2009年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第23号

磁気トルク負荷を用いた細胞活性の低侵襲診断法の開発

研究責任者

岩坂 正和

所属:千葉大学 工学部 メディカルシステム工学科 助教授

概要

1.はじめに
本研究は、細胞内部の骨格タンパク質の重合能などの細胞活性を、細胞を透過する磁力線を用いて測定するための、低侵襲な手法開発を行うことを目的とする。外部磁場が細胞骨格に反磁性磁気トルクを与えたときの細胞応答として、細胞骨格の磁場配向1)-6)、細胞形態変化が考えられる。この細胞応答を磁場中での顕微観察・分光計測にて検出し、細胞を生きたまま壊さず内部の骨格タンパク質の活性度・老化を評価するための基礎技術開発を推進することを目的とした。
近年の再生医学・細胞組織工学において、細胞の足場であるマトリックスの形態を制御し細胞の成長・増殖および機能を制御する技術の進歩は目覚しい。一方、細胞の中身にまで計測・制御の手を伸ばし、細胞機能のコントロールや細胞内で生じている様々なプロセスのリアルタイム検出が可能となれば、ますます迅速な細胞機能診断を行う時代に到達することが期待される。その際、細胞を壊さず生理的に本来ある姿のまま、低侵襲の状態での細胞活性、つまり“生きのよさ”を迅速に計測する手段が望まれる。既に、細胞内に導入し発現させることの可能な蛍光物質などを用い、細胞外から中へ積極的に物質導入することによる計測手法の進展がなされており、細胞膜および細胞内部の成分の動態や機能・特性の計測方法として様々な新技術の登場が待ち望まれていると考えられる。
光と磁場を用い細胞内成分(細胞骨格)への反磁性磁気トルク作用負荷の応答計測を行った場合、このトルク作用は、細胞周囲の水や細胞成分を貫いた磁力線が主に高分子に生じさせる局所的に増幅された効果であり、細胞にダメージを与えず元気のよさを検診する“細胞のための聴診器”の働きをする。細胞周期における細胞骨格などの高分子のダイナミックな再構築プロセスにおいて、外部磁場が高分子内に誘起する反磁性磁気トルクが高分子に力学作用を与える7,8)。このトルク作用に対する細胞応答として、細胞骨格の磁場配向、細胞形態変化および細胞分裂・融合の促進や抑制が考えられる。これらの細胞応答を磁場中で検出し細胞内部の骨格タンパク質の活性度・老化を評価する手法の検討を進めた。
2.磁場下での細胞光計測および細胞観察システムの開発
強磁場発生装置(超伝導磁石)の室温ボア空間において、顕微観察装置および光透過計測システムを構築し、細胞の形態および細胞骨格の再配置による透過偏光計測を進めた。培養細胞および人工細胞(ベシクル系)へ適用し、細胞の状態に対応する透過偏光の時間変動ダイナミクスの計測を行った。
3.細胞の透過光および形態に及ぼす強磁場影響
3.1 細胞の透過偏光磁場効果
図1に示す磁場下での細胞の透過偏光をリアルタイムで計測するシステムを構築した。細胞層を挟みクロスニコル設置での透過偏光を計測した。
鉛直方向磁力線下(5T)での平滑筋細胞(A7r5)の透過偏光の時系列データの例を図2 に示す。0T~5T の間での超伝導電流変化による磁場増減の際、光磁気効果(Cotton-Mouton およびFaraday 効果(図3))が生じたと見られる。磁場を5T で保持している時間帯において、細胞透過光(クロスニコルでの直線偏光)のダイナミックな変化が観測された。
この磁場を一定(5T)に保っている期間の初期から生じたなだらかな透過光減少は、細胞成分(特に脱重合/重合過程の骨格タンパク)の磁場配向による光複屈折の減少が検出されたものと考えられた(図4)。一方、図2および図5に見られるように、5T 保持中の数千秒の間に透過光増加が数回発生した。この光応答特性は磁気的な刺激に対する細胞のリバウンド的な応答と考えられた。このリバウンド応答的な約千秒領域での透過光増加が5T 磁場曝露中に5000 秒あたり何回発生したかをカウントした結果を図6に示す。血管平滑筋細胞、骨芽細胞、HeLa 細胞、PC12 細胞について、各細胞株の入手後最も元気な培養時期(1ヶ月)と、以後5ヶ月培養後の時期の2つの時期において、細胞透過偏光計測を5T 磁場中で行った際のリバウンド数のgrand totalを示した。1ヶ月目で高いリバウンド発生数が得られたのに対し、5ヶ月目では発生数の減少が明らかであった。
次節で述べる磁場中での細胞リアルタイム観察では、鉛直方向磁力線を曝露開始した直後、磁力線方向すなわち接着面の法線方向へ細胞が伸び上がることを示唆する挙動が観察された。前述の透過光リバウンド増加は、磁力線のトルク作用による細胞剥離に対する細胞の抵抗によるものと考えられた。すなわち、“生きのよい” 1ヶ月期の細胞のほうが、5ヶ月期の細胞よりも、接着面に対する接着能力が高いことが、磁場中での透過偏光計測により検出できたと考えられた。
3.2 細胞形態の磁場中でのリアルタイム観察
顕微観察に用いる現有のモノズーム・レンズの焦点距離を磁石内部で調節可能な手法の開発を行い、この手法を培養細胞および人工細胞(ベシクル系)へ適用した。
培養付着細胞(血管平滑筋細胞、骨芽細胞、HeLa 細胞)の超伝導磁場中リアルタイム観察を進めた結果、磁場印加なしの状態での細胞は繊維芽細胞状の紡錘形状(または不定形の形態)で培養ディッシュの底に付着していたが、鉛直方向(重力に平行)な5T 磁場を印加するに伴い、細胞の偽足の消失および球状の形態への変化が観測された。観測領域内の細胞の中には磁力線の侵入に従い、2次元平面に付着した状態から、付着面から浮き上がりバルーン状の形態へ変化したとみられる細胞が存在した。推定される原因として、細胞内部の骨格タンパクが磁力線方向へ磁場配向したことおよび細胞膜成分が磁力線方向へ配向したことが挙げられる。
この細胞膜成分による磁場誘起形状変化を詳細に検討するため、細胞膜成分のみで構成されるチューブ状ジャイアントベシクル(人工細胞膜)の5T鉛直方向磁力線による形態変化について実験を進めた。
リン脂質の反磁性磁化率の異方性は、その分子長軸が磁力線に垂直に配置する際に安定になると推定された。これまでの研究では、リン脂質集合体の中に埋没させたタンパク質とリン脂質との相互作用により新奇な分子集合体の形成を期待し、コラーゲン内包ベシクルの形態に対する直流強磁場効果の観察を行った。その結果、2種類の分子集合体がブレンドされつつ高次集合体を形成する過程で、磁化率異方性の形成に一種の競合が生じ、様々なチューブ・エラスティカ・パターンが創出されることが明らかとなった。
本研究では、あらかじめ基板上に横たわった状態で形成された、長さ100 ミクロン・オーダーの巨大なチューブ状ジャイアント・ベシクルの長軸に対し直交する方向(鉛直方向)に磁力線を侵入させた際(図7)、どのような形態変化が生じるかに関し、磁場中顕微観察装置を用いたリアルタイム観察法にて研究を行った。2種類のリン脂質(DOPC(1,2-Dioleoyl-sn-Glycero-3-Phophocholine)とPOPG(1-Palmitoyl-2-Oleoyl-sn-Glycero-3-[Phospho-rac-(1- glycerol)]))をそれぞれクロロホルム溶解させた後、1:1の比率で混合、乾燥させリン脂質薄膜を得た。この薄膜にリン酸緩衝液を浸してPOPC /POPG 混合のリン脂質集合体(ベシクル)のサスペンションを得た。このベシクル・サスペンションをフレーム・シールチャンバーに封入し、室温下、薄層内にてベシクルを自己組織化形成させた。
鉛直方向ボアを有する超伝導磁石(5テスラ)の磁場空間にモノズームレンズ型の低倍率(175倍)顕微鏡CCDカメラヘッドヘッドを鉛直方向に挿入し、先端部にベシクル封入フレーム・シールチャンバーを設置し、磁場を上下させつつチューブ状ジャイアント・ベシクルの形態をリアルタイムで観察することを可能とした。観察中、マグネットボア内部は循環水ジャケットを用いて外部気温(室温)と差を生じないよう温度調整した。
磁場を環境磁場(地磁気レベル)から5テスラまで上昇させる間、観察されたチューブ状ジャイアント・ベシクルの形態変化の例を図8 に示す。磁場増加とともに徐々にチューブの端から像が消え、2テスラ近傍では4本のチューブに分裂し、その後全体的に短くなる様子が観察された。各観察実験におけるCCD カメラでの観察領域において、チューブの分裂・消滅の観察された物体は1~2個であった。図8においては丸い物体および長さが10 ミクロンオーダの物体は磁場増加中に変化を示さなかった。チューブの分解・消滅と画面上で見られる現象を示したものは、長さが100ミクロン程度のチューブであった。この観察条件は他の3 例の観察条件でも同じであった。4例とも、ベシクルの形態変化は最初の磁場上昇の際のみの変化であり、磁場を下げた際に元の形態に戻ることは観察されなかった。
最も可能性の高いメカニズム(図9)として、チューブ状ベシクルの端の部分が磁力線に並行に立ち上がったことがあげられる。なぜならば、磁力線に垂直に配向するリン脂質がチューブ長軸に沿って並んだ構造になっているからである。チューブの両端が磁力線に沿って持ち上がりつつ分解していくことで、チューブが次第に短くなっていったと考えられる。今回の結果において興味深いのは、磁束密度が2T近傍のときに4分割されたような分断面が観測されたことである。別の推測として、チューブ内部の密度あるいは磁化率勾配により、図の法線方向(磁石ボア内での鉛直方向)に存在する空間磁場勾配に起因した反磁性磁気力がチューブをメニスカス状に吊り上げたとする見方も可能である。
3.3 細胞の磁場中分光による様々な細胞機能の計測
今回の研究ではさらに、磁場通過型サイトフロー計測システムによる実験も進めた。流体ポンプを用いて細胞浮遊サスペンションを磁場内のカラムへ流入させ、その出力からの液体の流れを分光系へ導入し、超伝導磁石の磁場をオン/オフした場合をそれぞれ比較した。その結果、超伝導磁石ボア外にて計測した細胞サスペンションの光透過スペクトルでは特に顕著な磁場効果は現在まで確認できていない。
次に、磁場通過型サイトフロー計測システムに磁場空間内部でのリアルタイム計測ユニットを付与し、血小板細胞凝集能に対する磁場効果計測を進めた。細胞サスペンション透過光(波長600nm)の時系列パターンは、磁場中(最大5テスラ)において、そのピーク値が(磁場印加なしに比較して)低下する傾向を示した。これまでに観測された直流強磁場での血小板凝集促進効果9)によるものか、あるいは血小板と流路(チューブ)の壁との相互作用促進等によるものと考えられたため、今後メカニズムの分類解明が必要となる。
一方、細胞の融合・分化能に対する磁気トルク負荷効果に関し、破骨細胞形成過程における磁場効果計測を行った。破骨前駆細胞間の融合により形成される多核性の破骨細胞形成プロセスに鉛直方向磁場(磁力線方向が地球重力に平行でかつ、重力の減少を伴う磁場空間)あるいは水平磁場を一昼夜曝した際の、破骨細胞の多核部分のサイズを計測した結果、水平/鉛直磁場双方においてサイズの縮小傾向が示された。このメカニズムを検証するため、破骨細胞を有する魚類(金魚)のウロコの磁場中透過光計測を5テスラ鉛直磁場下で行った(図10)。620~690nm の透過光(細胞接着面にほぼ垂直)の50,000 秒での変化を、磁力線が細胞接着面に平行な場合と垂直な場合で比較することにより、破骨細胞・骨芽細胞の成分に対する反磁性磁気トルクの作用を時系列的に捉えることに成功した。
4.むすび
今後、細胞の老化に伴う活性低下を反磁性磁気トルク負荷によって計測する手法のニーズ探索が望まれる。そのためには、培養細胞の継代数増加に伴う細胞の老化を評価するパラメータとして、細胞骨格に反磁性磁気トルクを作用させた際の細胞の透過偏光を用いることの有用性を、さらに検証する必要がある。反磁性磁気トルクにより高分子集団が特定の方向へ配向すると複屈折が変調されるため、この変調の度合いを磁気トルクに対する細胞骨格の力学的応答性・柔軟性として検出可能であることの実証を、さらに展開していく所存である。