2007年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第21号

生体組織への極低侵襲計測を目的とする極微小一酸化窒素電極の開発

研究責任者

谷下 一夫

所属:慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科 教授

共同研究者

小林 弘祐

所属:北里大学 医療衛生学部  教授

共同研究者

滝澤 直定

所属:北里大学 応用物理学  講師

共同研究者

正本 和人

所属:米国ピッツバーグ大学  研究員

概要

1.はじめに
一酸化窒素NO は、免疫系、循環系、脳神経系などで極めて重要な作用を担っている物質であり、その具体的な作用に関しては、医学生物学での広い分野で関心が集まっている。ところが、NOは極めて微量で作用し、且つ不安定な物質でNOの作用発現時間は、半減期が3~6秒と極めて短い。そのため、NO が実際に生体内でどのような変化を示しているのかを明らかにするためには、高感度で極微小なセンサーが必要となるが、これまでそのようなニーズに見合うセンサーは出現していない。先端が700μmのセンサーが計測に使われている例があるが、太すぎて、組織内のNO濃度分布を計測するには適当ではない。このように、生理的な機能を司るNO の空間的・時間的変化を計測できるセンサーが必要である。
研究代表者のグループでは、先端が10μmのNO センサーの試作に成功している。これは研究代表者のグループにて、先端が10μmの微小酸素電極のノウハウを持っており、そのノウハウを生かして試作されたものである(1-4)。既に述べたように、生体内のNO を計測するためのNO センサーの必要条件は、高感度であるという点で、先端が10μm以下で高感度のセンサーの実現には解決すべき課題として以下の点が挙げられる。即ち、電極先端での軸にある白金線の面を覆う硝子の毛細管の被覆状態と先端のリセス(先端にある窪み)におけるコロジオンとポリスチレン膜の被覆状態、陰極となる外側のTa, Ag/AgCl のスパッタリングによる被覆を最適な状態にすることが課題である。
2.同軸型微小NO 電極の開発
2.1 同軸型微小NO 電極の作動原理
同軸型とは文字通り、陽極と陰極が同軸上に存在するのが特長であり(図1)、中心のPt 線が陰極となる。同軸であるために、外部からのノイズを受ける可能性が低く、安定した測定が可能となる点が同軸型の大きな利点である。陰極―陽極間を分離するためのガラス、Pt の親和性がよくないのでガラスの表面にはまずTa、次にAg/AgCl 電極内の電子が動きやすいようにPt、そしてその上にAg の膜(陽極となる)を貼る。電極の先端にはRECESS が形成されている。これは、両極を絶縁するとともに、測定系と作用極の間にNO 濃度勾配を作ってNO をより拡散させるためのもので、さらにこれによって作用極先端が直接測定対象に接触することを防ぐ役割も兼ねている。さらに先端にはコロジオン膜(親水性)とポリスチレン膜(疎水性)の2重膜がNO 選択膜として貼り付けられている。コロジオン膜は作用極と参照極間の電解質溶液を保存するという役割を担い、ポリスチレン膜は電極表面に巨大分子やイオンが拡散してくるのを防ぐ。
酸素電極の場合、酸素の還元反応を利用しているが、NO 電極ではNO が非常に酸化されやすい物質であることから酸化反応を利用する。即ち、酸素電極とNO 電極では、反応極に印加する電圧が正負逆となる。従って、陽極である白金線に正の電圧を印加して、NO が溶解している溶液中に挿入すると、白金表面で以下の反応が進む。
NO + 4OH- → NO3- + 2 H2O + 3 e-
一方、陰極表面では、以下の反応が生じる。
AgCl + e- → Ag + Cl-
この反応により電極表面ではNO が酸化され、その量に比例した電流が流れる。これが限界電流で、この電流値を測定することで、NO 濃度を決めることが出来る。
2.2 電極作成の手順
電極の作成手順は以下の通りである。
①ガラス管の超音波洗浄
②元細管の作成
③エッチング
④先端部溶接
⑤先端部処理
⑥陽極処理
⑦性能チェック
⑧陰極の形成
⑨被膜除去
⑩作動試験と陰極の塩化銀化
⑪2重膜形成
2.3 作成法の改良
①エッチングの改良
従来の方法では、飽和シアン化カリウム溶液(KCN.aq)にPt 線を印加電圧4.5 V に対して初期電流が0.8 A になるように浸し、約3分間電気分解を行う。その際実体顕微鏡で確認しながらそのつど作業を続けるのであるが、基準となるものがないため期待した先端径のものを得ることが難しい。数μm程度になるのが理想であるが、作業を続けていくうちにうまく希望の先端径が得られないままPt 線自体が細くなってしまう。よって、常に一定水準の細さのPt 線を作成するために、何らかの工夫が必要である。そこで、Pt 線を電気分解する際に生じるチリチリという音を目安にした。印加電圧を約10 V に上げるとさらに聞こえやすくなる。その状態で電気分解を続けていくと、先端が細くなるにつれ音の高さが徐々に高くなっていく。そこで作業の最初に聞こえていた音からオクターブと2音(正確なHz 数としては、始めに鳴った音のHz 数の2倍強のHz 数)あがったときにPt 線を引き上げると先端径が一定して数μmの細さになった。
②先端処理の改良
従来、数ミクロンレベルの先端を、顕微鏡下で手作業でガラス板に接触させ加工するため、この過程での失敗が非常に多い(図2)。また、ここでの処理が成功するためには、前過程にある先端部溶接において、ガラスとPt 線の先端に適当な大きさの空気層を作らなければならない。しかし、ガラス管を溶接するときに先端に空気層ができる方法は特になく、運よくできるまで溶接を続けなければならない。この確率は非常に低い。無事先端がひげ状になって溶接が成功した場合でも、先に述べた通りガラス板に接触させた際の力加減により電極自体が折れてしまったり、また力加減は最適であっても当てる角度や接触面により先端のガラスが斜めに割れてしまったり、とその後も問題点は多い。そのため実際に作業を行ったうえでもここでの処理は非常に困難を極めた。
そこで、先端処理の方法を、ガラス管を割るのではなく切断する方が良いのではないかと考えた。この方法を使えば、先端処理が容易になるだけでなく、前過程での先端部溶接の際に先端に空気層をつくる必要がなくなり、溶接が非常に楽になる。
使用した機器はUV レーザー加工機(タカノ株式会社製)で、これはUV光の広い光吸収特性により、金属、ガラス類、有機材料等ほぼ全ての材料の加工が可能である。また、光分解反応による加工のため、カ-ボン等の加工残差の発生が殆どない。
ここで用いられるYAG4次高調波(波長266 nm)はKrF エキシマレーザ(波長248 nm)とほぼ同域の波長であり、ガラスやPETの様な透明材料でも吸収がみられ、他にも樹脂、金属、セラミックなどの殆どの物質へ吸収があり、従来の可視から赤外のレーザーで加工が困難な材料でも容易に加工が可能となる。
通常のレーザで物体を加工すると、レ-ザ-で照射された部分の温度が上昇し、そこが融解、蒸散する事により加工される。これは局所的な熱加工であり、この方法で先端を処理した場合、融解されたガラスが先端のPt を覆ってしまう可能性が高い。一方UVレーザでは光子の持つエネルギーが大きいので、特にレ-ザ-で有機物を照射すると分子結合を直接解離する光分解加工が主となり、ガラスが融解する危険がない。また、電子部品や実装に多く用いられる有機材料の場合、光分解加工は熱加工に比べて、加工面がシャープであり、加工残渣が少ない、特徴がみうけられる。
さらに、標準光学系による収束スポット径は15 μm である。直径20 μm 以下の穴開け加工が可能で、微細加工に向いていることも、微小電極先端処理に非常に有効な特長である。
3.電極性能の評価
3.1 先端処理後の性能評価
UV レーザーでの典型的な加工前と加工後の電極の写真をそれぞれ図3、図4 に示す。電極先端においてPt 線とともにガラス管も切断できていることがわかる。これに陽極処理を施してRECESSを形成し、電極の先端径とRECESS の深さをデジタル顕微鏡で計測したのち、性能チェックを行った。
3.2 酸素電極としての検定
前述の通り、NO 測定を行うには高精度のO2計測が可能な電極である必要がある。そのため、まずO2電極のポーラログラムを取得した(図5)。実験系は手順10と同様で、あらかじめ十分な時間20 %O2ガスを生理食塩水に通気させ、電極に0.5 V ごとに3~9 V までの電圧を印加した。次に、得られたポーラログラムをもとに電圧0.65 V 付近において電流値が一定になっていることから、印加電圧を0.65 V としてO2計測をすることで電極の精度を調べた。ここでも流れる電流値は酸素0 %で10 pA 以下、20 %で1000 pA 以下であることが望ましい。その後、酸素0 %と20 %を通気させたときに反応して電極に流れた電流値のオーダーの差が2桁以上である電極を精度の高い電極として、NO 測定電極として用いることとした。
3.3 NO 電極としての検定
電流値からNO 濃度を計測するためには、個々の電極においての検量線が必要となる。それを、キャリブレーションすることによって取得し、検量線を作成した。
まず、生理食塩水中をN2で2~30分通気させておいた。十分にN2が通気された後に通気を止め、1分間待った。そして生理食塩水に750 ppm のNO ガスを4分間通気した後、通気を止めて1分間待った。その後再びN2で4分間通気した後、通気を止めて1分間待った。次にNO ガスを75 ppm濃度のものに変え、同様の作業を行った。この一連の動作中、電極の応答電流値を連続的に計測し、検量線を取得した。
基本的にはN2またはNO ガスが一定濃度で通気されていると考えられる区間(ガスの通気を止める前1分間)においての応答電流値の平均値を使用した。しかし、ノイズが多く含まれると判断された部分ではその前後のノイズが含まれていない部分の応答電流値の平均値を使用することにより取得した。電流値の測定には、エレクトロメーター(Model 6517、Keithley)を用い、結果の記録にはPower Lab(AD Instruments)を用いた。
NO 測定を行う電極は、 O2キャリブレーションにおける酸素0 %と20 %を通気させたときの電流増加反応のオーダーの差が2桁以上である電極から選定した。測定可能であると考えられる電極でNO をよく検知した結果をFig. 6 に示す。同図では、電極No.68、No.73、についての結果を示す。NO ガスが通気されれば電極先端で電解反応が起き、電極を流れる電流値が上昇するはずである。そこで、電極をガスを通気させた生理食塩水に刺した状態で、電極を流れる電流を連続的に計測し、取得した値を図6 に、そのデータをもとに各電極についての検量線を作成したものを図7 に示す。
(60秒間の連続した計測データを平均化したものを電流値とした。エラーバーは60秒間の標準偏差である。ただし、繰り返し計測したものはその平均値を取った。各電極各NO 濃度ごとの実験数はn=2 である。)
4.考察
従来手法では、先端に空気層が形成されなおかつガラスがひげ状になるようにし、それを割って陽極を表出させていた。つまりあくまで電極の先端のみしか加工できず、その状態で先端径は10μm 前後であった。加えて、先端部処理ではあまり強く力をかけると陽極が曲がってしまうため先の方だけを割ることしかできない。そのため、RECESS が深すぎてNO 分子が十分に届かないといった恐れがあったことも考えられる。また作業をしていく上で、陽極の先端があまり細くなりすぎると空気層を形成しにくいという傾向がみられた。対する新手法においては、先端に空気層を形成する必要はなく、陽極が細すぎてはいけないという制約もなくなる。よって、先端が極微小な電極が作成でき、先端部溶接が完了した電極に対して先端から数μm 内側の部分を切断することで先端処理を施した。よって、先端におけるガラスの厚さよりも先端より数μm 内側部分のガラスの厚さの方が陽極に比べて小さい傾向にあるように思われる。つまり、従来手法で作成した電極よりも新手法で作成した電極の方が同じ直径でもガラスが薄く、陽極表面積が拡大しているのではないかと考えられる。
ゆえに、今回新手法を用いたことで、電極の先端径は10 μm 以下のままで陽極の表面積だけが大きくなり、微小な生体組織にも刺入可能な高精度な電極が作成できるようになったといえる。
5.まとめ
電極作成法を改良することで、電極作成手法の簡易化が達成され電極完成率は上昇し、さらに電極の精度をあげることにも成功した。
第一に、エッチングをする際に鳴る音の周波数を計測しながらすることで理想的な先端径のPt線を作成するために要する時間を短縮し、また成功率も上がった。次に、先端処理にUV レーザーを使用することで先端部溶接の難易度が下がり、熟練の技術なしでもできるようになった。また、レーザーによる切断の確実性と、性能チェックと完成電極のO2キャリブレーションとの結果の比較から、性能チェックの必要性がなくなり、手順がひとつ軽減された。
そして、従来より非常に簡易なプロトコルで非常に精度の高い電極が完成し、計測するのが難しいとされているNO を確実に計測できた。レーザーによる先端処理のために先端径は変わらずに先端の陽極の表面積を大きくすることで、電極の大きさを変えずに電極の電流増加反応だけを大きくすることができたのは、生体内のNO を計測する上で大きな成果である。