2007年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第21号

環境応答型高感度細胞バイオセンサの開発

研究責任者

小畠 英理

所属:東京工業大学大学院 生命理工学研究科 生命情報専攻 助教授

共同研究者

三重 正和

所属:東京工業大学大学院 生命理工学研究科 助教

概要

1.はじめに
近年、薬剤や環境中の化学物質の安全性・有用性に対して非常に高い関心が持たれるようになってきた。それに伴い、化学物質の安全性評価を正確かつ簡便に行えるシステムの開発が求められている。薬剤評価の最終段階においては動物実験が行われるが、動物実験では薬剤がどこに影響を及ぼしたかを評価することは非常に難しく、予測できなかった反応への対処が困難である。また、近年の動物愛護の観点からも、動物実験に代わる方法の開発が求められている。以上のような問題点を解決するようなシステムを構築するために、生物の最小構成基本単位である細胞に注目が集まっている。すなわち、細胞を化学物質に応答する材料として用いて、化学物質が生体に与える影響を、「生きたまま」評価を行うという戦略である。
2.細胞のインテリジェンス性
細胞とは、先にも述べたように生物を構成する最小単位である。細胞は基本的に増殖することが可能であり、様々な成長因子などの影響によって分化することもできる。また、各種刺激に対して、細胞死、遺伝子発現、各種物質放出、電位変化といった適切な細胞応答により、生命活動を維持している。さらには、環境変化による自分自身へのダメージを診断・修復する機構も備えており、細胞の内外で様々な情報伝達を行っている。細胞はこのような自己修復・自己診断・環境応答といった「インテリジェンス性」を有しており、細胞を材料として用いる試みが広く行われるようになったのも当然といえる。特に、細胞の持つ「環境応答機能」は、熱や電気的刺激、ずり応力といった細胞周辺の物理的な環境変化のみならず、薬物・毒物や環境汚染物質等の化学物質によっても発現される(図1)。この化学物質による細胞応答を測定することによって化学物質が生体へ与える影響を測定する「細胞バイオセンサ」を構築する試みが行われるようになってきた。
3.細胞バイオセンサ
細胞バイオセンサとは、細胞を用いて、化学物質の評価や定量を行うセンサである。細胞センサの概念を図2に示す。これは、細胞と細胞応答を認識・測定する部位からなるものであり、化学物質や環境変化を加えたことによる細胞応答をその認識部位において測定し、評価・定量を行うセンサである。従来のバイオセンサでは、酵素や抗体・レセプターなどの生体分子を分子認識部位とし、これと信号変換部位となるトランスデューサを組み合わせることにより、対象となる物質を測定・定量していた。しかしこの細胞バイオセンサは生きた細胞そのものを利用しているため、対象物が生体に及ぼす全体の影響を測定・評価することができる。細胞応答を測定するために、通常電気的な測定方法と、視覚的な方法が使用されている。電気的な方法では、化学物質投与による細胞の呼吸活性の変化や細胞周辺のpH 変化を電気化学的に測定し、化学物質の評価を行う方法が知られている。
また、視覚的な方法としては、刺激時における細胞の形態変化や、増殖速度の変化などを測定するものがある。また、細胞の環境応答プロモーター下流に蛍光、および発光を持つタンパク質の遺伝子を導入し、それらの発現量を測定することによって、細胞の環境変化を評価する方法もある。いずれの方法に対しても、評価する化学物質に対してよりよい評価を行うために、どのような測定デバイスを構築しなければいけないのか十分に検討する必要がある。本研究では、血圧調節を行う薬剤に注目し、その生体に与える影響を評価することができる細胞バイオセンシングシステムを構築することにした。
4.血圧調節剤を評価する細胞バイオセンシングシステム
血圧の調節は身体の恒常性を保つために非常に重要な役割を果たしており、高血圧症や動脈硬化などにより異常を来すと様々な障害が生じる。こういった障害を改善するために血圧調節剤が必要である。本研究では、この血圧調節剤の評価を行うための細胞バイオセンシングシステムを構築した。この細胞バイオセンサには、ヒトさい帯静脈血管内皮細胞(human umbilical vein endothelial cell: HUVEC)を用いた1)。血管内皮細胞は血流によるずり応力や化学物質によって血管内皮細胞由来弛緩因子(endothelial derived relaxing factor: EDRF)である一酸化窒素(NO)を放出し2)、血管を弛緩させ血圧の調節を行っている細胞である(図3)。この細胞応答の指標としてEDRF であるNO を選び、これを電気化学的に測定した。細胞からのNO 放出量は血圧調節剤による血管の弛緩度として扱うことができ、このNO を測定することによって血圧調節剤の効果を評価することにした。
まず、血管弛緩剤のモデルサンプルとして、血管弛緩を示すachetylcholine (ACh)3)とNO 合成酵素阻害剤であり、血管弛緩を阻害するNG-monomethyl-L-arginine (L-NMMA)4)を選び、これら各薬剤の細胞応答を評価した。
5.細胞応答(NO)認識部位の構築とその評価
細胞バイオセンシングシステムを含めた電気化学測定系はすべて3 電極系であり、working electrode には細胞バイオセンサ、reference electrode にはAg/AgCl 電極、counter electrodeにはPt 電極を使用した (図4)。
細胞応答認識部位を次のように作製した。まず、10 cm×10 cm の Au 電極上に内径1.6 cm, 高さ1 cm のガラス筒を接着して、シャーレ状の電極を作製した (図4)。この中にpoly-L-lysine (分子量、70,000) 25 mM (monomer unit) 600 μl とpoly(4-styrenesulfonate) (分子量、100,000) 25mM (monomer unit) 300 μl 滴下後、25℃、24 時間保持して、polyion complex layer をAu 電極上のガラス筒内に形成した。このpolyion complexは、NO に対する選択性を向上させるだけでなく、細胞への接着性を付与することができる。細胞応答認識部位のNO 応答特性を評価した。電気化学測定はdifferential pulse voltammetry(DPV) により行った。DPV はamplitude 50 mV,sweep rate 10 mV/s, 0.5-1.0 V (vs. Ag/AgCl)の条件下で行い、NO がピークを示す電位の電流値を用いて、検量線を作成した(図5)。図5が示すように検出限界は5 nM であり、非常に低濃度でのNO が測定することができ、細胞バイオセンサを構築するために十分な感度でNO放出量が測定可能であることが示された。
6.細胞バイオセンシングシステムの構築、および血圧調節剤の評価
次に、細胞応答認識部位上にHUVEC を培養して、細胞バイオセンサを構築した。HUVEC を2500cells/cm2、HuMedia-EG2 培地中で電極上で培養を行い、90 %以上コンフルエントな状態になった後、薬剤応答の測定を行った。各化学物質の薬剤応答を評価する際には、それぞれの物質をPBS(0.1 M, pH 7.0)に溶解し、各濃度に対応した量を添加した。まずACh を各濃度での評価を行った (図6)。これによるとACh 濃度依存的にNO 放出量が増加していることが示された。また、ACh とともにL-NMMA を同時に細胞バイオセンサに滴下したところ、その放出量が低下した。よって以上の結果により、ACh は血管を弛緩する作用があること、およびL-NMMA はそれを抑制する効果があることが確認できた。
7.おわりに
血管内皮細胞を用いた細胞バイオセンシングシステムを構築し、細胞からのNO 放出量を指標として血圧調節剤の基本的な評価を行った。このシステムを用いることで、血管弛緩の抑制及び促進に影響する薬剤の評価を行うことができた。このような細胞応答を指標とした細胞バイオセンサは、今後化学物質の評価、ドラッグスクリーニング等に広く使用されるようになることが期待される。