにおけるリン酸化反応を調べることは、精製したリン酸化酵素とその基質蛋白及び32P-ATPを用いれば容易であるが、細胞内で実際にリン酸化反応が起きていることを証明するには、細胞を32Pラベル後免疫沈降するか、リン酸化特異抗体を作ってその免疫染色を行うかのいずれかの方法しかないのが現状である。実際、筆者は転写因子CREBのリン酸化制御機構を研究する必要から、32Pラベル実験(Hagiwara et al., Cell: 1992)やリン酸化特異抗体の作製(Hagiwara et al., Mol Cel Biol: 1993)を行ってきた。しかしながら、こうした方法では、細胞内のリン酸化反応をリアルタイムで、しかも定量的に測ることは原理的に不可能である。いろいろな試行錯誤の結果、我々は最近漸く、FRET(Fluorescence Resonance Energy Transfer)を用いて、生きた細胞内でAキナーゼが活性化される様子を定量的に可視化することに成功した(Nagai et al. Nat. Biotechnol: 2000)。その原理を応用して、カスペースによるアポトーシスシグナルを可視化することを試みた。
2.Aキナーゼ活性を可視化しようとするこれまでの試み
Aキナーゼは最も研究の歴史が長い蛋白リン酸化酵素の一つなので、これまでにも生きた細胞でAキナーゼ活性を可視化しようとするさまざまな試みが成されて来た。Tsienらが考案したFICRhR(フリッカー)(図1)は、調節サブユニットをローダミンで、触媒サブユニットをフルオレセインでそれぞれ標識した後、会合させて作ったポロ酵素をマイクロインジェクションするという極めてシンプルだが巧妙な方法であった(AdamsS,R.etal.Nature,1991)。会合した分子内ではフルオレセインとローダミンが近接するため干渉が起こるが、解離した後は干渉が解けて本来のemission waveに戻ることを利用している。筆者らはこの方法によって、Aキナーゼがフォルスコリン添加後10分程で活性化され、解離した触媒サブユニットが20分程で核内に移行することをつきとめた(Hagiwara et al.,Mo1. Cel1. BioL, 1993)。Kudoらはマイクロインジェクションの手間を省くため細胞膜透過性のペプチドを蛍光ラベルし、細胞内cAMPの上昇に伴いリン酸化を蛍光の変化として観察することに成功している(HigashiH.etal.,FEBSLett.1997)。
3.AキナーゼによるCREBの構造変化
CBPがSer133のリン酸化されたCREBだけに結合するということから、CREBがリン酸化されるとCBPと結合できるように構造変化を起こしていると想像できる(Chrivia, et al。Nature,1993)。実際にWrightらはCREBのKID(kinase inducible domain:リン酸化部位でCBP結合部位でもある)とCBPのKIX(CREB結合部位)との複合体のNMR解析を行い、リン酸化されたKIDのSer133とKIXのTyr658の側鎖が水素結合をすることにより、CREBとCBpが安定な転写複合体を形成することを明らかにしている(Radhakrishnan et al., Cell 1997)。我々は最近、CREBのリン酸化による構造変化を低角度回転蒸着法を用いて電顕下で観察することに成功している(Usukuraetal.,Geneto Cells,2000)。
また、CREBのリン酸化による構造変化を認識できるような抗体を作成すれば、CREBが活性化される様子をin vivoで捉えることができる(Hagiwara et al., Mol. Cell. BioL, 1993. Gintyetal, Science, 1993)。我々も自ら作成したリン酸化CREB特異抗体を用いて、キンカチョウ(Zebra Finch)が同種の歌(conspecific song)を聞いたときだけ、歌中枢でCREBが活性化されることを見い出している(Sakaguchi et al. ,J。Neurosci.1999)。このように、リン酸化特異抗体を使えば、in vivoでのリン酸化反応をモニターすることができるわけだが、これは組織切片あるいば固定した細胞でリン酸化反応をみているだけで、生きた細胞や組織で動的な変化をモニターすることは原理上不可能である。そこで次に我々は、CREBの構造変化をGFP(Green Fluorescent Protein)の蛍光変化として捉らえることにより、生きた細胞内でのAキナーゼの活性化をモニターする系ができないかと考えた。
4.ARTとは?
GFPは1992年、Georgia大のCormierらのグループによってクローニングされ(Prasher D.C. et al.,Gene,1992)、1994年にGFP遺伝子を導入した真核細胞内で、長波長光照射下に、発現したGFPがGreenの蛍光を発することが確認されて以来(Chalfie M.etal., Sceince, 1994; InouyeS. et al,FEBSLett.,1994)、細胞内モニター系として注目を集めている。当初は、GFPの様々な位置にAキナーゼの基質蛋白のコンセンサス配列(RRPS)を挿入した変異体を作成してみた。作成した11種のGFP変異体蛋白のうち、7種類はAキナーゼでリン酸化されたが、リン酸化によるGFP蛍光の変化は認められなかった(小川他、未発表データ)。その後Aequorea(オワンクラゲ)GFPの結晶構造解析から、発色団は11本のβ鎖で編まれたバレル構造に囲まれていることが明かとなった(Yangetal.,Nat.Biotechnol.1996)。我々が挿入したリン酸化部位でAキナーゼでリン酸化可能だったものは、外側のバレル構造上に位置するため発色団に影響を与えるには遠すぎ、内側で発色団近傍に位置するリン酸化部位には、Aキナーゼが結合できないためリン酸化されなかったのではないかと思われる。
最近GFP発色団(chromophore)の様々な変異体が作製され、それらを用いて細胞内カルシウムの濃度変化をモニターする方法が、米国の2グループからそれぞれ発表されている(Romoser V. A.et al. J. Biol.Chem.,1997; Miyawaki A. et al., Nature,1997)。我・々はRomoserらが構築したベクターを改変して、RGFP(redGFP)とBGFP(blueGFP)の2種の蛍光蛋白の間にCREBのKIDを入れた新しい融合蛋白を作ることにした(図2)。
BGFPをdonorとしてRGFPをacceptorとする蛍光干渉(FRET)が観察されるが、リン酸化によりKIDが構造変化を起こせばRGFPとBGFPの2個のクロモフォア間距離が変わりFRETが変化することを期待したわけである。pQEベクターを導入した大腸菌から精製したキメラ蛋白が、CREBと同程度にA-kinaseなどでリン酸化をされることをin vitroでまず確かめ、さらにリン酸化が当初の目論み通り挿入したCREBのリン酸化部位で起きていることも、前述したリン酸化CREB特異抗体を用いて確認できた(図3)。
リン酸化の前後での蛍光変化を蛍光スペクトロメーターで調べて比較してみると、380nmの励起光を当てた場合、RGFPの蛍光(510nm付近)がリン酸化により減弱し、逆にBGFPの蛍光(450nm付近)はリン酸化により増強していた(図4、Nagai et al., Nat. Biotechnol., 2000)。ATP及びAキナーゼ触媒サブユニットのいずれかが無いと蛍光変化が認められず、リン酸化部位の無いRGFP/BGFP融合蛋白の蛍光も変化していない。これらのことから、リン酸化によりRGFPとBGFP間のFRET量が減少したと考えられる。CREBのリン酸化部位の代わりに無構造のAキナーゼの基質ペプチドであるKemptide (Kemp, J. Biol. Chem. lg80)を挿入したもの(Kempartと名付けた)ではリン酸化しても蛍光の変化が無いことから、ARTでは挿入したKIDのリン酸化依存的な構造変化により、RGFPとBGFPの発色団間の距離か双曲子モーメントの相対的角度が変化することにより、FRET量が減少しているものと思われる。
5.細胞内でのリン酸化反応
図5に示したように、ARTに380nmの励起光を当て、510nmと450nmの2波長で蛍光を測光すれば、Aキナーゼによるリン酸化をラジオアイソトープなどを使わずに定量的に測定できる。そこで、このキメラ蛋白ARTをpCEP4に組み込んだ発現ベクターをCOS-7細胞などの哺乳類培養細胞に導入し、生きた細胞内でAキナーゼの活性化をモニターできるか試してみた。
COS-7細胞では
ART蛋白は細胞全体に発現していた(図6)。
次に、細胞膜透過性cAMP誘導体のdb-cAMPを培養液に添加し、前述の条件で2波長測光をしてみると、図6に示したような変化を観察できた。細胞内の任意の5点で測光した蛍光変化を定量化すると図7のようになり、db-cAMP添加後3分ほどでAキナーゼによるARTのリン酸化はピークに達する。このリン酸化の経時変化は、32Pラベル実験で観察されたCREBのリン酸化のタイムコース(30分でピークに達する;Hagiwara et al.,Ce11,1992)よりかなり速い。これは、CREB蛋白自身は核内に局在しており、Aキナーゼ触媒サブユニットが細胞質から核内に移行したのちリン酸化を受けるのに対し、ARTは細胞全体に発現してるので、細胞質でリン酸化されているためであろう。実際、今回の実験結果は以前にフリッカーで測定したAキナーゼ活性化の時間軸と良く一致している(Hagiwara et al.,Mol.Cell.Biol.,1993)。さらに、筆者らが創成したAキナーゼ阻害剤H-89(Chijiwa et al.,J.Biol.Chem.,1989)存在下では、この蛍光変化が認められず、Aキナーゼ活性に依存したものであることが裏付けられた。
6.細胞内アポトーシスシグナルの可視化
次に、リン酸化以外にcaspase活性をFRETの変化を測定すればアポトーシスシグナルを可視化することができるのではないかと考えた(図8)。
核内でのcaspase活性化を観察する目的で、poly(ADP-ribose)polymerase(PARP)のcaspase認識部位近傍を組み込んだバキュロウイルス発現ベクターを作成し、組み替え蛋白を調製した。この新しいGFP融合蛋白は、in vitroにおいて、設計通りCaspase3で分断された(図9)。
さらにCaspase3による分解により、このGFP融合蛋白のFRETが劇的に変化することを観測した(図10)この変化を定量化することによりcaspaseの活性化を測定できるものと思われる。したがってこの新しい発現ベクター系を用いれば、培養細胞内でcaspaseの活性化を観察可能で、アポトーシスに至る細胞内情報伝達を経時的にモニターすることができると期待できる。
7.まとめ
新しいリン酸化モニター蛍光蛋白ARTを用いることにより、アイソトープなど無しに簡便にリン酸化反応をin vitro及びin vivoでモニターすることができた。このモニター系の利点は、発現ベクターに組み込んで、細胞内でしかもリアルタイムでリン酸化反応をモニターできることである。ARTを発現する遺伝子改変動物を作成すれば、脳スライスや個体レベル(線虫やショウジョウバエ)でリン酸化反応を蛍光顕微鏡下で直接観察できる可能性がる。また、我・々はこの融合蛋白をART(cAMP responsive tracerの意)と名付けたが、リン酸化部位を一部改変すれば、任意のリン酸化酵素のモニター系として利用できる可能性がある。また、図9に示したようにリン酸化阻害剤でART蛍光変化が抑制されることから容易に想像できるように、ARTを使えば、リン酸化カスケードを介する新しい薬剤のスクリーニングを細胞レベルで行うことができる。
実際、我々がARTを報告して以来、様々な実験系に応用したいとの問い合わせが殺到し驚いている(主として海外からで国内からの反響は何故かほとんど無い)。そうした問い合わせの中には、FRETを用いたARTの原理から考えて相当無理なものもある。特にARTは2波長測光の蛍光変化の割合からリン酸化量を求めるため、細胞内に発現した全ART分子の数十%がリン酸化されるような条件が必要である。したがって、細胞内の微量の酵素のリン酸化活性を測ったり、リン酸化酵素の一部だけが活性化される弱いシグナルのモニターには不向きである。今後は、1)蛍光のdonorとacceptorをCFPとYFPにすることでFRET効率を上げる、2)CaM kinaseなど他のリン酸化酵素のモニターができるか検討する、3)核やミトコンドリアなど特定の部位への局在化シグナルをいれる、4)ウイルスベクターによって初代培養細胞や脳スライスに容易に発現できるようにすることなどを検討している。
さらに、我々はcaspase活性もFRETの変化により測定することができた。この系により生きた細胞内でapoptosisに至るシグナルカスケードをモニターすることが出来るものと思われる。この他にもいろいろな方の力を借りながら、様々な実験系で使えるように改良を進めて行く予定なので、新鮮なアイデアを持った若人の方々がこの研究領域に参加されることを期待している。