1989年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第03号

磁性体微粒子によって散乱される光の偏光面ゆらぎを利用した免疫反応の超高感度検出法に関する研究

研究責任者

武者 利光

所属:東京工業大学大学院 総合理工学研究科 教授

共同研究者

岡本 良夫

所属:千葉工業大学 工学部 電気工学科  助教授

概要

1.まえがき
ポリスチレンを原料にしフェライト磁性粉を加えた球状微粒子を磁性ラテックスと言う。磁性ラテックスの懸濁液は光学的に等方性をもつが,これに磁場を印加すると粒子は数珠状に連結し,光学的な異方性を生じる。磁場を除去すると粒子は再び分散して光学的異方性は無くなる。粒子が連結している間に何らかの方法で粒子を凝集させれば,磁場を除去しても光学的な異方性が残る。この性質を利用して高感度の免疫反応の検出を実現しようというのが本研究の目的である。
これまでに得られた研究成果のまとめとして,前方散乱光に現れた光学的な異方性による効果について実験的に得た興味ある結果について報告する。
2.研究結果
2.1.磁場による粒子の凝集
コロイド粒子が何らかの原因で凝集すると,粒子のブラウン運動の速度および衝突の頻度が変わる。これらの量は散乱光の強度ゆらぎの統計的な性質を通じて知ることが出来るので,粒子の凝集が免疫反応によるものであれば光学的な方法によって免疫反応の高感度検出が可能になる。ラテックス粒子について,このような発想にもとつく免疫反応の高感度検出にわれわれは既に成功している。さらに検出感度を向上するために,磁性微粒子を用いることを考えた。究極的には,いわゆる磁性超微粒子を用いることを計画しているが,現在の技術ではまだ単分散の磁性超微粒子を得ることが出来ないので,直径700nmの磁性体粒子を水中に懸濁したものを用いて予備実験を行った。また,磁性微粒子の表面に抗体を安定に付着させる上での技術的な問題がまだ十分に解決されていないので,希薄な食塩水によって磁性微粒子が凝集する現象を利用して,抗原抗体反応の模擬実験を行った。
磁性微粒子の懸濁液に静磁場を印加すると,個々の磁性粒子は磁場方向に分極するので,粒子同士が互いに衝突する度に粒子は磁場方向に連結されて次第に成長していく。この過程を撮影した顕微鏡写真を図1(イ)~(ハ)に示す。
ここで磁場を取り除けば,磁性粒子は直ちにブラウン運動を始めるので,連結した粒子が次第に拡散してばらばらになる様子が観測される。
2.2.前方散乱光の偏波面回転
単一の球状磁性体からの前方散乱光を考えてみよう。磁性粒子の磁気分極は入射した光の磁場ベクトルと平行であるから,直線偏波が入射すると,それと同じ方向に偏波した直線偏光を持った光が前方へ散乱される。しかも前方散乱の場合にはドップラー効果は生じない。磁性粒子が一列に並んでいてもこの事情は変わらないはずである。
ところが実際に測定してみると,静磁場Bの方向を偏波方向から回転すると,前方散乱光の偏波面がそれに追随する形でわずかながら回転することが観測された。図2にこの状態を示す。
EおよびHは入射光の電場および磁場を示す。前方散乱光の電場及び磁場はE'およびH'になる。
まず静磁場Bを印加すると磁性粒子は数分かけて磁場の方向に整列することになる。ここで入射光の電場ベクトルと直交する偏光のみを通過させる偏光子を通して前方散乱光を見ることにする。磁場を印加しないときには出力はゼロである。つまり直交偏波成分はない。ところが磁場を印加し粒子の連結が成長するにつれて徐々に直交偏波成分の強度が増大してくる。定常状態になってから磁場を急激にゼロにすると直交偏波成分は直ちに消失する。顕微鏡で見ると磁場をゼロにした後もしばらくは数珠状の粒子の連結状態は残っているが,それにもかかわらず直交成分の光は直ちに消失する。この現象はどのように説明されるであろうか。
2.3.粒子間相互作用と偏波面の回転
入射光に対して直交する偏波成分が現れることから考えると,磁性粒子の内部に誘起される磁気分極は入射光の磁場ベクトルとは平行になっていない。なぜであろうか。磁性粒子そのものは球対称であるから,内部的な要因でこのようなことが起こるとは考えられない。したがって,数珠状に並んだ磁性粒子間の相互作用による可能性が大きい。
分極した磁性粒子の間に相互作用がなければ,分極は入射した光の電場・磁場に平行に生じる。また一方で粒子間の相互作用を考えると,特定粒子のN極は隣接粒子のS極に出来るだけ近付こうとする。つまり,一直線に並ぼうとする傾向がある。したがって図3に示すように各々の磁性粒子の磁気分極の方向が磁場の方向に傾くことになる。誘導分極は入射する光とおなじ振動数で振動しているので,これらの誘導分極から光の再放射が起こる。この再放射光が直交偏波成分を持つことになる。
静磁場をゼロとすると,互いに接触していた磁性粒子は直ちに分離はするが数珠状に連結した形は直ちに消えることはない。しかし粒子の直接的な接触は磁場をゼロにすると同時に消失するので,粒子問の直接的な接触がなくなると,分極間の相互作用急激に減少するので,直交偏波成分も消失するのであろう。
免疫反応によって粒子間の接着が部分的に生じていると,磁場をゼロにしても磁性粒子間の相互作用は消失しないので,直交偏波成分の消失は直ちには起こらない。磁場をゼロにしたときの直交偏波成分の緩和現象を定量的に測定することによって免疫反応の存在を検知することができることが見いだされた。
2.4.前方散乱光の強度分布
さらにもう一つの予期しなかった結果は,前方散乱光の放射強度パターンである。まず,前方のスクリーンに投影された放射パターンを写真に撮ったものを図4(イ)~(ハ)に示す。これら3つの写真は図1の(イ)~(ハ)の状態にそれぞれ対応している。
磁性微粒子がばらばらに存在しているときは,それぞれの粒子は小さな双極子になり,いわゆる双極子放射を行う。ところが,これらの双極子放射体が一列に並んでおり,しかも入射光がレーザ光のように空間的なコヒーレンスを持つ場合には,それぞれの放射体からの放射光は一定の位相関係を持つので,干渉効果が現れるはずである。つまりスリットによる光の回折と似た現象が起こる。磁場方向には数珠状に連結した磁性粒子の長さが時間とともに増加するので,回折効果と同様な効果により散乱光は磁場方向には強度分布が徐々に限定される。つまりスリットによる回折におけるゼロ次の回折光の持つ広がりの角度が磁場と平行な方向の散乱光の広がりを決定する。これに対して磁場と直角方向の散乱光の広がりは,前方散乱光を観測するための光学的な装置によって限定される。したがって,磁場と直角方向には目だった変化は現れない。このような結果として,前方散乱光の強度分布は磁場と直角方向に長軸を持つ楕円状になるものと考えられる。
この現象を利用すると,光学的には見ることのできない微小な粒子のつながりの長さを光学的に測定することが出来る。
微粒子の磁場による整列の度合を前方散乱光によって知ることができる。これも新しい発見であった。
3.まとめ
この研究を開始する前は数珠状の粒子の凝集による光学的な異方性が磁場とともに変化する効果のみを考えていたが,実際に実験を行ってみると,次々に予期しない効果か現れてきた。しかしよく考えてみるとこれらの新しい現象は納得のゆくものである。実験を行う前の予想というものはなかなかそこまで考えが及ばない。これらの現象は実験によって教えられたと言うべきである。
われわれの目指しているのは免疫反応の高感度検出であるが今回新しく見いだした現象も,高感度検出の手段になり得る可能性を持っている。
この研究はまだ完結していない。現在は数十ナノメータの磁性超微粒子による光散乱の実験を始めている。今回の研究助成金によって研究にはずみがついたので,我々自身もこれからの研究成果に期待している。