2003年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第17号

癌の臨床検査を目指した質量分析機による遺伝子多型解析法の開発

研究責任者

日野田 裕治

所属:山口大学 医学部 臨床検査医学講座 教授

共同研究者

小林 誠

所属:山口大学 医学部 器官制御医科学講座  教授

概要

1.まえがき
 近年SNP(single nucleotide polymorphism)の大規模検出および多人数を対象としたSNPジェノタイピングが原理的に可能となり、また社会的・学問的に有用であることの認識が高まってきた。このような状況下において、大量の個体サンプルを高速度でジェノタイピングする方法が求められ開発されてきた。Matrix-assisted laser desorption-time of flight / mass spectrometry(TOFIMS)法はそうした大量サンプルを高速度で処理するジェノタイピング法のひとつであり、以前より生物学・化学の分野で使用されてきた質量分析計(mass spectrometer)の用途をSNPジェノタイプに拡大することで生まれてきた。
 一方ミニシーケンスアッセイ法はテンプレートDNAと相補鎖をもつオリゴマー(ジェノタイピングプライマー)とをアニールさせ、ジェノタイピングプライマーの3'末端に酵素的に塩基を付加する方法である。SNPが存在すれば3'にwild typeと異なる塩基が付加するため、TOFIMS法によりwild typeとの質量差を検出することが出来る。このミニシーケンスアッセイ法には一塩基1申長反応を行うPINPOINT法、1~2塩基伸長反応を行うVSET法などがあるが、今回我々はこれらの方法の基礎的検討を行いその有用性を検討した。さらに、炎症の進展や癌の浸潤・転移に密接に関与するmatrix metalloproteinase(MMP)遺伝子について、子宮内膜癌および大腸癌におけるSNPの意義を検討したので報告する。
2.内容
2.1対象
 健常対象249名および子宮内膜癌患者68名、大腸癌患者101名を対象として、DNA extraction kit(Dr. GenTLE ,TAKARA biomedicals ,Japan)を用いて、リンパ球よりD
NAを抽出した。この実験に際しては、学内倫理委員会の承認を得たうえで、文書によるインフォームドコンセントが得られた被検者から採血を行った。
2.2MMP-1promoterのPCR
 MMP-1プロモーター領域のPCR増幅用プライマーは、forwardプライマーとして5'-TGAGGAAATTGTAGTTAAATCCTTAGAAAG-3'を、reverseプライマーとして5'-TCCCCTTATGGATTCCTGTTTTCTT-3'を用いた。PCRには、10FMプライマー各2.5ul、10 x concentrationbuffer 5.0 ?1、2.0 mM dNTP5.0 ulおよびAmpliTaq Gold polymerase 0.25 ulを含む全量50ulを使用した。PCRの条件は、95℃10分、引き続いて94℃45秒、55℃45秒、72℃90秒を30サイクル繰り返し、最終伸長時間72℃10分で行った。残存したdNTPおよびPCRプライマーの消化のため、alkaline phosphataseおよびexonuclease I(Amersham Pharmacia Biotech, Piscataway, NJ)を、それぞれ2.5ユニットずつPCR産物に加え、37℃で20分反応させた。その後、alkaline phosphataseおよびexonuclease Iを失活させるために、チューブを80℃で20分間インキュベートした。
2.3MMP-3promoterのPCR
 MMP-3プロモーター領域のPCR増幅用プライマーは、forwardプライマーとして5'・GCTAGGATTACAGACATGGGTCA-3'を、reverseプライマーとして5'-TTCTTCCTGGAATTCACATCACT-3'を用いた。
2.4プライマー伸長反応(ミニシーケンスアッセイ)
 精製したPCR産物10ulに、MMP-3-1171 5A/6A多型D検出用プライマー10pmol(5'-ATTCCTTTGATGGG
GGGAAAAA-3う、thermosequenase buffer 2μl、2.5Uthermosequenase(Amersham)、さらに、それぞれ最終濃度が50umol!1および200pmol!lに調整したdATP、ddNTP(NニT,C,G)を混合した。総量20ulの反応液を、94℃2分の熱変性後、つづいて95℃10秒、37℃60秒、72℃60秒、25サイクルの条件でPCRを行った。MMP-1-16071G!2GSNP2)についても同様にプライマーを作成し行なった。DNAの伸長は、プライマーを起点としDNAの相補的配列に基づきDNAポリメラーゼにより伸長が起こる。伸長に際してDNAにはdNTP、ddNTPが取り込まれる。このときdNTPが取り込まれた場合には、DNAは伸長を続けることが可能であるが、ddNTPが取り込まれた場合には、伸長を終了する。従って,伸長反応では、dNTPおよびddNTPの組み合わせにより、伸長するDNAの長さが異なる。図1に3つの方法を示す。上段のPINPOINT法では4つのddNTPの存在下で塩基伸長反応を行う結果、1塩基伸長のみが生ずる(a)。中段のPROBE法では,3つのdNTPと4番目のddNTPを用いることで、1~複数塩基伸長反応が起こる(b)。下段のVSET法では、3つのddNTPと4番目のdNTPを用いることで、1~複数塩基伸長反応が可能となるが,通常シーケンスに基づき1~3塩基程度の伸長がおこるようにNTPの種類を調整する(c)。
2.5MALDI-TDF/MSによる計測
 PCR産物はZipTip,18(Millipore, Bedford, MA)を用いて精製(脱塩)し、その0.5ulを研磨加工されたステンレス製のMALDIサンプルプレートに塗布し、自然乾燥させた。分析装置としてDE-voyager MALDI-TOF mass spectrometer(PerSeptive Biosystems, Framingham, MA)を使用して、negativeion, liner modeで計測を行った。
2.6ヌクレオチドシーケンス
 MALDI-TOF/MSによるデータを検証するためシーケンス解析を行った。MALDI-TOF/MSで用いたのと同一患者のDNAをAmpliTaqによるPCRで増幅し、alkaline phosphataseとexonuclease I(Amersham PharmaciaBiotec,inc Piscataway, NJ)により精製を行った。続いてDye terminator Cycle Sequencing FS Ready Reaction Kit(Applied Biosystems, Foster, CA)で、5'-GCTAGGATACAGACATGGGTCA・3'をシーケンスプライマーとしてシーケンス反応を行った後、ABI PRISM 377 DNA sequencer(Applied Biosystems, Foster, CA)により塩基配列を決定した。
2.7統計学的解析
 多型頻度と臨床病理学的パラメーターの相関について、Stat View software(SAS institute Inc. ,Cary, NC)を使用してx二乗検定およびFisher's exact検定による解析を行った。
3.成果
 MMP-3のプロモーター多型は転写開始部より上流一1171bpに位置する部分に5A/6A多型を有する。これをモデルとして、PINPOINT法、PROBE法、VSET(very short extension)法でそれぞれ塩基の伸長反応を行い、MALDI-TOF/MSで解析を行った(図2)。PINPOINT法ではプライマーのピークに加えて273.2DaのddCと297.2DaのddAのピークが理論上検出されるはずである。ところがピークが弱い場合には、ddCとddAとの間の分子量の差24Daを分離することが困難となり、ジェノタイプの判定ができない場合があった。一方、VSET法では1塩基および2塩基伸長反応産物の分子量の差は313.2Daであり、たとえピークが低かったとしても両者を明瞭に分離することができ、ジェノタイプの判定が可能であった。また、本検討において、PROBE法では、明確なピークの検出が出来なかった。
 次に実際の応用として、健常女性122名および子宮内膜癌患者68名を対象にMALDI-TOF!MSを用いたMMP-3プロモーターSNPの解析を行った。VEST法によるMALDI-TOFIMS分析では、全例において明瞭なピークの検出が可能で100%の感度を得ることができた。また、SNP解析結果は、バリデーションスタディとして行ったダイレクトシーケンス法による結果と完全に一致し、100%の特異度が得られた。さらに、バリデーションスタディとして行ったダイレクトシーケンス法においては、190名のタイピングに莫大な時間を要したのに対し、MALDI・TOFIMS法では、PCR以後の部分は数時間の分析処理でタイピングを終了した。測定コストについても特別なキットを使用しない分、遥かに安価であった。
 MMP3プロモーターの一1171におけるA(アデニン)のdeletionにより5Aなることで、MMP3の転写活性が6Aに比較して充進することが知られている。そこで、対象とした患者についてコントロール群および子宮体部癌における各種予後因子とMMP-3のgenotypeの関連を調べ、5A/5Aおよび5A/6A群と6A/6A群を比較した。その結果、癌患者群とコントロール群でgenotypeに有意差は見られず、一子宮体蔀癌の発症とMMP-3の多型の関連は見られなかった。また、筋層浸潤、脈管浸潤、頸部浸潤、付属器浸潤、腹水細胞診、リンパ節転移においても有意差を認めなかった。しかし進行期分類の1・H期群とⅢ・IV期群の問には、有意な差の傾向認め、HI、IV期群においてより転写活性の高い5Aを有している患者が多く存在していた(Pニ0.036)。
次に、大腸癌101名と健康対照127名において、MMP-1およびMMP-3のプロモーター多型を解析した。前者のSNPは一1607位の1G12G多型である。MMP-1多型についても、VSET法により明瞭なピークが得られ解析は容易であった。大腸癌では、MMP-1においては2G/2G genotypeが(P=0.0067)、MMP-3では6A16Aが有意に増加していた(P=0.0129)(表1)。これらの結果は、MMP-1およびMMP-3プロモーター多型が大腸癌の発症に関連することを示唆する。
4.考察
 PINPOINT法3)、PROBE法4)およびVSET法5)による塩基伸長反応原理に基づいたMALDI-TOFIMSによるSNPのタイピングを行ったが、再現1生を持ったタイピングが可能であったのは、VSET法のみであった。PINPOINT法では、1塩基伸長反応による1塩基の質量差(9~40Da)の明確な区別が要求されるため、MALDI-TOFIMSにおいて、十分なピークが得られないとその差を検出できないという欠点を有する。これに対して、VSET法ではジェノタイプは、加算されたヌクレオチドの数に基づいて同定されるため、ジェノタイプの判定は容易である。また、測定物質中に塩の混入がある場合、塩によるピークが出現するためTOFIMSの検出が低下する。このためPINPOINT法では十分大きなピークを得るために、この脱塩処理を厳密に行う必要があるのに対し、VSET法では伸長物質に対して塩の影響も小さくなり、単純で安価な脱塩処理で分析が可能となる。Zhengdongらは、PINPOINT法の欠点を補うべく、ddNTPにタグをつけて質量差9DaであるddATPおよびddTTPの差を大きくすることで明確に検出する方法を報告している6)。しかしVSET法では、AとTの9Daの質量差でも、特別な処理を必要とせず正確にタイピングを行うことができる。
 PROBE法では、3種のdNTPと1種のddNTP(例:dGTP,dATP,dCTP,ddTTP)の混在した伸長反応を行うため1~複数塩基の伸長反応が生じる。このためFlight timeの差が大きくなり、ピーク間時間が大きくなることでピークの分別が良くなる。しかし、MALDI-TOFIMSでは、質量の増加、つまり伸長塩基数の増加に伴いピークの検出感度が低下するという弱点がある5)。さらに、もう一つの問題としては、1検体中に複数のジェノタイピングを加えて行うMultiplexPCRにおいて、長い塩基伸長により他のSNP部分とのピークの重複が起こることがあげられる。このことは、明確なピークの検出が要求されるmultiplex解析において障害となる。これらのPROBE法のかかえる問題点も、VSET法ではPROBE法に比較して短い塩基伸展(1および2塩基)であるためmultiplexの反応系でも十分実用となる5)。
 MALDI-TOFIMSによりMMP-3遺伝子のSNP解析を行い、バリデーションスタディとして行ったダイレクトシーケンス法による結果と完全な一致を示した。またVEST法によるMALDI-TOF/MS分析で、全例において、明瞭なピークの検出が可能で100%の感度を得ることができた。従来行われているSNP多型解析の検索技術の主流であるDNAチップを用いたハイブリダイゼーション法では、各SNPに対する測定精度は約90%と推定されている7)。これに基づき4個のSNPを関連させた多型解析を行う場合を想定すると、ハイブリダイゼーション法の測定精度は66%((0.9)4x100)程度となる。これに対して、MALDI・TOFIMS法では分子量を測定することから、検出限界内であれば、100%の正診率が期待できる。Akey8)らは、全ゲノム範囲にわたる連鎖不平衡を利用した多型解析においては、タイピングミスの許容範囲を3%以内にとどめることが必要であるとしている。このことから、MALDI-TOF/MS法は疾患感受性遺伝子の連鎖解析は言うに及ばず、100%の正診率が要求される臨床検査としても応用しうると考えられる。また、SNPの多くはbiallicで判定が非常に容易であることから、結果をバイナリー信号化することが可能であり、解析装置を用いることにより情報処理が容易である。このSNPの特性を利用してMALDI-TOFIMSのようにロボット化が可能な解析装置を用いることにより、高速・多量のSNP解析が可能となる。さらに本法ではPCR産物の分注、精製、MALDIプレートのスポッティングもオートメーション化が可能であることから、今後ハイスループットなSNP解析の主役となることが期待される。
5,まとめ
 癌の予防的遺伝子検査のために高効率なSNP解析法の確立が必要とされている。この目的のために、ハイスループット化が可能であるMALDI-TOFIMS法の基礎的検討を行なった。その結果、従来のPINPOINT法よりも最近報告されたVSETが優れてことを、実際の臨床サンプルを用いて明らかにした。さらに、癌患者におけるケースコントロールスタディに応用した結果、簡便、安価かつ正確であり、臨床検査法として応用可能であると考えられた。