2005年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第19号

生体ナノスケール電気計測技術の開発と応用

研究責任者

坂口 浩司

所属:静岡大学 電子工学研究所 画像電子システム部門 助教授

概要

1.まえがき
近年の半導体集積化の進歩は著しく,微細加工レベルは100nm以下に達しようとしている.しかしながら更に集積度が上がるとバルクの物性は変化して量子効果が現われるようになり,バルク電子物性を利用する従来のエレクトロニクスの限界が生じる,将来の超高集積化を達成するためには,量子効果を取り入れたこれまでとは異なる新しい原理で動作するデバイスの出現が必要である.将来のエレクトロニクスにおいて望まれる性能は,数ナノメートルのサイズとテラヘルツの時間応答である.
分子は電子が数~数十Aの空間の中に強く束縛された電子構造を持つ,一つの極限の量子構造である.こうした1個の分子をエレクトロニクスの素子として利用しようとする分子エレクトロニクスの研究が近年大きな注目を集めている1).1個の分子の優れた電子的,光学的性質を利用できれば1個の分子を使ったダイオード,トランジスタ,レーザーなどの極限素子が実現できる.分子エレクトロニクスを現実化するには一個,或いは欠陥の無い数個の分子中の電子の挙動や応答性を理解することが非常に重要な研究となる.このような微小領域における電子の振る舞いを理解するには従来の平均化した物性を計測する方法論とは異なる1個の分子の物性を計測する確率論的手法の開発が必要となる.すなわち1個の分子或いは微小領域に閉じ込められた電子の動きとその速さを明らかにするには,数A以下の空間分解能とフェムト秒の時間分解能を持つ測定法の開発と電子物性の測定が重要であると考えられる.本報告では光技術と走査プローブ顕微鏡などのナノ技術を使った単一分子の電気計測技術について検討を行った.
2.成果
2.1絶縁分子中に埋め込まれた1個の共役系分子
共役系分子を通して電気伝導がどのような効率や機構で起こっているのかを調べるのは非常に興味あるテーマである.このためには1個の共役系分子を取り出し,分子末端と電極とを接合する必要がある,有機分子自己組織化膜(SAM)はシリル基やチオール基を持つ有機分子が固体表面と共有結合を形成した単分子膜のことを指す2).
特にチオール基を持つ有機化合物は金属表面と化学結合を形成し高度に配向した単分子膜を形成することから,LB膜などの物理吸着した膜と異なり良好な金属一有機分子間の電気接合が形成されるため電気計測を行う分子系材料としては理想的な試料である.飽和炭化水素からなるアルカンチオールは金属表面で二次元結晶を形成することが知られている.アルカンチオールSAMを形成させた金(lll)基板を共役系分子の溶液に浸すことにより共役系分子がアルカンチオールSAMのドメイン壁,表面のステップエッジ,格子欠陥に入り込む"挿入法"により孤立した単一分子構造を作る試みが報告されている3),4).この方法を用いればチオール基を持つ任意の分子をアルカンチオール中に埋め込むことが可能である.Fig.2(a)に金(111)蒸着マイカ基板に形成させたドデカンチオールSAM(C12)に挿入した合成したメルカプトチオール基を持つチオフェンオリゴマー4量体(4T1)の走査トンネル顕微鏡(STM)像を示す.測定は室温・大気中で行い,Ptlrを電気化学エッチングした探針を用いた。約5Åの周期を示すアルカンチオールの結晶格子の中に輝点が観測された.この輝点はCl2の単独膜では全く観測されなかったことから孤立,挿入された4T1分子であると考えられる.観測されたSTMの輝点はFig.2(b)に示すように輝点の断面を測るとアルカンチオールよりも3Å程度(統計平均では5Å)高くなっている事が分かる.4T1の幾何学的分子長(法線方向から30度傾斜していると仮定)とCl2の分子長(30度傾斜)の違いは約1Å程度であり,輝点高さが幾何学長の差よりも高く観測されているのは4Tl分子がC12に比ベトンネル電導効率が高いため,一定の電流値に保ちながら高さを変化させるSTMの動作機構により共役系分子が見かけ上高く観測されているものと考えられる.またSTM像で観測された輝点の面積がオリゴチオフェン単一分子の幾何学的面積よりも大きく観測されているのは探針のアーティファクトのためと考えられる.すなわち観測される走査STM像は,探針の形と分子の形のコンボリューション積分で決まり,探針のサイズは単一分子よりも大きいため,観測されるSTM像は探針先端の形状により大きく影響される.実際ワイヤカッターでPtlr線を切断して作成した先端形状の再現性の乏しい探針を用いると,探針毎に輝点の形状が変化することが分かる.以上の結果は,観測された輝点がオリゴチオフェン単一分子であることを示唆するものと考えられる.
2.2電導性原子間力顕微鏡を用いた接触式単一分子電気計測
1個の分子の電気計測を行うには非常に小さな隙間を持つ金属電極,ナノギャップ電極を利用する方法や走査プローブ顕微鏡を用いて計測する方法に大別して分類できる.ナノギャップは半導体微細加工技術を使って作られ安定した接合を形成できるが分子のサイズでギャップ間隔を自由に制御するのが困難な点や作成装置が大掛りになる点などの問題点がある5,6).これに対し走査プローブ顕微鏡を用いた計測方法は探針を圧電素子を使って分子に位置させて電気特性を計測する方法であり,多種の分子の電気計測が可能な一般的な方法である.走査プローブ顕微鏡を用いた電気計測法には走査トンネル顕微鏡(STM)を用いる方法と原子問力意顕微鏡(AFM)を用いる方法に大別できる.STMは非接触計測法であるため空間分解能は原子オーダーと非常に優れているが,分子を介して流れる電流の絶対値や機構の評価については不向きである.それはSTMが試料と探針の間に流れる電流を一定に保つ様に距離制御する定電流制御による動作機構に基づいている理由と非接触で動作するため計測される電流値はトンネルギャップ抵抗を含んでいる理由による7).これに対し電導性原子問力顕微鏡(電導性AFM)は接触式計測法であり,力による探針一試料間距離制御と独立して電気計測が行えるため電導度の絶対値が計測可能である.また探針と試料の接触圧を一定にすれば,異なる試料間で電流値の比較ができ詳しい電導機構に関する情報を得ることが可能となる8),9).電導性原子問力顕微鏡を用いた再現性のある電気計測成功の秘訣はカンチレバーにコートする金属の選択・膜厚・コート法にある.電導性AFMは接触式計測法であるため,表面走査によりコートした金属が剥離して電流が検出できなくなる場合が多い.市販品の金属コートカンチレバーではすぐに金属が剥離して電導像が得られない例が多々ある.本研究室で作成した電導性カンチレバーを用いれば再現性のある電流値や電導像を得ることができた.
前章でSTM像を示したアルカンチオール中に埋め込んだ1個のターチオフェン分子(3T1)を電導性AFMで観測した電導像がFig.3(a)である10).STM像と同様に輝点が観測され,単一分子の空間分解能で電気計測が可能である.STMでは輝点の見かけ上の高さが得られるのに対し,電導性AFMでは1個の分子を介して流れる電導度の絶対値を得ることができる.電導像は分子を介して流れるトンネル電流のマッピングを示している.3T1とC10の電導度の比較が輝点付近の電流値の断面を測定することにより求められる.輝点の電流はバックグラウンドより2桁大きな電流値を示した(Fig.3(b)).更に装置のxy平面でのドリフトを数Å/minに押さえると,探針を単一分子に固定させて電流一電圧特性を計測することが可能である.このように絶縁分子中に挿入した共役分子系を用いれば,孤立した1個の分子の電気特性を測ることが可能であり周囲の分子との電導性の違いを同一画像で比較検討できる.
前述したように電導性AFMはカによる探針一試料間距離制御と独立して電気計測が行えるため探針と試料の接触圧を一定にすれば,異なる試料問で電流値の比較や電圧一電流(IV)特性を調べることができ,電導性の分子長依存性など電導機構に関する情報を得ることが可能となる.合成したメルカプトチオール基を持つユニット数の異なるオリゴチオフェン分子について電導機構を検討した10).Fig.4にオリゴチオフェンSAMのIv特性を示した.IV特性は±0.1Vの低バイアス領域で線形性を示した.これより低バイアス電圧では分子の量子準位を介さない非共鳴電子トンネリングにより電子が分子を通って流れていることが分かる.またユニット数の異なるオリゴチオフェンSAMの電流値を計測すると,オリゴチオフェンの分子長増加に伴い指数関数的に減衰した(Fig.5●).この直線の傾きは,分子を介して流れるトンネル電導の減衰定数(β)を表している.すなわち電子が散乱の影響を受けずにコヒーレントに伝搬する係数を意味する.βの値が小さいほどトンネル電導効率が高いことを意味する.この傾きからオリゴチオフェンを介して流れる非共鳴電子トンネル電導減衰係数の値は0.42Å-1と求めることができた.同様にして求めたアルカンチオールSAMのβ値は1.08Å-1である.求められたオリゴチオフェンのβ値は量子論によって計算された二つの金電極に挟まれたチオフェンオリゴマーのトンネル電導係数の理論値(0.35Å-1)に近い値であり11),飽和炭化水素(アルカンチオール)に比べ効率の良い非共鳴トンネル電導を定量的に評価することができた.この効率の高さはLUMO-HOMOギャップの低下と大きな電子交換項の結果により発現していると考えられる.更に,正負2Vのバイアス電圧を印加したオリゴチオフェンSAMのIV特性は非線形に増加する曲線が得られ,1.5V付近で微分係数が増加した.このことは,印加電圧1.5V付近にオリゴチオフェンの電子状態が存在し,この電子準位を介した共鳴トンネル効果により電流がながれているものと考えられる.分子スケール電気計測では電極電位を変化させることが可能なため非共鳴トンネリングだけではなく,分子の量子準位を介した共鳴トンネリングに関する情報が得られる.これは電気計測のみで可能であり,従来から行われてきた分光手法による電子移動の計測ではできない.接触式分子スケール電気計測の利点を示すものである.
2.3電気化学的手法による単一分子電線の構築
分子や金属を使ってナノメートルサイズの細線を電気的に構築する研究が注目を集めている.ナノ材料を使って電気回路の微細な配線を行おうというものである.グラファイト表面のステップを利用して電気化学的にMoのナノ細線を作る研究やSTM探針から放出する非弾性トンネル電子の注入によりグラファイト上にジアセチレン分子を重合させる研究などが報告されている12),13).しかしながら外部からの電気的制御により異種分子から成る単一分子細線を構築したり,接合を形成させる研究についての報告例は無い.本章ではアルカンチオールSAM中に埋め込んだ1個のオリゴチオフェン分子を核として用い,電気化学的に延長分子との重合を行う"単一分子電解重合"について紹介する.ドデカンチオールSAM(C12)中に単一分子挿入したチオール基を持つオリゴチオフェン4量体(4T1)を電気化学重合反応の核として用いた.この試料をオクチルチオフェンを含む電解質溶液中でポテンショスタットを用い正電位パルスを印加して単一分子の電解重合(接合)を行った.4T1挿入試料で観測される単一共役系分子の輝点高さが3~7.5Åであるのに対して,重合後の試料で観測された輝点高さは重合以前の輝点高さに加え,12~20Åの高さの輝点が観測された(Fig.6).またこれらの高い輝点は重合以前の輝点に比べ2倍程度のサイズを持つことが確認された.更に電気化学測定からも酸化電位が低電位にシフトすることが確認された.以上から電気化学的に異種分子からなる単一分子電線が形成されたものと考えられる14).
2.4レーザー励起走査プローブ顕微鏡の開発と単一分子光電導
走査プローブ顕微鏡に光励起を組み合わせれば分子スケールにおける局所的な光(電気)物性の観測が可能になり,局所領域で光物性を観測する新しい計測法になると考えられる.ナノメートル領域の光物性を計測する他の計測法としては先鋭化した光ファイバーから発するナノメートル点光源で試料表面を操作して光学的性質を検出する近接場光学顕微鏡(NSOM)が知られている.NSOMは試料の光学特性を直接的に計測する優れた手法であり数多くの成果が得られているが一般的な空間分解能は数十nmであり1個の分子の光物性を計測するための空間解像度には足りない15,16).これに対し筆者が開発した光電導性AFMでは分子解像度が可能である17).これは試料をレーザー光励起しながら発生するフォトキャリアを局所電流として検出する原理である.ポイントコンタクト光電流測定,局所光電導のIV計測,光電導のナノスケール画像化などの計測が可能である.更に超高速レーザーパルスと組み合わせた2光子励起によって発生した光電導のナノスケール実時間測定も可能である.
走査トンネル顕微鏡(STM)の原子分解能にレーザー励起を付与すれば,単一分子の光電導を原子スケールで観測することが可能になる.試料をレーザー光照射しながら光励起トンネル電流を検出する"レーザー励起STM"を用いて単一における共役系分子の光電導計測を紹介する18).試料はドデカンチオールSAMに挿入されたオリゴチオフェン4量体(4T1)を用いた.4T1分子は,クロロホルム中で400nmに極大を持つ吸収スペクトルを示す.800nmにおいては吸収を示さない.またドデカンチオールのクロロホルム中での吸収スペクトルは300nm以上に吸収を示さない.開発したレーザー励起STMを用いて,試料にフェムト秒チタンサファイアレーザーの第二高調波400nmを照射しながらSTM像及び光励起電流像を計測した.試料のSTM像は,ドデカンチオール分子の格子中に単一分子として挿入された輝点が観測された(Fig.7(a)).
光励起電流像は,STM像で観測された4T1分子の位置で同様な輝点が観測され,バックグラウンドのドデカンチオール分子からは光電流が観測されなかった(Fig.7(b)).
更に,励起光をチタンサファイアレーザーの基本波800nmに変えて試料を照射するとSTM像で観測された4T1分子の位置には光電流は観測されなかった.以上の結果から,400nm光励起電流像で観測された輝点は,400nmのレーザー光を吸収した1個の4T1分子が金電極に放出した光電流を観測しているものと考えられる.以上の結果からレーザー励起STMを用いて,共役系分子の光電導を単一分子レベルで検出できたものと考えられる.
3.まとめ
本報告では光とナノ技術を利用して1個の分子の(光)電子物性を観測する新しい計測法の有用性について述べた.電導性AFMの特徴は電気計測を探針と試料表面の距離制御と独立して行うことができる点であり,電流制御により試料一探針間距離を制御するSTMに無い特色を持っている.この特徴により任意の点にチップをアドレスし局所電気物性を計測することが可能である.今後は,この技術を利用して一個の分子の電子準位に由来する量子伝導を観測することが可能になるものと期待される.また,光電導性AFMやレーザー励起STMは単一分子の光物性を"電気の眼"を通して見る新しいナノ技術である.今後,単一分子内の電子の動きや位相を分子解像度,実時間で捉えられるようになるものと期待される.