2014年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

環境教育における意思決定能力育成プログラムの開発と実践-米国科学教育プログラム SEPUP「有害な廃液」を使った授業を通して-

実施担当者

藤澤 隆次

所属:千葉大学教育学部附属中学校 教諭

概要

1.はじめに
 平成20年改訂小・中学校学習指導要領(理科)では、PISA調査等の結果から、単に基礎的な知識やスキルの習得、科学的原理や規則性の習得だけではなく、習得したことと日常生活や社会との関連付けを一層図り、習得した事柄が活用できるようにすることを重視している。
 我々は、社会生活の中で次々と意思決定(decision-making)を行っている。これらの意思決定は、何気ないものから重要な問題の解決に関わるものまで様々である。地球温暖化などの環境問題をはじめ、新型の疾病、東日本大震災における原子力発電所事故等々、人間社会はいまだ経験したことのない危機的な事実に直面している。これらの問題は直ぐに唯一正解が得られるものではない。この唯一正解が得られない問題をイシューズ(issues)として峻別して呼んでいる。絶えず変化し様々なイシューズを抱える現代社会をより良いものとするためには、我々が賢明な意思決定をすることが必要不可欠である。長洲南海男ら(2006)は、意思決定過程において、オープンマインド(open-mind)やトレードオフ(trade-offs)などの思考スキルが、意思決定の質を高めるための重要な役割を果たしていると述べている。トレードオフは批判的思考力のひとつであり、関連する価値を十分に考慮した上で意思決定の際に最適化を図るスキルである。実社会におけるイシューズ解決のために必要なトレードオフに基づく意思決定能力の育成が、これからの理科教育には求められている。
 しかし、その能力の育成は、日本の学校教育、特に理科ではほとんど行われていない。トレードオフは意思決定においてとりわけ重要であると考えられているにも関わらず、理科教員が授業でトレードオフ活動をするべきだという認識をしているという事実もなければ、授業で扱うことのできるトレードオフ教材自体もあまりない。
そこで本研究では、次のような目的を設定した。
1.先行研究を調査し、トレードオフ課題が含まれる学習プログラムを整理する。
2.学校現場での現状と照らし合わせて、トレードオフに関する指導の実際と可能性について明らかにする。


2.研究の方法
(1)先行研究を調査し、トレードオフの定義を明らかにする。
(2)米国の理科教育や環境教育の教材フログラム(SEPUP)を取り上げ、次のような視点で調査、分析する。
①どの点でトレードオフを重要視しているか。
②日本ではどのように実践が行われているか。
③日本で導入、活用するためにはどうすればよいか。


3.研究のまとめと今後の課題
(1)理科及び環境教育におけるトレードオフの意味
 片平(2005)は、「トレードオフはある選択肢をあきらめて、より望ましい成果を得る際に行われる価値判断である。たとえば、より良い選択をするには、似かよった選択肢に対して、長所を比べたり、あるいは、短所がより少ない方に着目しながら比較し、トレードオフするはずである。トレードオフが必要になるのは、解決のために複数の選択肢がある場合であり、我々はどれを選ぶかを判断しなければならない。」と説明している。

(2)米国のトレードオフ教材に関して
 日本ではトレードオフ教材がほとんどない。米国ではトレードオフ課題を含んだ教材を授業の中で扱い、意思決定能力を習得させる試みがいくつもなされている。その中には、SEPUP(Science Education for Public Understanding Program)やFOSS(Full Optional Science System)がある。
①SEPUPの目的
 SEPUPは、米国カリフォルニア大学バークレー校で開発している科学プログラムであり、科学的リテラシーの育成を目的としている。その中でも、「一般市民として意思決定をする際に、科学の原理、プロセス、証拠を活用する能力を生かすことができるようになるためのプログラムを目指す。」という目標を掲げている。これはまさしくトレードオフによる意思決定能力の育成を重視していると言える。また、これらの目的に基づき、12種類のSEPUPモジュールが開発されている。米国の教師は、生徒の実態に合わせて授業に導入している。
②SEPUPモジュールの実践
 本研究では、SEPUPモジュールの一つである「有害な廃液」を実践した。本題材では、生徒はコンピューターマイクロチップの工場に勤務する環境保全エンジニアという立場をとる。そして、塩化銅水溶液を用いた電気メッキ工程で生成された有害な廃液を、いかに安全に処理するか(無害に近づけるか)を課題とするトレードオフ教材である。このアクティビティを利用し、中学校第3学年の生徒を対象に、実践を行った。アクティビティの後に行ったポストテストで解答のレベルを上げた生徒が多かったことから、SEPUPモジュールがトレードオフに基づく意思決定能力の育成に有効であった。生徒たちのトレードオフ課題に熱心に取り組む様子が見られたこと、さらにトレードオフに対する生徒の多様な考え方を確認できたことは成果に値する。

(3)今後の課題
 実践とその結果から、SEPUPをはじめとした米国のトレードオフ教材を、日本の理科及び環境教育でも利用することは可能であると思われる。しかしながら、教科の系統性などを考慮すると、米国仕様の教材をそのまま利用することは難しい。したがって、これらの教材・プログラムを参考に、トレードオフする能力の育成という視点から新たに教材開発を行っていく必要がある。そして、ポストテストでもトレードオフできなかった生徒に対しては、課題に対する思考場面でどのようにサポートするかが今後の課題である。さらに、トレードオフできるようになった生徒に対しても、教師側がトレードオフによる意思決定場面をどのようなタイミングで日常の授業に取り入れていくかが課題である。また、トレードオフ課題ごとの評価が難しく、評価基準の設定や設定に基づいた評価をどう行うのかという問題もある。