1997年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第11号

磁気刺激による生体機能測定に関する研究

研究責任者

上野 照剛

所属:東京大学 医学部 医用電子研究施設 教授

共同研究者

岩坂 正和

所属:東京大学大学院 医学系研究科 助手

概要

まえがき
本研究は,磁気刺激および強磁場を用いて生体機能を計測し,代謝機能および神経電気磁気現象に関する様々な生体情報を分子レベルから生体全体に至るまで解析して生体の生理機構の解明を計り,新しい診断・治療技術の確立を目指すものである。パルス磁場による脳神経磁気刺激に関し,8字コイルを用いた磁気刺激による皮質の機能局在推定,各種神経系疾患の機能検査法の開発,機能的磁気刺激法などに関する研究を行うことを目的とする。また,静磁場の医療応用として,静磁場による血流制御や血栓溶解法に関する基礎的な機構解明を行うことを目的とする。
本研究者は先に,ヒト大脳皮質を非侵襲的に刺激する方法として,逆方向磁場対を発生させ,大脳皮質内に電流を誘導することにより刺激を可能とする,いわゆる8字コイルによる局所的パルス磁気刺激方法を考案した。この磁気刺激法により,5mmの空間分解能でヒト大脳皮質を選択的に刺激することを可能とした。1-3)さらに,8字コイルにおける磁気刺激では刺激電流ベクトル制御が可能であることを用いて,脳神経刺激の際の刺激電流の方向に対する脳神経の興奮性について調べ,脳神経の構造と機能の構築について検討した。4・5)
本課題では,神経磁気刺激に関して,繰り返し周波数2~1kHzの連続磁気刺激装置を試作し,8字コイルを用いてヒトにおける長潜時応答に関する研究を行った。また,三角波磁場による連続磁気刺激時の神経興奮の閾値の変化,不応期に着目し神経興奮過程について計算機シミュレーションを行った。また,8字コイルを用いた肘における正中神経,尺骨神経を例にとり,コイルの向きとM波の振幅の関係を分析した。さらに,磁場による微小循環血流制御,血栓に対して磁気力を遠隔作用として与えることによる血栓溶解法の検討を行った。また,高勾配磁場で局所的な酸素濃度制御を行うことによる新たな医療技術の開発のための基礎研究を行った。
脳神経の磁気刺激
パルス磁場によって生体内に渦電流を誘起させ,これにより神経や筋を刺激する磁気刺激が最近注目されている。磁気刺激については1965年よりいくつかの刺激方法が開発され,基礎研究が積み重ねられてきたが,実用化をはばむ種々の問題があり,臨床に応用されるまでには至っていなかった。ところが,1985年Barkerらは,ヒトの頭の表面にドーナツ状のコイルを置き,このコイルに大電流を瞬間的に流し,1Tオーダのパルス磁場をつくることにより脳を刺激することに成功した。これを契機として,脳や末梢神経の磁気刺激に関する研究が盛んに行われるようになってきた。しかし,初期の磁気刺激では,標的のみを局所的に刺激することができず,いろいろと不都合であった。これに対して,8字コイルを用いた局所的磁気刺激法が本研究者により考案され大脳皮質の標的のみを5mm以内の分解能で刺激することが可能となった(図1)。
8字コイルに8字の筆順に沿って瞬間的に大電流を流せば,8字の交点の真下の標的をはさんで,変動的なパルス磁場が互いに逆方向に発生する。この逆直パルス磁場により,頭の中には,その磁場を減少させようとして渦電流が誘起される。この渦電流はコイルに流れる電流の方向とは逆方向に頭の中を流れ,従って,2つの渦状のループ電流が流れることになる。標的部分では2つの渦が強め合って,標的以外の部分に比べて2~3倍高い電流密度の電流が流れる。また,この方法では,二つの円の交点で円の接線方向に渦電流が流れるので,電流の方向を制御して刺激する,ベクトル刺激が可能である。
たとえば,右大脳皮質運動野の手の親指を司る部分を標的にして刺激すると,刺激後20~25ms後に,自分の意志とは無関係に左手の親指が動いてしまう。この場合,頭にかけるパルス磁場としては,各コイル面内の磁束密度が1Tオーダの強磁場を0.1~0.3ms程度の短時間かける訳であるが,刺激中も刺激後も何の痛みも伴わない。8字コイルを用いて,ヒト大脳皮質運動野の左右の足の母指ならびに小指外転筋および左手の母指,小指ならびに前腕の機能分布図を作成した。
本課題では末梢神経の磁気刺激に関し,8字コイルを用い,肘における磁気刺激実験を行った。8字コイルの交点直下の渦電流の向きを8方向に変化させて各神経を刺激し母指球筋(APB)から表面電極でM波を導出した。正中神経,尺骨神経刺激において刺激強度を0.32T,0.40T,0.64Tと変化させたが,8字コイルの向きによってM波の振幅が異なった。8字コイルの向きによってM波の振幅が異なることを明らかにできたが,その理由として,刺激によって活動電位が発生する部位が8字コイルの交点の直下でないこと,および,神経周囲の組織の導電率の不均一性などが考えられる。
連続磁気刺激による生体機能測定
本課題では,繰り返し周波数2~1kHzの連続磁気刺激装置を用いて,ヒト頸部刺激による長潜時誘発反応の測定を行った。
最初に,8字コイルによる単発パルス刺激を頸部に行い,母指球筋(APB)の筋電図(MEP)を5人の被験者について測定した。コイルの中心での磁場は0.9Tであった。次に,単発パルス刺激と同時に150msのパルス幅で,2-10Hz,最大磁場0.25Tの連続磁気刺激を正中神経に行う実験を行った。長潜時誘発反応は母指球筋の筋電図波形の変化により評価した。
単発パルス刺激時のMEPには潜時25-28msの反応と潜時332msの長潜時反応が見られた。2Hz,0.25Tの連続磁気刺激を正中神経に同時に行った。その結果,潜時332msから潜時430msへ長潜時反応の波形のピークがずれた。また,正中神経刺激を行った手と反対側の手からの反応は得られなかった。別の被験者において,連続磁気刺激の周波数を2Hzから6Hzに変化させて同様の実験を行った結果,単発パルス刺激時に長潜時反応が290msであったのに対し,2Hzで250ms,6Hzで275msに変化した。5人の被験者について測定した結果,長潜時誘発反応の潜時が変化する現象を明らかにした。
これらの結果は,脊髄か脳幹のレベルにおける多シナプスによる抑制が,連続磁気刺激によって増強された可能性を示唆していると考えられる。
また,三角波磁場による連続磁気刺激時の神経興奮の閾値の変化,不応期に着目し神経興奮過程について計算機シミュレーションを行った。
本研究で用いた神経軸索モデルは,Frankenhaeuser-Huxleyの有髄神経の等価電気回路モデルを参考にし,回路における定数はFitzHughおよびMcNealの定数を用いた。神経線維以外の媒質は無限均一導体と仮定した。刺激電流が神経線維に対して平行に流れる場合神経は容易に刺激されるという理由から,誘導電界の神経線維に平行な成分Enのみが刺激に関与するというモデルを用いた。
8字コイルは直径50mm,巻数30回とし,8字コイルの直下5皿皿の位置に神経線維が走行しているものとした。8字コイルに流す電流の立ち上がり時間T1を100μs,立ち下がり時間T2を100μs,パルス間隔T3を1.Omsに固定し,コイルに流す電流Icoilを変化させたときの神経興奮特性について検討した。
コイルに流す電流Icoilを変化させて神経の興奮特性を調べた結果,Icoilが205A以下では神経は興奮せず,206Aにすると初めて活動電位が発生した。しかし,このときは最初の刺激パルスでは神経は興奮せず,2発目のパルスにより興奮した。すなわち,周波数1kHzで連続的に刺激した場合の閾値はIcoil=206Aであった。一方,単発の刺激に対する神経興奮の閾値は214Aであった。
次に,パルス間隔1.0msで刺激したとき神経が1回興奮してから次に興奮するまで,どのくらいの時間を要するかに着目した。コイルに流す電流を上げていけば興奮時間間隔は短くなり,相対不応期,すなわち,神経が1回興奮した後に膜の興奮性が低下している期間においても,強い刺激を加えれば活動電位が発生した。本シミュレーションにおいて,活動電位発生中はいかに強い刺激に対しても神経は興奮しない,という絶対不応期は2msであった(図4)。
ここで用いた神経興奮モデルは,1)単一線維であり神経線維束でない。2)媒質の導伝率の不均一性を考慮していない。などの問題点があり,必ずしも厳密な神経興奮特性を模擬したものとはいえない。しかし,本研究において8字コイルを用いた連続磁気刺激に対する神経興奮の本質的なメカニズムに関しては,計算機シミュレーションによって解析を行うことができた。これにより,生理学的に知られている前置刺激による神経興奮の閾値の変化,刺激強度に対する興奮時間間隔の変化,絶対不応期を確認することができた。
磁気刺激の今後の課題として,機能的磁気刺激,標的磁気刺激のための神経興奮特性解析,磁気刺激および脳磁図計測による脳機能解明などが挙げられる。
静磁場下での生体反応計測
ここでは,生物個体に対する静磁場影響を検討した。まず,ショウジョウバエの二つの体細胞突然変異系に及ぼす磁場の遺伝的影響に関して,8T定常磁場と3.3mT変動磁場(20Hz)の影響を調べた。ショウジョウバエの二つの体細胞突然変異系を遺伝的に組み合わせた系を構築し,その幼虫を磁場に曝露した後,同一成虫個体で眼色および翅毛モザイク突然変異の両方を指標として磁場の遺伝的影響を調べた。強磁場として8T定常磁場,弱磁場として3.3mT変動磁場(20Hz)を用いた。
その結果,眼色モザイク突然変異において,突然変異頻度を8T定常磁場が1.8倍増加させる結果が得られた。しかし,3.3mTの弱い変動磁場(20Hz)では頻度増加が認められなかった。
また,微小循環系における血流に及ぼす強磁場影響を調べるため,in vivo微小循環を観察できるラット透明窓法を用いて生体顕微鏡ビデオシステムによる微小循環の観察を行った。8T定常磁場内で実験動物を静磁場に曝露し,その前後の微小循環血管径を計測した。8T定常磁場曝露前10分間の血管径をコントロール径とした場合,14例中9例において磁場曝露後に10%以上の血管拡張が見られた。
酵素反応および溶存酸素の動態の磁気制御
血栓溶解過程への勾配磁場効果について,最大8Tの強磁場を用いて検証した。
磁場を与えない状態で凝固させたフィブリン・ゲルにプラスミンを添加し,5~8Tおよび50T/mの勾配磁場でフィブリン溶解実験を行った。フィブリン平板法およびフィブリン・カラム法を用いた測定より,磁場と磁場勾配の積が最大370T2/mの勾配磁場においてフィブリン溶解反応を観測した場合,フィブリン溶解量が増加することを見い出した。
また,酸素を発生する酵素反応系としてカタラーゼ(Catalase)による過酸化水素の分解反応に着目して強磁場影響の有無を調べた。超伝導マグネットのボア内において紫外吸光度測定が可能な磁場中分光システムを作製した。過酸化水素の分解量は反応溶液の波長240nmでの吸光度変化として測定した。8T磁場にてカタラーゼによる過酸化水素の分解反応を行わせた結果,磁場に曝さない対照群に比較して8T磁場曝露群の過酸化水素の分解が抑制された。しかし,反応溶液に窒素ガスを吹き込んだ場合,磁場効果は消滅した。過酸化水素の分解によって発生した酸素が反応溶液中から気相へ出ていくまでの過程が磁場によって抑制されたと考えられる。
さらに,磁場中における溶存酸素濃度の空間分布変化とその時間特性の解析を行った。水中の溶存酸素濃度が11mg/1以上のとき,8T磁場の溶存酸素濃度がOTより2%~5%増加することを明らかにした(図5)。8T磁場での濃度上昇の時定数は17分程度であった。
生化学反応に及ぼす磁場影響はまだ十分に解明されていないといえる。血流に及ぼす強磁場影響,常磁性である溶存酸素および活性酸素への磁場効果など,まだ機構が明らかにされていない磁場効果の研究を進めていくことにより,磁気を用いた新しい生体計測法および診断治療法を開発できる可能性がある。