2013年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第27号

神経組織からの情報伝達分子の放出分布を観測する近接光励起デバイスの開発

研究責任者

吉田 祥子

所属:豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 環境・生命工学系 講師

共同研究者

穂積 直裕

所属:豊橋技術科学大学 電気電了情報工学系 教授

共同研究者

杉山 憲嗣

所属:浜松医科大学 医学部 脳神経外科講座 准教授

共同研究者

関野 祐子

所属:国立医薬品食品衛生研究所 薬理部 部長

共同研究者

福田 敦夫

所属:浜松医科大学 医学部 生理学講座 教授

概要

1.はじめに
大きく秩序だった層構造を持つ大脳・小脳は、高等脊椎動物に特徴的な神経系である。 これらの神経回路の形成と機能には、各種の神経伝達物質の濃度変化パターンが重要である。 脳形成の研究によく用いられるほ乳類の小脳は、深い脳溝によって大脳に匹敵する広大な表面積をもち、5種の神経細胞が一定の様式で層状に配列した小脳皮質を形成している。 小脳の発生過程では、神経伝達物質のy一アミノ酪酸(GABA)を放出する4種の神経細胞、プルキンエ細胞、ゴルジ細胞、バスケット細胞、星状細胞が脳室帯(ventricular zone)で発生し1)、小脳板表面に順次整列する。 神経伝達物質グルタミン酸を放出する神経細胞は穎粒細胞のみで、胎生期の菱脳唇で発生して未分化な状態で小脳板表面に遊走し、小脳皮質の最表面に未分化細胞の層である外頼粒層(external granular layer; EGL)を形成する。 これらの神経細胞の発生には、いくつかの特異的な遺伝子の発現が必要であることが示唆されている2)。 神経伝達物質は、これらの遺伝子発現に大きく影響を与えるが、脳形成初期には神経細胞自身が未分化であるため、神経細胞以外の細胞から情報伝達分子が放出されることが示唆されていた。 出生時のラット・マウスの小脳は、外穎粒層と未発達のプルキンエ細胞層(Purkinje cell layer; PL)から構成されるが、生後約2週間かけて頼粒細胞が分裂・分化しプルキンエ細胞下に遊走して内穎粒層(internal granular layer; IGL)を形成、同時にプルキンエ細胞は樹状突起を伸長させ、穎粒細胞および脳室帯から遊走してくるゴルジ細胞、バスケット細胞、星状細胞と神経回路を構成して皮質表面に分子層(molecular layer; ML)を形成し、成熟した小脳の3層構造をかたち作る3)(図1)。 神経細胞の層構造形成は、神経間のシナプス形成、および小脳の機能発達にも大きな影響をもつことが、小脳形成の変異動物を用いた研究から明らかにされている。 本研究では、神経回路の構造的秩序と機能に関わる神経伝達物質の時空間分布を可視化するデバイスの開発を通じて、情報伝達分子の機能と制御を検討した。
2.1神経発生におけるGABAの酵素光学法による可視化実験
GABAは脳の主要な抑制性神経伝達物質であり、また幼弱な神経や損傷した神経では興奮性の伝達物質として働く(GABA興奮)。 GABA受容体の阻害剤を用いた研究から、神経発生過程でGABAが増殖刺激や神経細胞の遊走制御、神経細胞の成熟促進などの多様な働きを持つことが示唆されている4)。 小脳発生においてもGABAが重要な分子であることが示唆されていたが、出生直後の小脳ではGABA作動性神経細胞は未発達で、穎粒細胞が増殖・分化する外穎粒層にはほとんど分布していない。 神経伝達物質の放出量変化を調べる方法であるマイクロダイアリシスと高速液体クロマトグラフィには空間的な情報が大きく欠落しており、伝達物資を受け取る受容体タンパク質の発現、またはmRNA転写の観察では時間的情報が大きく制限される。 発達期の神経回路を創出する物質的ダイナミズムを観察するには、情報分子の空間分布と時間変化を可視化する必要がある。
そこで我々は、伝達物質GABAやグルタミン酸の放出分布と時間変化を可視化するために新規光学デバイスを開発した(図2)。 本デバイスは、①酸化還元酵素を用いた伝達物質放出の蛍光観察、②UV-LED光源を用い、ガラス導波路表面からの励起によって自家蛍光と組織障害を軽減、③シラン化剤による酵素のガラス表面固定化、を特徴とする5]。 薄切した小脳組織を十分な酸素供給の後ガラス基板上に載せ、組織と基板の界面に放出されたGABAおよびグルタミン酸は、GABA分解酵素およびグルタミン酸脱水素酵素の酵素反応により化学量論的に還元型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(リン酸)(NAD(P)H)を生成する。 これを360nmで励起し480nmの蛍光を発生させ,放出分子の分布を観察する。 基質選択性の高い酵素反応を用いるため、放出される伝達物質に特異的に反応して蛍光を発する(特徴①)一方、NAD(P)Hは細胞内に普遍的に存在する分子であるため、励起光により細胞内から自家蛍光が発生する。 そこで励起光源にガラス導波路を用い、表面からごく浅い範囲に励起光を照射することとした(特徴②)。 さらにシラン化剤により酵素をガラス表面に固定化する(特徴③)ことで、簡易なバイオデバイスを構成した。
2.2実験結果:発達期小脳で放出されるGABAとその由来
発生過程の小脳皮質からのGABA放出を観察したところ,出生直後の外穎粒層からのGABA放出が観察された。 この層にはGABA作動性神経細胞が殆ど分布しておらず、非神経性のGABA放出であることが示唆された。 外穎粒層からのGABA放出は生後1週間程度続き、バスケット細胞・星状細胞が分布して神経性のGABA放出が始まると消失することが観察された6](図3a-d)。 外穎粒層ではGABAの持続性電流も観察された。 これらのGABAは頼粒細胞分裂を促進すると考えられた7]。
小胞性GABAトランスポーター(VGAT)遺伝子改変動物の観察8]から、発達期の小脳皮質でグリア細胞の一種であるアストロサイトがGABAの放出と制御を行っていることが示唆された。 さらに小脳以外の脳発生過程でも、伝達物質観察デバイスを用いることで、グリア細胞からのGABA放出が脳発生に寄与することが観察された9]。 そこで小脳皮質から単離した培養アストロサイトを観察したところ、培養初期の細胞からGABA放出が観察された(図3e-f)。 これらはGABA合成酵素(GAD)を発現しており、発達期の小脳アストロサイトは神経細胞非存在でGABAを合成し放出していることが示唆された10]。 GABAの放出は培養日齢とともに減少し、同時にGAD、VGATの発現も急激に減少した。
アストロサイトは従来神経細胞をサポートする非神経細胞ととらえられてきたが,近年神経伝達物質の取り込みおよび再放出によって、神経回路の「雰囲気」を作り、情報処理に直接作用することが知られてきた。 特に発生期の脳組織では、アストロサイトが未分化の神経細胞の機能を代替することが知られている。 我々は発生初期の小脳外穎粒層で、GABAが未分化の穎粒細胞からグルタミン酸放出を誘発することを観察している。 未分化の培養穎粒細胞が細胞内リン酸化によってグルタミン酸を放出することは知られていたが、生体内ではアストロサイト由来のGABAによって穎粒細胞の増殖刺激とグルタミン酸放出に至る分化誘導が引き起こされることが示唆された。
2.3脳機能への影響
近年、妊娠期に投与された抗てんかん薬が、こどもの基質障害・自閉症を引き起こすのではないかと指摘されている。 原因となる医薬品はいくつか挙げられているが、高次の機能障害である自閉症を動物実験で再現することは難しく、安全性を確認することが困難である。 本デバイスを用い、妊娠期に抗てんかん薬バルプロ酸を服用させたラットの仔小脳のGABA放出を観察されたところ、正常動物と著しく異なったGABA放出パターンが観察された。 バルプロ酸の影響は生後1ヶ月頃まで続いた。 これを利用し、医薬品の高次機能障害リスクスクリーニングのための試験法を、現在開発している。
また、パーキンソン病モデル動物の脳幹部からのGABA放出を観測したところ、著しい放出量の低下が観察されたが、薬物的な刺激によってGABA放出のパターンが正常動物に近くなることが見られた。 これはパーキンソン病の脳深部刺激療法を模したものであり、より効果的な治療法の開発につながると期待される。
3.1アストロサイトからのATP放出の可視化デバイス開発
神経細胞間のシナプス形成や樹上突起発達に対し、アストロサイトはどのような寄与を示すのだろうか。 アストロサイトの代表的な伝達物質ATPは痛覚や炎症の情報分子として知られており、発達期の小脳では、プルキンエ細胞と穎粒細胞のシナプス形成と、プルキンエ細胞樹上突起の発達に関与することが知られている11]。 ATPは通常ルシフェリンールシフェラーゼ発光反応(L-L反応)によって測定されるが、この反応は高感度だが光量が少なく、ATP放出の空間分布・時間変化をCCDで測定することが困難だった。 そこで、ATP要求性の酸化還元酵素反応であるグリセルアルデヒド3一リン酸脱水素酵素(GADPH)を用い、100pMのグルタミン酸刺激によって放出されるATPを、酵素反応で化学量論的に発生するNADHによって可視化することを試みた。
3.2実験結果:アストロサイトから放出されるATPとその制御
観察の結果、生後8日の小脳組織ではほとんどATP放出が見られないが、生後10日の小脳では急激なATP放出の増加が見られた(図4c)。 ATP放出はグルタミン酸刺激から約50sec後にゆっくりと上昇し、従来のL-L反応の結果と一致していた。 各種のグルタミン酸受容体アゴニストで刺激したところ、刺激される受容体サブタイプによってATP放出部位が異なることが見られ,アストロサイトが直接グルタミン酸刺激を受けるだけでなく、神経細胞の刺激を増幅・制御してATPを放出していることが示唆された12]。
アストロサイトからの小脳発生に関わる情報分子を図5に示す。 出生直後の小脳ではGABA作動1生神経細胞が未発達であるため、アストロサイトは神経細胞の代替としてGABAを放出し、穎粒細胞の増殖を促していると考えられる。 さらに分化が進むと、穎粒細胞からグルタミン酸の放出を促し、同時にアストロサイトからのGABA放出は急激に消失する。 代わりにグルタミン酸刺激によりATPを放出し、プルキンエ細胞と穎粒細胞のシナプス形成を誘導すると考えられる。 神経回路は、記憶することに見られるようにきわめて可塑性の高い組織である。 これまで神経回路の秩序形成は、神経相互間の自己組織化から遺伝子発現による決定論的な形成まで様々の仮説で説明され、データの蓄積がなされてきた。 そのなかでアストロサイトは、神経細胞が遊走する足場として、あるいは伝達物質やイオン環境の調整役として、「重要だがぼんやりした存在」と捉えられることが多かった。 しかし脳皮質内で大きく広がり、細胞間の結合によって広い範囲の物質環境を制御するアストロサイトは、神経回路の発達過程で積極的に神経細胞を刺激し、構造的な秩序を作り出している。 神経細胞との相互作用によりアストロサイト自身も分化し、機能を変化させながら、神経回路の機能発現にも関わっていることが示唆される。
4.まとめ
自分が知りたい情報を得る手段があるとは限らない。 そういう情報を見たいがために神経科学者が自らデバイス開発を行い、その過程で多くの電子工学、医学、薬学の共同研究者の協力を得て、情報伝達分子の脳内ダイナミズムが可視化できるようになった。 現在このデバイスは、小脳発生研究の枠を超えてパーキンソン病の臨床研究やアルツハイマー症、網膜変性の基礎研究に、あるいは糖尿病の予防効果の研究へと利用が広がっている。 情報分子の可視化技術によって、神経細胞の生死を左右する脳の中のリズムを見ることが可能になり、神経回路の新しいルールが顕らかになることを期待している。