2011年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第25号

細胞への物質注入と電位測定のためのマイクロピペット電極の作製と応用

研究責任者

角田 直人

所属:九州大学大学院 工学研究院 エネルギー量子工学部門 准教授

概要

1.はじめに
微細な先端を有するマイクロピペットは、単一細胞内への物質注入(インジェクション法)と細胞膜の電気測定(パッチクランプ法)の2つの目的に使用される1)。マイクロピペットは一般にガラス製で非導電体のため、パッチクランプ法の電極として使用する場合は、中空部に電解質溶液を充填する必要がある。この場合、インジェクション機能が使えなくなり、両機能を同時に活用することはできない。マイクロピペットと同サイズの金属微小管の作製は、現在の加工技術では難しいため、本研究では、マイクロピペット外側表面に金属コーティングした電極を作製し、中空部を確保する。しかし、このような電極には、周囲の液体との電気絶縁の課題が付随する。そもそも微細な針形状に対して均一な絶縁膜を形成することは技術的に難しく、加えて、仮に絶縁膜で全体を覆うことができたとしても、最先端部の絶縁膜を除去し、電位検出のための金属面を露出させる必要がある。これらの作製技術を確立することが本研究の第一の目的である。電気絶縁膜としては水素含有アモルファスカーボン(a-C:H)を採用した。その理由は、プラズマ支援化学気相成長法(PECVD法)によって針形状にも比較的均一にコーティングできるからである2)。ただし、確実な絶縁のための厚膜化と、先端膜除去に最適な膜質の探索が必要であるため、先ずこの課題に取り組んだ。先端部のa-C:H膜除去にっいては、従来の電気的膜破壊法3),4)、機械的膜破壊法5)-7)、および化学エッチング8)-ll)の適用は不可能である。なぜなら、マイクロピペットは微細でガラス製のため、如何なる電気的破壊や機械的切削でも破損が避けられない。化学エッチングでは、先端の微細なマスキングの困難性により、最先端部の選択的エッチングは極めて難しい。そこで著者は、マイクロピペット先端からのコロナ放電とそれを利用した先端膜の除去法に着目し研究に取り組んできた。本報では、その方法と結果について報告する。
2.水素含有アモルファスカーボンのコーティング
2.1マイクロピペットへの金属コーティング
ガラスマイクロピペットをパイレックスガラス管(G-1,Narishige)からピペットプラー(PB-7,Narishige)を用いて作製した。ガラス管は事前にアセトンとアルコールにより超音波洗浄しておいた。マイクロピペット先鋭部先端の外径は1?m、内径0.5?m、全体の長さ50±2mmとした。次に、電極機能を付加させるため、専用のスパッタ装置により、マイクロピペット外側表面にニッケルを厚さ約50nmで堆積させた(図la)。ニッケルはガラスとの密着性が比較的良く、次に堆積させるa-C:H膜との相性も良好である。
2.2 PECVD法によるa-C:H膜のコーティング
PECVD法はサンフ゜ル形状の制限が他の方法、例えば、スパッタリング、蒸着、アークイオンプレーティングより少なく、マイクロピペット電極に関しても均質な膜が形成できる2)。真空チャンバヘソースガスとしてCH4を流量10.Osccmで送り圧力25Paとした。チャンバ内には、共に直径が90mmのアノード円板電極とカソード円板電極を30mmの間隔で平行に設置した。カソード円板電極をRF(13.56MHz)電源と容量結合させ、電極間にメタンプラズマを形成し、バイアス電圧一40Vで維持した。カソード円板電極からシース厚さに対応する10mmの位置に、12本のNi一マイクロピペットを放射状に並べた。それらはすべて高電圧パルス発生器(PG-IKIO, Pulse Electronic Engineering)と繋がっており、100Hz、Duty 10%で一900Vもしくは一450Vが印加された。堆積時間は240minもしくは120minとし、240 minの場合、a-C:Hの膜厚は約1?mとなった(図1b)。
2.3 a-C:H膜の評価
堆積したa-C:H膜の特性は、炭素結合状態(sp2andsp3)と水素含有率に強く依存するが、これらはプラズマ強度やパルス電圧といった成膜条件の変更である程度制御することができる。仮にパルス電圧を印加しない場合、すなわち低バイアス電圧のプラズマ中にサンプルが置かれた状況では、diamond-likeよりむしろpolymer-likeな膜となる12)-14)。両者とも電気抵抗率は高いが、polymer-like a-C:Hは相対的に透明、柔軟、そしてpinhole-freeという特徴を有する15)。つまり、今回のパルス電圧印加により、polymer-like膜とパルス時のsp3-rich且つless-hydrogenのa-C:H膜が積層した構造になっていると推測される。実際、パルス印加で作製された膜はパルスなしの(polymer-like)膜よりも不透明となった。恐らく、硬度についてもパルス印加した膜の方が大きいと考えられる。尚、パルスではなく連続的に高電圧を印加した場合、膜にはクラックや剥離が生じた。これは膜成長時の内部ひずみが緩和されないためと考えられる。加えて、温度上昇による膜の変性が顕著となる。a-C:H膜の電気抵抗率は、薄膜抵抗測定法2)によって測定した結果、3.1×1012~1.1×1014Ωm(n=9)が得られた。電気絶縁体として十分機能する膜が形成できたといえる。尚、PECVDにおけるパルス電圧の違いと抵抗率の有意な関係はなかった。
3.コロナ放電による先端a-C:H膜の除去
3.1方法
図2に示すように、a-C:Hコーティングされたマイクロピペット電極を対向円板電極(直径40mm)から8~13mm離れた位置に固定した。このようなニードルと平板の位置関係はコロナ放電において最も典型的な配置で、理論的および実験的な研究も数多い16)-18)。マイクロピペット躯幹側末端の端子部(Ni面が露出している)を過電流抑制のための1MΩの抵抗を介してDC高電圧電源(model248,Keithley)に接続した。電源出力は0.8kVから5.Os毎に+10Vずつステップ状に3.OkVまで上昇させた。
放電電流は電流計(model 617, Keithley)によって記録した(図2の記号pA)。初期の実験では、500 MHzデジタルオシロスコーフ゜を、放電時の電流パルスを検出するために使用した。電流測定のための抵抗値(l MΩ)は、オシロの入力最大値(2A、100V)によって決めたが、これはオシロによる電流検出値がlnA以上であることを意味する。作動電圧90VのArresterによりサージ電圧から電流計とオシロを保護した。放電デバイスは暗室の中に置かれ、放電時の発光をデジタル顕微鏡(VH-5500,Keyence)により撮影した。実験は大気中で行い、気温、気圧、および相対湿度はそれぞれ17-26℃、102-ll7kPa、および42-58%の範囲であった。コロナ放電後のマイクロピペット電極をscanning electron microscope(SEM)により観察した。
3.2結果
図3は、電圧上昇に伴うマイクロピペット電極からの放電電流の時間変化である。図中のプロットaとbは同一のマイクロピペット電極の結果であるが、プロットbは2回目すなわちaの後に同じ実験を行った時の結果である。縦軸の電流は対数表記である。プロットaでは、300s(1.4kV)まで電流はノイズレベル(~lpA)以下であった。尚、電流スパイクの連なりが観察されるが、これは電圧のステップ変化時の急激な上昇によるものである。1.4~1.5kVの領域では、不規則な電流が観察され、徐々にnAレベルまで上昇した。デジタルオシロスコープの測定信号は1nA以下の不規則な電流パルスの存在を示していた。これらの電流パルスは、onset streamersもしくはburst-pulse streamersと呼ばれる一連の電子なだれに相当すると考えられる17)。1.5kVでは電流は1×10-7Aに跳ね上がり、続いて安定且っ線形的に1?Aに向かって上昇する。この安定状態はquasi-steady currentで特徴づけられるグローコロナモード16)'17)を示している。図4は1.8kV時のマイクロピペット電極先端のグローコロナの発光写真である。数μmサイズの微小なグローコロナが先端部を覆っていることが観察された。今回の印加電圧の範囲(≦3.OkV)では、スパークは起きなかった。図3のプロットbのプロファイルはプロットaと大きく異なる。800Vでプロットbの電流はすでに1×10-llAを超えている。安定した電流上昇が250sの1.3kV以降に観察され、最終的にはフ゜ロットaと同じ値になる。2つのプロファイルの違いはa-C:H膜が放電の抵抗として機能し、1回目の放電実験(プロットa)の最後には先端膜が消失した状態になっていたことを示唆している。実際、プロットbの電流プロファイルはa-C:Hコーティング前のNi一マイクロピペットの結果と同様である。さらに考察すれば、プロットaにおける1.5kV付近の電流ジャンプとa-C:H膜の破壊は何らかの関係があることが示唆される。
次に、電流ジャンプが含まれる1500Vから2500Vの問の数点で電圧印加を停止し、それぞれのa-C:H膜の状態をSEMで観察した。図5は停止電圧がそれぞれ1840V(a)、1850V(b)、1920V(c)、および2260V(d)の4本のマイクロピペット電極の電流履歴である。図6は図5に対応したそれら4本のSEM像である。図6aでは、a-C:H膜は多少の不規則なパルス放電を経験したと考えられるが、大きな損傷は認められない。。一方、安定状態(~1?A)への移行直後に停止した図6bからは、a-C:H膜が先端から約8?m除去されたことが分かる。そして、電圧上昇と共に除去領域は躯幹部に向かって拡大していく(図6c・6d)。この境界の移動はデジタル顕微鏡でリアルタイムに観察することができた。膜の境界面は非常に平滑であり、目立った突出部や窪みは観察されなかった(図6e)。最終的には、膜は先端から約40?mの位置まで失われ、境界部も平坦化した(図6d)。電極間隔は、今回設定した範囲においては、開始電圧に有意な差をもたらさなかった(図7)。ここで、開始電圧とは電流が初めて1.0×lr7Aに到達した時点の電圧として定義した。図7はまたPECVDの成膜条件にも開始電圧は左右されないことを示している。特に、開始電圧と膜厚さ(成膜時間が120minと240min)の間に有意な相間がないことが示された。a-C:H膜の構造の違い(パルス電圧一900Vと一450V)についても、開始電圧には影響がなかった。また、大気条件も影響を及ぼさないことを確認した。
4.考察
実験結果は、直流コロナ放電がマイクロピペット電極先端のa-C:H膜の除去に有用であることを示した。現時点で膜除去のメカニズムを厳密に説明することはできないが、実験結果や文献を手掛かりに推察することはできる。先ず、SEM像から、?Aレベルへの電流ジャンプの前、すなわち安定したコロナモード(グローコロナ)へ移行するまでは、膜は初期状態を保つことが分かる(図6a・6b)。別の見方をすれば、burst-pulse streamersは膜に明確な損傷を与えない(ただし、判別できない小さなクラックやホールが発生しているかもしれないが)。最初の膜消失の形態は、帯電した膜の先端部分が電界中へblast-offするようなものかもしれない。それは強いburst-pulse streamerと同時に生じるとも推測される。
図6bよりもさらに小さな除去面積(理想的には先端断面のみ)の実現を目指し、開始電圧付近で放電を停止させることを試みた。しかし、結果的には図6bと同様の、すなわち先端から6-10?m領域の膜除去面積しか得られなかった。初期の膜制御におけるこのような限界(ある意味では安定性)は、除去メカニズムに起因した本質的な現象かもしれない。最も強い電界が形成されている先端において、膜の一部が即時的且つ断片的に飛び出すことが想像される。しかし、我々の試行は検証の一部であり、除去面積をこれ以上小さくできる可能性を否定するものではない。より精密な印加電圧の制御などで実現できる可能性もあり、今後の課題とする。
初期除去の後、除去面積は軸方向に拡大し、ある距離で収束しているように見える(図6c・6d)。この事実には先端からの距離が明らかに関係しており、以下の2つの直接的要因があると考えられる。一つは電界強度の効果である。帯電したa-C:H膜の微細な一部が絶え間なく電界中へ放出しているとすれば、これは特に凸部で顕著と考えられ、境界面が平滑化する効果を説明する。平滑化の進行および先端から離れることで電界効果が弱まり、膜除去の進行はある時点で停止する。もう一つは熱の効果である。a-C:H膜は熱酸化によって変性することが知られる19)-22)。膜質にも因るが、大気中で初期変性は500K程度から観察され、約670Kでは著しく変化することが報告されている15)。C-H振動スペクトルが873Kまでの加熱でほとんど消失したという報告もある20)。Haasz et al. 21)は、473Kの酸素暴露条件で,poly-mer-likea-C:D膜(Dは重水素)からCとDがD20、CO2、およびCOガスの形態で放出されることを報告している。Maruyama et al.の研究22)では、polymer-like a-C:D膜が大気中で500K以上で加熱された場合、膜厚とCとDの面密度が減少することが示され、さらにCとDの初期原子損失率がイオンビーム分析により求められた。一般に、熱酸化によるa-C:H膜の変性は収縮を伴い、結果として膜の搬、クラック、剥離などが観察される。ただし、これらの現象は有限サイズの平基板で観察されたものである。一方、本研究では円筒形状の(円周方向に境界を有しない)膜である故に、仮に変性が生じても、搬、クラック、剥離などが現れ難いのかもしれない。加えて、エッジ部の膜厚の減少は熱酸化の特徴と一致しているため、熱酸化の効果を考察すべきである。
熱酸化に関しては、温度が鍵となる。温度上昇の要因として考えられるのは、放電電流によるジュール熱とプラズマからの熱伝導である。そこで、ジュール熱による上昇温度△Tを推定してみる。長さ1?m、厚さ50nm、直径の1?m、抵抗率6.9×10-4Ωm(bulkの値)の円筒形のニッケル層を電流が1?Aで流れた時、ニッケル層全体の発熱量は4.4×10-9Wと計算される。熱平衡を仮定すれば、発熱量は大気中への放熱量(Ah△T)と等しくなる。ここで、Aは表面積、hは熱伝達率である。A-3.92?m(円筒の側面と上端面)とh-5.OW/(m2・K)を用いると、△T-220Kが得られた。ここで注意すべきは、選択された物性値の関係上、温度は低く見積もられた可能性があることである。例えば、薄膜のニッケルの抵抗率は、今回のbulkの値よりも高いはずである。いずれにしても、ジュール熱によって先端温度が数百Kになる可能性が示された。他方、プラズマ自体の温度を予測するのは容易ではない。Stoffelsetal.18)は、数種類のガス雰囲気での金属針先端のグローコロナ(ただし、本研究より相当大きいsub-mmサイズ)の発光スペクトルを分析し、回転温度は高くても数百K、電子温度は0.2-0.3eVであることを提示した。さらに、プラズマの実温度が熱バランスの結果として低い(触れられるほど)ことを示した。この報告を踏まえると、我々の場合でも、プラズマ温度は予想以上に低いのかもしれない。しかし、先端の温度上昇にいくらかは寄与しているのは疑いの余地はなく、温度上昇は複合的要因による結果と考えるべきであろう。
コロナ放電プロセスは印加電圧の極性に依存する。負コロナであれば、初期の放電はburst pulseではなくTrichel pulseである16)'17)。本実験では(示さなかったが)、正と負の放電で、電圧電流プロファイルや膜除去に関して差はみられなかった。この事実は上述した膜除去のメカニズムと矛盾してはいない。つまり、帯電膜の電界中への脱離、そして熱酸化は負の放電でも同様に起きうる現象である。
開始電圧は電極間隔、膜厚、そして湿度などの外界条件に影響されるという予想に反し、本実験の範囲においては、有意なデータが得られなかった。膜厚差は開始電圧に影響を与えるほどの大きさではなかったのかもしれないし、膜の初期除去のメカニズムが様々なパラメータの差を打ち消すぐらい閾値が安定しているのかもしれない。むしろ、測定データは開始電圧がマイクロピペット電極間で差があることを示したが、これは各々の形状や表面状態の差に起因すると考えられる。ただし、開始電圧の差は深刻な問題ではない。電極間で電圧電流プロファイルは類似しており、?Aへの電流ジャンプは必ず起こるため、グローコロナへの移行のタイミングを実際上見逃すことはない。マイクロピペット電極を簡便且つ確実に作製する上で、この点は非常に有益である。尚、この方法はマイクロピペット電極に限らず他の針型電極でも有用であることは明らかである。先端径もしくは曲率が多少異なったとしても、開始電圧が観察されグローコロナが発生すると期待できる。
5.まとめ
細胞内イオン濃度の変化や膜受容時の細胞の電位変化を調べるためには、インジェクションと電位計測を同時に行えるデバイスが求められており、本研究では、両機能を有するマイクロピペット電極の作製に取り組んだ。マイクロピペット電極は、ガラスマイクロピペットにニッケル、続いて電気絶縁膜としてのa-C:Hをコーティングすることで作製される。しかし、作製過程において最大の課題は、電気絶縁膜の先端部での局所的除去である。これは、電極すなわち金属面を露出させる目的とインジェクション用の先端穴を確保する目的である。本研究では、コロナ放電を利用したa-C:H膜除去法を提案し、その有効性を調査した。大気中で、a-C:H膜がコーティングされたマイクロピペット電極に直流電圧を印加し、その電圧を徐々に上げていくと、安定したグローコロナモードに移行する。その際、1.5-2.OkVにおいて?Aレベルへの電流ジャンプが観察され、同時に膜が除去された。除去される領域は先端から6-10?mと毎回安定した数値が得られたが、実際の測定で許容される電極露出面積であるかは、細胞計測と併せて今後調べていく必要がある。