2001年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第15号

糖尿病治療のための自律型微小インスリン注入システムの研究

研究責任者

長倉 俊明

所属:鈴鹿医療科学技術大学 医用工学部 医用電子工学科 助教授

共同研究者

石原 謙

所属:愛媛大学 医学部 医療情報部 教授

共同研究者

山下 馨

所属:大阪大学大学院 基礎工学研究科 助手

共同研究者

桝田 晃司

所属:愛媛大学 医学部 医療情報部 助手

共同研究者

大江 洋介

所属:国立大阪病院 臨床研究部 医師

概要

1.はじめに
糖尿病は、日本では潜在的な患者も含めると全体で1000万人いるといわれ、高血圧とともに罹患者最大の成人病で増加の一途をたどっている。しかし不治の病である糖尿病は、引き起こされる合併症がその予後を左右し、失明に至る糖尿病性網膜症の第1位の原因疾患である。発症後より進行する腎障害は10年で25%の患者に腎不全を合併し、人工透析患者の30%を占め、人工透析の第1位の原因疾患である。さらに人工透析に関連する医療費は全医療費の1/3を占め、莫大な社会費用を費やしている。
しかし糖尿病患者の血糖をコントロールする決定的な治療法がなく、専門医の経験による1日2~3回のインスリン補充療法が現状である。経口糖尿病薬、インスリン注射治療だけでは、合併症を防ぐことはできず、強化インスリン療法(厳密な血糖コントロール)を行えば、その進行を抑制できるといわれている。
また死因別死亡率の1/3を占めている動脈硬化関連の疾患も糖尿病の関与が著しい。そこで厳密な血糖コントロールを試みることは重要であるが、低血糖発作の危険を避け得ない。さらには強化インスリン療法には患者本人が十分な知識と忍耐を要し、現実には困難をきわめ、血糖値をモニターできれば安全であるが、実用的デバイスは存在せず、唯一の手段である強化インスリン療法には肝心の技術が未成熟である。これを防ぐためには厳密な血糖管理が必要でこの治療用のデバイスが待ち望まれている。
糖尿病治療薬の投与量は、食事摂取量と血糖変動に応じて、厳密に決定されなければならないために、血糖やインスリンの連続測定とコンピュータ制御による人工膵臓が、1980年代から開発されているが、小型化による携行型の開発も普及には至っていない。一方、マイクロカ
プセルに,3細胞(インスリン分泌細胞)を封入したハイブリッド人工膵臓も、開発段階にあるものの免疫系の問題などで、実用化への距離は大きい。またグルコース感受性高分子を応用したインテリジェント人工膵臓やDDS(Drug Derivery System)を目指す研究も同様の足踏み段階にある。
2.目的
そこで我々は、これらの糖尿病デバイスの問題を解消するために、現実的手段として、エネルギーの供給と制御系のいらない物理的要素のみで構成し、グルコース濃度差による溶媒の移動で体積変化を起こす機構によって、インスリン供給用の微小バルブを研究してきている1)。このシステムに光造形法を導入し微細加工が容易となりシステムの微小化はかなり前進し、同様に精度も著しく向上した。そのおかげで微小化の利点が明らかとなり、それを定量的に確認し実用化デバイスへと発展させる。
3.原理
浸透圧駆動の基本原理は浸透圧による溶媒の移動による体積変化を利用したアクチュエタである。体積変化の原理は、水分子を自由に通過させるが、一方で溶質は通過させない透過膜を半透膜と呼び、この半透膜によって異なる濃度の水溶液が仕切られた場合に、水分子の拡散等の輸送現象が起こり、溶媒である水分子は高濃度の水溶液へ移動する。
より一般性を持たせて透過性膜に仕切られた濃度の異なる2つの溶液が存在する時に、物質輸送の方程式は以下の(1),(2)式とVan t'Hoffの式として知られている(3)式で表される。
よってJv体積流とJs溶質流のいずれも静水圧力勾配△Pと濃度勾配△Cだけで表される。また生理学的にヒトの浸透圧πは以下の式で表すことができる。
ここでNaはナトリウムイオンの濃度(mEq/1)、BSは血中グルコース濃度(mg!dl)、BUNは血中尿窒素濃度(mg!dl)を表す。さらにヒトの各パラメタの正常値を下記に示す。
Na濃度の単位はmEq/1で、これはmmol/1に相当する。またVant'Hoffの式から濃度が圧力に換算でき、37℃において、ヒトの浸透圧の正常値は300mOsmであるが、体温37℃で圧力の単位に換算すると約7.6atmに相当する。
しかし重要なのは、生体のホメオスタシスによって浸透圧πとNaの濃度は極めて厳密に制御されていることである。正常健常人ではこれらの値は一定と考えて良い。さらにBUNは低分子であるので、血管内皮細胞程度は自由に通過できる。そして我々の研究で重要なのは、糖尿病は、本来厳密に制御されるべき血糖制御が破錠した状態であるということである。
また透過膜が、どれくらい分子を通過させるかを決定させる因子は、分子量と透過膜の微細孔の大きさとの関係である。この原理を医用に応用したのが人工透析である。我々はグルコースの分子量程度を通過させない透過膜によって、血糖値濃度の変化によって、生じる水溶液移動による体積変化に注目した。
さらにこの体積変化による機械的運動で血糖値を低下させる唯一のホルモンであるインスリンを注入できれば、血糖値を低下させるシステムとすることができる。すなわち血糖値の上昇に応じてインスリンを注入し、その量に応じて血糖値が低下する。そして血糖値が低下すれば、体積変化の停止や逆向きの体積変化が起こり、インスリンの注入を停止するシステムとすることができる。
このように我々は、半透膜によって仕切られた濃度の異なる水溶液によって溶媒の移動が起こり、体積変化を機械的運動に変換するシステムを検討している2)。そしてこのシステムを糖尿病に応用すれば、血糖値変化によって体積変化を起こし、インスリンを注入するシステムとすることができ、血糖降下後にはインスリンの注入を自動的に停止するシステムとすることもできる。
4.方法
研究の開始には、現在最も微細加工に実績のあるシリコン基板を用いて、異方性エッチングにより複数のシリコン基板から流路を形成し、可動部ダイアフラム弁がシリコーンゴムで、透過膜が最外部に接着された浸透圧駆動バルブを作成した。
しかしこの方法は2次元的構造作製には適しているが、3次元構造には困難な場合が多い。シリコン基板を重ね合わせ3次元構造を作製することはできた。しかし2次元平面の積み重ねのため自由な形状が選択できないだけでなく、接合面の接着や薬液ルートとの結合の問題が残された3)。
さらに複数のシリコン基板を用いる方法は、本研究に絶対条件である密閉性を確保することが容易ではないため別の方法を模索した。そしてシリコン基板加工より自由に3次元構造を作製することが可能な光造形法によるバルブ設計に変更した。この方法は一層がlumと極めて薄い2次元的な光硬化樹脂を積層させ、3次元的構造を自由に作ることができる。さらに樹脂の選択で構造体の硬度も調節できる利点を持つため、この方法を採用した。
5.光造形法の原理
光重合分子に紫外レーザを照射すると光の照射部位が硬化する。そこで予め構造のデータをCADで入力しておけば、そのデータによる紫外レーザ走査を行い照射部位だけが硬化し、2次元構造を持った薄膜ができあがる。さらに走査を垂直方法にずらし、その上に同様の操作によって3次元的な構造を作ることができる。
この液状光硬化樹脂を高出力のレーザーで硬化させる光造形法により、精度1μmで大きさが10mm以下の複雑な3次元構造を作製する。我々の作製した浸透圧バルブは、ダイアフラム型で、その可動膜にはラテックス系薄膜(膜厚20μm)を用いた。グルコース水溶液から水分子を通過させる透過膜にはセルロース系薄膜(乾燥膜厚20μm)を用いた。図3にCADにて入力した浸透圧バルブの全体像を示す。
6.結果
6.1浸透圧バルブのダイアフラムの弾性特性
これまでにも光造形法により、浸透圧バルブを作製してきたが、データの蓄積によりさらに小さな浸透圧バルブを作製することができるようになった。
またこの作製した浸透圧バルブの性能の評価を行うため、図4に示す測定系にてダイアフラムの変位を、グルコース濃度を変化させて計測した。測定はキーエンス社のレーザ変位計LC2440(精度0」μm)を用いて計測した3)4)
この計測によって小型化された浸透圧バルブの濃度に対するダイアフラムの変位量は図5に示すような検量線を示した。この結果これまでの浸透圧バルブよりもグルコース濃度に対する力学特性が向上していることが分かった。
6.2浸透圧バルブのサイズによる効果を検証
浸透圧バルブのサイズによる弾性特性の違いを比較するために、外径が10mmx10mmx10mmと6mmx6mmx3.2mmの浸透圧バルブを作製し、サイズの違いによる、グルコース濃度変化に対する弾性膜の変位を比較した。(図6参照)
グルコース濃度が600(mg/mg)における大小の浸透圧バルブのダイアフラム膜変位を比較すると図7のようになった。この結果から浸透圧バルブ内部体積が約1/10になったがダイアフラム膜変位は、高速な応答と約10倍の大変位を示し性能は向上していることがわかった4)5)6)。
6.3グルコース濃度変化に対する検証
グルコース糖濃度上昇時ばかりではなく、低下時にもダイアフラム膜の変位は、図8のようになり、連続使用が可能であることが分かった。
6.4浸透圧バルブの流量特性計測
実際の医療応用を考えた時、薬液の注入量が重要である。そこでダイアフラム弁によって開閉される浸透圧バルブによって制御される流量を検討した。計測は図9に示すように5cmH2Oの静水圧の下で、グルコース濃度によって変化する流量を計測した。
流量特性実験の結果から各グルコース濃度における流量は図10に示すようにダイアフラム弁が開いてから約5分以内に一定の値で安定することが分かった。
糖尿病患者がインスリンの自己注射をする一回量は一般に0.lml程度であるので、この流量特性の結果からグルコース濃度600mg/dlの時を考えると、5分間の積算流量は0.3mlであり、臨床上十分な量であることが確認された。
7.結論
内部体積を10mmX10mmX10xmmの176mm3から6mmX6mmX2.4mmにおける19.6mm3と体積を90%減少させることができた。また浸透圧バルブの微小化によってダイアフラム膜は、グルコース濃度600mg/dlにおいて最大変位量13μmから130μm変位する効果があった。さらに従来の浸透圧バルブは最大変位まで15分以上要したが、微小化によって約5分で到達し応答性も向上した。
またグルコース濃度を繰り返して変化させた場合、浸透圧バルブは、その変化に応じて開閉を繰り返すことが確かめられた。そして流量特性計測より、生体にて変化する範囲のグルコースの濃度にて、分時流量は臨床応用に向けて十分な流量であった。
8.まとめ
グルコース溶液による膜変位を計測した結果、微小なものほど、高速でかつ大変位しバルブ開閉の特性が向上することが分かった。この結果から本研究に用いた浸透圧バルブは、インスリンの補充治療に十分な特性を持つことが分かった。小型化による応答性の向上は浸透圧による流体の移動現象を考えると容易に理解できる。微小化は性能のみならず、臨床応用を考えた時、侵襲度の軽減と装着による不快感はさらに軽減すると考え、小型化は今後も検討していきたい。
また今後電子工学と本研究を結びつけるために、半導体シリコン基板状に浸透圧バルブを形成し、電気的に運用可能にするために光造形法によるマイクロ電磁弁の試作も行った。(図ll参照)このように電気デバイスとの融合も今後の課題としたい。